獣たちが声を上げ
「七階は出店料がかからないうえ、購買部に所属するだけで出店許可が下りるんだ。だから初心者か胡散臭い連中御用達だね」
木材をそのまま加工したようなシンプルな椅子に体重を落としながらアレェリスタはそう言った。所変わらず七階、「ヘレン・マジックギミック」の顧客相談テーブル席に私たちは座らされていた。
「おまえは自分の店から椅子もってこいなの」
「俺の店はあくまで受付だけなんだよ。ビギナーズエリアなんて相談なくても一人で勝てるしな」
「上級者が初心者助けて遊んでるの。承認欲求の満たし方が卑屈でかわいそなの」
「おーおーよく言う。『火龍騎士団』の連中の前で是非言ってやってくれ。血相変えて初心者救済からヘレン狩りに乗り換えてくれそうだ」
「すぐ口喧嘩で横道逸れるのやめなさいよ」
放っておけばいつまでも喧嘩してそうな二人を見てさっさと帰ればよかったと思いなおす。七階、彼らの言うことを信じればこいつらだって初心者か胡散臭い連中に違いないということに気づいているのだろうか。
「確かにそうなの。バカに付き合う時間がもったいないの……ところで、魔法改造武器、興味ないの?」
「ステータスがどうしようもなくなる前に止めておいたほうがいい。どっちにしろそこのアホの店は現状最前線の狩場で金策しなきゃ買えないくらいアホ高いから無理だ」
「『ヘレン・マジックギミック』はお値段に合わせた改造も請け負ってるの、興味があるならすぐさま改造してやるの」
「エル帰るわよ」
「わかった」
「待った待ったなの! ちょっと待つの」
「そうだ、いくら何でも気が短いな!」
お前らのせいよ、と言外に睨む。こいつらが七階と大広間について説明してやるというから腰を落ち着けたのだけど、やっぱり失敗だったのかもしれない。
ヘレンが店の奥から三人分のティーカップを持ってくる。私とエルの前にカップを配ると、余った一つは自分の手元に。配られなかったアレェリスタはというと気にした様子もなくいつの間にか取り出していた瓶に入った空色の液体を飲んでいた。
「購買部に入るのは結構楽なの。クエストを三つくらいこなすだけなの。だからとりあえず購買部に入って店を出して金を稼ごうとする浅はかな奴か、初級しか作れない生産職とも呼べないような奴らが七階の主な出店者なの」
「つまりろくな商品がないってことね」
「そうなの。ついでに言えば生産職は大体大手のギルドに入るか自由商業領域リロフトに行くのが一般的なの。ここにいるのはそれ以外の情弱か捻くれ者かギルドに入れないぼっちなの」
「容赦ないわね……」
「サントレアスにワープすれば必ず大広間一階に出るが、縦のワープ機構はないんだ。七階までわざわざ階段を上らなきゃいけない。そんな手間を考えると二階三階に有力商店が集まるのもわかるだろ?」
七階には人気の教室もないしね、とアレェリスタは続ける。そうか、人が集まる階数はそのまま人通りのいい階ということになる。かったるいことに大広間を経由しなければ上下層の移動はできないようだし。
ティーカップを顔を近づける。お茶は存外いい香りがして、それは七階のどこか陰鬱な雰囲気とミスマッチしていた。
「で、だ。さっき言った通り二階は有力商店達が占拠してる。リロフトで店を構える商売人ガチ勢どもの出張店だ。三階もまあ同じで、一つ二つ個人店がある。四階から一気に個人店だな。そもそも一階に近づくほど出店料が割高になるのもそうだが出店権をオークションで取り合うほど枠がない。二階三階はだいたい財力がある商店連中の巣窟だ」
「だから四階は階層の割に質がいいの。個人店主にとっての二階が四階なの。四階はヒーラーバッファー御用達の回復・付与魔法教室もあるから人通りがいいの」
「で、五階から上は掃き溜めだな」
「バッサリね」
「ひどい」
「勿論良いのもある。さっき言ったルドラの薬屋とかな。だが大体四階争奪戦に弾かれた奴らばかりだし、そもそも個人店は尖ってないと公式商店にさえ勝てないことが多い」
「うちは一品物! うちだけにしか作れないパーフェクトにオンリーワンな武器を売ってるの!」
「尖りすぎなんだよ」
「……で? 要約するに五階から上はゴミ溜まりなんでしょ? なんでお前たちは七階に店を出してるのよ」
丁寧に葉を広げられ香りをあたりに振りまく紅茶を口につける。熱くはなくけれど温くもなくて、適温だ。紅茶に詳しいわけでもないけれど、ヘレンがそれなりに淹れ慣れていることがわかる。
