『極限』遭遇戦 3 君と机を繋げて
銀と鈍色が交錯する。
アレェリスタが駆る銀槍が、アンドレイが振るう大鉈をいなす。一太刀でもまともに受ければ、たちまちアバターごと両断してしまいそうな、殺人的な重量を思わせる鉈。それをアレェリスタは苦も無く躱し、振るう隙を狙って銀を滑り込ませる。
「ははははは! 鈍い、遅い! そんなものかアンドレイ、まだカジムのほうが歯ごたえがあるな!」
『……終わる。終わり、けれど、終わらぬ……夜。何故だ……!』
「いい加減、こっちに集中してもらいたいものだね!」
『グッ……!?』
アレェリスタを狙った大振りを、最小限の動きで回避する。もはや動きの全てを見切ったアレェリスタの銀槍がアンドレイに喰いこんだ。胸の上より穂先が肉を抉る。血を模した赤いダメージエフェクトが宙を舞った。
二人の動きが止まる。奇妙な静寂が満ち、銀槍がアレェリスタのSTRによってアンドレイの体に押し込まれていく。
『グッ、ガッ……!』
「この程度じゃない。そうだろう? それじゃあ『極限』を名乗れないよな」
『…………ガ、ア、アァ……! アぁ、痛む……既に失われた、肉体よ……我らの幽遠、その果てに……捨て置いた。痛む、痛む……!』
「ミシェリアのようにターン制か? カジムのようなギミックか? トルク・キッドのようなスキルか? ……なんでもいい、さぁ、お前の『極限』たらしめる高難易度、見せてみろ、アンドレイ!」
『……来ているのか? 花……ならば、我らは戦わねばならぬ。行き止まった我らの道行き。邪魔立てするのなら……蹴散らせねばならぬ。花よ、安寧を!』
空から降って湧いた始まりと同様に、アンドレイは吠えた。獣を思わせる叫び声は、狩人と獣の境が酷く薄い境界線でしか区切られていないことを嫌でも感じさせる。
アンドレイが、戦闘開始から動かさなかった左手を上げた。握られるは……銃!
それは技術の英知。攻撃の射程、その極限を突き詰める武器。覆う外装が壊れ、構成する歯車が剥き出しとなる、強制的なスケルトンの機械仕掛けの銃。それはアンドレイに握られると同時に歯車を軋ませ、駆動を始める。
「銃! 存在だけは示唆されていたが……やはりあるのか!」
『啼け、轟く音よ! 我らが至りし技術の極限、夜を屠る「世界弾」! 劣化再現……もはや本質さえ模倣できぬ脆弱、けれど貴様らを駆逐するに十全に足る! 「同体」、お前に、超えられるか!』
「ははっ、ははは! 超えられる? そのために、今までやってきたんだよ!」
銃口が蒼く光る。それはアンドレイがもたらした花や植物と同じ蒼。戦場の無礼を嗤う幻想的な色彩の美が、ただ敵を屠るために集合する。
アレェリスタの手から銀槍が消えた。握られるは半円、七階の決闘に見せたモノとは違う、黒の素体に黄色のラインが走る金属製の弓。装飾の宝石がきらりと光り、右手に矢が現れ、それをつがえる。弓が引き絞られた。
『夜を抉れ! 「世界弾」ッ!!』
「『一心強撃』!」
蒼と黄。異次元からもたらされた蒼と、スキルによって得られた黄色の閃光が混じりあう。衝突の衝撃が大地を抉り、余波が、観戦していたプレイヤーの一部を吹き飛ばした。
* * *
「だ、ダメなの……あいつめっちゃあったまっちゃってるの!」
「連れてかないとダメなんでしょ!」
アレェリスタとアンドレイ。二人の一部始終を見届けた私たちは、余波によって生まれたプレイヤーが蹴散らされた空間に足を踏み入れる。
草原の緑はプレイヤーと一緒に散った。荒野を思わせる不毛の大地が、二人を中心に円形に形成されている。
「……っていうか、シャオレン! なんで一緒にいるの! エル連れてさっさと下がる!」
「やーよ。私、アンドレイと戦いに来たもの」
「はぁ!? クラスⅠにも上がれてないひよっこが何言ってるの! コックルでさえクラスⅠ、お前より上なの!」
「知ったこっちゃないのよそんなこと。それよりさっさとバカ連れてきなさいよ、ミシェリア、二回目貼っちゃうわよ?」
「そ、そうだけど……いや、シャオレンが死んだら終わりなの!」
「じゃ、ヘレン。お前がボディーガードね。バカは自分の足で走らせましょ」
