『極限』遭遇戦 2 魔女と踊る雷光よ
それに詠唱はなく。
ミシェリアが掲げた杖から何の予兆もなく一つの光球体が放たれた。速い……それは寸分の狂いもなく私目掛けて一直線に迸る。
「シャオレン!」
「わかってる!」
脳の反射神経が光を見た瞬時にドライブ・ファーストを起動させる。体が淡い光に包まれ、僅かな速度を得た私は危うげに光球体を、横っ飛びで回避した。
次いでファイが何か呟き、杖の先より魔法を放つ。炎の矢、それは光球体ほどの速度ではなかったけれど、的確にミシェリアの体の中心を捉えた一撃だ。自分を燃やそうとする火をミシェリアは事も無げに防ぐ。動かず、杖を構えただけのミシェリアの周囲に透明の幕が張られ、炎の矢は幕に当たって霧散した。
「魔力防壁! クソッ! 全魔法詠唱キャンセルの噂は真実か!」
「お前、戦ったことないの!?」
「僕の『極限』経験はカジムに偏っているんだ!」
右手に握るたかだか数秒前からの相棒が熱い。……熱が、戻ってきている。
……あぁ、いい、いいよ。燃えろ、もっともっと燃えろ! 私の神経を焼き尽くせ! このまま燃え尽きることでしか救いを見つけられないのなら、私の全てさえ薪にくべてやる。
横跳びで崩れた態勢はとっくに戻っている。脚に力が入り、スキル光に覆われた私は自分の速度でミシェリアへ向かう。
早い!
昨日より早い! きっとステータスのおかげだ。装備重量を満たすために振ったAGIとORIが、昨日の私の残像を振り切る。
「まずはご挨拶!」
ファイ曰くの魔力防壁目掛けて剣を振るう。袈裟斬りは、心地いい金属音と共に弾かれた。かったいわね、これ!
ミシェリアがこちらを向く。顔は、見えない。出来損ないの三角帽にはところどころ穴が開き、けれどそこから表情を表さない。……そしてミシェリアのくすくすと笑う声が私の耳を衝く。彼女の杖がこちらへ向けられて。
衝撃。
しかし着弾点は私ではなくミシェリアだった。ミシェリアからの注目を外れたファイが、隙を見逃さずに大きな岩の塊を魔力防壁へぶつける。壁は砕けないが、衝撃は僅かに通るらしい。少しばかり態勢を崩したミシェリアの小さな隙。その間に杖の射線から逃げ出す。
ファイが攻撃し、ファイに注目が向けば私が注意を引く。そしてその逆も。防壁に阻まれ続けお互い何の傷も負わないが、けれど戦場は均衡を保っていた。
……だけど、相手は『極限』。禁忌に辿り着いた魔女だ。
「っ! 避けろ!」
私に向けた攻撃を、ファイが注目を変わろうとしていたところだった。防壁に色彩豊かな石弾が当たり……けれどミシェリアは態勢を崩さない! 時間はとうに三十秒を切った、ドライブ・ファーストの光は私の体から失われている。
杖の先端から予兆もなく光が、放たれて。
「甘いのよ、お前!」
それはダンスのように、その場でステップ大きめに反時計回り。左肩から秒針と反対に回る。回転ドアにいなされる人波のように、光球体は私の回転に付き合ってはくれない。光はひらりと躱した私の背後へ駆けていく。
回転の勢いを加えたまま、防壁に向かって横に薙ぐ。それは、やはり防壁を超えられない……!
「バカの矢に比べたら遅いわよ、『極限』!」
言い、強い言葉と裏腹に逃げる。いくら避けられるとはいえノーモーションの攻撃に注意を持ち続けるのは神経が持たない!
「シャオレン! 逃げろ!」
「なに言ってんのよ! お前が望んだ『極限』でしょ!」
「違う、もう一人の方だ!」
ミシェリア越しにファイが指さす。その先にはエル。そうだ、エルも近くにいた!
……『極限』戦は、乱入されたプレイヤーのHPが0になった時点で終了する。今回に限っては私かエル。
くそっ! また、まただ。また優先順位を間違えた。
冷や水を浴びせられたかのように熱が奪われ……けれど火は消えない。もう決めた。私の探求、誰にも邪魔させない!
