君の目の私は何色に映るかな
『決まったぁああああああ! ロアさんと甘南さんとの決闘に突然割り込んできたファイ選手とヘレン選手の電光石火の奇襲! 一撃、一撃ですよ!』
『やばいねあれ、火力高すぎないかい?』
『ちょーっとあの一瞬だけ状況が目まぐるしく動きすぎましたね!? 実況しようにも情報が足りないんですけど!』
『これは僕達の落ち度だねぇ、いくら有名だからって火龍とライラックの戦いばかりクローズアップしてて他の状況があんまり目に入ってなかったな』
『ヘレン選手もファイ選手もほぼ同時に消えちゃいましたけどどういうことなんでしょう?』
『甘南が目に見えない反撃を入れた……って言うよりかはDoTが入ってたってことかな。解除できない継続ダメージか何かがリーダーに入って、どうせ死ぬなら大金星をって狙いだろうか』
『解除できないDoTなんて、そんなのあるんですかね?』
『あるんじゃないかい? 拝領品は何でもありだしね。装備のデメリットかもしれないよ、ヨシュミルドとかね』
『プレイヤー取得率5%装備じゃないですかぁー。あと、飛んできた物体については何か?』
『うーん、狙撃かなぁ』
『狙撃?』
『矢にして大きいし……投擲か射出か、どちらにせよ何らかの手段で槍に準じた武器を投げたんだと思うよ』
『えっ。……発射音もしませんでしたけど?』
『超長距離狙撃、ということだね。信じたくはないけれど』
『あの勢いで武器飛ばせるのはそれも攻城兵器なのでは!? そんなの持ち込んでるプレイヤーいましたっけ』
『さっきも言ったけど拝領品なら何でもありだし、スキルを重ね続ければ不可能と言うわけでもない。実際投げるだけなら大丈夫だと思うよ。とはいえあれは甘南を狙っていたけど、あの狙いが偶然じゃないならちょっと信じられない技量ではあるね』
『誰が投げたか映ってませんかね!? 今すぐカメラ遡りたい気分ですけど!』
『イベントを見返す楽しみが増えたということにしておこう。ほら、一人残された団長が動き出したよ』
『あ、ほんとだ。……ごほんっ! 大番狂わせが発生したところですが、イベントはまだ終わりません! ライラックが消えて残った参加者はどう動くのか、残った火龍が順当に勝ち抜くのかはたまたまたもや大番狂わせか! 次の動向を見ていきましょーっ!』
* * *
光が消えていく。白く染まった視界はやんわりと色彩を取り戻し、私を戦場から引き剥がしていった。
下に水の感触があった。ぴちゃりと革靴を濡らしている。
そして、目の前にはさっきまで殺し合いをしていたアレェリスタが佇んでいた。
中層積み木街ミルナの一角、二人殆ど同時に死んだ場所に私達は吐き出されている。
イベントはリロフト全域を使うとはいえ個別フィールドなので、平常なリロフトにはイベントに参加しないプレイヤー達が溢れている。ミルナもその例外ではなく、往来を行き来しているプレイヤー達は突然現れた私達をちらりと見た後、素知らぬ顔で立ち去っていった。
「…………」
アレェリスタは押し黙ったまま、四つ這いになって項垂れている。
……なんて、声をかければ良いのだろう? いえ、かけられる言葉など無いと、知っているけれど……。
沈黙が空気を重たく胸の内に落としていく。私達はじっと黙ったまま、幾ばくかの時間が過ぎていくのを見送るばかりだった。
行き来するプレイヤーが私達を避けながら話す声、水場を踏み鳴らす音、建物のドアが開かれて、嚙み合わせが悪くてぎぃぎぃ軋んで。普段ならどうでもいいと聞き逃す音達が鮮明に耳を伝う。
不意に、音に紛れて微かに名前を呼ばれた。
声の方へと振り返れば、遠くにヘレンとファイの姿が見えている。
「シャオレン! 先に死んでないだろうなーっ!」
「だから言ってるの。リーダーの私がちゃんとシャオレンのHPは確認してるって」
「ドレアムの中に籠っている間だけだろう。ギリギリのギリギリでシャオレンが死んでたら僕達の負けだぞ」
「心配しょーなのノロマ、もしそうなったらお前のあれが遅かっただけだから責任もってオールヴェン周回やるの」
「僕のせいじゃない、紙月のせいだ!」
「……元気ね」
こっちはそれなりに疲れたのだけど。
「シャオレンお疲れ。プランB完遂なの、ぶい」
「はいお疲れ」
騒々しく近寄ってきたヘレンは微かに笑顔を見せて右手でVの字を作る。
「ミシェリア決戦兵器確保なの。御伽が捕まえられなかったのはちょっと心残りだけど」
「贅沢は言えないわね。ま、何とかなるでしょ」
「楽観的だな、まだ『極限』権の問題だって」
「兄さん!」
