『極限』遭遇戦 1 狩人狩りは草原を駆ける
『何故だ……』
叫び声の後、アンドレイは小さく呟く。重低音は空気を震わせ、プレイヤーの身体を否応なく緊張させる。
『何故泣く……我らが花よ……』
踏みしめる一歩は重く。アンドレイが足を前に出す度、世界が揺れると錯覚するほど。
『我らは……何か、間違えたのか……?』
一歩、また一歩。中心点よりゆっくりと、『極限』が動く。
『…………あぁ、星が、尽きぬ。夜が終わらぬ…………望む永遠よ、せめて眠れと、けれど……それを否定するのか、花……我らの果てはとうに辿り着いたというのに』
向かう先は、こちらだ。私とエルのほうへアンドレイは歩を進める。…………『極限』は、初めてフィールドに出たプレイヤーに確定で乱入する。今この状況で、それが働いているというの?
『何故だ……何故、お前は泣く……』
風が駆けた。
歩くアンドレイ。向かって一陣の風が吹いた。それは移動の随伴、人体が空気を裂いて動いた証だ。アンドレイがもたらした緊張と静寂を破って、ただ一人のプレイヤーが奔る。
「アンドレイぃいいい!!」
『……祈りは、神に届いたのか?』
激突。駆けたアレェリスタが、ステンドグラスを思わせる意匠の、赤と青一対の双剣を振るう。アンドレイはそれを見て、けれど避けるそぶりさえ見せない。右手に握る大仰な大剣……いや、あるいは鉈と言うほうが近いだろう肉切り包丁を何倍にもしたような刃物で受ける。
耳に障る金属音が鳴って、アンドレイの歩みが止まる。
『極限』に焦がれた者が、『極限』を睨みつけ、そして好戦的に笑った。
「ああ、会いたかったよアンドレイ! 何故? こちらの台詞だ、六都市内には出ないんじゃなかったのか……ははっ、いや、そんなことはどうでもいい、どうでもいいんだよ」
『…………竜の「同体」……お前に、用など』
「俺にはあるのさ! お前を討つ理由がね!」
双剣が閃く。赤と青の剣閃が瞬き、右から、また左から、時に正面に。変幻自在の斬撃がアンドレイを襲う。
しかしアンドレイは動じない。大鉈を軽やかに扱い剣閃を受け、そしてそれは実にゆっくりと……あるいはあまりに動作がなめらかだからそう見えただけなのだろう……一歩、後ろに下がった。大男一人分の空間を開けて、受け止められなかった斬撃が空を切る。
大鉈を振りかぶり。
大きく空に上げられた大鉈が、振り下ろしただけで人を殺せるだろう重量を持ったまま大地に叩きつけられる。
地面が揺れた。
……いや、錯覚だ。実際には揺れていない。けれど、そうであっても全くおかしくはない一撃だ。振り下ろしを寸前で避けたアレェリスタは、けれど動けない。避けた姿勢のまま草原に膝をつき、叫ぶ。
「短時間のスタン付与! ははっ、高難易度ボスらしいな」
『逝け』
「いいや、終われないさ、こんな序盤で!」
迫る大鉈を、また避ける。文字通りの紙一重、ギリギリの見切りだ。声と同時にガラスが割れたような音が響く。
「略式ASポーション……ああ、準備不足だが、この程度はね!」
『枯れ棺』
地面を蒼の植物が這って、それはアレェリスタの足元に集うと同時に飛び跳ねた。茨の蔓が幾重に折り重なり、蒼い棺となってアレェリスタを拘束する。また、大鉈を振りかぶった。
しかし拘束はすぐに破かれる。植物を食い破って、現れたのは銀色に鋭く光る槍だ。赤と青の双剣はもはやアレェリスタの手の内になく、銀の槍が蔓を破ると同時にアレェリスタは棺より飛び出す。その穂先は迷いなくアンドレイへと向かう。
またもや激突、銀が、大鉈とぶつかり合って金属音と火花を散らす。
「どうした! その程度で『極限』か!」
『……「同体」……お前は答えを、出せるのか?』
「君の敗北という答えならね!」
* * *
「シャオレン! エル! さっさと下がるの!」
「ヘレン、狂い! バカ一人で大丈夫なの!?」
「大丈夫ですよ、この瞬間のためにゲームをしていたような人ですから……それより、恐らくお二人のどちらかが死亡すればこの『極限』戦は終了します。くれぐれも細心の注意でいてくださいね?」
「死なないんじゃなかったの?」
「HPが0になると同時に『極限』が去り、装備破損やHPが元に戻る、というだけです。だからひたすら逃げ回らなければいけないのですよ」