ミシェリアが、杖を大きく空へと突き上げた。
「範囲攻撃だ! ミシェリアの前から扇状が範囲!」
杖が妖しく鳴動した。今までのミシェリアの動きの中で唯一といっていい予兆だ。戦ったことがないとファイは言うが、しかし情報は持っているらしい。ミシェリアの行動一つで次の攻撃を予測してみせた自称偉大な魔導士は危なげなくミシェリアの背後へ駆けていく。
エルを見た。動いていない……わけではないが、しかし遠くに逃げているわけでもなかった。戦場からさほど遠くない場所にエルは棒立ちしている。そこは、恐らくミシェリアの攻撃範囲。
同じく範囲に入る私が、遮二無二に跳ねる。ファーストダッシュ、ポイントによって強化された敏捷性がスキルでさらに加算され、弾丸のようにエルへと向かう。背後で轟音。どうやらファイが気を引こうと魔法を撃ち続けている。
エルの姿を数秒で捉えて、勢いを落とさず華奢な胴に抱き着いた。肩から着地、下になった私の体力を半分消し飛ばして、二人ごろごろと草原を転がりながら扇状、ミシェリアの前方より離れていく。
「エル! ダメージ!」
「ちょっと。だけ」
「着地分よ、我慢しなさい!」
私たちの目の前で、光が瞬く。それは空に浮かんだ多数の光球体だ。数えるのも億劫になるほどの光の玉がミシェリアの頭上に浮き、大地目掛けて降下していく。
爆ぜた。
とてつもない音だった。コンクリートを爆破しているかのような……暴力的な音。蒼白い光による破壊が草原を襲う。
顔に土が当たった。光に抉られた大地は、そのまま爆撃に巻き込まれて辺りに跳ね飛んでいく。残されたのは、扇状にくりぬかれたクレーター。
「クス.......クスクス......くすくす、くす......」
ミシェリアが、余裕を持った微笑み声を口ずさむ。
「……威力が高すぎる!」
「文句言ってたってしょうがないでしょ! エル! 攻撃が当たらなくなるまで下がってなさい!」
「うん」
「渡り鳥の飛剣」を強く握る。どうにかして防壁を突破しないと……! 何が足りない? 火力か? 頻度か? 条件か?
「ファイ! どうするのよ、こいつ!」
「どうしようもない! ミシェリアの防壁は突破されたことがないからだ!」
「はぁ!? クソゲーでしょ!」
ミシェリアによって強制的に作られたクレーターを、右回りに迂回する。ドライブ・ファースト。次の三十秒まで速度が加算された。
防壁を突破できない……? じゃあ、勝てないってことじゃない!
「逃げたほうがいいでしょ!?」
「そうだが、そうじゃない! ミシェリアは魔法を使いすぎると防壁を解く!」
「魔法を撃たせ続けろってこと!?」
「耐久戦だ! 死んでも避けろ!」
「魔女の隣でダンスを踊れってことね!」
「ミシェリアの攻撃は時間経過で密度が増す! 気をつけろ!」
「先に言いなさいよ!」
姿勢を低く、ミシェリアの裏に回るように動く。防壁の解除条件は魔法の使用過多……ミシェリアに、攻撃を誘発させ続けなくてはいけない。
「ねぇ魔女さん! お前、会話できるの!」
「…………クス、くすくす」
「会話する気はないってわけね、コミュ障!」
ミシェリアは笑いながらこちらに杖を向け魔法を放つ。それを、またギリギリで避ける。
「セット、ゼット、レッド! 『三つ並びの宝石、敵を穿て!』」
ファイが話す言葉に応じて、宙に三つの色が浮く。白、灰、赤。三つはお行儀よく一列に並び、ファイの合図で発射される。だが、それさえミシェリアの微笑みを崩すことは叶わなかった。
笑みと魔法しか返さないミシェリアに歯噛みする。……これじゃあ、『極限』に噛んだ意味がない。私はアンドレイと……答えを探す狩人と、話したいのよ。なら、こいつは……。
「ファイ! ねぇ、ちょっと!」
「なんだ!」
「こいつのことは任せるわ! 私はアンドレイに混じってくる!」
「待て! 僕一人じゃ捌ききれない! ヘイトが分断しているから今の均衡があるんだ!」
「私の目標はこいつじゃないのよ!」
「僕だって挑むならアンドレイがいい! だが、こいつがアンドレイと合流するなら、勝ち目が完全になくなる!」
「じゃ、どうすんのよ! 私達二人だってギリギリなのよ!」
「それは……!」
「ちょっと離れるの」
雷が走った。
* * *
