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ラクエンプロジェクトをもう一度  作者: カラフルジャックは死にました
第一章 赤ずきんは夢を見ない
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雪を踏む

 トースターが自動で(勝手に)熱量を調整して焼いた食パンにバターを塗った。えいるがわざわざお湯を沸かして紅茶を淹れようとして、消音がコンセプトの暖房が唸り声さえ上げずに部屋に暖気を送った。私はバターの上からブルーベリーのジャムを塗る。午前五時の食卓は、冬の寒さを殺した私達によって彩られていた。

 ちらりとえいるを見れば、真剣な表情でお湯の温度を見ていた。その目は赤く、泣き腫らしたことを隠せない。精巧に作られた人形のような、人間離れした美貌は、しかし確かに人間の感情によって飾られていた。

 食パンにジャムを塗り終わったところでお腹が空腹を訴える。思えば、昨日は殆ど何も食べていないに等しかった。外部からの栄養摂取を断たれた体がなんでもいいから食べろと体の動作の僅かな不調でもって知らせてくる。

 空腹を自覚したなら食パンだけじゃ足りない気がして冷蔵庫を開けた。入っているのは牛乳とかオレンジジュースとか。基本的に毎日あいるさんが一から料理をしたがるので、この家の冷蔵庫には総菜とか、缶詰だとか、蓋を開けるだけで食べられるものなんてものは入っていない。そもそも紙月のご令嬢たるあいるさんは、そんな出来合いの食べ物だなんてものの存在さえ知らないのかもしれないかった。

 空腹を満たせるものがないことを確認して、小さなため息交じりに冷蔵庫のドアを閉めた。そんな私を、えいるが不思議そうに見つめた。えいるだって昨日から何も食べていないと思う(私が眠っている間にあいるさんが食べさせた可能性もある)けれど、えいるは空腹なんて知ったこっちゃないと言わんばかりに優雅に、ゆっくりと二つのティーカップに紅茶を注いだ。

 仕方ないけど、後でコンビニにでも行くしかないか。地味に遠いからあんまり行きたくないのだけれど。

 席に座って、食パンを齧る。焼いた熱とブルーベリーの酸味が一体になって口の中に漂って、飲み込めば、食道から胃に落ちるまでの居場所がその熱でわかるようだった。

 空腹のまま、大口でパンを食べきれば、あっという間に食べるものがなくなってしまう。食パン一枚では全然足りないと抗議する胃を黙らせるために、紅茶を一口含んだ。

「……行儀悪い」

「お腹が空いて死にそうなの。マナーより命よ」

「行儀はしみついた振る舞いだよ。どんな状況でも自然に出なきゃ、夜が覚えてるのは全部偽物のマナーだったってだけ」

「……お前、案外キツイわね」

 何が臆病で優しい子、なんだか。アドハに問い詰めたいところだった。

 …………いや、あるいは。

 誰かと関わることを拒んでいるからこそ、他人に対して厳しい口調を向けるのかもしれない。

「……なに?」

「なんでも」

「じゃあこっち、見ないでよ」

「はいはい」

 紅茶を飲み干してしまえばすぐに手持無沙汰になった。えいるはというと、リスの一口のように小さく食パンを齧っている。食べ終わるには随分と時間がかかりそうだった。

「ねえ」

「なに」

「お前、どうするの、これから」

「…………なにが」

「アルプロ。入るの、入らないの」

「…………そんなの、わたしの、勝手でしょ」

「カノンは知り合い?」

「……………………………………知らない」

「そ」

「のんちゃんの、知り合い、だとは思うけど」

「のんちゃん、志島夏音ね。……ねぇ、なんであいつはお前のことえいるってわかったのよ。エルなんて名前、他にもいっぱいいるでしょ」

「……………………………………」

「知らないのね」

 えいるはそれきり俯いて、半分も食べ終わっていない食パンをじっと睨んだ。その目は酷く動揺しているかのような、あるいは、何かを確信しているかのように、曖昧に揺れた。

「……私は、お前に来てもらわないと困るんだけど」

「なんで」

「『極限』権。挑むには、私かお前のどっちかが必要なのよ」

「なにそれ」

「知らないの? ……じゃあ、アルプロであったこと、覚えてない?」

「…………のんちゃ、っ、……カ、ノンの、声と姿だけは」

「銃のことも、お前の職のことも?」

「わかんないよ、全部」

「そっか……」

 何も覚えていない。アルプロで起きたことを、全部。

 皮肉よね。今のアルプロは銃と遺物関連の欄外職、そして『極限』と、エルを中心に回っているって言うのに、その当の本人は何にも知らないって言うんだから。

「入れるの、お前。カノンがいる向こうに」

「………………わかんない」

 俯いたまま、えいるは答えた。顔に影が差して、その表情を読み取らせない。

『極限』に挑むには、私とエル、そのどちらかが必要だ。もしくは私達と同じように全くフィールドに出ていない初心者だけど、それはこの際考えない。

『極限』に挑むために、私だけでも、エルだけでも確率は半々。確実を期すならば、私達は揃っていないといけない。

 そして、私達は見張られている、はずだ。アレェリスタと、協力するライラックなるクラン。初心者を囲おうとするヴォーサイや、銃や欄外職を欲しがるハゲタカ共の目。エル抜きで準備を揃えて『極限』に挑もうとして、やっぱり出ませんでしたではダメだ。諜報員クエストがそうだったように、一度目よりも二度目の方が監視の目は厳しくなる。

