そして蒼がやってくる
平均六匹のコックルを捕まえるミニゲームを繰り返すこと五度。合計三十匹のヒヨコと二度のアドハの命と引き換えに猛烈な勢いでレベルが上がった。何と十二だ。目標レベルを二つもオーバーしてしまったが、ステータスポイントを割り振っていないので、今のよちよち親に習って狩りに出かけ始めた程度の成長をしたシャオレンはレベルが十一も下の生まれたての小鹿時代のシャオレンと何ら変わりがない。成長を選べるというの利点であるけれど、自分で選ばなければ成長ができないことも意味している。
「ははははは! その程度の攻撃でダメージを受けるのは三流だよ!」
「さぁ! さっさとその臓物、さらけ出せなの!」
「ふんふふふーん。『カチカチとけいが音を立て、けれどもあなたはあしを止め』! いやぁデバフが通りやすいと全くカモですねぇニワトリですけどぉ!」
「「うわつまんね」」
「辛辣ですねぇ!?」
最上級ステージで七階トリオが大騒ぎしている。イベントステージはやはりパーティー単位の個別フィールドに割り振られるが、ステージから離れてしまえばこうして参加しているパーティーの動きを見ることができる。最上級ステージやスコアランキング上位者が優先して表示されるそれは、参加者の自己顕示欲を満たすとともに上級者の動きを参考にしろと言う思し召しなのだろうけれど、こうしてテンションが上がったバカたちが大騒ぎしているさまをひたすら公開し続けるというデメリットを含んでいた。
…………何が嫌かってあいつらのファンらしき連中が、それこそ喧嘩と聞くやいなや七階にすぐに集まった、あの歓声の主らしい連中共が喜んでいるのよね。それに単純に喜んでいるだけでもなく、狂いのファンらしき連中はバカとアホに嫉妬の目線をしているし、アレェリスタに対する黄色い声はヘレンを写す多数のシャッター音を鳴らす連中と口喧嘩している。あいつら、地獄を引き連れないと生きていけないの……?
モジュの生庭、そのイベントステージと待機ロビーとを分ける簡素な柵に体重を預けている。右隣にエル、左にアドハ。ステージギリギリを攻める鶏がいたなら被害にあってしまいそうだが、システムはある意味無慈悲に、たかだか数ミリでもイベントステージの外ならば一切の影響を与えない。
耳が歓声を捉える。鼓膜に響かない音声は理不尽に脳へと直接音声を刻み込んでいく。この世界から難聴は排除され、音に対して反応するかどうか、プレイヤーの脳の出来が全てを決めてしまう。
歓声の元は、やっぱりあのバカ共だった。聞こえてくる声から推測れば、どうやら最高スコアを叩き出したらしい。声を引き連れ、人波を割りながらの凱旋でこちらへと向かってくる。
「やぁ、どこまで上がったかな?」
「十二よ、エルは十三。十分な成果でしょ?」
「まぁそんなものなの。ステは何振りしたの? 魔法改造武器使うならMPとBURにそこそこ欲しいところなの」
「え? 魔法改造武器使うんですか? ……あぁでも、使うこと前提で最初からステ振り考えれば強いのですかね?」
ヘレン達が会話を続ける。無口なエルについては、会話に入ってこないのは多少慣れたのか納得しているのだろうが、しかし彼女らはアドハを無視した。そのことに、何処か違和感を覚える。意図的に無視している、というよりは、まるで私の左に誰もいないかのような……。
「……残念ながら何にも振ってないわよ。レベル一と同じステータスのままってわけ」
「攻略情報見て決めるタイプか? シャオレンのスタイルならAGIぶっぱだと思うがね、俺は」
「どっちかっていうとORI極振りな気もするの。そんな地雷いたら絶対野良で誘わないけど」
「何それ。ゴミ押し付けないでくれる?」
「ゴミではないのですよ? 限りなく廃棄物に近い何か、と言う感じでしょうか。器用貧乏から抜け出せませんからね、ORIは」
「万能って言うと聞こえがいいぞ、事実何でもできるからな」