悲しげに歪んだ声だった。空気を裂いて、声と共にアレンジした着物を着こんだ銀色の少女が飛び出してくる。
「ごめんなさい、ごめんなさい! 兄さん、私、負け……!」
「……兄さん?」
「……衝撃の事実だな」
「兄に向ける感情の重さじゃないと思うの」
甘南は座ったアレェリスタの隣に身を屈めた。俯いて見えないアレェリスタの顔を抱きしめるように身を重ね、ただ謝罪の声を繰り返す。
「ごめっ、ごめんなさい兄さん、私が、私のせいで……っ」
「……は」
「……にいさ」
「……俺、は、俺の……!」
アレェリスタの喉の奥から絞り出した小さなうめき声が、息と共に吐き出される。声は弱弱しく、けれど次第に力を増した。
そして。
「……HPは、残ってたんだッ!」
吠えた。
「レイルスートの移動禁止も、ディアムリーアの封印も! あの状況じゃ関係なかった! あと一秒でも時間があれば、俺はッ!」
「…………時間があったらなんだというんだ」
慟哭に、ファイが声を返す。
「時間があれば、手数があれば、仲間がいれば、遭遇が違えば……全部戯言だろう。そんなものは弱い奴の声だ!」
甘南を無視して、ファイはアレェリスタの胸ぐらを掴みあげた。俯き隠れていた彼の顔が、ファイの手によって白日の下に晒される。
「そう言ってきた奴を今までお前は斬り捨ててきたんじゃないのか。ウィリルス・アロアは、あの何でもありの戦場はっ、そこで戦ってきた僕達はッ! そんな甘っちょろい奴を三位に認めたわけじゃないんだぞッ!」
「……っ。だが……だけどッ! 事実だ! あと一秒、いやもっと少なくても時間さえあれば俺はシャオレンに!」
「仮定だ! 結果として時間はなかった! そうならなかった話をいつまでも繰り返すな!」
「……俺だけなら。最初から、一人なら!」
アレェリスタの目が、眼下の甘南を捉えた。彼女はPMギアが読み取るまま、頬を涙で濡らしてアレェリスタの傍に寄り添っている。
その表情が、ぴくりと揺れた。処刑を待つ罪人の顔で彼女は見上げる。まるでアレェリスタの続く言葉を予期しているかのように。
「リオン、お前がいたから!」
「ッ!」
その声はどちらのものだっただろう。そう思えるほど同時に私と甘南は息を呑んだ。
雷鳴のようにその声は私達の胸の内に轟いた。
心臓がドクンと跳ねる。
嫌な寒気が背骨から滲み出す。冷えるはずもないアバターの身体が、それでも冷えていく錯覚があった。
息が荒く、断続的に鳴る。
「……シャオレン?」
ヘレンが私の異常に気付いたのか、袖を握って見上げた。けれども言葉を返す余裕もない。
リオンがいたから、お前がいたから、お前がいなければ、余計なことをしなければ息をしたからあの時あれを手に取らなかったら本当の「小蘭夜」なら間違えなかった?
脳の奥で、どあがしまるおとがする。
「お前がいたから、お前をリーダーにしてなかったら、まだ!」
「そうなら三対一でお前をぶん殴って終わりなの。勘違いしないで、私達が三人がかりでお前を追い詰めたみたいに、お前だってライラックの力を借りてあそこにいたの。一人だったらとか、そんなの全部お前の妄想なの」
「っ!」
「…………いや、いえ、ぜんぶ、にいさんの言う通り、、わたしが、HPだってまだ、いっぱいあったのに」
「……………………じゃあ」
息も絶え絶えに、僅かばかりの声が喉の奥底から這って出る。
頭が痛む。吐き気がする。それでも、声が出る。
「じゃあ、どうして……最後に、撃ったのよ」
「……それ、は」
「撃つ意味なんて、なかったでしょう……甘南は、知らないけど、ドレアムなんて大きなもの動かしてたファイはともかく、ヘレンの位置なんて、お前、わかるはずないじゃない。だったら……ヘレンが、本当に甘南を倒しにいったって、お前が信じたなら…………それより先に、目の前の私を倒すほうが、ずっと、簡単でしょう」
「…………」
「どうして撃ったのよ。私じゃなくて、見えないヘレンに向かって」
「……最後のあれ、やはりお前か。まったくどれだけの長距離射撃だったと思ってるんだ」
「どうして、だと? 勝つために決まって」
「勝つためなら、なおさらヘレンは放っておくべきでしょう。だって、その内死んじゃうのに……。ねえ、アレェリスタ、甘南が信じられなかった?」
「っ。……兄さん、やっぱり、私が」
「助けたかったんじゃないの?」
「え?」
随分と希望的観測だね。頭の中で夕の声がした。
夜の言う通り、甘南が信じられなかっただけだよ。
そうかもしれない。
それは夜が本当に思っていてほしいことなんじゃないの?