「なんで! 戦いたがるの!」
「私の獲物だからよ。……ゲームでしょう? 強いボスと戦いたいのは当然だわ」
「そ、それは、まぁ、そう、だけど……」
ヘレンを振り切って歩を進める。右手に握る剣の感触を頭の中で確かめた。ミシェリアのような防壁がないとはいえ、『極限』相手にレベル十二程度で装備できる武器が通用するとは思えないが、しかし素手よりはかなりマシ、のはず。
視界の先では二人が忙しなく動いている。ゆったりとした動きはどこに消えたのか、アンドレイはその体躯に見合った大きいというには過剰な歩幅で地面を踏みしめ、駆ける。
銃と弓、互いに遠距離武器だが、しかし有利は銃にある。引き金を引けば弾が発射される銃に比べて、弓は矢をつがえ目標に照準し引き絞らなければならない。同じ遠距離攻撃とて攻撃に至るまでの過程の数に絶対の差がある。
だからアレェリスタは動く。連射速度に差があるなら、相手の攻撃を回避して隙を狙い撃たねばならない。そのためにはただひたすら動き、銃の発射直後の僅かな隙を見出さねばならないから。
しかしアンドレイもそれを察している。むやみやたらに引き金を引かず、アレェリスタとの距離を時に開け、時に大胆に詰めることで距離感を狂わせる。最初の一撃以外、できる限り隙を見せないようにどこに隠していたのかと問いたくなる敏捷性で荒野を駆ける。
結果として戦場は高速化した。恐らくAGIに強く振った軽戦士ビルドの系列だろうアレェリスタに、なんら劣らぬ速度で走るアンドレイ。小人を追い回す巨人は、しかし小人の毒を警戒している。
……どうやって入り込む?
ファイは周りを巻き込めと言った。それは、確かに有効な手だろう。数はいつだって絶対の力、どれだけ突出した力があれど、数の暴力に勝てることは少ない。私だってARスタジアムで散々学んだ法則だ。
だけど速度差はそれを上回る。アレェリスタと同じ程度の速度のアンドレイ。その手には銃と、大鉈が握られている。
速さもまた絶対だ。追いつけないなら攻撃も防御も関係ない。速度で上をいかれるならば、それはあらゆる行動で先手が取られることを意味している。大鉈に銃、レベルの低さもある。近づけば鉈、距離を取れば銃。アンドレイのあらゆる行動で私は死ぬ。それは、観戦しているプレイヤーだって似たようなものだろう。
……やはり、鍵となるのは、ヘレン。
「シャオレン! だからダメなの、ここで『極限』終わらせたいの!?」
「もともと私とエルの権利よ。参戦は許すけど私の挑戦を否定するのは違うでしょう?」
「そうだけど、そうじゃなくて、だから、リスタが……!」
「……そうね。あるいは、二日前なら私は下がってたのかもね」
……だけどもう、私は獣の王国の住人だ。自分の感情を抑制しない、本能で動く醜い獣だ。
救い。あるいは美しさを探すために獣に堕ちる。それは酷く滑稽で、あまりに直視しがたい醜悪で。……だけど、それが必要になるときもある。
「私は私の好きに動くの。アンドレイと戦うのよ、私は」
「……………………誰かの、ゲームの楽しさをさ、否定したいわけじゃないよ、私だって……」
口調を崩したヘレンがぽつりと呟く。どこか芝居がかったような……今までの、すこし演技のような口調じゃない、自然体を思わせる口調で。
「私だって、楽しいとか、やりたいこととかあるなら、やるのがいいって思うよ……でも、それでも、今はリスタの願いがかかってて、だから……」
「ヘレン。ちょっとネガティブよ、お前。あんなに強いのに」
「『極限』だよ、高難易度、それにアンドレイ。……誰も討伐できてないボス。ネガティブに警戒するくらいがちょうどいいよ……なの」
「で? じっとひきこもったままいるの? お前」
「っ!?」
「アンドレイ相手はバカに任せて、お前は私とエルの護衛だけやって……それがやりたいことなの? ……やりたいことをやるの。この世界では、それが許されてる。……いいえ、あるいは許されないのかもしれないけど……それでも、やるのよ! 私はアンドレイと戦いたい。……いや、話したいの」
「なにを? ゲームだよ、プログラムじゃん! いくら『極限』だからって、運営が作った設定をAIが動かして喋ってるだけだよ! それとも考察厨なの!?」
