自由領域舞踏会 8 「特別」
歪な口腔が石畳を喰らって破壊し、衝撃のまま飛んでいく破片と地面に緑閃が這った。
空間ごと揺らいだかと錯覚するほどの衝撃が、私達を囲むプレイヤーを襲う。
「もういっちょ!」
素早く大槌を振り上げ直したヘレンが、次に振るう目標に定めたのは、建物だ。
ヘレンに程近い、ゴシック調の建物。看板と、透けた窓から見える内装からして軽食屋だろうその店へと、何の遠慮も見せずに彼女は槌を構える。
振った。
再び衝撃。そして音。
鼓膜を破るのではないかと思えるほどの爆音が響き、緑閃が軽食屋の壁を、窓を、柱を這っては壊し瓦礫へと変えていく。
瞬く間にそれは軽食屋からレンガと金属の破片になった。屋根に陣取っていたプレイヤーが一人、破壊を避けられずに地面に叩きつけられる。
「ファイ!」
「言われなくても!」
次に動いたのはファイだった。手早く右手に四つの宝石を握りしめ、放つ。
赤青白黒。四色が輝きながら、囲むプレイヤーを無視して破片へ殺到する。
激突。そして爆発。
同時に、大きく煙幕が張られた。
それは宝石によって細かく砕かれた瓦礫の破片と、宝石自体が放つそれぞれの色の煙の融合だ。色とりどりの煙は、少しの時間、プレイヤーの視界を遮る。
手を取られた。
「走れ!」
どちらの手で、どちらの声か。判断する間もなく、私は手の進む先に走りだした。
* * *
「まさしく、決戦だな」
声が響き、けれど誰もそれに答えない。
積み木街ミルナ。その最上。中心層から最上層に繋がるエレベーターに沿った、最も高く積まれた四角の頂点で、アレェリスタは眼下、ぶつかる火龍騎士団とライラック・リオンデルを見下ろしていた。
「しかし、ヴォーパルサイスが負けるとはね」
独り言に、けれど驚きはなかった。言葉は正確ではなくて、正しくはこんなに早く負けるとは、という一文が追加される。
どうせどこかで負けるとは思っていた。彼らの基本戦術は、言い換えれば巨大な一人のプレイヤーを作り出すものだからだ。強さも弱さも等しく同列に。それは、勝てる相手には勝てるが、勝てない相手には逆立ちしても勝てなくなることを意味していた。
……個人の不備を埋めるのが集団の優位なのにね。
けれど彼らはそれを捨てた。攻撃パターンと弱点を見極められれば、単騎でだって勝つ自信など、アレェリスタにだってある。
さっさと切り捨てて正解だったなと、心の隅で思う。
そして、ヴォーパルサイスを殺した人物のことを考えた。
ヘレン、ファイ。……シャオレン。
取り逃がしたと、リオンからは聞いた。生きているだろうと思っていた。けれど、大金星をあげるとは思っていなかった。
アレェリスタの目が、鋭く、決戦を睨む。
眼下で繰り広げられているのは、混沌と桜色、中心で真っ二つに色が分かれた不思議な球状空間での戦場だ。
宇宙のような、混沌のような。黒と混ざらない白をぽつぽつと点に配置してぐるぐるかき混ぜたような、形容しがたい模様がドーム状の半分を覆って二つのクランを囲う。そしてもう半分、混沌に対抗するのは淡い桜色。その中で、大きく背を伸ばした桜の木が雄大にそびえ立っていた。
伸びた桜が、淡いピンクの花弁を、ドーム内に散らす。
混沌からオモチャの剣が飛び出して、ライラックを襲った。
「SGA……ステージ・ギミック・アビリティ」
再度呟く。やはり、答える者はいない。
拝領品には基本的なルールがあった。それは、他者に直接影響しないという法だ。
拝領品は他のプレイヤーに、モンスターに、NPCに直接作用しない。毒を与える拝領品ならば、使用すれば対象を毒に侵す拝領品ではなく、毒を持つナイフや毒液そのものを作り出す拝領品がアバターに下賜される。
回復ならば、治癒効果を辺りに振りまく物体の生成等。攻撃ならば武器や魔法の形をして……拝領品を使用しただけで、直接的に自分以外の存在に影響を与える拝領品は殆ど無い。
殆ど、だ。昨今のアルプロでは、チャリオッツの『同意同列』しかり多少なりとも条件付きで他者に影響を与える拝領品の存在が許され始めている。
けれど、それさえ歯牙にもかけないほどの例外があった。
それがSGA。ステージ・ギミック・アビリティ。
一定の空間内において、自他問わずに拝領品が定めたルールを強制する拝領品の総称。
それは選ばれた人間だけに与えられた力だ。一年前……いや、もうすぐ二年前になる去年の春、まだアルカディア・プロジェクトの名前すら発表されていなかった頃開かれた、ラクエンプロジェクトの大規模大会で頭角を現した力。
一定以上の他者からの注目という、想像よりも厳しい取得条件が明確に定められている拝領品だ。
他者からの注目という条件に、問答無用で他人を巻き込む特性と、プロさえ圧倒した力故に、それは強弱ではなく、所持することそのものがステータスと言われる、「特別」。
