狂騒曲を踊りましょう
時間は進み、太陽はすっかり地平線の彼方へ。世界を照らしていた光に姿を隠されていた月がようやく顔を見え始める夜の始め。
数時間の休憩と夜ご飯という栄養補給を経て体調はすっかり元通り……とまではいかないけれど、締めつけるような頭痛と体に重しを括り付けたような倦怠感からは解放された。凝り固まった筋肉を伸ばしてほぐせば、心地よい痛みが全身を巡る。
身体の不調が消えれば多少の行動力は根底から湧いて出てくるというもの。眠気こそ消えず、扉を何度ノックしても反応しないえいるを放っておく罪悪感もあって、だけどそれでももう一度ログインしようという気配に押された。私は再び黒いエイリアンの口に自分の頭を差し出した。
仮想と現実の切り替えはほんの一瞬。明滅が私を歓迎し、白く染まる視界が開けば、いつの間にか私はアルカディア・プロジェクトの世界に吐き出される。
ログアウトした場所がリロフトなので、ログインするのもリロフトだ。しかし退場したのと同じ座標にそのまま現れるわけではなく、しっかりとセーブポイントから再開される。
幾つかあるセーブポイントの内、小さな宿屋の中で目を覚ました。現実の身体から切り替わった仮想の身体はログインして数舜、自分のものじゃないようにぎこちなく動く。それもすぐさま、仮想に適応した脳が現実の感覚との擦り合わせを行って、生まれてからずっと共存してきた肉体のように扱うことを許してくれた。
跳ねるように起きる。小さな部屋はベッドと机で大部分を占領され、その机の上には二通の手紙が置かれていた。寮の一室と同じ個別フィールドのセーブポイントは、メッセージを手紙という形で届けてくれる。
椅子を引いて座り、手紙を手に取る。一通はヘレンから、もう一通は……アドハ?
何でだろう? 用事があるなら会いにくればいいのに。
あいつは電子世界の神様の一匹、私のログイン状況も、なんならログインしてなくても携帯端末に通話をかけてきたことさえあるのに、わざわざこんな手間を?
……気分の問題かしら。
なんとなく違和感があって、でも気に留めるほどでもない。とりあえず先にヘレンからの手紙を開く。
ヘレン:これ見たら連絡よこせ
「簡潔ね」
アレェリスタと狂いから手紙が来てないのは前の嫌がらせにやめろとちゃんと言ったからだろうか。
とにかく指示通りにヘレンにメッセージを送る。間髪入れずに返事があり、無から生まれたかのように手紙が机の上に現れた。少し驚きながら開けば合流場所が書いてある。
次にアドハからの手紙を開く。
アドハ:準備はいい? 幕はもうすぐ、後は踊るぬいぐるみ。君の骨は何色かな?
「はぁ?」
唐突なポエムに思わず声が漏れる。
なんなのよいったい、あいつどうかしちゃったわけ? 昼に会った時はまだ普通な感じだったけど、この数時間でサーバーにめちゃくちゃ負荷がかかってバグったのかしら。いや、サーバーは本体じゃないとか言ってたっけ……。
幕はもうすぐ……『極限』に挑む準備が出来たかってこと? あいつなら直接聞いてきそうだけど……。ポエムの意味を解読しようとするけれど、意味は全く分からなくて、わけわかんないんだけどと返す。次いで直接会いに来なさいよとも。だけどこっちは返事がなかった。
重い溜息を吐いて立ち上がる。
アドハのことはいったん置いて、まずはヘレン達と合流ね。
* * *
「皆殺しなの」
前線拠点ルドクルグ、そこから繋がるフィールド、『遺骸断崖カルドル』の入り口にて。アレェリスタ、狂い、ファイの三人と共に私を待ち構えていたヘレンは現実なら警察がすっ飛んでくるような言葉を臆面もなく口にした。
「いきなりなに?」
「シャオレンに『極限』権がないってわかった今、やることはまず戦力の底上げなの」
「なんでそれでそんな物騒が飛び出すのかしら……」
「短時間でレベル上げるならパワーレベリングが一番だからだよ。自分より格上の敵を、見つけ次第問答無用で狩るのが最善だね」
「蛮族みたいねぇ」
「蛮族だって狩れない相手には挑みませんから、むしろもっと無謀な、そう狂人という枠ではないでしょうか?」
「どっちにしても嫌ね……」
「諦めろ、こいつらにまともな思考なんて存在しないんだと、君もそろそろ理解したほうがいい」
「バカ言うななのノロマ、お前だって同じ穴の狢なの」
「心外だ!」
ヘレンの言葉にげんなり返す。どうしてこう、やることが極端なのかしら……。
だけど言い分には一理ある。未だクラスⅠレベル12であるシャオレンの強化は急務であるし、イベントも終わった今、次にプレイヤーが向かう熱量の先は閉じたフィールドの更なる探索か、まだ見ぬ高難度……『極限』の攻略だろう。アンドレイが簡単に負けるとは思わないけれど、余計な茶々や手間が増えることは想像に難くない。
強くなる。それも、早ければ早いほど良い。
となるとヘレンの提案に従わざるを得ないわけだけど……。
「武器、壊しちゃったのよね。丸腰だから買いに行っていい?」
「良くないの! まったく! どうしてお前はそう、簡単に壊すの!」
「成り行きなの仕方がなかったのよ、ね、狂い」
「え!? え、えぇ……仕方、ありませんでしたね。はい」
「……御伽? まさかお前が壊したとか、そんなことないよね? なの」
「…………ボクは、壊してないですよ、ボクは」
