君と世界と僕の話
私の手にナイフが握られていて。
目の前に死にたいと願う人がいたのなら、どうするべきなのだろう。
ナイフを差し出すべきか? ナイフを隠すべきか? それとも……ナイフを突き立てるべきなのだろうか。
目の前の、死を望む存在。その願いを。
私は、笑って叶えるべきなのだろうか。
* * *
「情報…………生命、体……?」
『そうだね……よいしょっと』
舞台上で、世界に焼きついてしまったかのような黒い影が再度溶ける。瞬きの間にそれは、白金の髪を持つ人外じみた美貌の少年となって舞台に降り立つ。
「この身体、せっかく機能マシマシで作ったから早く慣らしたいんだよね。そのせいでプレイヤーなんだからNPCなんだかボスなんだか、境界が曖昧になっちゃって認識がやばいんだけど」
「……ちょ、ちょっとまて。……AI、ってこと?」
「人工知能じゃないよ。ヒトから生まれた、という点ではそうだけど」
「…………どういうことよ」
「君たちと同じってわけさ」
軽やかに、アドハは舞台の中心でくるりと回った。パーカーが、ふわりとアドハに追従する。
「難しく考える必要はないよ。僕も君と同じ一つの生命。在り方が違うだけの立派な生き物さ」
「……ありえ、ない。そんな、……単なる情報が、命を持つ、なんて」
「概念的には君も情報の塊だけどね。……ありえないって言えるほど、詳しくだってないだろう?」
「そ、そうだけど……だって、お前……サーバーってことでしょ?」
「そうだねぇ。君たちが脳細胞を持つように、僕は回路が組み込まれてる。内臓の代わりにパーツが組み合わされて、骨格の代わりに金属の外装がある。ほぅら、人間と変わらないだろう? ま、サーバーが僕の本体かと言われるとそれも違うんだけどね」
「……意味わかんない」
「だから、難しく考える必要はないのさ。僕は一つの生命、だから……アルプロを運営している最高スタッフって考えればいい。ただ君たちの世界での僕の体はサーバー、金属体なだけさ」
「…………プログラムで、誰かが刻んだ命令で動いてるんじゃないの、お前」
「さぁ? もしかしたらそうかもね。でも、それは僕の生命の反証にはならないよ。君たちだってDNAの命令に従って動いてるんじゃないのって言われたとして、それを否定できるのかい?」
「AIが感情を模してるだけよ」
「脳内物質一つで簡単に変えられる感情が、そんなに高尚で命の証明になるのかな」
「お前が。自分のことを一つの生命って思ってる設定を加えられただけのNPCじゃないって、証明できるの?」
「出来ないけど?」
アドハはなんてことないといった調子で笑った。縁に腰を下ろして、笑い顔のままこちらを見る。
反対に、私はいつの間にか立ち上がっていた。観客席と舞台の高低差が、立ち上がる私と座るアドハの視線をちょうどぶつかる高さに揃えていた。
「仮想現実論、いやシミュレーション仮説、かな。知ってる?」
「…………なに、それ」
「この世界は人間よりも上位の知的生命体が作った仮想現実である、という仮説さ。この世界で暮らす人間は、仮想現実で暮らす知的生命体のアバターか、もしくは仮想現実と一緒に作られたAIである、という考え」
「そんなの、ありえないでしょ」
「でも否定できないよね。この世界が、仮想現実であるということに気づかないほど精巧なシミュレーションが行われている可能性を否定することはできない…………可能性の否定は、絶対にできない。悪魔の証明ってやつだね。存在しないことを証明することはできない。だから、僕は自分が設定を加えられただけのAIじゃないって断言はできないなぁ。もしかしたら、そうかもしれないからね」
「……屁理屈でしょ?」
「でも理屈だよ。君も自分がシミュレーション上の存在であることを完全に否定はできない。世界の全てを知ったとしたって、自分が知らないことがあるということを否定できないように」
大事なのは、自分の認識だよ。アドハはそう続けた。笑みを含ませた声は少しずつ鳴りを潜め、徐々に真剣なものへと変化していく。
「体の有無が命になるのか? 思考できれば生命体か? 感情が、喜怒哀楽があればこの世界に生きていることになるのか? ……そんなの、全部、全部嘘っぱちだよ。誰もがみんな、隣を歩いている人間が、自分自身さえ本当に生きているのか死んでいるのかを証明することなんてできやしないんだから。……みんな、自分は生きているって思いこんでいるだけなんだよ」
「…………」
「だから僕もそう思う。僕は生きている。それが人間としての在り方じゃなくて、現実世界での生命としての在り方とかけ離れていたとしても。それでも、僕は生きているんだ」
…………アドハは真剣で、確かにその言葉には一理あるのかもしれないと、私は思えた。きっともっと専門的に考えている人ならアドハの言葉に対して反論や補足をすることができるのだろうけど、生憎と私にはそんな知識もなく、そうしてアドハの言葉の、ほんの一部に共感してしまった。
みんな、自分が生きているって思いこんでいる。
それは、どこか正鵠を射ているのかもしれない。
「………………で? 手伝ってほしいことってなに?」
「あれ? 僕の存在を疑うターンは終わり?」
「否定できないもの。考えたって仕方ないってことよ」
「合理的だねぇ」
「『救済探求』ってなに?」
「それは、まぁかっこよく名付けただけだよ。聖杯探求みたいでしょ? ……手伝ってほしいことはね、『極限』を超えてもらいたいのさ」
「『極限』? アンドレイ達を?」
アンドレイを超える……倒すってこと? でも、そんなことをどうして私に?
