『極限』遭遇戦 4 初めまして狩人様、私は醜い獣なれば
草原を丸く切り取って現出した荒野。一部が異世界から齎された蒼の植物が這うその戦場で、二つの点が止まらず動く。
蒼をその手に従えた狩人と、黄色の閃光を生み出す狩人。二人が二人、お互いを認識しながらも向かい合って相対することを避ける。忙しなく動く点は時折速度を緩め、逆に早め、不規則に荒野を駆け巡る。
不意に弓を持つ狩人……アレェリスタが止まった。つがえた矢に黄色い光が集う。
放つ。
それは矢を放つという工程とは思えないほど素早い。
スキルによって纏わる黄色い閃光が戦場の空を駆ける。走る二人よりも早く、もう片方の狩人の元へ。蒼をその手に握る狩人……アンドレイはそれを視認し、けれど避けない。アンドレイもまた驚くほどの敏捷性と膂力で、右手に構えた大鉈を振るう。微塵の狂いもなく、完璧なタイミングで飛来した矢の胴を叩ききったアンドレイは、反撃に左手の銃をアレェリスタへと向けた。
蒼い光。アンドレイが仄めかす技術の極限、「世界弾」。
銃口に集う蒼が世界を軋ませる。もはやボロボロの銃身が悲鳴をあげた。
撃つ。
放たれた蒼。世界を侵食しながら、矢よりもさらに早く飛んでいく。
それは異様な光景だった。
蒼の通り道が削り取られていく。白のキャンバスに蒼い線を引いてくかのように、通り道が蒼に染まって消えてくれない。
世界を蒼で塗りつぶしながら世界弾は走る。だが、その先にアレェリスタはもはやいない。矢を放つと同時に駆けだす狩人狩りは何物にも捉えることは叶わない。
しかし……。
「クソッ! 戦場が限定される!」
『そう、その通りだ「同体」』
蒼は消えない。世界弾の通り道、侵食された世界は元に戻らない。
触れたとて、一向に影響を与えない可能性もある。だが、その可能性をアレェリスタはノータイムで切り捨てた。
『我らが極地、世界弾。世界を侵す禁忌の銃撃! 躱したのみで攻略できると思うなッ!』
相手は『極限』、未だかつて誰も討伐ができていない狩人。前人未到を踏むために、ありとあらゆる可能性を考慮しなくてはならない。戦場に架かる蒼、それに触れた途端にゲームオーバーになることだってあり得るのかもしれないのだから。
……どうする? アレェリスタは考える。
(…………どう考えても手が足りないな)
戦場は刻一刻と狭まるが、こちらからの有効打はない。弓矢によるスキルは、しかしアンドレイを捉えられない。
……だからといって近づくことはできない。それは自殺行為だ。相手は銃、それに近接武器さえ完備している。不用意に近づこうとすれば射線で行動が制限され、大鉈が振るわれアバターは真っ二つ。
どうする、どうするどうするどうする! 思考は過熱を帯びる。現状維持は緩やかな自殺と同じだが、さりとて不用意な接近は性急な自殺だ。戦場の有利は世界弾一つでアンドレイに傾いた。
世界弾の解禁。それに伴う敏捷性の上昇と戦闘区域の限定。それがアンドレイの第二形態だと、アレェリスタは脳内で決定づける。条件はなんだ……一撃入れることか?
アレェリスタの思考は外に向いていた。世界弾と矢の衝突によって形成された円形の荒野。そこを戦場と認識しているが、しかしここはサントレアス魔法学院特別飼育フィールド「モジュの生庭」。小さな荒野の外にも戦場は続き、そこでは二人の戦闘を観戦しているプレイヤーがそこそこの数存在している。何も二人だけの戦場と言うわけではない。
(放っておけば廃人どもがやってくる)
戦場を駆けながら思考を巡らせる。現実の体は何一つ動いていないのに、脳が誤認した運動が思考を加速させる。
モジュの生庭は閉じられていない。イベントエリアだから当然だが、パーティーで挑むボスに時折存在する個別フィールドへの移動という措置が取られていない。それは、アンドレイがモジュの生庭に降りてくるという、イベントに参加していた大多数が『極限』戦に巻き込まれた影響だろうが……だからこそ、情報は広がっていく。アルプロと連携したラクエンプロジェクトのSNSを通して、あるいは外部、他のSNSや音声通話で。友達、掲示板のような匿名の不特定多数へと、モジュの生庭での『極限』戦は広がっていく。
そして個別フィールドではないからこそ、撤退と参戦が可能だ。時間がたてばたつほどに、アンドレイと戦いたいネトゲ廃人たちが押し寄せてくる。
不思議とアレェリスタは焦燥感を感じなかった。もしかすればトップクランががちがちの六十四人を固めてくるかもしれないが、そうだとしても今のアンドレイなら蹴散らすだろうという確信があった。
アンドレイは強い……! 初見で対策も無しに挑むのは無理だ。だから、アレェリスタの過熱した脳から討伐の文字が消えて、情報収集へと切り替わっていく。
『極限』権はまだ一つある。それに、この世界が人を呑み込み続ける限り新しい『極限』権は現れる。