自分が、手に入れられなかったもの。
「…………」
考える。
ステージ・ギミック・アビリティ。他者に、法を強制する拝領品。
……シャオレンの拝領品はスキルの禁止。それは、どの程度に当たるのだろう。
わかっているのはスキル禁止を他人に与えることだけだ。アレェリスタはそれを、恐らく触れた相手のスキルを禁止するものだと考えていた。アバターの表面にスキル禁止を与えるデバフを纏わせる拝領品あたりだろうと。
けれどリオンの話では、触れられた後にスキルが使えなくなったものの、離れると同時に再使用が可能になったという。
空間の生成だと、リオンは考えている。スキル禁止を直接与えるのではなく、それを付与する空間を作るのだと。
だが、それはSGAの雛型だ。
シャオレンは、確かに一部では有名になった。しかし、それはSGAを保有するほどじゃない。シャオレン程度が手に入れているのなら、とっくにアレェリスタやヘレンなどは手に入れているはずだ。
……イレギュラー。
双剣を握る手に、無意識に力が籠った。
大乱戦を生き抜く弱者。ヴォーパルサイスという強者を刈り取った狩人。特別な資質無くして為せぬ功績が、シャオレンの存在を押し上げる。
「……いいや」
かぶりを振った。それは最上層の折、シャオレンについて考えた時と同じように。
「お前がどれだけ特別でも……『極限』を倒すのは俺なんだよ、シャオレン」
誰にも、俺の「特別」を奪わせるものか。
言葉が、風に溶ける。
* * *
パキリと、噛み砕く音が鳴った。
それは三つ、私と、ファイと、ヘレンの元から鳴っている。
口の中に甘さが落ちた。それは、コーティングしていた飴の破片を巻き込んで口の中を泳ぎ、嚥下されていく。
同時に、システムにカスタマイズされた視界の隅で、私のMPを示すバーが緩やかに上昇を始めた。
「……遅いな。普通のポーションも持ってくるべきだったか」
「それは結果論なの。普通の持ってきて戦闘中に間違って取り出すより万倍いいの」
「まぁ、それもそうだが」
言って、ファイはまた一つ、赤色をした飴を、インベントリから掌に取り出し、噛み砕く。
略式ポーション。通常よりも効能のいい回復ポーション(所謂ハイポーションだとか上ポーションだとか言われている回復薬)を口に含ませられる程度の大きさの飴玉の中に仕込んだもの。
利点としては、戦闘中に使用できる。ポーションは基本的に全て飲み干さないと効果を十分に発揮しない。激しい戦闘中でも待ったをかけて瓶入りポーションをわざわざ全部飲み込まないと回復できないわけだ。そんな暇は、完全に魔法やスキルを撃つローテーションを組んでいる後衛くらいにしかない。
略式ポーションは飴にコーティングされているおかげで、取り出し口に含んで噛み砕くだけで回復できる。飴が瓶の代わりを果たしているわけだ。これで前衛職も、隙をあまり見せずにアイテム頼りで回復できる。
欠点としては値が張ることと、回復量が小さいこと。飴玉に仕舞われている分、瓶詰ポーションよりもかなり量が少なく、それを補うために少しでも質のいいポーションを中に入れるわけだからお金がかかる。それに、どれだけ質が良くても、量の問題でどうしても通常の回復ポーションよりかは回復量が下回ってしまう。
とはいえ私のMPは総量が少なく、飴玉一つでも半分は回復してしまう。回復が終わったのを確認した後、もう一つを口に含んだ。
また、パキリと砕かれる音が室内に響く。
そこは暗い部屋だ。
外からの発見を遅らせるためにと、灯りさえ点けていない部屋は暗闇と言っていい黒を持っている。
狭い室内はワンルーム程度の広さで、部屋の中央を陣取るテーブルに、カウンターに幾つかの椅子。僅かに見える壁には、ほんの少しの光にきらりと輝く銀色のアクセサリーが多種多様に飾られていた。
装具屋、つまりアクセサリーショップだと、案内人は言う。
「ここは安全ですよ! うちの店ですし、複雑な道ですから、ヘレンさんみたいに手あたり次第に街を破壊していかない限りは、正攻法で辿りつけないと思います!」
「別に手あたり次第に壊してるわけじゃないの。風評被害反対なの」
言って、金髪のアバターが胸を張った。闇に紛れる忍び装束に相反した髪が柔らかく揺れて、桃色の瞳が褒めてと言わんばかり輝く。
「ええと……匿ってくれて、ありがとう、でいいのかしら」
「いえいえとーぜんです。ヘレンさんとファイさんはともかく、シャオレンさんは私達の援助対象ですからね。まあ、ヴォーパルサイス倒しちゃったわけですけど」
私じゃできませんよーと、大げさに忍者はリアクションを繰り出した。
「あ、自己紹介まだでしたね。私は桃。火龍騎士団所属の忍者……『下忍』です。でもクラスⅢですけどね」
「クラスⅢで下忍って、忍び界隈は世知辛いわね」