そうかもしれない。
でも。
他人が何を考えているのかなんて、わからないから。
……私が思っていてほしいことを、願うしかないんだ。
「お前は……甘南を、妹を、助けたかったんじゃ、ないの?」
「…………………………」
そしてまた、長い沈黙が始まった。
アレェリスタも、それを見上げる甘南も、私達もただ黙ったままじっとしている。その内私の呼吸は落ち着き始め、鼓動は徐々に平静を取り戻していく。
けれども妙な空気を感じ取ったのか散っていった他のプレイヤー達は私達の周りに近づこうともせず、ぽっかりと通路の中央を傍迷惑に陣取りながら、私達は偽物の空の下でただ立っていた。
「…………はっ、助ける、助けるだって。俺が、こいつをか?」
その静寂を破ったのはアレェリスタだ。自嘲を孕みながら、声を続ける。
「俺が助けなくたって、こいつを助ける奴は周りにいくらでもいる……俺の、周りからさえ奪って! どうして俺がこいつを助けなきゃいけないんだ! 俺の、俺から奪うこいつを!」
「…………にいさん」
「詩歌が呼ぶ「天雨」はいつの間にかお前になった! 同期の奴らはみんなお前に構ってばかりだ! 始めはお前が見学に来てた「天雨の妹」だったのに、今では俺が「甘南リオンの兄」! なあ、岬さんはもうすぐプロデューサーだよ! 俺の……三流俳優のマネージャーやってた頃に比べて大出世だ。何せ天下の「甘南リオン」のマネージャーなんだから!」
「わ、私は、ただ、兄さんに」
「『静寂の季節』は伝説になった……お前のデビュー作って名前で! 脚本も演出も目を見張るところがない、大して面白くもない、売れない映画だったが、サブヒロインで登場した甘南リオンの演技が光るってな! あの映画の話をするといつも甘南リオンだ……だけど、だけどな、あれは俺の初めての主演だった! 俺の『特別』だったんだよッ!」
「っ! 私だって、あれは特別な」
「ベテランも勢いのある若手も見向きしなかったさ! オーディションにいるのはみんな冴えない奴らばっかりだった。それでも俺は真剣だった! 受かった時死ぬほど嬉しかったんだよ……オーディションどころかオファーが山ほど届く、映画に出たいと一声言えば出られるお前とは違うんだよ……俺が、どうしてお前を助けられるんだ」
最後は弱弱しく、声を落とす。
「…………わからないんだよ。どうして最後に撃ったのか、レイルスートまで使って……俺は、結局『特別』になれないのか? 俺だけが持つ『天魔大剣』が因縁を繋ぐのだと……俺だけの『特別』になるはずだと、そう願った『極限』さえ、また、他の奴に奪われる。俺は、俺には…………『特別』になれる資格が、ない」
「………………………………はぁ?」
低い声だった。高く澄んで、だけど低い声。ヘレンが漏らした一言は、地獄の釜の蓋が開いて中から出てきたのかのようだった。
「……なに、それ。『特別』になる資格がない?」
ヘレンが踏み出す。アレェリスタの目前へ。
「ふざけんな!」
一歩前に出たヘレンの、ステップを入れた蹴りがアレェリスタの腹にめり込んだ。補正を切ったアバターにダメージ以上の衝撃が走る。
「ふざけんな、ふざけんなふざけんな!」
そのままアレェリスタを押し倒した。仰向けになった顔を、馬乗りになったヘレンが何度も殴りつけていく。
「おい、決闘でもないのにっ、まずいぞ!」
「兄さん!」
「持ってるくせに……動けるくせに!」
ファイと甘南の声を無視して、ヘレンは殴り続ける。アレェリスタは抵抗さえしなかった。
止める気がないと判断したファイがヘレンを羽交い締めでアレェリスタから無理やり離す。だけど、ヘレンの激情は止まらなかった。鎖に繋がれた猛犬のように、ファイの腕の中からそれでも吠える。
「お前みたいに動ける奴がどれだけいるって言うの! それを欲しがってる奴らがどれだけいると思ってんだ! お前が望んだ形じゃなくたって、お前が欲しがる才能じゃなくたって、お前には立派な才能があるくせに!」
「……たかがゲームだろ!」
「そっちだってたかが演技でしょ! お前の言う『たかが』に、命かけてる人だっているんだよ! 甘南みたいにゲームを利用して知名度上げれば良かっただろ! 持ってるくせに、動けるくせに、我儘言うなぁ!!」
一際強い声が周囲の建物に反響する。
ヘレンが強くアレェリスタを睨んだ。視線の先のアレェリスタは、予想外の指摘に目を見開いている。
……誰も、他人が何を考えているのかわからない。
何が欲しくて、何が手に入らないと嘆いているのか、本当のところは知る由もない。
そして、自分が他人からどう見られているかだって。
そんなの、わかるわけがないんだ。
「お前が『特別』じゃなかったら、私はなんだっていうんだよ……! 手伝え……ううん、手を貸してよ! 元々これはお前の始めたことなんだよ! お前の『特別』から始まったことなんだよ、アレェリスタ! 『極限』はシャオレンだけのじゃなくて、これは、お前と、そして私の! 『特別』になったんだよ!」
強く、強く。
声が、ヘレンと、私と、アレェリスタの鼓膜を、響かせる。




