極限災禍、うつつに見るのは 3 生は平等、死は平等
黒い、暗い。
「……どこ?」
見渡す限りの黒は平衡感覚を消失させる。立っているのか座っているのかわからないまま、ただ、わたしという存在だけがぽつりと黒の世界に浮いている。
……あたまがいたい。
「何があったっけ」
思い出せない。思い出さなくちゃ。何を? 何で? 自問自答が空回る。
……あたまが痛い。
夢の中にいるかのようで、現実を手に掴んでいるかのよう。真黒が包む世界はわたしの背筋を凍え、温める。奇妙な落ち着きと焦燥感が身体の中で食い合っている。
……頭が痛い。
外に、出なくちゃ。
外があるの?
歩かなきゃ。
どうして?
目が冴えてる。
また目を瞑ろう。
もう目覚めてしまった。
ここならまた眠れるかもしれない。
わたしの身体が腐らない。
「クルっ」
「……?」
響く。音、それとも声? わからない。ただ脳に反響して刻まれていく。
黒だけの世界で、目が合った。世界と同じ黒い身体。境界線さえ溶け出すそれを、なぜだか知覚できている。
一つの目、生える角。四足歩行の小さな体。わたしはそれを見たことがない。
わたしを見つめるそれが踵を返す。黒の中へ歩いていく。足跡が、漆黒に鈍く光る。
クルルっ。
動かないわたしを急かすように啼く。……あれ、表情も見えないはずなのにどうして急かしているとわかるんだ?
「ついてこいってこと?」
「クールル」
それがまた歩き出す。反射的に動いた一歩は羽のように軽く、その軽さに自分でも驚きながら、わたしたちは黒の世界を泳いでいく。
* * *
「よし、分断成功。犬、そっちでカジム受け持つの、こっちは私とシャオレン!」
「おおおおおおッ!」
戦場に響くは男の声。吹き飛び地面を転がる顔なしへと影が飛ぶ。炎の髪を振り回し、少女が漆黒の大剣を振るう。果たしてその一撃は顔なしの首へ。
「カノ君!? おーい君はこっちだよー!?」
「あいつ、イグゼキュート持ちのくせに!」
大剣がカノンの激情と憎しみのまま幾度も叩きつけられる。一振りごとに肉が裂け、赤くない血潮が散った。少女の顔が返り血で濡れて、それさえ気にせずカノンは止まらない。
『GYAAAAAAッ!』
咆哮。身体を大きく震わせて、顔なしが立ち上がる。驚くほどの俊敏さでカノンの間合いを外れ、相対する。
「吐きだせ、腹を!」
『GYAAッ!!』
「碧鎖『四縁迷路』!」
青の鎖が飛び出した。カノンの腕より、勢いそのままの四つの鎖は顔なしの身体を捉え
絡まる。けれど顔なしを抑えきるにはどうしようもなく膂力が足りない。
顔なしが口を開く。カノンへ迫る牙。迎え撃つようにイグゼキュートの断罪を握りしめるカノンを追い越し、雷の速度が顔なしの横っ腹を蹴り飛ばす。衝撃に碧鎖が反応し、光って弾けた。
「こらイノシシ! お前はカジム担当! こっちは私とシャオレン、さっさと向こうへ行くの!」
「知ったことかッ!」
顔なしの反撃。振るわれた左脚をヘレンは事もなげに避ける。『雷音轟叫』を握るヘレンの速度に叶うモノはもはやこの戦場には存在しない。
「ふっ!」
走り、カノンの頭上へ落ちてきた蝙蝠擬きを蹴り落とす。地面に叩きつけられたそれに刃を突き刺せば、肉を掻き分ける嫌な感触。剣が血潮で濡れる。
もう増援が湧いてきた……!
天を埋め尽くす蝙蝠擬きと、アドハ曰くの銀河サイズ一つ目蝙蝠。『天魔』の『神至災禍』に消耗の概念はなく、蝙蝠擬きをいくら屠ったところで結局はジリ貧に陥るだけ。湧いて出てくる有象無象に構う余裕なんてどこにもない。
触媒を砕く。既に使い切った透過が光の剣へと変容する。
……スターアフロが来た。十中八九アドハの手引き。なら、耐え忍ぶ時間はあとちょっと!