「何にもできないの。けぇーっきょく、専門ビルドには一切敵わないソロ専ビルドだし」
「そもそも武器がないのよ私。エルと合わせて初期装備だし。さっさと貢いでくれないお財布?」
「武器がオモチャだろ。ステまで振ってないなら武器決めてからステと防具考えたほうがいい。装備重量があるからな」
「ふぅん。何よそれ」
「重すぎると動きが鈍くなる、と言うやつですよ。装備重量はSTRとAGI参照で上がりますから、どれくらいの重さを装備するかで最低限のSTRとAGIを決めるのですよ」
「なんていうか、いちいちめんどいわね、この世界」
「それが楽しいというものですから、MMORPGは。ステータスに一振るだけで延々と悩み続けるゲームですよ、これは」
「否定はしないけどね……」
それでも合う合わないというものがあって、私はどうにもそういうのが苦手だ。全部満遍なく強い最適解を選んでいたいと思うが、けれど一長一短をよしとする世界で突出して安定した強さは許されない。何かを諦めなければ何かを掴めないのだから。
意気揚々と自己ベスト更新に向かった狂い達を視界で流しながら、イベントにかこつけて屋台を出しているプレイヤーから購入した中華まんを食べる。あんまん。甘いものは苦手と言うほどでもないけれど、さして好きでもない、と思うのはどうにも昨日のシェイクの過剰な甘味が脳に残っているからなのだろうか。あんまんの餡子はシェイクと比べて比較的落ち着いた甘さを脳に届けれるけれど、それにしたって甘いものは甘い。
どうでもいいけれど中華まんってコンビニか高級料理店かの二極化よねと話を振ればアドハは首を傾げた。
「君、考えること多いね」
「余計なお世話よ、ていうか何考えてるのかなんてわからないでしょ、お前」
「どうかなぁ、PMギアが思考を読むんだぜ? そういった拝領品があってもおかしくはないよね」
「おかしくは、ね。……他人の思考を読むだなんて地雷、当たった人がかわいそうだわ」
「そう? 定番の強能力じゃない?」
「他人が何を考えているかわからないから、私たちは誰かと一緒にいられるのよ」
もし他人の思考がわかってしまったなら。他人が自分をどう思っているのか理解してしまったなら、それはきっと地獄のようだと思う。誰もがみんな、誰かを純粋に好きでい続けられないのだから。誰かを完全に理解することは、その誰かの好きと嫌いを把握することに違いない。
隣にいる誰かの考えを完全に理解したい。それは、わかる、わかってしまう。遠く、昔の私ですら望んだありふれた願いだ。
だけど人は醜くて。理性を取り払えばそこには獣の顔しか存在しない。人間は理性によって形作られた二足歩行の獣で、だからその欲望は屈折する。本能だけの内面はあまりに直視しがたい感情のるつぼだ。あるいは、よく言われる三大欲求だけの獣なら、まだ見てくれは良かったものを。
食べて、寝て、子を為して。それだけで生きていけたなら、こんな仮想現実だなんて全く、必要なんかじゃなかったのに。
……誰かと一緒にいたいと思う、それさえ、欲望によって捻じ曲げられた本能だ。それは愛と呼ぶものだろうか。そうだとすれば、愛さえ捻くれた欲望の産物、唾棄すべき醜悪なのか。
ま、とアドハは相槌を打った。それもそうなのかもねと返す言葉は空気より軽い。
「匙を投げる。知ってるかい?」
「ことわざ? 諦めるとかそういう意味でしょ、多分」
「そうそう。あれはね、医者が調剤用の匙を投げ出すことからきているんだって。もうこれ以上治療しても無意味だってね。……さて、じゃあ僕も匙を投げてみよっかな」
私が買ったあんまんと同じ料理屋台で購入したスープを自分の口に運んでいたスプーン。それをアドハは空へ放り投げた。
「不法投棄」
「この世界でゴミは出ないのさ」
言葉通り、スプーンは地面にぶつかると同時に光に帰った。所有権の放棄……いや、単純に捨てるという選択を取ったのだろう。この世界は酷く無常に、持ち主に要らないと命じられたモノは光の粒子になるしかない。