「ま、その心配もなさそうなの。バカが大はしゃぎで相手してるから。それよりクエスト受けるといいの。結構割がいいの出てるの」
「クエスト?」
言われるがままメニューを開く。そこには確かに緊急クエストと名付けられた文字が躍っていた。『コックドゥルの避難』『モジュの生庭再建計画』『活発魔物討伐依頼』……どれもこれも、このモジュの生庭を中心としたクエストだ。
「どうやら『極限』に合わせて追加されたクエストのようです。運営は最初から『極限』を乱入させるつもりだったのでしょうか、しかしそれにしては何の示唆も……?」
「とにかく、それなりに報酬がいいクエストが出てるの。コックルの避難くらいならヒヨコ狩りの要領で出来るみたいだから、やっておくと効率良いの」
「お前たちも受けるの?」
「いいえ、ボク達は観戦に行きます。いざという時の準備もしておかないといけませんから」
「あのバカのソロ攻略に付き合って『極限』見逃すほうがバカらしいの。シャオレン、エル、くれぐれも死なないように、なの」
「わかったわよ」
「うん」
二人はモジュの生庭、その中心点に走っていく。ぽつりぽつりと、二人に釣られて幾人かが同様に走った。『極限』、高難易度ボス。あるいはアレェリスタ以外にも攻略しようと考える人は、きっと少なくないだろう。今は呆気に取られているだけで、少しすれば参戦を求めるプレイヤーはアンドレイに挑むはずだ。そうなればアレェリスタのソロ攻略は難しい。なにせここにはそれなりの人数がいて、アレェリスタが戦っているのは個別フィールドではない。乱入なんていくらだってできるだろう。
……でもそれは私には関係ない。突発的な『極限』乱入は誰もが予想しえなかった事態だ。私に責任があるわけじゃなくて、だから誰にも文句は言えない。
「エル、クエストはどうする」
「まかせる」
「……って言われてもね」
緊急クエスト、その一覧をざっと見る。それは『極限』乱入によって荒れたモジュの生庭の平定を目的としたクエスト群だ。突然の『極限』に驚き暴れる鶏とヒヨコを避難させ、活発化した魔物を討伐し、暴れまわるアレェリスタとアンドレイの尻ぬぐいのために草原を修復する。確かに提示された報酬はそれなりに、コックルを追い回すよりも数倍いいものが揃っている。
…………だけど、どこか集中できない。原因はわかっている。アドハだ。
君が死んだらまた会おう。きっとすぐに違いないけどね。
彼の言葉が脳内を伝う。
モジュの生庭にはもうアドハの姿はない。彼は言葉を残したまま綺麗さっぱりと消えてしまった。……意味深な言葉を羅列するアドハ。あれは果たしてプレイヤーなのか、それとも噂の人と見まごうAIなのだろうか。
アドハは何かを知っていて、その知っていることの中には私自身のことも含まれている。
…………PMギアは思考を読む。思考をトレースする拝領品を持っているならば、確かに私が何を考え、何を思い、救いを求めて仮想現実に来たことを知っていてもおかしくはない。……誰かに匙を投げられて、それで終わりと思いたくないからここにいる。それは、確かに的確だった。
だけどアドハは『極限』が乱入してくることさえ予測していた節がある。『天魔』、『無形』……わからないことばかりだ。
そうして、熱が冷めていく。
それは幾度となく覚える錯覚。私を突き動かす熱が、脊髄に、脳に収まって体そのものが冷えていく感覚。
離れた、と思った。『極限』に挑む、私は確かに餌でしかなかったけれど、それでも確かに一つの流れの中にいたと、そう思えていた。だけどそれは『極限』乱入によって消えてしまう。『極限』と遭遇した今、私の価値はなくなった。
私の手から『極限』というカードが離れていく。残ったのはちっぽけなシャオレンというアバターだけだ。……あるいは、これが本来の姿なのかもしれない。自分のアバターだけでこの世界を旅する旅人。
これから私は、ゲームをするの? シャオレンのレベルを上げ、装備を見繕い、仲間を誘ってボスを倒す。真っ当に楽しくて真っ当に苦しい、そんなゲームを……そんなゲームをするために、ここにいるのか?