雷光だった。迸る紫電、鋭い光の切っ先が、ミシェリアの防壁に衝突する。クレーターを作ったミシェリアの範囲攻撃、それとなんら変わらぬ爆音と共に、雷光は颯爽と現れた。
やがて光が掻き消えて。その中心から一人の少女が現れる。どこかの学園の学生服に身を包んだ、金髪を短いポニーテールにした美少女。その右手には、少女の二倍もの全長がある機械仕掛けの大槍が握られている。
「ヒロインは遅れて、参上! なの」
「ヘレン!」
雷光の主は意気揚々と、あるいは優雅ともいえる余裕でもって私のほうへ走る。雷光を防壁越しとはいえ受けたミシェリアは大きく態勢を崩していた。その機を狙って、ファイがまた色を宙へ浮かせていく。
「シャオレン、何してるの! ていうかなんで『極限』が二体いるの!」
「知らないわよ、勝手に出てきたの! ヘレンは何でこっちに!」
「シャオレンのHPが急に減ったから様子見に来たの。なんでミシェリアと戦ってるの!?」
「成り行き、よ!」
光球体が飛来した。私達目掛けて走る魔法弾、それを二人別々の方向へ飛び跳ねて回避する。撃ったミシェリアは笑みを崩さず、まだまだ消耗を見せない。
「ヘレン! 持久戦だ、ミシェリアに魔法を使わせ続けろ!」
「ファイ! お前、なんで……あ! 私たちをつけてきたの? このハイエナ!」
「今はミシェリアが先だ! 『雷音轟叫』もう一回使え!」
「命令しないの特攻兵! ……でも、いいの、見せてやるの、魔法改造武器!」
ヘレンが槍を構えた。穂先をミシェリアに向けるそれは、ヘレンとの大きさの差も相まって魔女が移動に使う箒を連想させる。
「…………『いなびかりを、とどろかせ』」
槍が、鳴動する。
機械仕掛けの穂先が割れ、中から隠された真の刃が現れる。持ち手の部分に赤いラインが光り、ズレる。全長が少し大きくなった。
隠された刃に埋め込まれた宝石。それが白く光り、雷光を生む。雷が穂先を中心に槍全体から滲み出し、ヘレンの体に浸透していく。
それは数舜前の雷光の再現だ。防壁に衝突した光の暴力、ミシェリアに対抗するそれにヘレンはなる。
「『雷音轟叫』……さぁ! 全速力でかき回すの!」
ヘレンが走る。速度は、異常だ。
瞬きの瞬間にヘレンが掻き消える。まさしく雷光、光の速度と見まごう速さでヘレンは草原を駆ける。
ヘレンが踏み込んだ大地が抉れる。速度の暴力によって一挙手一投足その全てに世界へ影響を与えるヘレン。それはファーストダッシュを使った私の速度を軽々と超え、この場の誰の速度域よりも上を支配した。
雷光の化身と化したヘレンが突貫する。穂先が、やはり防壁に阻まれ、金属音が草原に響く。対抗してミシェリアが杖を向けた。
しかしそこにはヘレンはいない。ミシェリアが杖を向ける、それだけの小さな攻撃動作さえ今のヘレンには遅すぎる。放たれた光球体は誰もいない、草に覆われた大地を抉るのみだった。
瞬きさえ遅すぎるほどの速度で、ヘレンはミシェリアの後ろへ回る。槍が振るわれ、背後からの衝撃に襲われたミシェリアは前のめりによろけた。目敏くファイが、ミシェリアの感知外より色を宙から落とす。
それは色とりどりの雨。カラフルな光球……いや、光る石、宝石? が宙に舞い、ミシェリア目掛けて落ち続けるそれは、ミシェリアの範囲攻撃のお株を買うかのように。
息もつかせぬ連携がミシェリアを追い詰める。雷光の線が四方八方からミシェリアを襲い、崩れた態勢をさらにファイが詰める。もはやミシェリアに反撃の一手さえ許さない、ヘレンの、魔法改造武器の力はそれほど絶大だ。
「…………これは、もう出番はないわね」
「ちょーっと、シャオレン、シャオレン!」
「なに……狂い?」
声がして、見れば狂いが駆け寄ってくる。極端に露出を嫌ったゴスロリ服は運動に向いていなさそうだが、しかしゲームの世界では関係がなかった。狂いが持つAGIが純粋に参照された速度で彼女は走る。
「……あれ! あれ見てください!」
「なに? 何か大変なの!?」
「あれ! 『雷音轟叫』! 起動ともども命名ボクなのですよ雷の音と書いて雷音でライオンと雷の音をかけふぎゅ」
「うるさい」
「ひっはらないでくらはい!」
うるさいボケの頬をつねって強制的に黙らせる。こいつ、緊急事態に!