「匙を投げる、こんなにも簡単だ。諦めるのはいつだって自分の思考一つでできる決断だから。でも、匙を投げたって問題がなくなるわけじゃない。ここには飲まれないスープが残って、医者の手元には死んだ患者だ」
アドハがスープが入った器を掲げた。それなりに深さを持つ手のひら大の容器には、半分程度残された黄金色の液体が揺れている。
「残った問題はどうしたらいいと思う? 簡単さ、見ないふりをすればいいんだ。このスープはインベントリに入れてしまえば他人の目に触れない。メニューから廃棄すれば誰にも知られずに捨てられる。死んでしまった患者なんてもっと簡単、遺族の前で手を尽くしましたが救えませんでしたと一言言えばいいだけだ。でも、それは匙を投げた側の問題だよねぇ?」
「…………なぁに? お前の自分語り?」
「自分を語らないと他人に認めてもらえないぜ、シャオレン? ……例えば、どうしようもないと誰かに匙を投げられて、じゃあ匙を投げられた側はどうすればいいんだろうね?」
「どうもこうもないでしょ。諦められたら、そのままでおしまいよ」
「そうだね……きっとそうだ。でも、そう思いたくないから、君は仮想現実にいるんでしょ?」
「………………お前」
「少しだけ教えてあげる。ちょっと疑問だったでしょ? アレェリスタ達がなんで僕を無視して会話を続けたのか。答えはね、彼らに僕のことは見えていないから。僕の姿を見ているのは君とエルだけだよ、きちんと存在してはいるんだけどね」
じゃ、ね。シャオレン。まるで明日も会えることがわかっている学生同士の挨拶のような気楽さで、アドハは口ずさむ。
「君が死んだらまた会おう。きっとすぐに違いないけどね」
ぽん、と音が鳴ったかと思うほど軽やかに、アドハは腰かけていた柵から飛び降りた。柔らかく地面に着地した体がすぐさま姿勢よく戻る。
「不吉なこと言って逃げないでよ、お前、一体だれ」
「忠告してあげる。前例がないってことはね、未来が不確定だってことだ。……そして、『極限』の手綱は握られていない。……ここで僕は二度死んだ。『天魔』の領域で『無形』の化身が二度現れたんだ。……ほら、世界が剥がれる音がして、永世未終教会がやってくる。答えが欲しいと叫ぶ狩人、君はあれを見て、何を思うかな?」
「意味わかんないわよ、専門用語じみたこと羅列するのやめなさい!」
「ほら、君の後ろ、見上げてごらん」
ゆっくりとアドハは私の後ろの空を指さした。暗い夜、基本的に現実時間とリンクしているアルプロの空は地平線の隅っこに群青を追いやった黒をしていた。
そして、空が歪んだ。
黒が歪む。黒のキャンバスに撒かれた大量の砂金のように輝く星たちが、その位置を歪つに変えていく。
渦だ。空の一部分、モジュの生庭、その中心点の空の一角に渦が現れて。
世界が割れる音がして。
そして蒼が降ってくる。
渦の中心から一人の大男がモジュの生庭に降り立った。初期装備に似た黒いローブ、けれどそれはボロボロに擦り切れて、革だろう材質は怪しげに光る。目深に被られたフードが顔を隠し、身体を覆う狩人衣装はモノクロにまとめられている。背は高い。遠くの目測だけれど、恐らく二メートルは余裕で越えているだろう、それは等身大の人間を超えた威圧を生まれ持っている。
そして彼は蒼を纏っていた。壊れた空からおかしな、世界の破片と言うべきものが宙に舞って、その奥から蒼く光る花が湧き、彼の足元を妖しく光る青い植物が這っていく。
誰かの息を呑む音が聞こえた。イベントエリアにいる誰もが、突然の事態に動けないでいる。
大男は辺りを一瞥し、無言で一歩踏み出す。
また、ここにいる誰かが叫んだ。無言で作られた静謐を否応なく引き裂いて、イベントエリアにいる全てのプレイヤーへと声を届ける。
「…………アンドレイ!!」
空から堕ちてきた『極限』は、呼ばれた名前に呼応するように、獣のような叫び声を上げた。