スイレイ湖底アンコール 4 夜の声
「シャオシー……シャオレンの知り合いですか? 戦闘中のフレンドコールは出来ないはずですが、どうやってここに」
「さてどうしてだろうね? でも考えても詮無いよ、アクセにスキルに拝領品。誰かの居場所を知る方法なんていっぱいあるからね!」
「ふぅん……では、一つ聞きます」
「なにかな」
「シャオレンを、助けますか」
「もちろん」
「では……お前も殺します」
「ははっ!」
狂いが言葉を紡ぎ、シーがクロスボウを射る。
直後、シーが立っていた場所、シャオレンの眼前に拳の形をした金属が撃ち下ろされる。けれどその一撃がシーを捉えることはない。
脅威的な反射神経で拳を回避したシーは、ポンチョに隠した左腕を露に、握りしめた小さな玉を二つ放り投げた。
音玉にも似たそれは、クロスボウの一射を傘で弾いた狂いの眼前に落ちる。盤面に触れ、炸裂と同時に真っ白の煙が玉から吹き出した。
「煙玉!」
白の煙が狂いの視界を覆うと同時にシーの足にスキルの光が宿り、明らかに上昇した速度で狂いの側面に回り込みながらクロスボウを乱射した。
「……っ、『大気よ、僅かな白さえ吹き飛ばす風!』」
言葉から生まれた風が狂いを中心に巻く。煙と、クロスボウの矢さえ巻き取り散らして。
晴れた狂いの視界に、シーの姿はなかった。
「ど、こ……後ろ!?」
見えない後ろへの迎撃にと傘ごと後ろに振り返る。けれどそこにもシーはいない。
「はんぶんせーかい♪」
「きゃっ」
何もなかったはずの狂いの眼前に突如としてシーが現れる。無からの出現、あまりの突然に狂いが僅かに硬直し、それはシーの左に握られた赤いナイフが狂いの喉を抉るには十分な時間だった。
血飛沫じみたダメージエフェクトが散る。
まだ、シーは止まらない。
左があれば右がある。クロスボウが狂いの腹に押し付けられて。
撃つ。零距離で放たれた矢が狂いの身体を貫通した。
「このっ!」
「おおっと!」
言葉は悠長と判断した狂いは、クラスⅢ素材をふんだんに使用した、見た目以上に攻撃力を持つ漆黒の傘を鈍器のように振り回して迎撃する。しかしそれも当たらない。大仰に後ろに飛びのいたシーは、その顔に笑みを張り付けたままさらに二度、三度と後ろに跳ねていく。
(ダメージが大きい……スキルですか。恐らくAGI型に、視界妨害の煙玉。姿を消すのは拝領品かスキルか)
僅か一度の交錯で推論が浮かぶ。それはこの世界に長くいるからこその経験と、友達を応援するためにウィリルスに通っていた時期に蓄えた多種多様な在り方の知識に裏付けされる。
(わざわざ消えたということは、相手に見つかっていない状態で攻撃力を上げる『アサシネイト』あたりでしょうか……十中八九AGIDEX振りの暗殺者ビルド。でも初撃で死ぬか瀕死になってないということは、向こうはまだクラスもレベルも低いですね、なんにせよ)
推論が立てば対策が打てる。見当違いに空振ったとしても、間違ったという結果が手に入る。
「AGI型なら耐久を削ってるはず。姿を晦ますことが前提のビルドなら……捕まえるか、どこにいても逃げきれない攻撃が楽ですね」
だから、狂いは世界へのオーダーを呟いた。
「『赤と黒の盤面の、その全てを飲み込む火。劫ヶ燃える焔が舞う』」
言葉は簡素に、結果は劇的に。
瞬く間に盤面に炎の線が走る。酸性雨の勢いにも負けない炎が下から世界を照らし、雨を蒸発させて気体に変換する。熱気と湿気が広がり、閉じた世界は一瞬にして様変わりした。
「『火を育てる風が吹く。溶ける雨は勢いを止めない。ああ、ここはまさしく地獄のように』」
一陣の風が吹く。煽られた火が勢力を拡大し、世界を飲み込んでいく。もはや熱気だけでじわじわとダメージが入ってしまう場所に変容した世界は、狂いから遠ざかるシーを容赦なく襲う。
「うわっ、うわわ、それは反則じゃない!?」
「『暗殺者を閉じる金の檻。空と大地から降り昇る』」
「うっそぉ!」
それはシーの、バックステップの着地際を狙いすましたタイミング。シーの足元から金色の金属が飛び出した。
シーを中心とした円の外周に、格子が編まれた金属の檻が下より生まれる。丸い金属の檻は中心が膨らみ上部が狭まるという、金魚鉢を彷彿とさせる形をしていた。