エルの膝上でクルグルが鳴いた。哀れに小さい四足歩行は顔を机の上に出すこと程度しかできていない。その顔のぽっかり空いた口に、エルが紅茶を流し込んでいた。いいの? それ。
「うちは根強いファンがいるの。どこに店を出しても買いに来る常連なの。だったら高い金払って下に行くより金がかからない上で待ってるほうがお得なの」
「俺はそもそも初心者のための傭兵だ。初心者が集まる場所にいるのが自然だろう?」
「乞食のくせに」
「お前だってほんとは右も左もわからない初心者とフレンドになるためだろう?」
「さっきから乞食って言うけど、なんなの? 初心者から何か毟りとろうっていうの」
「そうなの。こいつは『極限』こじ」
「おいっ!」
「?」
ふと声をかけられる。見れば、そこには金髪の……青年? 少年? が立っていた。まあ大人と子供の狭間という容貌だ。声は高い。声変りを終わらせていない少年か、あるいは低い声の少女といったところ。ここは仮想現実、どのような姿をしていたって、それは現実とリンクしていないのだから目の前のプレイヤーが男か女かだなんて考えても詮無いことだ。見慣れてしまった初期装備のローブに隠された肩を震わせて、顔を歪めてこちらを睨む。……怒ってる?
「さっきからっ! うるさいんだよ!」
「君は……誰だったかな。悪い、七階は流行り廃れが早くて近くの店しか覚えてないんだ」
「見たことあるの。確かソウルとかいった素材屋なの。ここの真向かいで、七階にしては珍しく大声張り上げてるから耳につくの」
「ふーん。で? 何がうるさいんだ? 大声を張り上げて接客なんてしていないけど?」
「お前らがろくでもないとか言うから、客が離れていっただろっ! 情弱だとか捻くれだとか……お前らに関係ないだろ! 黙ってろよ!」
「なぁんだ。図星言い当てられちゃって怒っちゃったの?」
「真向かいだろ? 大広間分の距離を通して声が聞こえるとは思わないなぁ。最初からいちゃもんつけに来たんだな?」
「こ、こいつら……! 『七階の癌』共……!」
「お、今はそんな風に呼ばれてるのか。前の『キャッチセールス』よりはマシだな」
「私はちょっと前の『セブンタワー・ウィルス』がお気に入りなの。あっちに戻らないの?」
「晒し板に直接書き込んで来いよ。自称すれば定着する」
「嫌なの。自分で名乗るのって最高にダサいの」
「同感」
「……ねぇエル。晒し板って何」
「プレイヤーネームとか。こんなやつがいたって話す。だいたい非公式のチャットとか、匿名掲示板。そこに名前とか。スクショとか張る」
「マナー違反じゃない?」
「うん。でも。晒される側も。悪いことしてたりする」
「あいつらみたいな?」
「うん」
話を聞くかぎりどうやらこの二人はその晒し板とやらの常連らしい。他人から怒りを向けられる事態になっても全く取り乱していないあたり、こういったやり取りさえ日常茶飯事なのだろう。むしろ生き生きとしている感じがする、というか……
「非があるのあんたたちでしょ。さっさと謝りなさいよ」
「っ! そうだよ! さっさと謝れ!」
同じ階に店を出している奴らをこき下ろす会話を、特に人目を気にするわけでもなく二人でしていた。現実なら営業妨害ととられてもおかしくないんじゃない?
「事実を述べただけで謝らなきゃいけないのは犯罪を告白した時だけか女の子を振るときだけだよ」
「うわぁクズなの。わたしは大人だから謝ってやるの。直視しがたい現実を目じゃなく耳に直接聞かせちゃって、ほんとーにごめんなさいでしたー、なの」
「オブラートに包めってのよ」
「お前たちが有名なせいで、お前たちの会話がすぐ掲示板で広まるんだ……! だから客だって来ない! おかしい、これが一番効率的なんだ!」
「逆恨み、かわいそなの。もしかしてどこかの攻略サイト鵜吞みにしちゃったの? それなら商品のラインナップきちんと見直したほうがいいの。夜番狼の牙くらいじゃ売れないの当たり前なの」
「はいはい。きちんと宣言してやるよ。俺たちの意見は個人の意見であり全体の総意ではありませんーっと。これでいいか?」
「いいわけない!」
金髪の少年、ソウルは再度肩を震わせた。もはや怒りの感情だけが体の外へと出て行ってしまいそうだ。フルダイブVR技術は感情をここまで正確に表現できるのか? それは、頭の中を正確に読み取っていることの証左に他ならない。……それは、ある意味恐ろしいことなのではないか?
