私と僕と救いの話
知りたいなら、向き合わなくちゃいけない。
けれど、何に?
アドハは『極限』だと、アンドレイと向き合うのだと言った。けれど、それはアドハがアンドレイの後悔と選択を知りたいからだ。私も、それを知りたいと、思うけど……。
私が知りたいのは、私の救い。私を救う、私の中にあるいっとうかがやくほしの在処だ。なら、私が向き合うべきなのは『極限』じゃなくて。
それは、私自身じゃないだろうか。
…………こんな醜い私を、今更向き合ったところで、一体何を知ることができるのだろう?
知りたいなら、向き合わなくちゃいけない。
向き合ったところで何もないことを知ってしまうだけなら。
それは、きっと、辛いことだ。
* * *
「手伝うって言ったって」
答えに困って苦し紛れに喉から声を絞り出す。アバターの調子は必ず一定でキープされ、状態異常によってでしか調子を変わらせない。声が、痙攣した喉で掠れてしまうなんてことはなかった。
「レベル十二が何を手伝えるっていうのよ」
「『極限』にはゲーム的な観点からの攻略法は存在しない。必要なのはレベルやステータスに依存しないセンスだよ。レベル一でアレェリスタとも張り合って見せた君なら十分だと思うけどね」
「それでも、私はアンドレイに傷一つつけられなかったし、ミシェリアの防壁を一人で敗れなかった。勝てなかったのよ。センスだけじゃ火力は上がらない。『極限』権を私とエル、どっちが消費したかわからない以上フィールドに出てレベル上げもできやしないのに」
「まだまだ、君はこの世界に来て二日目だぜ。君が知らないだけでコックドゥルの大脱走しかり、『極限』に乱入させることなくレベルを上げる方法や、そもそもレベルに頼らず火力を出す方法だってある。悲観的じゃないかな」
「アンドレイはイベントに割り込んできたじゃない」
「君が僕の命をないがしろにするのが悪いんだろ? 僕が二回も死ななきゃ現れなかったんだからさ」
「お前のせいってわけ? あのイベントの惨状は」
「僕のおかげだよ。『極限』戦の予習ができたんだから、感謝してほしいくらいだね」
舞台と観客席、その高低差を起立と着席で埋めた私たちの視線がぶつかり合う。
何故アドハが選んだのが私なのだろう? 私でなくちゃいけない理由でもあるのかしら。
同類だと言った。同類……私と同じ、救いを探す醜い獣。本当に、そうだろうか?
だって彼の言葉が正しいのなら、彼はここの神様だ。六匹いる神様、単純に考えてこの世界の六分の一の権限を握っている。それだけの力と権力があって、それでもなお救いを探すのか。
神でさえ救われていない。なら、それよりちっぽけな私に救いがなんて、おかしな話じゃないだろうか。
「…………とにかく。さっさと帰しなさいよ」
「返事、聞いてないんだけど」
「自分のことを神様だなんて言う胡散臭い奴に付き合う義理はないわね」
「だけど、君もわかってるはずだろ。君の救いはゲームの中に存在しないよ」
「言うわね」
「PMギアは思考を読む。まぁ深層意識とかは専用機器がいるけど、思考の表層、スキル発動とか言葉にして考えていることくらいはね。……だから僕は知っている。君が、アンドレイが乱入してから考えたことを」
「………………」
「ゲームを通して誰かと関わっているから救われる人だっている。でも、君はそうじゃない。誰かと一緒に装備を揃えて敵を倒して、そんなゲームをするためにここに来たんじゃない。そうだろ?」
「……ええ」
「救いなんて曖昧なものが、それが、君の主観でしか手に入らないなら。君はこのゲームで救われなかった。ここに君の救いはない」
「…………お前の手伝いの先に、それがあると?」
「少なくともアンドレイの救いがある。僕達のなりそこないが、救われたと嘯く選択がある。ゲームでも……多分、現実世界でも見ることができないものだよ。それは、きっと僕たちの救いを探すヒントになる」
「自分の為に他人を利用するの」
「そうだよ。醜い獣らしいでしょ?」
……考える。
そうだ。ここに私の救いはなかった。エルと一緒に大広間を見て回って、アレェリスタと喧嘩し、狂いと同人誌を売って、アドハも含めた三人でヒヨコを追い回して、そしてファイやヘレンと『極限』を戦った。チョコレートを溶かした液体で喉を鳴らしているかのように、ドロドロに溶けた濃密な経験が私の中に濾過もされずに溜まっていって。
