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さいわいのうた 2

 死にたい、と呟いた。けれど吸い込んだ空気は声帯を震わさず、声は現実のものにはならない。死にたい、死にたい、死にたい。そう思うたびに、脳裏の奥で懐かしい声が、愛しい姿が浮かび上がる。わたしの脳細胞が、今だ幻影を捉えて離さなかった。


   *  *  *


 数時間前までは箱だったダンボールを紐で縛ってまとめていると、夕日が顔に茜色を差した。どうやら夕方、日が暮れ落ちる時間らしい。

 ああ肩が凝った。ぐっと背伸びして固まった肩や背筋を伸ばす。ただ荷物を片付けるだけでどうしてこんなに疲れるのか、未来永劫の謎だ。どれだけ科学が進歩して、VRだなんて仮想現実技術が一般的になっても、指先一つで物を配置できるようになるのはゲームの世界を飛び越えないらしい。

 ぐるっと部屋を見回せば、そこは見慣れた私物が置かれた私の部屋になっていた。以前の部屋より広い部屋なので完全再現とはいかないけれど、そこまでこだわりがあって家具を配置していたわけではないので気にしないでおく。


 さて。


 今度こそVR機器を持ち上げて、目の前に掲げる。ヘッドギアの黒い光沢に、私の顔が魚眼レンズのように歪んで映った。

 …………やる、か。

 正直言って乗り気ではない。VRだし、体を動かさないゲームというのはどうにもしっくりくるイメージが湧かない。私にとってのゲームはやっぱりARゲームで、それはどちらかといえばアウトドアな、スポーツのようなゲームの印象が強いから、機器が見せる夢の中での大冒険は世界の外のことに感じてしまう。

 ……けど、少し思うところがあってやってみたいという気持ちもある。ま、少なくとも貰い物ではある以上やらないという選択肢はないのよね。


 ちらりと時計を見る。どうにも決まっているらしい食事の時間までは、あと一時間はある。微妙な時間だな。設定なりなんなりしているとすぐ終わってしまいそうだ。

 少し逡巡して、意を決してヘッドギアを被る。荷解きの邪魔になるとわかっていながらコード類はそのまま弄らなかったので、電源を点けるだけだ。

 ええとたしか、リラックスした姿勢で……ベッドで横になればいいかな?

 黒で制限された視界の中、危なっかしくベッドに横になる。寝てから被ればよかった、どうしてそんな簡単なことを。些細な後悔が小さな自己嫌悪をもたらす。そんな感情を噛み殺して、指先の感覚だけで探し当てた電源ボタンを押した。


   *  *  *


 黒くて白い。

 それは舞台の暗転のように視界を一瞬で黒く染めると、一拍間をおいて、眩いばかりの光で世界を照らした。


『アカウントを認証中…………小蘭夜様、ようこそラクエンプロジェクトへ』

『アバターが登録されておりません。デフォルトアバターでゲームを開始しますか?』

『アルカディア・プロジェクトではデフォルトアバターは使用できません。アバターを登録してください』

『アバターネームでは本名を使うのは避けましょう。また、アカウント名の非表示がデフォルトになっています。変更しますか?』

『アカウント名の表示・プレイゲーム履歴・ログイン時間の公開設定がフレンドのみになっています。変更しますか?』


「ちょちょ、情報が多い!」

 少し女性的な、けれど大別すると中性的な機械音声が一定の勢いを変えないまま畳みかけてくる。め、めんどうくさい……!

 とりあえずアカウント名はそのまま、表示も非表示で、公開範囲もフレンドのみのまま弄らない。何か問題があるならあいるさんが指摘しているだろうし、下手に弄らないほうがいいだろう。

 目の前に突然現れた選択画面を適宜押して設定を終えていく。デジタル画面が実際に浮き出ている、という現象にVR技術を感じるが、さりとてARでも同じことができるわけで、珍しさを感じない。嫌な客ねと自分で思う。VRとARを比較するあたりが特に。


 アカウント周りの基本設定が終了すると、残った画面は二つのみとなっていた。

『ラクエンアバターを登録』

『アルカディアアバターを登録』

 画面では個性を感じさせないフォントで書かれたその一文と共に、縮尺された人間が描かれていた。人体パーツモデルの人形のように、両腕を水平に上げて足をぴっちり閉じている。