思考を機械が読み取り表現するなら、この仮想の現実では、感情の隠し事など一切できないことになってしまう。感情のぶつけ合い。どこまでも純粋で原始的なコミュニケーションの強要。それは、隠していた本当の自分を出すという、ある意味では楽園と呼んでもいいのかもしれないものだけれど、感情を隠すことに慣れ切った現代人類にとって、致死量の猛毒と大差がない劇物に思えて他ならない。
考え込んでいた思考を歓声がかき消す。ふと周囲を見ればいつの間にやら人が大勢集まっていた。それも半分は初期装備ではない。初心者を脱却した連中が、わざわざ手間をかけて七階まで階段を上ってきている。
「久しぶりじゃねえか『幸運野郎』! それともヘレン嬢とやるのか!?」
「おっさん! 今日も魔法改造武器見せてくれよ!」
「アレェリスタ様―! 頑張ってーっ!」
「ヘレンちゃんネカマでも可愛いよー!!」
歓声は止まず。主に声を張り上げているのは初期装備じゃない連中だ。黒のローブを着た奴らは意味もなく野次馬に集まったのか困惑していて、七階で店を出している奴らは何か諦めたように溜息を吐いていく。
「おいおい、勘弁してくれ。流石に初心者をいたぶる趣味はない。あと『幸運野郎』って言ったやつ殺すからな」
「私も同じなの。初心者相手に本気出すの、かわいそうなの。あとネカマって言ったやつぶっ殺してやるの。おっさんも同義なの」
唐突に降ってきた歓声に、ソウルは哀れにも立ち竦んでいた。自分からふっかけたとはいえ想像以上の賑わいに怖気づいてしまったのかもしれない。あるいは、周りからかけられている言葉の真意を理解してしまったのか。
歓声の声は明らかにソウルとアレェリスタ・ヘレンの戦いを望んでいる。しかし初心者たるソウルと、これまでの会話の内容から恐らく上級者、かなりの時間をアルプロにつぎ込んでいるだろうバカとアホではそもそも勝負にさえならない。だから、ソウルにとってこの歓声は処刑台までの階段を意味している。
「それじゃあ味気ねえだろう! いつもの騒ぎを見せてくれよ、癌共!」
「誰か録画できないか? 『撮影協会』にいい値段で売れそうなの頼むよ」
「アルカディア・パスタスパゲッティ」の初心者ビルド記事の一文に、「MMORPGはキャラクター育成ゲームである」と記されていたことを思い出す。個人の意見、人によっては違うものであるのかもしれないけれど、その一文は見事にこのゲームの本質を貫いているように私は思う。
拝領品、膨大な職業にステータス、詳細なアバター。全ては他人との差別化に集約される。自分のキャラクターを作り上げるのがこのゲームの本質の一つだ。
ならば、かけた時間は=でキャラクターの強さになる。昨日今日始めて、ネットで流し見した記事の攻略サイトより購買部入部から七階出店という、儲かるかもわからない金策を続けているキャラクターより、長い時間をかけて晒し板に書かれても根強いファンを増やし、またアンチの言いがかりさえ興業の一つにしてしまうキャラクターのほうが強い。
「リスタ様―っ! 写真いい?」
「ヘレンちゃん返り血用に新しい服作るから存分にやってくれー!」
……もちろん、時間を跳躍する強さはある。大体は才能と呼ばれるもの、VRだと現実技能
だとか、フルダイブ適正だとか。けれどそれをソウルに期待するのは酷だ。そんなものがないから攻略サイトに頼って、そんなものがないから効率化を図る。才能に頼っているのなら、七階で屯なんてしていない。
時間は酷く無常に平等で。ソウルだって、あるいはこのゲームの最前線を駆け抜けることを夢見ているのかもしれない。だから効率を重視する。半年も遅くスタートしたのなら、遅れた半年分を取り返すためには時間の密度を上げなければならないから。
「やり方がわからないか? ほらこの決闘申請を相手に送るんだ」
「えっ……いや、俺は……あ、うっ」
人は周りに臆病だ。同調圧力を断れない。断れるだけの芯を持っているらしい奴らは今、ソウルの目の前で敵として存在している。元々ソウルが吹っ掛けてきた因縁で、一部始終を私たち以外も、例えば少し離れた先にある薬屋なんかは見ているだろう。晒し板なんてものが存在しあの二人が常連なら、それに因縁をつけた挙句逃げだしたソウルも間違いなく臆病者として晒される。人間の口なんて想像以上に軽い。匿名ならなおさら。周りを気にする普通の人間にとって、この戦いは避けられない。
……彼にとっての、救いはなに?