それでも私は楽しくなんてなかった。ただ、これで救いに近づいているのかと言う焦燥感だけが胸にあった。
今ここで、アドハの手を振り払えば。ここに残されたのはゲームでしかない。私の探し物なんてどこにも存在しないただのゲーム。あるいはその内に、時間が私を摩耗させて誰かと関わることを、ゲームを楽しめるようになるのかもしれない。救いだなんてものを探さなくても、どこか欠けたまま私は生きていけるのかもしれない。
目の前には道がある。アドハの手伝いをするのか、しないのか。
そんなこと、考えるまでもないはずなのに。
「ま、バカとの約束もあるしね。あと一回は手伝ってやるわよ」
口から出たのはそんな誤魔化しだった。本気で手伝うでも、手伝わないでもない曖昧な妥協。
「お試し期間って感じだねぇ。きちんと本契約結ばなきゃね」
「『極限』戦終了まで会費無料ね」
「クレジットカードのCMかなって」
アドハが舞台の縁から飛び降りて、ゆっくりとこちらへ向かう。私も席に腰を落とした。
隣から声がして。見ればエルが目を開けているぼんやりとしたまなざしが、胡乱に舞台に向けられる。
どこ。エルは呟いた。普段のエルとは違う、甘い声だった。首をゆっくりと振って辺りを見回すエルは、隣の私を見つけて止まる。
「おはよう、エル。随分寝てたわね」
「………………誰?」
「え?」
エルを見る。瞳が揺れていた。どこを見ているのかわからない怪しい視線は、私とその背後を行ったり来たりしているようだ。
寝ぼけてるの? 疑問の間にエルは私から視線を外して舞台を見つめ直した。深く、椅子に腰掛ける。
「なんだ、えいるはまだ眠ってるんだね」
「起きてるじゃない。っていうかえいるのこと知ってるのね」
「ま、一応僕も紙月所属だからね。えいるについてはかいるから聞いただけだけど」
「誰?」
「紙月の僕担当。えいるの兄だよ、次男だったかな」
「ふーん。お前、人付き合いちゃんとあるのね」
えいるに従って私もクッションにもたれかかる。高級なクッションでも参考にしているのか、観客席の背もたれは柔らかく私を包み込んで離さない。
もう一つ頼みがあるんだ。アドハがそう口を開いた。
「お試し期間中に条件の追加は詐欺的じゃない?」
「お試しだからセーフ、だよ多分。……僕は、えいるについても興味があるんだ」
「えいるに?」
「うん。君もちょっとはえいるに違和感くらいあるだろう?」
えいるとは反対の私の隣に座ったアドハは、声を潜めずに言う。当然隣のえいるの耳にも届いているはずであろう会話は、けれどえいるの不動を崩したりなどしなかった。
「違和感っていうか……不思議な子、だとは思うけど」
「えいるはそんなんじゃなかったよ。アルバムとかでしか知らないけどね。でも、ちょっと人見知りする、臆病で優しい普通の子だったよ」
「……今のえいるが昔と違うってこと? そんなの、当たり前じゃない? 人は成長するのよ、お前たちは知らないけど」
「僕はどうしてえいるがそうなったのか知ってる。どうして対処を続けているのかを……これも、アンドレイみたいに概要だけなんだけどさ。あらすじだけじゃ全体はつかめても細部はわからない。だからえいるもここに呼んだんだ。願わくば、起きていてほしかったけど……やっぱり駄目だったね」
「どういうことよ」
「僕は、えいるに尋ねたいことがある。だから君にえいるを起こしてもらいたいんだよ」
「だから、起きてるじゃない」
「ううん、眠ってるんだ。ま、その内あいるが話すよ。君はえいるの為に呼ばれてきたみたいなものだしね。ただ……これについては、断ってくれてもいい」
「急にしおらしいわね」
「えいるについて、何が正しいのかわからないけどさ。これはちょっとボタンを掛け違えただけで決定的に何か間違えるかもしれない。君はあいるの家にお世話になってる身だろう? その立場を悪くするかもしれないって言ってるんだよ」
「………どういう、こと?」
「えいるのこれからを左右する問題ってこと。そうだね。……あるいは、えいるの救いについてのお話だよ」
「……勿体ぶるの、好きね」
「口にしたくないだけさ。正直言って、えいるに聞こうとしてるのは最低なことだよ。傷口に焼けた鉄の棒を押し込んでかき回すみたいなものなんだ。…………あぁ、アンドレイに対してだってそうだね。最低なことを、するんだよ。僕は」
独白のようにアドハは呟いた。反対を見る。全ての会話が筒抜けに聞こえていただろうえいるは、やはり表情を崩さない。この世界の全ての音を使っても、えいるの内面に何ら響かないと思わせるようだった。