違う。そうじゃない。私は、楽しむためにこの大地に立っているわけじゃないのよ。
反射的に覚えた反抗が、いつの間にか俯いていた顔を上げさせる。……そうだ、この世界に順応するためにいるんじゃない。私は救いを探しに来た。現実に存在しえない救いを、それでも探すためにいるんだ。……アバターも、拝領品も、PMギアさえそのためだ。仮想現実の全てを使って私は私の救いを探す。
視界の先ではアレェリスタとアンドレイが槍と刃物を交わらせている。どちらもまだ余裕を見せ、HPは減っていない。そしてそれを取り囲むように幾人かが立っている。アレェリスタ贔屓のプレイヤーか、それとも激しい戦闘に入り込む余地がないだけか。少なくともタイマンに入り込もうとする意志はない。
答えが欲しいと叫ぶ狩人。アドハの言葉がアンドレイを指すなら、それはまさしく私と同類だ。彼は何を思い、何の答えを探してこの庭に降り立った? わからない……わからないなら、聞くしかない。
「…………エル。クエストは取り止めよ」
「うん」
「私は『極限』と戦いに行く。エルは自由にしてて」
「……………そ、れは」
エルが少し俯いた。珍しく表情を僅か崩す。
「約束。やぶるの?」
「約束は『極限』権をアレェリスタに渡すだけよ。戦闘に参加するなっていうのに同意した覚えはないわ」
「さっき。ヘレンに、わかったって」
「死なないように、でしょ。死にに行くつもりもないわよ」
手を握って、開く。アバターに一切影響を与えないウォーミングアップは、しかし私の精神に熱を灯らせる。体中を冷やしていた熱が、にわかに華氏を取り戻していく。
「かてない。よ」
「勝つとか負けるとかじゃないのよ、やらなきゃいけない。諦めれば、きっと私はもうこの世界にいられない。匙を投げるのは簡単で……でも、匙を投げたら、死んだ患者が残るだけなのよ」
「っ!」
表情を揺らした。明確に恐れとも怯えとも取れる表情を、エルは浮かべる。
「あれはアレェリスタの獲物で……私の獲物よ!」
「よく言った。その言葉を待っていた!」
声が隣から降ってきて、見ればそこには一人の男が立っている。乳白色の髪に、固い表情のままこちらを見つめる。どこか、見覚えがあるような……。
「『極限』の乱入とは参った。準備段階でちょっかいかけるつもりだったが、こうも性急にとは。自分の運を呪ったが、しかし僕はまだツいてる」
「……誰よ、お前」
「僕か? 一度会っただろう、そうファイ・ルット、偉大な魔導士だ。バカ傭兵より俄然役に立つぞ、僕は」
「…………あ、ハイエナ!」
「酷い言い草だな!」
「何でここに……いや? お前、私達をつけてきたのね?」
「それが?」
悪びれもせずに青年……ファイ・ルットは答えた。こいつ……乞食以下ね!