さらに頭上から、こちらは真四角のいかにもと言える檻が落下する。シーとシーを捉える格子ごと飲み込んで、金魚鉢と檻、二重の障害がシーの移動の一切を封じる。
「捉えた……『彼女を取り巻く針の筵』」
現れるのは鈍色の帯。シーをぐるりと囲む大きな帯は、内側におびただしい数の針が、切っ先をシーへと向けている。
「……針の筵ってそういう物理的なことじゃなくない?」
「『巻き付いて』」
一拍遅れて。
帯が縮まった。
とぐろを巻いた蛇のように、鈍色帯が檻を締め付けている。一切の隙間もなく巻き付いた帯は、鱗の代わりに備えた鋭い針が檻のと金魚鉢を超えてシーのアバターを抉っているだろう。それはアイアン・メイデンを思わせるような凄惨だ。
「さて」
燃え盛る炎と降りしきる酸性雨は狂いの体力さえもじりじりと削っていく。言葉一つで治まる事象を無視して、狂いは取り出した飴を噛み砕いた。
減少量を超えたHP回復が始まったのを確認した後、黒の傘を開く。酸性雨が遮断され、減少量が小さくなる。
「……シャオレンは」
熱気か雨で死んだでしょうか。
そうであればいいなと思い、傘を回しながらシャオレンがいた方へと視線を向ける。
「やは!」
目の前に、濃い桃色の瞳が躍っていた。
「っ!」
「甘いよね!」
赤いナイフが首を薙ぐ。回復量を上回ったダメージは高低するHPを確実に低下へと引っ張っていく。
「ど、してっ!」
いや、考えても仕方ないですね!
距離を開こうと、とっさの判断で狂いは一歩引く。それを見越していたのかステップに合わせたシーが前に出た。
距離は変わらず、追撃はクロスボウ。
(魔法が使えないのは……っ!)
矢を腕で受け止めながらさらに後ろへ。けれどシーも走りを止めない。
『童話作家』は魔法職。魔法職とは概ね後衛、近接戦闘手段を得意としない職だ。基本的に注目と攻撃を受け止める壁役とのセットで語られることが多い、そもそも対人戦に向いていない職でもある。
詰め寄られたなら負け。それが魔法職の共通意識だ。そしてそれはクラス至天であろうとも(『童話作家』が職能力に突き抜けた結果ステータス補正がとても低いという事実も重ねて)関係がない。
クラス至天とそれに及ばない低クラス。けれど、現状の優位はシーにある。
「ねぇ気づいてるかな!」
「何がですか!」
「矛盾してるよ! 私がシャオレンを助けるから殺す、なら君のさいわいがシャオレンを助けたら!」
「っ!」
「シャオレンの隣に立ったさいわいを、貴女はどうするのかしら!」
「……うるさい!」
ナイフが振るわれ、赤い線を残す。HPの残量が危険区域に突入したのを確認しながら傘を振るう。
開かれた傘が狂いとシーの間を遮断する。猛攻を途切れさせる小さな空白が生まれ。
「『黒い傘、爆ぜて!』」
爆発した。
爆風が相互にダメージを与え、HPがレッドゾーンの狂いにも、耐久が脆いシーにとっても致命傷になりかねない一撃が二人を別の方向に吹き飛ばした。
それでも二人は何とかHPを残す。しかし世界は熱気と溶ける雨、立っているだけで死に向かう場所に変貌している。ただでさえ残り少ないHPをさらに削られながら、爆発によって強制的に開いた距離で二人は睨みあった。
「無っ、茶する!」
「…………もう、徹底的に殺してやります」
* * *
「ねえ夜」
「……夕?」
「はいきちんと食べてね」
「もが」
雑に口の中に飴を放り込まれた。略式ポーションだ。噛み砕けば、緩やかにHPが回復する。
目の前に小蘭夕……シャオシーの姿がある。アルプロ内で会ったこともないはずのシーを、けれど不思議と夕と認識できた。
「夕……いや、シー。貴女……さっき狂いの方に行ったんじゃ」
「あれ? あれは分身だね」
「ぶん、しん?」
そんなスキルが、いや、拝領品だろうか。
視界の先には煙玉が作り上げた白の煙幕があり、それをぐるりと回りこむように目の前に立っているほうじゃないシーが走っている。
「私の十八番って言うか、正確には分身じゃなくて並列思考だけどね。ま! そんなことよりさ、夜!」
「なに」
「いつまで逃げてるの?」
「っ」
唐突な誹りを運んだ甘い声が脊髄を侵す。どろどろに溶けた甘さが暴力を孕んで、私の鼓膜を響かせる。