「知らないわよそんなの。考察だとかもどうでもいい。……人間なんて一人ぼっちよ、他人さえ自分のフィルターを通してしか認識できない。だからプログラムだってなんだって、自分を通してみるそれに、答えを探すことだって、きっと不毛じゃない」
ねぇ、という言葉が口をついて出た。自分の中にこんな声色があったのかと思うほど、優しい響きだった。
「手伝ってよ、ヘレン。バカでも、貴女自身のためでもなくて。私のために手伝って、ヘレン」
「…………なんで」
「私じゃアンドレイに辿り着けないもの。貴女の速度が必要なの。『雷音轟叫』だっけ、あの速度ならアンドレイもアレェリスタも追い越して戦場を支配できるわ」
「私に、何のメリットが」
「ないわよ、アンドレイと戦えるくらいじゃないの。……わかってよ、これは取引じゃないの。お願いよ」
「図々しい」
「結構。図々しく他人を誘わないとチームが揃わないの、経験ではね」
「リスタに怒られるよ、きっと」
「匿名の誰かに嫌われるのはいいのに、知り合いはダメなの? 繊細ね……ねぇ、もう一度言うよ、手伝って、ヘレン」
「…………………………………………わたし、は」
俯いたヘレンの顔は見えない。どんな表情をしているかなんて、視覚で捉えられないならわかりっこない。
私はどんな顔をしているだろう? この戦場に鏡はなくて、ファイから貰ったこの剣は鈍く輝き、鏡とならない。
私は笑ってる? 怒ってる? あるいは真剣かもしれないし、軽薄を張り付けているのかもしれない。自分の感情を自分でさえ理解できなくて、今まではただ言葉にしがたい何かが心の中で焦げ付いていた。それが、熱を帯びて燃えている。PMギアが感情を抑制せずそれを隠さないなら、今の顔を見ればこの感情に名前を付けることもできるのかもしれない。
ヘレンは体を震わせている。彼女の感情が、しかしわからない。私たちは他人のことなんて、本当の意味でわからないから、だから言葉で尽くすしかできることはない。
「なんにも貴女に返せないけれど、なんにも貴女に届かないけれど。それでも手伝ってよ、ヘレン。神様が慈悲を与えるようにじゃなくて、乾いた人間に水を与えるようにじゃなくて、ただ教科書忘れた友達と、その日一緒に教科書見る程度に手伝って」
「……………………」
「戦ったって何にもならないかもしれないけど、それでも戦いたいのよ、私。ねぇ、わかるかしら」
「…………わかる、けど」
ヘレンが口ずさんだ。…………やりたいことが、あるんだね。
声に、私は首を縦に振る。
時間があった。
短い時間だったけれど、それはとてつもなく長くも感じることができた。世界の認識は自分の認識に左右される。時間は容易く引き伸ばされて、すぐそばで轟いているはずの戦場の音は私達の間から消える。私たちは二人だけ奇妙な空白の中で対峙している。
…………いいよ、とヘレンは言った。あんまりにも小さい、吹けば掻き消えてしまいそうな、儚い言葉だった。
そうして、そこから言葉は続かない。私も追って確認しなかった。ただ、一歩踏み出した足を、ヘレンは咎めなかった。
「で? 具体的にどうしましょう?」
「……バカをアンドレイから引き剥がすの。全速力でアンドレイをぶん殴ってヘイト取るから、シャオレン、その隙を狙うの」
「バカ、素直に動くと思う?」
「動かなかったら周りの奴ら突っ込ませるだけなの。それで私たちも離脱……お前のためにノートまで取ってやる義理はないの」
「じゃ、しっかり板書しないとね。最近はタブレットばかりだけど」
「うそ、ハイテクなの。テクノロジー」
ヘレンがキーワードを軽く口で転がす。槍が鳴動し、雷光がヘレンを包む。
足に力を入れた。温存していたドライブ・ファーストを起動し、スキル光が私を包む。
見据える先はバカと『極限』のダンス会場。二人の移動が地面に線となって刻まれている不毛の大地。
「全速力で駆けてくの。ミシェリアもそろそろやばそうだし……ちゃんと、ついてきてね」
「上等、これでも足は速いほうなのよ。今は関係ないけどね」
そうして、二人で走りだす。