パンッっと音がして、アドハが手を叩いて立ち上がった。
「それじゃ、これで僕の話はおしまいだね。帰すよ、また次のログインで会おう」
「どこに帰すのよ」
「モジュの生庭、って言いたいけど、あそこは今封鎖中なんだよね。アンドレイが世界弾バカスカ撃つから『天魔』が必死で修復しててさ。だから……サントレアスの自室かな。デスペナルティってことにしとこうか、プレイヤーは死んだら基本的に自室からだからね」
「『極限』戦は死なないんじゃなかったの?」
「イベントエリアに乱入だなんて異常があったんだ、多少変でも見逃してくれるさ。それに死なないんじゃなくて紙月からの緩和なんだよ、デスペナ無しは。『極限』が真っ先に見たことないプレイヤーを真っ先に襲いに行くから初心者狩りみたいになっちゃって、なんとか負けイベってことにしてるだけで」
「紙月も大変なのね、お前たちのせいで」
「『天魔』に言ってほしいなぁ。僕の『極限』じゃないし」
そうそう、明日はログインしても何も無いよ。とアドハは付け加えた。どうにもモジュの生庭の復旧には後一日はかかるらしい。まぁ、流石に三日連続でログインもしないか。
「それと。僕から君へプレゼントだ」
アドハが手を伸ばす。握手を求めているらしいそれに従って、私も手を出した。
握られる。握手が光って、私の手の甲に何か……鍵のような文様が浮かび、消えた。それは私の中に溶けていくように。
「なにこれ」
「『無形鍵』。僕が出せる精一杯だよ。持ってると良いことは……ないなぁ」
「ゴミ? 返品は?」
「ダメ。もうアバターに紐づけちゃった」
「うわ最悪ね」
右手の甲を見る。何ら変哲もないそこにもう鍵の文様は光ってはいない。
「じゃあ帰ろうか。…………あぁ、それと。エルのこと、ちゃんと面倒見てやってね、シャオレン」
「えいるの話? 話聞いてる限りじゃ、そもそも乗り気じゃないわよ、そっちは。まぁ、あいるさんから話聞いてから考えてやるわよ」
「あはは、違う違う。エルの話だよ。まったくラッキーだよねぇ、あんなにイベントに人が参加してたのに選ばれるだなんて。あ、言っておくけど僕は別に何の介入もしてないからね、純粋なエルの幸運だよ」
「なに?」
「エルは言うことをきちんと聞く。誰であってもね。手を握っておかないと利用されるだけだぜ?」
アドハはそういってウインクした。形の無い化け物に作られた美貌は、ありとあらゆる動作が様になる。
パキンと、音がなった。薄い氷でも折ったかのような軽い音と共に、私とエルの足元に穴が開く。私達が座る観客席ごと、私達は黒の中に放り出された。
そうして気づけばベッドの上だ。三回目の狭い自室は、少しだけ見慣れた天井の景色で私を出迎えた。
体を起こせば、机の上でチカチカと光が点滅している。確かあれはメッセージの通知だったような。うろ覚えの知識がぼんやりとした設計を私の脳に教える。
ま、どうせ運営からの通知とかお詫びでしょ、イベントエリアに一時的に入れなくなったことへの。てきとうにあたりをつけて、私はフレンド欄を開く。何やらバカ達からもメッセージが来ていたが無視して、エルの名前をタッチする。送るメッセージは私は落ちるからそっちもキリのいいところで落ちるように。何せ、もう時間は遅いのだ。
メニューを開いたときに見えた時間は午後十時ごろ。夜更かしというには早すぎるが、これから遊ぶには遅いだろう時間だ。というか普通に私の就寝時間なのよね。
バカ達への返事はまた次でいいだろうと、ベッドに寝転がって、仮想現実から落ちる。あまりにも長かった私の二日目は、そうして終わった。
【プレイヤー:エルが『天魔装銃』を入手しました】
【武装:銃初入手のためプレイヤー:エルのクラスがクラス欄外「遺物使い」となりました】
【武装:銃をプレイヤーが入手したことにより、クラス欄外「遺物使い」が解放されました。また、クラス欄外解放クエスト「銃手への道」「遺物解析」「古きを訪ねて」が解放されます】
【世界クエスト「遺物紀行」が解放されます】
【モジュの生庭は現在緊急メンテナンス中です。メンテナンス中はモジュの生庭を使用できません。メンテナンス終了時刻は未定です】
【「コックドゥルの大脱走!」について、日程延長などは追ってご報告いたします。この度はご迷惑をおかけしまして誠に申し訳ございませんでした】