何も今、討伐する必要がない。とにかく情報がないアンドレイ。その行動を、武器を、思考ルーチンを暴き続けることが重要だ。……なんなら、一度退いてしまったっていい。限定され続ける戦場で死ぬくらいなら、廃人たちが突貫している様を観察しているほうがマシだ。……いや、最悪、ここで死んでしまったっていい。次が、あるのだから。
…………アレェリスタに冷静が宿り。
そうして熱が消えていく。
『…………「同体」、お前は、何を考えている?』
不意に、アンドレイが口を開いた。
世界弾解禁からのテンションが上がった口調じゃない! 別の思考パターン、あるいは何かしらのフラグか? 得られる情報を期待したアレェリスタの脳が歓喜に踊る。
『「同体」……いいや、アレェリスタ。何故、弓を選んだ』
「何故? 銃相手に突っ込むほど愚かじゃないつもりでね!」
動きは止まらず、しかしそれは徐々に緩やかになっていく。アンドレイが速度を落とし、やがて止まる。釣られて速度を落としていたアレェリスタも止まり、二人は相対する。
『愚か……そう、愚かだ。射程の差は絶対の有利である以上……しかし、時には蛮勇が必要である。我らが「夜」に立ち向かったように』
「それで? 口車に乗せられて死ねというのかい?」
『もはやお前は我らと向き合うに足りず。お前の意思は、我らを倒すことに向いていない』
「ッ……! 考えを読んだか! 戦う意思がフラグか……!?」
『考え? バカを言うな。このアンドレイ、どれだけの戦いを経験したと思っている。戦う意思がない人間など、腐るほどにこの両の眼が捉えた。……お前に、我らを倒す意思はない』
「いいや! あるさ、十分にな!」
『ならば何故逃げることを考える。退けば死ぬ。それが真理だ。……お前は、世界弾に対して剣を持つべきだったのだ。今を燃やせない者に、未来など訪れない……』
「……AIに説教されるとはね、だが、それは君の勝手な言い分だろ? 最後に勝てば万々歳さ」
『……ああ、そうだ。その通りでもある……だが、だがッ! 賢しさなぞとうに棄て去ったのだッ! 死地に踏み込まずして生還は出来ぬ! エストの祝福……死なずの「同体」! だが、死しても良いと考える者に、我が前に立つ資格さえない! 何故弓を握ったのか、教えてやる、アレェリスタ……お前は、怯えたのだ、世界弾に、我らが「極限」に!!』
「違うね! 怯えじゃなくて慎重なのさ!」
『お前は少し……臆病すぎる』
アンドレイが走る。それは距離を測る動きではない、一直線にアレェリスタの方へ向かう。アレェリスタは、立ち尽くす。
……どうする!? 迎え撃つか!? 近距離戦ならこちらが有利だ。しかし……世界弾。世界を蒼で塗りつぶす弾丸。至近距離であれに当たったなら……いや、退路でも限定されたなら。アレェリスタの有利性は近距離での敏捷性だ。アンドレイは精密な動作が得意ではなく、至近距離での近接戦はアレェリスタに分がある。だが、それはアレェリスタが自由に動ける場所があっての話だ。蒼で僅かでも動きが制限されたなら……向かう未来は敗北しかない。
考え、迷い、そして、脚はアレェリスタを後ろに運んだ。バックステップ、反転する間に弓より黄色の閃光が放たれる。
アンドレイは、それに迎撃さえしない。見切ったのか……? いや、違う。
アンドレイはそのまま矢を受けた。スキルによって威力が倍増されたそれは、アンドレイの肉を抉ってHPに確かなダメージを与える。だが、アンドレイは止まらない!
逃げるアレェリスタをアンドレイが追う。速度は同じ、差が縮まらない鬼ごっこだが、しかしアンドレイには銃がある。アレェリスタはただまっすぐ逃げ続けるわけにはいかない。
射線を切ってジグザグに走るアレェリスタと真っすぐに走るアンドレイ。差は、徐々に埋まっていく。走る先で観戦しているプレイヤーの塊が割れた。もはや荒野を飛び出して、サントレアス魔法学院が誇る飼育庭全体が二人の鬼ごっこの舞台となる。
……どうする!? 迎撃か? それとも一直線に逃げるか!?
どちらにせよ向かう先は死だ。
「クソッ!」
『死地を超えられぬものに、未来は、あり得ぬ』
「ならお前も、これを超えてみせろ、なの」
雷光が飛来する。
* * *
『ぬっ…!』
「なんだ!?」
アンドレイを紫電が襲った。鋭い光の切っ先、それはアンドレイを打ち据えた後、空中で回転し、アレェリスタの隣へ着地する。
「ヘレン! お前、手を出すなよ!」
「負けかけの分際でよくほざくの。これを機に魔法改造武器の評価見直すといいの、バカ。それとさっさと下がって。後はシャオレンに聞くの」
「はぁ!?」
「こっから私とダンスなの、アンドレイ!」
雷光を生む槍を構えたヘレンが、目にも止まらぬ速度で駆ける。軌道は単純、けれども速度は異常だ。一直線にアンドレイに向かった雷光に、アンドレイは反応さえできない。無防備な胸に穂先が衝突し、僅かにHPが削れる。……流石にボスね、固い!