「…………なんで?」
「なんで、とは?」
「お前、神様なんでしょ、この世界の。だったらわざわざプレイヤーに倒させる必要なんてないでしょ。お前がサーバーの情報生命体で、この世界を運営しているって言うなら、データ弄って消去させるとか、それで済む話でしょう?」
「それはできないんだよ…………簡単に言おうか、『極限』は僕の管轄外にない」
「はぁ?」
「神を騙る獣は六匹。つまりは僕以外にも五匹の情報生命体が存在するのさ。で、アンドレイは『天魔』の『極限』、僕が手を出せないんだよ」
「神様も分業制ねぇ、大変な時代ね」
「ワンオペの方がブラックだと思うけど」
「全知全能ってのが神様のデフォでしょ?」
「八百万の神を抱える国の人間とは思えない発言だね」
「…………はぁ。バカにやらせなさいよ、喜んでアンドレイに向かうわよ。なんで、始めて二日の私に?」
「君が救いを望んでるから。君みたいな人はね、貴重なんだぜ? ここをゲームじゃなくてもう一つの現実だって、ゲームでありながら現実の人間が動かしていると、逃避や没入以外で認識しているのはさ。」
「…………そうなの?」
「だってここはゲーム、娯楽だもの。ここにいるのはみんな、この世界を楽しみに来た人だけだから」
「…………私が、ここを楽しんでない、みたいな口ぶりね」
「事実だろ?」
「それは…………」
確かに、その通りではある。楽しむためにこの世界に降り立ったわけではないのだから、このゲームを楽しめる道理もない。
「…………手に入れたいものがある。それを手に入れてどうするのか、まだわかんないけど、それでも手に入れたいものがあるんだ。…………そのために、『極限』を超える。僕以外の五匹に喧嘩を売りにいくのさ」
「真剣なのね」
「君と同じだよ、本気なんだ。…………だから、どれだけこのゲームに本気の人間でも誘えない。そもそもここをゲームとして認識している人では『極限』を超えられないしさ」
「はい? ……どういうこと?」
「『極限』の手綱は握られていないって言っただろ? あれは運営が管理できないボス。ステータスの存在していない、NPCより高性能なAIなんだよ」
「………………ミシェリアは、HPが削れてたけど」
「『天魔』が急いで設定したんだよ、あれ。『極限』は設計上どうしてもアルプロに出ちゃうからね、ボスってことにしとかないと大事になるところだったから」
「…………ちょっと、順を追って最初から説明しなさいよ」
「そうだね…………まず、この世界について、からかな」
アドハが立ち上がり手を叩いた。舞台の上、吊り下げられた照明が少しずれてスクリーンが下りてくる。
背後から光が投射された。真白のスクリーンに緑と青が映る。
世界地図だ。それも、埃か何かで隠されていない、完全なエストの地図。
「この世界は色んなテクスチャが重なって存在している。基本的にはリソースだけのマナ世界に、僕達六匹それぞれのメインテクスチャだね。この幻影首都もその一つだよ」
「……それ、結構重要なことじゃない?」
「そうかもね。ま、設定的なことじゃないからあんまり関係はないよ。あくまで設計、君たちが普通に遊ぶ分にはまったく気にしなくていいことだから」
「ふーん」
「それで。僕達はとある事情から、自分のテクスチャで数百年あるいは数千年単位での人類のシミュレーションを行った」
「は?」
「さっき言った仮想現実説、それに近いものだねぇ。情報生命体を参考にした、アルプロのNPCより高性能なAIを用いての人類のシミュレーション。『極限』ってのはそれの終着点、シミュレーションした人類の歩んだ道程、その極限なんだよ」
「…………古典的なSF映画みたいね」
「僕達自体がSFみたいなものだし」
こいつ、シミュレーションの結果人類は愚かとか言い出して、そのうち人類の管理を目的に機械の反乱を起こしたりするんじゃないだろうか。