……そんなもの、わかるわけがない。この状況を何とか出来たってソウルにはしこりが残るだろうし、アレェリスタ・ヘレンは気にも留めずにまた七階をこき下ろすだろう。そうしてそれは、悪いことではない。アレェリスタの言った通りあくまで個人の感想であり、ヘレンの言った通りに事実を指摘しているだけに過ぎないのだから。
「けーっとう! けーっとう!」
「PvPランキング更新してチャンピオンに挑め癌共―っ!」
あるいはそういった言動があの二人を晒し板常連へと押し上げているのかもしれないが、二人はまったく気にしない。だからこの話は、二人について苛立ってしまったソウルの一人負けが最初から決まってしまっている。相手にしないか、会話を聞いてさっさと七階から撤退する、あるいは儲けやすい素材を見つけるなど強かな態度がとれなかったのだから。
…………でも、じゃあ、それは。
「おい初心者! なに棒立ちしてんだ!」
「せいぜい健闘して一分は持たせてくれ! 魔法改造武器もリスタのテクも見てえんだ!」
「あ、え、う、うぅ……!」
…………気持ち悪い。あまりにも、醜いでしょう、これは。
「……けてやる」
「ん?」
「どうしたの?」
気づけば言葉を口にしていた。
「私が受けてやるって言ってんのよ! 戦いが望みなんでしょ?」
間。そして、静寂が訪れる。
「……おいおい、理屈が合わないだろう? 俺たちに売られた喧嘩をどうしてシャオレンが買うんだい?」
「そうなの。初心者同士で戦わせて高みの見物を決める趣味はもっとないの。それならさくっとそこの金髪殴って終わらせるの」
「それか火龍の連中はいないか? 代理で出てくるなら戦ってもいいが」
「なに勘違いしてんのよ。誰がお前らの代わりって言ったの」
どこかすっきりとした心で人の視線の波に襲われながら歩く。奇異な視線を、けれど気にしない。生憎と注目には慣れている。これでもスタジアム三か月連続総合一位の実績持ちだ。
「な……あっ」
「なーに言ってんのよ。こんな縮こまっちゃってるんだからさっさと自分の店帰りなさい」
金髪の頭を押す。ソウルの体が壊れた流木のように力の流れのまま進み、人の輪にぶつかる寸前で人が割れた。受け止められず、ソウルはそこで尻餅ついて私を見上げる。
誰が見たってソウルの負けは決定的だ。これはプロレスではなく処刑ショー。
フルダイブが感情を抑制しないなら。
今歓声を起こしている連中は、殺人現場や事故現場を見て本当は心の底から楽しんでいるのではないか? ……いや、これはあまりに突飛な考えだ。実際は違うのだろうと思う。
人は死を忌避し、痛みを嫌い。けれどそれに惹かれてしまう。理性によって隠された習性をフルダイブが否応なく暴いていく。それは、人間の醜い部分さえ白日の下に晒してしまうかのように。
感情のままに従ったソウルを、感情のままに動いた二人が処刑し、それをギャラリーが感情のままに楽しむ。そこにあるのは正義や善悪ではなくキャラクターの強さだけだ。弱肉強食。現実でさえあり得ない矛盾だらけの法則が、この世界では当たり前のように機能している。
…………それは獣の世界だ。理性を持たない獣の王国、私がどうしようもなく醜いと感じてしまう、人間の本性だけの世界。
感情に動かされたソウルの何がいけなかった?
いいえ。何も間違えてなんていなかった。
あの二人が悪くないように、ソウルだって悪くなかった。彼は自分の不利益をなくすために原因を断ちに来ただけなのだから。
それを強さが否定する。ただ強いという理由だけであの二人が肯定される……晒し板のほうはわからないが、少なくとも、ギャラリーは肯定するだろう。ああ、あいつが悪かったんだなと。
感情を抑制しないのがフルダイブの仕様ならば、それに従って真っ当にゲームを楽しんでいただけだ。それを悪とみなされる。
何が彼の救いたり得るのか? そんなものはわからない。でも、それでも。
それじゃあ、あんまりにも救いがない。
振り返る。視線の先にはイケメンと美少女。
「ソウルの代わりにお前らと戦ってやるって言ってるのよ。さ、好きなほうがかかってきなさい?」