 よくわからなくてラクエンアバターなるそれの画面にタッチすると、画面が広がり私の目の前を覆いつくすほどになった。見れば、先ほどまで見えなかった細かい設定がぞろぞろと追加されている。性別身長体重筋肉量足の長さ指の長さ目の色白目反転髪色髪型etc.。

「多い」

 アカウント設定なんて目じゃないほど量が多い。みんなこれを決めてるの? やっぱり一時間は無謀だったかしら……。

「…………っていうか、ラクエンアバターってなによ」

『ラクエンアバターはラクエンプロジェクトにおいて使用されるアバターです』

「うわあびっくりした!」

 なるほど、聞いたら答えを返してくれるのか。最初に声かけとかしてくれないとびっくりするわよ。

 そんなところがえいるに似ている、と思って、考えるのを止めた。機械と似ているのはきっと誉め言葉にならない。

「じゃ、アルカディアアバターは?」

『アルカディア・プロジェクトにおいて使用するアバターです。原則として、ラクエンアバターを素体に数値を設定したものになります』

「…………どういうこと? ラクエンプロジェクトってなに?」

『ラクエンプロジェクトは紙月が運営する総合ゲームコミュニティです。ラクエンプロジェクトではアルカディア・プロジェクトを含め現状六つのゲームが登録されており、ラクエンアバターはその全てのゲームにおいて互換性を持ちます。また、一度登録されたラクエンアバター以外のアバターの使用はデフォルトアバターのみとなります。ラクエンアバターの登録は一度のみとなり、追加のアバターは存在しません』

「………………互換性を持つ?」

 そして登録したアバター以外ではデフォルトアバターしか使用できない。


 つまり作ったアバターをラクエンプロジェクトの全てのゲームで使いまわすの?


「アルカディアアバターがラクエンアバターを素体にするっていうのは?」

『ラクエンアバターは互換性を持ちますが、ゲーム自体は互換性を持たないケースが存在します。例を挙げると、格闘ゲームであるエクゾースト・エデンで使用するアバターの数値に、アルカディア・プロジェクトに存在するMPゲージは存在しません。エクゾースト・エデンでは魔法を使用することができますが、その発生にMPゲージを必要としておりません』

 …………なんとなく、わかる。格闘ゲームで魔法使いのキャラだけ使用できる魔法の回数が有限なのはゲームとしてのバランスを崩壊させかねない。

『このように互換性のないゲームでアバターを共通させるため、そのゲームで使用する数値を設定したアバターを登録してもらいます。そのため、アルカディア・プロジェクトの具体的な数値に関してアルカディアアバターに登録してもらうことになります。イメージで返答するならば、ラクエンアバターが肉体、アルカディアアバターを含む各ゲームアバターは服や装飾、というイメージが設定されております』

「ふーん」

 ようするに、ラクエンアバターがアバターの身体で、アルカディアアバターでステータスなんかを打ち込むわけだ。


 画面に目を向ける。等身大に拡大された特徴のない人体が改造されるのを待っている。

 少し顔を弄ってみた。髪を伸ばして肩くらいまで、それで顔の彫りを深くして外国人ナイズな顔に……

「あれ?」

 変な顔になった。変、というか違和感が湧くというか。興味本位で弄っただけで、それで始める気はなかったけど、なんだか腑に落ちない。体つきとバランスがあってないのかなと体を百八十のモデル体型にしてみたけれど、それでも違和感が拭えない。

「ひ、人の体を作るのが難しいぞ…………?」

『アバター制作に難儀される場合、プリセットを使用することを推奨します』

「じゃ、それで」

『プリセットは人体モデルで二百通り設定されています。また、プリセットをパーツごとに分けてランダムで使用することもできます』

「二十二番」

 てきとうな番号を指定すると、特徴のない人体君は一瞬で様相を改める。長い髪を後ろで乱雑に縛った黒髪、アジア、というか日本人の風貌、目に一本傷が入って、そこそこの筋肉を持つ男の体。

「侍?」

『プリセットを変更することができます。変更しますか』

「変更はなし。…………人体プリセット?」

『人外プリセットは百通り存在します。人外プリセットを表示しますか?』

「…………人外プリセットの、七十七番」

 侍の体が一瞬のうちに掻き消えて、後に残ったのは、私の足首程度の高さしか体長を持たない生物だった。それは濃い青で満たされた、液体が固まったかのような生物で。

「スライム……」

『プリセットを変更することができます。変更しますか?』

「………………ちょっと待って」

 まいった。プリセットの完成度が高い。これはちょっと、骨が折れるぞ?