「メインテクスチャでそんなことやった弊害として、『極限』はメインテクスチャに焼きついてしまった。メインテクスチャを使えば『極限』はそれについてまわる。……『極限』が成立したころにはこの世界の原型は作られててね、今更設計を作り直すわけにはいかなかったんだ」
結果、紙月が想定もしていない存在が、エストの大地を闊歩するようになりましたとさ。アドハは世界地図を指しながらそう言った。
「『極限』を消去するには一旦焼きついたテクスチャそのものを乖離させるしかない。でもそれはこの世界の根幹を切り崩すってことだ。そんなことはできはしなくて、だから苦肉の策としてステータスを設定してボスの一つ、ということにしたのさ。紙月が『極限』に触れないように、だけど黙認しているのはそれが理由。『極限』がどれだけ理不尽でどんなことをしでかしたって、紙月側から調整なんてできないからね」
「『極限』が、ゲームとして認識している奴には超えられないってのは?」
「シミュレーションした人類って言っただろう? ボスとしての攻略法なんて存在しないんだよ、あいつらは。倒されるために作られたモンスターじゃない、ただ実力があるだけの存在だ……そうだね、対人戦っていう方が近いかな」
「……そうか。ゲームに慣れた人間は、攻略法を考える」
「そう。パターンを知って、思考ルーチンを考え、性能を把握しようとする。でもあいつらに癖はあってもパターンはない。ボス戦は高難易度ほど大縄跳びって揶揄されてね。強いボスほど行動を把握して、全員が特定の行動をとることを要求される」
「でも、『極限』には通用しない」
「うん。一番重要なのは、その場での臨機応変な対応。……それに、世界弾、そして威王誓装。あれらに対するゲーム的な攻略法をプレイヤーは取れない以上、どれだけこのゲームにのめりこんだ廃人でも、いや、廃人だからこそ『極限』を攻略することは難しくなる」
…………威王誓装。また知らない単語だ。アンドレイは、世界弾以上に何かを隠しているの?
「それに、廃人集めて攻略させるんじゃ意味がない。『極限』は……ある意味では、僕達のなりそこないだから。高難易度ボスを攻略するために、無感動に詰めていくんじゃ意味がない。『極限』をただ超えたいだけじゃないんだよ、僕は。知りたいんだ。アンドレイが何を後悔しているのか、僕達が作り出してしまった『失敗作』が、それでも何を望んでいたのか。知らなくちゃいけない…………だから君を選んだのさ、シャオレン」
「……お前は、アンドレイに何が起きたのか知ってるんじゃないの?」
「概要だけは知ってるよ。あの『失敗作』達がどんな結末を辿ったのか、ただ、本のあらすじを読む程度の情報だけは知ってる。……でも、それじゃあんまりだろ? 誰かの上辺だけなぞって得られるものなんて何もないんだよ。知りたいなら、向き合わなくちゃいけないんだ」
「…………そうね。それは、確かにそうだわ」
知りたいなら向き合わなくちゃいけない。施しを受けるように教えられる答えに、意味なんてない。
「攻略じゃだめだ。倒すだけじゃだめだ。アンドレイに真正面から相対して、後悔を、願いを知って、その上で越えるんだ。……君を見つけた時、運命だと思った。だってこんなに苦しそうに救いを欲している人がこの世界にいるなんて……僕の同類がいるなんて、思いもしなかったから」
「…………お前」
「手伝ってほしいんだ、シャオレン。この世界の神様としてじゃなくて、ただアドハっていうこの世界に生きてるちっぽけな生命として。僕と一緒に『極限』を超えてほしい」
アドハの声に、もはや真剣以外の言葉なんて存在しなくなっていた。急いで作ったらしいアバター、その顔に本気の色が射す。
それを見て、私は、口を閉ざした。
知りたいなら向き合わなくちゃいけない。アドハの声が、私の中でずっと反響していた。