「アレェリスタ! お前さっさと下がりなさい!」
「シャオレン、何でここにいるんだ!? お前のほうが!」
「手短に言うわ。ミシェリアが出た。今ファイと狂いが防壁削ってるから、お前あっちに加勢しなさい。こっちは私とヘレンが受け持つわね」
「は? ……いやいや、待て待て待て! なんだ? ミシェリア? 『極限』が二体出たのか? ファイ……ファイ・ルットか! いや、なんでシャオレンがここを受け持つ必要が」
「いいからさっさと行きなさい臆病者! ヘレンがアンドレイ押し込むからこっちは問題ないわよ!」
「大ありだ、お前が死ねば『極限』戦が終わるんだぞ!」
「どうせ負けそうだったでしょ。それよりさっさとミシェリア行きなさいよ。ヘレンが言うにはお前が必要なんだって」
「そうなのバカ! 何のために周回付き合ってやったと思ってるの!」
雷光の線が叫んだ。アンドレイを翻弄する光は、向けられる銃口の先に一秒たりとも存在しない。
「シャオレンの面倒くらい見てやるの! ミシェリア、さっさと封印しとかないとマジでやばいの!」
「っ、それは、そうだが……!」
「ほら決まりね、お前の仕事はあっちよ。エルのこともよろしくね」
背中を押す。ステータス差が圧倒的な以上どれだけ押したって動きそうにないものだけど、そこはゲームだ。アレェリスタは簡単に前のめりによろける。
アレェリスタが振り返ってこちらを見た。
「……お前、絶対に死ぬなよ」
「わっ、感動的ね、映画みたい」
「フラグだろそれ。いや、本気で死ぬのはよしてくれ」
言って、アレェリスタは走りだした。向かう先はアンドレイではなくて、先ほどまで私たちが戦っていたミシェリアだ。
振り返る。そこには雷光と踊る『極限』。
「ようやく、こっちの番ってわけね」
……観察する。雷の線が狩人とぶつかり、離れ、またぶつかる。翻弄される狩人は左手を前に突き出した。
世界弾。……知っている。見ていたからだ、バカを追い詰めたその銃弾。そして、それを撃つ前後は世界弾を撃つ動作以外を行えないことを!
世界が軋む。蒼が銃口に集まり、雷光を追いかける。だがそれはヘレンを捉えられない。今のヘレンは雷光の化身、誰よりも速い速度域の支配者。……しかしアンドレイもそれを承知している。
幻想的な蒼の光が破裂寸前まで集い、世界弾が放たれる。それを、アンドレイは銃身を振りながら……剣でも振るうかのように撃った。
蒼の軌跡が斜めに歪む。右の切り上げ、アンドレイから見て右下から左上へと世界を侵す蒼は、それこそ剣筋を示すかのように世界を裂いた。斜めの蒼い剣筋は直線より多くの戦場を限定する。移動先の蒼を視認して、ヘレンが慌てて軌道を修正した。
そして私は、アンドレイの元へ辿り着く。
蒼が集い始めていた時点で駆けだし、発射と共に巨体の下へ潜り込んだ。斜めの軌道に当たるのではないか冷や冷やしたが……死んでないからセーフ!
アンドレイは私に目を向けない。レベル差、というよりかはヘレンがあまりに鮮烈だからだ。絶対の速度は何者よりも上に立つ。脅威度で言えば私はヘレンの爪先ほどにも及ばない。……だからこそ、私はアンドレイの懐に潜れている。
剣を、しかし振らない。取った選択は蹴りだった。それは七階の決闘の再現のように、走る勢いのまま飛び蹴りの要領で両の足裏を巨体に押し付ける。
AGIと恐らくSTR,質量も関係していそうな攻撃は、私の身軽さではアンドレイに響かない。だが、それを加算する手段はある。
思考がスキルを選び、それを口に出す。バカとアンドレイの戦場に辿り着くまでにドライブ・ファーストは消えてしまった。だから残っているのはあと一つ。
「ファーストダッシュ!」
『ぬっ!?』
叫ぶと同時に両足に強いAGI補正がかかる。私の体を猛烈な勢いで前に運ぶ自滅技、その勢い全てを、足裏から真上に跳ねるように……そう、アンドレイの体に残すイメージを持つ。
結果として、それは尋常じゃない蹴りと化した。足裏から放たれた弾丸のように、ファーストダッシュで補正されたAGIが足裏を通して衝撃となってアンドレイを襲う。残った僅かなAGI補正が両の足を天頂へと移動させ、私の頭と足は普段と反対に位置する。
アンドレイがよろめいて、その正面で、AGI補正のまま縦に一回転して着地する。
「初めましてアンドレイ。……お前と会話するためにわざわざやってきたのよ、私。歓迎してね?」
『無形の「端末」……! 未だ見ぬ個体、なればこそ……お前は我が問いを、答えられるのか……!?』