「覚悟が足りない? いつになったら覚悟が決まるの?」
「そ、れは」
「覚悟が足りないって嘆くならどうして覚悟を決めようとしないの? 立ち止まったままじっと誰かの助けか周りの環境が変わるのを待つばっかりじゃん。えいるの死が救いとは思えない? それは逃げるための言い訳よ。もしえいるが死にたいって言ったとしたら。本当に夜はえいるを殺せたの?」
「…………殺せた、わ」
「ウソ。今ここに至るまで、夜はいったい何をしたのかしら? 紙月に来た、アルプロを始めた、『極限』に挑む……夜が、自分からしたいって言ったかしら」
「夕、私は」
「流されて流されてここにいる。自分の意思じゃないから狂いに対して怖気づくのよ。…………『極限』さえアドハの挑戦で、夜は乗っかっただけ。そのくせ臆病な自分に対しては自覚気味なのが性質が悪い。自分は臆病だとか卑怯者だとか、自虐で自分を慰めてる」
シーの目つきが厳しくなって、甘い声に似合わない刃物のような視線が私を切り裂く。
「夜、『極限』が貴女とアドハの挑戦だって言うなら、どうして一度諦めたの? …………あの時、ヘレンがいなかったなら。貴女は『極限』に挑もうと本当に思えていた?」
「っ!」
あの時。夕が何を指しているのか直感的に理解する。
頭の中に「黒猫・あしあと・青い薔薇」の一席、銃と『極限』について諸々論争ががフラッシュバックした。
私が『極限』に挑むと宣言した時。確かにそこにはヘレンがいて。
もし、ヘレンがいないならば。
先ほどの狂いの言葉と同じように、核心を突かれた感覚が駆け巡った。
背筋から寒気と、図星だという心の声がある。
ヘレンなら手伝ってくれると思っていた。目的が同じならアレェリスタも取り込めるだろうという目論見があった。二人の知り合いならあわよくば狂いも組み込めるかもしれないという打算があった。
あの時、あそこにヘレンがいなかったなら……『極限』に挑むに足る戦力の確保、その当てがなかったなら。
私は『極限』に挑むと宣言していただろうか?
……確証を持って否定できない。それが答えだった。
「でもご安心♪ これから私が面倒見てあげるね」
「……え」
突然シーの雰囲気が変わる。甘い毒の空気から明るく快活なものへ。厳しい目つきは消え去って、その顔には満面の笑みがある。
「先輩だし、家族だし! 私が全部の戦力をしてあげるね。敵はみぃんな倒してあげる。アンドレイだって、倒すのは過程で大事なのはその先だもんね?」
「ゆ、う?」
「夜はいつも通りでいいんだよ。何もしなくても私がご飯を運んであげる。いーっぱい悩んでいっぱい考えよう? 大好きなで大切な家族……私が守ってあげる」
夕の手が伸び、私の頬を撫でる。笑みの中、同じ桃色の目だけが真剣を浮かべて私を見つめる。
「夜が望む限り、私が夜の全てを叶えるよ」
だから夜は何もしなくていいんだよ。
明るい夕と、甘い夕。そのどちらでもない、二つの夕が混然一体となった声だった。
「…………だ、ダメよ、そんなの」
思わず発した言葉はあまりにも苦し紛れだった。自分の心と反する言葉を無理やり紡いだからこその声。夕の言葉を、なんて素敵な提案なのだろうと喜ぶ自分がいることをどうしても自覚してしまう。
「何がダメかな? ほら、『極限』に挑んだところで夜が出来ることなんて限られてるよね、ダメージも与えられないしヘイトも取れない。いてもいなくても変わらないじゃん」
「そうかもしれないけど!」
「かもしれないじゃなくてそうなんだよ。だったら私に任せたほうが良いよね? ここで断言してあげる、私だったらアンドレイを倒せるよ」
「……ど、あ、で……っ」
口を開くけれど音は言葉の形を作れない。脳が言語中枢に接続していないと思えるほど、意味のある言葉を発せない。
否定したくて、でもできない。
夕の言葉が紛れもないほどの事実だから。
私に何が出来る? アンドレイ相手に無様に負けるしかなかった私に。
アレェリスタを倒したのだって殆どヘレンとファイのおかげだ。一人では倒せない。
私は一人で、なんにもできない。
「一人じゃ何もできないから周りに頼るの、それは悪いことなんかじゃないよ。ただ頼る相手がヘレン達から私になるってだけ。問題なんてなにもないよ」
「…………でも、それは、私の挑戦じゃ」