ヘレンのジト目から目を逸らした狂いはどこ吹く風で言う。まあ嘘は言っていない。私が補正を切った状態で無理やり魔法を使ったのが原因なのであって、狂いが直接壊したわけではないのだから。直接的な原因は狂いでしょうけど。
「シャオレン、ほら、やるよ」
「わ、ありがとう」
アレェリスタが虚空から幾つか武器を取り出した。私の掌に乗せられていくそれは、触れた瞬間にインベントリの中に消えていく。
重みを加える金属は多種多様だ。片手剣、双剣、斧、槍……。
「多くない?」
「武器の適性は試しておいたほうがいい。取り回しは結局個人のセンスだからな。お前なら必要ないかもしれないけどね」
「まぁ一通り触ったことはあるけれど……」
ARゲームにおいてチャンバラは必須と言っていいジャンルであり、武器を振るって戦うというのはいつだって最高のゲーム体験であった。現実世界で体を動かして戦いたいという欲求は仮想現実でさえ慰められなかったからだ。
ARと言えばチャンバラであると言っていいほど多種多様なゲームがあった。ま、ほんとに金属の棒や刃物をぶつけ合うわけにはいかないから、大体は柄だけの、バトンのような武器だ。ゴーグルを通すと刃が見えるってわけ。専用のグローブが金属の重さを再現し、センサー付きのプロテクターがヒットの衝撃を身体に伝える。
スタジアムにどっぷりだった私も当然ARチャンバラには触れたし、システムの分色んな武器に触れている。刀しかないものだったり、遠距離攻撃(手裏剣)が許されているものだったり……。その経験値があれば、多少の武器は使えるだろう。
「それと、職、決めておくの」
「スパイ職じゃダメかしら?」
「クラスⅢまで行かなきゃまともな対人攻撃スキルが出ない系列職なんてクソ喰らえなの。それよりもっとまともな職はいっぱいあるの」
「魔法職やってみますか? 手取り足取り教えますよ!」
「お前オンリーワンじゃない、参考にならないわね」
「補正を切って魔法を使うなら石星魔法が一番だ。強いぞ」
「ヘレンに聞いたわよ、弱い魔法で五万マノ飛ぶらしいわね?」
明らかに初心者向けじゃないじゃない。そんなもの進めないで欲しいわね。
そもそもまだ魔法の感覚が……なんならスキルの感覚さえ正確に掴めていない。狂いとの戦いでは奇跡的に上手く発動できていたけれど、火事場の馬鹿力である可能性は十分にある。
となると近接職になるか。
「クラスⅡの職って同じ系列のクラスⅠ職先に取らないと行けないんだっけ?」
「そなの」
「じゃあなんで先にフィールドに連れてきたのよ」
「ふふん、安心してください。クラスⅠは職水晶で転職できますからね!」
「え、なにその便利なの。どうしてスパイ職の時に、いやそれ以前に渡してくれなかったの? それがあったらわざわざロリコンの元に通う意味だって」
「職水晶は転職のショートカットアイテムだ。どちらにせよ職クエストは達成しないとならないから、渡したところでヒューイから封筒を奪う必要はあったし他の職はクエストが達成できないから転職できなかった。それに、一度それぞれのギルドに寄る必要もある」
「私サントレアス以外って殆ど行ってないわよ、アム・ロックのギルドに顔出したくらい」
「アム・ロックは基本職全部のギルドを兼ねている。上位職みたいな専門ギルドに行く必要がある職は無理だが、今は十分だろう」
むぅ、上手い話はないわね。
狂いが手のひらサイズの水晶を差し出し、それを受け取る。淡い緑色に光る塊は湖底にあった零晶に少し似ていた。
それをインベントリにしまう。最低限のインベントリは貰った武器と、職水晶によってかなりのスペースを圧迫されていた。これももうちょっと大きいのに変えないといけないわね。
課題ばかり出てくるシャオレンに少し頭を痛めつつ、双剣を取り出す。それはダガーと呼ばれるだろう包丁のような片刃の形状を、そのまま大きくした剣だ。水色の刀身の根元を骨で出来た唾が支えている。
『リエス・ハイ・ダガー』と銘打たれた武器を、軽く振るって感触を確かめる。
「問題なさそうなの。じゃ、始めるの。スタートはここ、ゴールは犬との約束……先端のっ、いりぐち、まーでっ!」
ヘレンがいつの間にか取り出した弓を引き絞り、放つ。番え、放たれた矢は先端に音玉のような球が付けられていた。
弧を描いて、矢は遠くへ消えていった。見えなくなった後、小さく破裂音が響く。
狂いが言葉を紡ぐ。アレェリスタが双剣を取り出し、ファイが左手に杖を、右手に宝石を握りしめた。
唐突な戦闘準備にあっけに取られていると、身体を振動させる地響きが起こる。発生源は地平線、視線の先の世界だ。そこには小さな点がある。
小さな点が、徐々に大きく。やがてそれが点ではなく、幾つかの生物の集合であることが判明する。
それは、狂ったようにこちら目掛けて駆けるモンスターの群れ。
「流石『マリアナルゥの狂騒粉』、個人で起こせる災害だな」
「レベル上げにはまとめが一番なの」
「……狂い、なんの魔法かけたの」
「注目上昇ですよーっ、勿論対象はシャオレンです」
各々が武器を構え、モンスターを見据える。……あれと戦えって、スパルタすぎないかしら。
「パワーレベリングに寄生なんて許されないの! キャリー対象さえ馬車馬の如く! さあ、駆け抜けるの!」
「『A・S・H』の初陣です、張り切っていきますよーっ!」
「アッシュ?」
「それぞれの頭文字とはまた、安直だな」
「テラーの御伽から取って『AHO』よりマシだろ?」
そりゃその二択なら、そうなるでしょうけど。