「バカは?」
「大はしゃぎなのです! もうテンション上がりすぎてアンドレイ相手に押してるのですよ化け物なのです」
「そ。じゃあ、私アンドレイと話してくるから」
「はい…………え!? いやいや、何を言ってるのですか!?」
「アンドレイ戦に混じってくるって言ってんのよ」
「無茶です! 即死です即死! 言いますがアレェリスタだからソロで張り合えてるだけなのですよ、あれは!」
「死んだって二分の一で終わらないのよ。コイントス、強いほうなの」
「強いからこそ、今回引いたって線もありえるのです!」
「ボケ! ミシェリアちょっと足止めするの!」
ヘレンが雷と共に私達二人の傍に降り立つ。見ればファイが四つの石柱を出しミシェリアを囲んでいる。攻撃力があるとは思えないけれど……どうにも、ミシェリアは苦しんでいるらしい。
「ファイが全力で削ってる! そろそろ防壁解けるの! このままじゃ決め手に欠ける……バカの力がいるの!」
「押してたでしょ! 勝てないの、あれで!?」
「あんなの『極限』のオードブルみたいなものなの! ミシェリアは防壁二回くらい解いてからが本番! ……だからそれを、バカの力で押し込むの! 私がバカ連れてくるから御伽は足止めしてろなの!」
「でも、そうしたらアンドレイを止める人がいなくなるのです、どうやってアンドレイを止めるのですか……?」
「周りを使え!」
ファイがこちらを見ずに大声を張り上げる。視線をミシェリアに固定し、忙しなく手を動かしメニューを弄るファイが続けた。
「アンドレイに挑みたがっている奴らは大勢いる! そいつらに特攻させろ! どうせバカ以外は秒で溶ける雑魚だが、数がいれば多少は持つ!」
「お前……ファイ・ルット! お前のせいでボクは五百万損したのですよ、このウスノロ! お前が二人を巻き添えに自爆したりするから!」
「盤外の賭けなど知ったことか! さっさと手伝え『童話作家』!」
「う、ううぅぅぅ……! ヘレン! シャオレンをきちんと止めるのですよ!」
狂いが本を虚空から現れた本を手に取る。それは絵本だ。今日見たばかりの、きっとお手製だろう自作の絵本。それを開く。
「少し時間がかかります!」
「上等だ!」
「……『クロック・クロックとけいがくるり。一周まわってやさしく朽ちた。クロック・クロックしょけいのじかん。王様せわしくはりを進めた』……」
狂いの声が、不思議と耳を打つ。ファイの轟音、魔法改造武器の雷音、ミシェリアの爆音。音の嵐が溢れる草原のただなかで、何より小さいだろう狂いの音は他の世界に隔離されてしまったかのように、何にも邪魔されずに空間に刻まれる。
ヘレンを失い、ミシェリアの注目はファイ一人に向けられる。熱烈な視線を、こともなげに躱した。ノーモーションの光球体を危なげに横跳びで回避するファイは、回避と同時に僅かな反撃を加える。
「『クロック・クロックばんぺいごはん。ざいにんのおなかにパンはいらない。クロック・クロックさばきのつるぎ、しょけいにんが、まちかねる!』」
紡がれた詩、声は防壁を飛び越えて、直接ミシェリアへと届く。
『極限』が、動きを止めた。
「バインド、入りました! さっさと削りきってください!」
「ヘレン、急げ!」
「わかってるの!」
ヘレンが反転して走る。目指す先はアンドレイ。大はしゃぎしているバカを捕まえに行く。
それに合わせて私も走る。勿論目指す先は同じ。さぁ、アンドレイ。対話の時間よ!