 …………少し考えて、問題点を整理する。

 まず。自由度が高すぎて、それがアバター制作の足を引っ張っている。人間の顔と体のバランスは、一見だけの初心者で理想を作り出すには複雑すぎるらしい。それに人外。どうやら人体以外も自由に構築できるらしいアバター、恐らく人体に異形を組み合わせることさえ可能であろうことまで考えると、無限に等しい様相を用意していることになる。


 それに、プリセットの完成度が高い。完成度が高いということは、独学ではこのレベルに至るまで相当時間をかけなきゃいけないってこと。

 ……プリセットは人体で二百ある。逆に言えば二百しかない。プリセットそのまま開始するのは、誰かと容姿が被るのを避けられないことを覚悟しなければならない。五百万人が利用するゲーム、容姿被りは厄介な事情を生み出しかねないことは深く考えなくても理解できる。


 …………後に、というかこの後の夕飯時にあいるさんに聞かされて知ったことなのだけど、アバター制作補助アプリというものがあって、それは私のVR機器にも入っていたらしい。起動しなかったのは、呼ばなければ動かないから。存在自体知らない私では到底無理な要件だった。


 溜息を吐いた。

 なんだかめんどうくさくなってきちゃった。

 そもそもそんなに乗り気でもないし、アバターに数時間もかけたくない。じゃあプリセットで…………というのは、やはり少し腰が引ける。

 あれこれプリセットを見て十数分浪費し、結局、一番簡単な方法にした。



「私のデータから写真出してそれアバターにして」

『少しお待ちください』



 一拍間をおいて、高校で着るはずの制服に身を包んだ私が描かれる。入っていたデータはつい数日前に取った生徒証用の写真だったらしい。

「で、体つきや筋肉量、身長体重変えないままプリセット百五十三番の頭と入れ替えて、体のバランスを補正して」

『バランスを補正する過程で多少の変更が発生します。変更しますか?』

「一cmと一キロ前後だったらいいわよ」


 プリセット百五十三番。青紫の髪をツインテールにした、ツリ目で勝気な印象を与える美少女だ。選んだのには特別な理由はなく、一番顔が好みなタイプだっただけ。体を私にしたまま変更しないのは、プリセットの体も私に近いものがあったけど、実際に動かす都合上私に近ければ近いほうがいいに決まってるから。

 そこからツインテールを少し調整、位置を高くして長さを伸ばす。髪色を明るいオレンジに変更して、青いメッシュを入れて、目の高さとかも少し弄って…………バランスを崩さないよう細心の注意を払い、出来上がったのは私の体を持った美少女。

「よし満足」

 気づけば時間もぎりぎりだ。アルカディアアバターまでは設定できなかったのは少々残念だが、夕飯を食べて少しネットで情報を集めてからステータスを決めたほうが絶対にいいだろうと気を持ち直す。


 さて、登録ボタンを押して。

『ラクエンアバターを登録しますか? 一度登録されたアバターと拝領品の変更はできません。また、登録後のラクエンアバターの容姿を変更するには有償チケットを消費する必要があります。ラクエンアバターを登録しますか?』

 拝領品? ここにきて新要素? ……いや、私が説明書を読まなかっただけか。

 なんにせよもうこれ以上アバターを弄るのは精神的に辛い。顔だけで疲れるのだから全身だったらどれくらいか、少なくとも丸一日、気力と体力を全部使いそうなのが目に見えている。


 

『名前が入力されていません。名前を入力してください』

「シャオレン、と」

『重複された名前が確認されました。このまま登録しますか?』

「なんでもいいわよ」

『根源が入力されていません。根源を入力してください』

「なにそれ……なに? 『来訪者』『眷属』…『端末』『同体』に『罪過』『卵生』? 意味わからないんだけど、何が違うの」

『根源は拝領品に影響します。それ以外には影響いたしません』

「あっそ。じゃ、『端末』で」

『アバターが登録されました。拝領品が登録されました』


 疲れた脳で、よく考えずに登録のボタンを押した。


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