「最初から夜の挑戦じゃないってことだよ。アドハにまだ、答えを返せていないでしょ」
「そ、う、だけど……」
「返す必要なんてないんだよ。夜はいつまでたっても傍観者でいればいい。アドハが救いを探すために足掻くのを見ながら、夜は夜の救いを探せばいいよ」
今までも、これからも。それが夜の生き方なんだから。
「…………………………いや」
返せる言葉が何も思い浮かばなくて。
口を出たのは、そんな二文字だけだった。
「いや?」
「…………いや、いやなの」
「どうして?」
「わからない……でも、いや、で」
「ああ、罪悪感だよ。みんなが何かしてる中で一人立っているのが心苦しいってだけ。それは夜が優しい証だけど気にすることもないよ。夜は最初から何もしなくてもいいんだから」
「そうじゃないのよっ!!」
「……夜?」
「ちがくて、そうかもしれないけどそうじゃなくて! 私は何にもできないけど全部任せるのは嫌なの! 私は今まで何にもしてこなかったけどそれが良かっただなんて思えなくて! ずっと何もしなかった、私は何かするべきじゃないって思ってたけど! だからって何もしない自分を肯定したわけじゃないっ!!」
自虐で自分を慰めてる。その通りだ。私は私を嫌って憐れんで生きてきた。だけどそれは、私の人生が自己嫌悪と共に歩いてきたことを意味している。
学校に通いながら、勉強しながら、ニュースを見ながら、ARゲームで孤独を紛らわせながら、息をしている間ずっと、自己嫌悪の針を心に突き刺していた。嫌悪の根源は、きっと、何もしない自分に対してだ。
「私が自分で選んだことなんてないけど、でも! それでも私は……っ」
夕の声が頭に反響する。
やりたいこととやるべきことは同じだよ。あの世界ではやりたいことをやる、それが許されてる。
何がやらなきゃいけないことなのか……何をやりたいのか。それを決めるのは。
「私は、救いを探したい! 私が、私の意思で、救いを探すことを選びたい!」
いつの間にか目には大粒の涙が滲んでいた。止めようのない涙が溢れて落ちる。心の何かが決壊したのか、感情が溢れて胸が苦しい。
鼓動が強く鳴っている。
「……なら、なおさら私の提案を受けるべきだと思うよ。『極限』に挑むのもあくまで過程に過ぎな」
「それだけじゃないのよ!」
何もしない自分に苛立って、嫌った。何かを選ぶ自分に慣れないことに絶望していた。
でも、そんな私を選んでくれた人たちがいて。
シャオレン。君は特別なんだよ。
「ヘレンは私を、特別だって言った」
君に、小蘭夜に、どうしても手伝ってもらいたいんだ。
「アドハは私を同類だって……運命だって言った」
言われるたびにどうして私なんかがと思ったし、今でもそう思う。
私は何にもできなくて、特別でも何でもなくて。
それでも。
「それでも私は……ヘレンとアドハの期待と願いに応えたい。何もしない私じゃない、私を選んでくれた二人と、一緒に歩ける私になりたい」
涙はもう溢れかえっていた。赤子のように堪えようのない水滴が頬を伝う。
「……なら、夜。狂いを倒せるの?」
「わからない。可能性は低いし、レベルもクラスも負けてるし……でも、だからって全部任せるのは、いやなの。いやだってことが、さっき初めてわかったの」
「………………ふーん」
酸性雨はまだ轟轟と降り続けていた。触れればダメージを受けるそれの下へ、夕は躊躇いもなく飛び出した。
「ねぇ、夜」
「なに、夕」
「やりたいこと、わかった?」
「………………うん」
「………………ふふ、なら今日は帰ってあげるわ。でも、夜、忘れないで」
雨の下で踊っていた夕が近づいてきて、また、私の頬を撫でる。その顔には今までで見たことがない優しい笑みがあった。
「私達は家族だもの。困ったら、遠慮なくね」
言って、消える。
まるで幻だったのかと思うほどあっさりと、夏の蜃気楼のように夕の姿は消えてしまう。見れば遠くで狂いと戦っていたはずの夕の分身の姿も見当たらなかった。
涙を拭う。
落としたアイス・ピックを拾った。
「『雨が上がる。火も消えた』」
ぽつりと呟いた言葉が世界に認められ、次第に雨は勢いを落とし、やがて降り止んでいく。足元を燃やしていた炎も消えていった。