「『極限』は全プレイヤーの夢……は言いすぎだが、戦闘に主軸を置くなら誰もが討伐してみたいと願うものだ。だが、フィールドでランダム遭遇する以外で会おうとすれば初心者の確定乱入を利用するしかない。わかるかな、君の価値は君が思うものよりずっと高いんだ」
「でも、それは泡に消えたわ。私の『極限』権は消費された」
「君たち二人のどちらか、だろう? 『極限』権を持つ二人が同時に存在するなら、どちらの『極限』権が使用されたのかは定かじゃない。乱入したプレイヤー目掛けて『極限』は襲ってくるから、二手に分かれてアンドレイに襲わせれば確定するが」
「…………つまり、私の価値はまだ死んでない?」
「そうだ。だから言おう……僕が、君の『極限』を手伝うと」
「…………ふん。だから、残った一つを差し出せと?」
「ああそうだ。もしくは装備を整えた後で君たちと一緒に挑んでもいい。どちらにせよ、僕も『極限』を攻略したい」
「約束、破りたいわけじゃないのよね、私。お前がいなくても戦いに行くつもりだったし」
「なら簡単だ。僕とアレェリスタを戦わせてくれればいい。僕が直接バカに話をつける」
「…………ま、言いたいことも、それなりにあるけれど」
「僕は今日、君を手伝おう。代わりに君はバカに僕を会わせる」
「オッケーよ、それで。……それじゃあ、さっそく一つ」
「なんだ」
「武器出しなさい。丸腰なのよ、私」
「…………契約解除、打診しても?」
「残念クーリングオフは受け付けてないの」
顔をわずか歪ませて、ファイはメニューを操作した。ついでシステム音が鳴る。フレンド申請と、それから贈答品だ。一定以下のレアリティの物は、無償で他人に贈与できる。
申請を受け取りプレゼントを開く。同時に手のひらに片手剣が収まった。それは刀身を鈍い金属色に光らせた、舞う鳥をイメージした装飾で飾られた剣。
「『渡り鳥の飛剣』……イベント配布品だよ。僕は魔法職だ、あんまり強い近接武器はない」
「十分よ。あいつを殴れる分さえあればね」
装備したとたんにシステムが警告音を吐き出す。要求ステータスに足りていない……けれど私には三十を超えるポイントがあった。二十のポイントをSTRとAGI、DEXに振り要求と装備重量を満たす。残った十と少しを、ORIに振った。ORIが調べた通りなら、多少は私の力となるはずだ。
「準備はいいか? さあ早く行くぞ」
「せっかちね、急がなくても『極限』は逃げないわよ」
「これは争奪戦だ。僕たちが乱入すれば、機会を伺っていた他の奴らも乱入する。そうなれば泥沼、『極限』どころじゃない……人が増える前に、さっさとバカから奪い取る」
ファイは真剣な眼差しでアンドレイを……いや、アレェリスタを見た。この二人の間にも、なにか因縁があるのかもしれない。
振り返る。エルは草原に立ち尽くしたまま動かない。
「エル。これは私の勝手な行動よ、お前はお前の好きに。クエストでも何でもね」
「…………うん」
「ヘレンの言う通り、死なないように、ね」
「うん」
「それから私は、まぁファイに頼ったからアレェリスタの支援受けられないかもだけど、お前の分はきっちり出させるわよ。それでいい?」
「…………あの」
「え? ダメ?」
「空」
「え?」
「歪んでる?」
エルが指さしたのは私達の真上だ。私の背後の空、というか真上の空、といえばいいか、どちらともつかない高さの夜が、歪む。
…………それは、少し前に見た光景だ。
世界が歪む。星が位置を変え、黒が歪にねじ曲がり。
そして世界が割れる音がする。蒼がまた堕ちてくる。
今度は女だ。大きい……とはいえ、アンドレイほどではないが、しかし二メートルはある。黒い線を渦上に巻いて出来上がったかのような三角帽に、モノクロで仕立て上げられたワンピース。それらを真っ白のローブが覆い、亡者の手を折り重ねてたかのような杖を右手で掲げる。彼女の緩やかな微笑みと声が半径数メートルに漂った。
それは、まごうことなき魔女の化身。
ファイが叫ぶ。
「ミシェリアっ!!」
「二体目、ってわけ!」
ファイが私を突き飛ばし、私もまたそれに合わせて態勢を整える。反転した私達と相対するは禁忌に辿り着いた魔女。
剣を構え、ファイが杖を取り出す。ミシェリアもまた、その独特な杖を私達へと向けた。