「ああいやいや、クラスⅢの忍系職は『中忍』なんですよ。私がクラスⅢだけどクラスⅡの下忍を取ってるってだけで」
「?」
「アバターのクラスと職のクラスっていうのがあるの。アバターのクラスは降格無し。職のクラスは、職によって変わって……その辺ややこしいから後でいいの」
「簡単に言えば、上のクラスの魔法やスキルを覚えたのに、下のクラスの職に就いたとき使えないでは面倒だから無しにしておいたという話だ。アバターのクラスがⅢなら職がクラスⅡでもクラスⅢのスキルや魔法、装備が使える」
「わかったような、わからないようなって感じ」
「どうでもいいの。それより、火龍はどんな感じなの」
「ええとですね」
桃は自前だろうか、お手製というのがわかる拙い、けれど丁寧な造りのポーチから地図を取り出す。風呂敷じゃなくていいのかしら、忍者。
「みんなはメインにいますね。テオラさんからの通信だとライラックもいるはずです。それで、私の他にも何人かがメイン下層と中心層、最上層に偵察に出てて、それが帰ってき次第火龍は方針を決めて動きます」
取り出した地図は球形を表している。それはリロフトの地図だ。
桃が指さした先が拡大される。紙の癖にハイテクな地図は、縮尺を小さくしながら死角が積まれた街の道を表示させていく。
その中で、ある一点を指さして、百は丸く円を描いた。そこに火龍が固まっているということだろう。
「てことはテオラがリーダーなの。液体層は?」
「なんか、理由はわからないですけど大乱戦になってたのをロアちゃんが片っ端から倒していったそうで、もう液体層にはプレイヤーがあんまり残ってないそうです」
……それは、まあ。
「ご愁傷様なことで」
「さっさとメインに逃げ込まない奴が悪い。まあ入ってきても中層は火龍にライラック、上層はヴォーサイが陣取っていたわけだが」
「でももうヴォーサイはいませんからね。多分中層から逃げ出してきたプレイヤーが上層と下層で溢れると思いますよ」
「逃げ出す? 何でよ」
「ロアちゃん、今ウキウキですから。テオラさんじゃちょっと、手綱握れないかなーって」
「ああ、つまり見つけ次第殺してるの。なんて物騒なの、あいつ」
「勿論初心者や中級者相手には手を出しませんから! その辺りはみんな止めてくれるはずです! 多分!」
「多分に力を入れられてもね」
「まあ、いい。それで、君は火龍がどう動くと思う?」
ファイが話と視線を桃に振る。声と目は真剣だ。暗闇に負けるか負けないかといった程度の窓からの光で、本当に見え辛い地図の上と桃の顔を見比べる。
「うーんと。あんまり確実なことは言えませんけど。でも、ロアちゃんの性格だし、ライラックかヴォーサイと戦いに行くんじゃないかなって思います。ヴォーサイは負けてるから、ロアちゃんが単独行動で上層に勝手に行く前にその情報を持った私がテオラさんのところに着いたなら、ライラックと戦うでしょうね」
「あいつ、自分の名前声に出して読み上げなさいよ」
「あはは、みんなそう言ってますから」
桃が朗らかに笑って後、すぐに顔を引き締めた。手早く地図をポーチに仕舞う。
「じゃ、私はロアちゃんが勝手に動く前に中層に戻らなくちゃいけないので、これで。シャオレンさん、入用があったらクランメンバーに話しかけてください。八百長は出来ませんけど、シャオレンさんがイベントを楽しめるようには尽力できますから」
「心遣いどうも。でも、大丈夫よ」
「はい!」
言って、飛んだ。忍者は軽やかに夜の闇にその身を翻し、黒と同化して消していく。
「…………さて、また選択の時間だ」
真剣な声と顔のまま、ファイは言った。腰をカウンターの椅子に落ちつけて、暗闇越しの顔を固くさせた。
「ライラックと火龍が激突する。それは、仕方がない。問題はアレェリスタがライラックについているかどうかだ。そして、断言するぞ。アレェリスタは、十中八九、ライラックが見える位置にいる」
「……どうして?」
「あのバカは不利な状況ってことなの」
コツコツと、ヘレンが足を床に当てた。リズムを取って、声を続ける。
「PvPランキング三位で、クラスⅣ武器持ち。でも、いくら強いと言っても、私とファイを相手取って簡単に勝てるわけじゃない。アレェリスタはシャオレン相手に勝ち切る自信があっても、私とファイを含めた三人を殺し切る自信はないはずなの」
「だから、あいつはライラックというクランに頼るはずだ。表立ってじゃなく、その存在を背景にちらつかせることによって、いつでも数の有利を取れるぞという圧をかける。そのために、アレェリスタはライラックから離れられない」
「……なら、あいつが考えているのは、どうやってヘレンとファイを私から引き剥がすか、ね」
「ああ。……そして、だからこそ、僕達はあいつの動きをコントロールできる」