 やっぱり、エルは必要だ。

 でも、エルが、えいるがあの世界に入ってこられるかは、わからない。

 あの世界にはカノンがいて、えいるのトラウマを抉ってくる。入らなければ二度と関わりようがないだけに、えいるにとっては、ログインしないというのがカノンに対しての何よりの対抗策だ。あいるさんだってえいるのログインを咎めるだろうし、えいる本人も入りたがろうとはしない。

 だから……だから、私は。

 何とかえいるを唆さなきゃいけない。トラウマに向き合えと、自分のことさえ棚に上げて、えいるを説き伏せなくちゃいけない。

 最低なことを、するんだよ、僕は。思い出すアドハの声が、脳内に反響した。

「…………最悪よね」

「なにが」

「なんでもないわよ」

 えいるは目覚めただけだ。何かあればまた眠りにつくかもしれない。

 それでも選べと、私はえいるに告げなくちゃいけない。このまま腐って醜い死体みたいな大人になるのか、それとも傷を抱えて、何か欠けたまま大人になるのか、子供のまま死んでしまって時間を止めるのか。

 選ばなくちゃいけない。魂の在り方を、私達の、生と死を。

 私は、選ばなくちゃいけないんだ。たとえその先が、どれだけ最低なことの連続だったとしても。



 * * *



 起きてきたあいるさんがえいるを見て、そして話し、目覚めたことに驚きながら慌てて病院へと連れていった。家の中には私と休日の葵さんが残される。

 今日も雪が降っていた。天気予報を見る限りでは三月の終わりまでは止むことを知らないらしい雪が世界を白く閉ざす。

 ログインしようか迷って、止めた。このまま入ったなら、流されてしまいそうだったから。あれだけ手放したくないと思った『極限』までの一つの流れが、今度は、選択する間もなく私をアンドレイの元へと届けてしまいそうで怖くなった。

 ヘレンにもファイにも、入らないかもしれないと言っている。ファイは一週間待つとまで言ってくれた。考える時間は、たっぷりとある。

 傘を広げれば薄く積もった白が飛んだ。だけど、それもすぐに寒空が吐き出す雪に覆われていく。コンビニのレジ袋から取り出した肉まん片手に、外を歩いていく。

 寒さが体を強張らせて、心を張りつめさせた。雪に閉ざされていく世界はあまりにも冷たく、静寂に満ちている。

 この辺りに住むような人間はみんな、住宅街中心地にあるハイクオリティを目指す高級志向のスーパーかに行くか、配達で拘りの商品を受け取るかするので、必然的にコンビニの需要が減っている。だからコンビニは、住宅街に端のほうに肩身を狭くしてぽつんと建つ一軒のみだった。

 そのコンビニを出て、迷う。道にじゃなくて、帰るかどうかに。

 あいるさんがいない分の家事は自分がやると、コンビニに出掛ける私に葵さんは言った。だから外で遊んできてもいいよ、と。完全な好意に異を唱えるのも申し訳なくて、曖昧に頷いたまま外に出てしまった。

 どうしよう。帰っても帰らなくてもいい。考えながら、肉まんを一口食む。えいるがいたなら、食べ歩きは行儀が悪いと言われるだろうか。

 少しの間雪の下で考えて、足を、駅へと向けた。

 それなりに歩けばすぐ駅に辿り着く。住宅街の静閑とはかけ離れた喧騒が耳に届いた。

 雪が降っているというのに、日曜日の昼を歩く人たちは活気に満ちていた。寒さを気にしないかのような熱量と共に、車が走り、カップルが相合傘をしながら歩き、学生らしき若者が笑いながら駅内に消えていく。

 とっくに食べ終わった肉まんの、下に張り付いていた紙をレジ袋に入れて、そのレジ袋ごとゴミ箱に放り込んだ。レジ袋を一緒に持って不安定だった傘が、一本芯を通したかのように真上を向く。先ほどまで斜めだったりしていた傘だから、完全に防ぎきれなくて肩に僅か積もってしまった雪を手で掃いた。

 さて、何しましょうか。何にも、やることなんてないけれど。

 雪の下で活気に動く街がどこか排他的に感じてしまうのは、私が、何も目的を持たないからだろうか。熱気は近くの寒気を浮き彫りにさせた。誰もが幸せそうに電車やリニアに消えていく中で、私だけが幸せになんてなれずに電車に乗れないのだと思うと、嫌な吐き気を覚えてしまう。

 とにかく、いい加減傘を持つ手が疲れて、屋根がある場所へ行こうと駅内へ向かった。足取りだけなら、あの笑い声の中の一つに紛れるような確かさで、雪の白に足跡を残していった。


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