深く踏み込む。スキルが絡まる足は容易くシャオレンの通常速度を超過して、顔なしの元へと私を運ぶ。
「ヘレン!」
「わかってるの!」
迎え撃つ前脚の薙ぎをヘレンが速度のままに叩き、潰す。キャンセルされた攻撃がわずかな生んだ僅かな隙に、スキルで光る剣が三度閃いた。地面に落とされ右前脚の付け根を斬り刻む。
『GYAOOOOOッ!』
光剣の追撃。傷口をさらに抉り取る。……怯んだ!
間髪入れずに一歩前へ。振るう、振るう、振るう振るう振るう。思考さえ止めたまま、ただ剣を右前脚の付け根、広がる傷口に重ね合わせる。
攻撃を援護するように背後から飛んできた鎖が私を追い越し顔なしの足へ。二本、青と黒。それごと叩き斬ればそれぞれの色に光って散る。
神様の手から外れた災禍の獣。光とならず世界に溶けない。仮想現実こそが自らの生くる場所だと証明するように彼らの肉体があった。だから私でも攻撃が通る。ステータスが存在しない血肉は神様の加護を得られない。HPが無い存在は斬られた傷をHPバーの減少という形で示さず、攻撃の結果をVITによって軽減できない。ただ流れた血によってこそ世界に刻む。
とにかくゲーム的に貧弱なシャオレンにとって、カジムよりも好都合……!
また、声が劈く。鼓膜を伝って顔なしの痛みと怒りが脳を揺らして、私の上に影がかかる。それは顔なしの口腔が落とす黒。私の上半身を食い千切ろうと迫る鋭利な牙を、蟲の口じみた大槌が弾いた。
「みどりいろのゆめをはみ」
紡がれた言葉が、大槌から緑色の雷光を迸らせる。弾く勢いのまま一回転するヘレンに従って回る『緑夢暴喰』が顔なしの口を横から殴りつけた。
破砕は肉を叩く音を伴って、暴力のままに折られた牙が飛ぶ。
「緋鎖、六条連環!」
赤い鎖が六本、倒れ伏する顔なしの右前脚へ。もはや肉が見えないほどに緋色に染まる前脚へ、漆黒の大剣を携えたカノンが走る。
「『クリムゾン・セブン』ッ!」
剣は神様の光を纏う。それは美しい緋色の閃光。同色の鎖を断ち切り、スキルの光を増大させながら七つ、舞う。
一つ、右へ薙ぐ。二つ、翻って左へ。三つ四つに斬り下げと斬り上げ。顔なしの右脚の肉はもはや中ほど抉り取られている。
五つ、突く。六つ、傷口を広げるように斬り上げる剣は跳ね、天頂を指した。美しい緋色が線となって軌跡を照らす。
「落ちろぉおおおおおおおッ!!!」
七つ、振り下ろす。
顔なしの脚が大剣によって斬り、断たれる。
『GYAAAAAAAAッ!』
悲痛が響きわたり、支える脚の四分の一を分かたれた獣がバランスを崩し倒れる。
「そのまま死んでろ、なの!」
無慈悲に振り下ろされる槌が叫ぶ口を物理的に閉じさせた。
私も振るう。強靭な筋肉によって構成される首は確かな硬さで、薄皮を撫でるようにしか斬れないけれど、それでも確かに血潮を撒き散らせていく。
「カノン、首!」
再度、『緑夢暴食』。横たわる口だけの顔を叩く。デバフが混ぜ込まれた緑雷が顔なしの身体を駆け巡る。同時に時間制限によって私の星纏いが消える。気にすることも無い。後はただ斬り刻むだけ!
私の声に、呼応したカノンが武器を掲げる。薄く斬られた傷跡に重ね合わせるように斬れば、私よりも遥かに多いステータスに物理的な刀身の差。大剣は軽々と首へめりこんだ。
「さっさと吐き出せ……!」
「っ、カノン、上!」
落ちてくる蝙蝠擬き。速度は隕石のようで今度は迎え撃つ暇もない。蝙蝠擬きがカノンへ体ごと当たって吹き飛ばす。地面を転がるカノンは力のまま蝙蝠擬きを引き剝がすと地面へ叩きつけた。
「シャオレンも! 気を付けるの!」
伏した顔なしへの注意を上空へ向ければ、降りてくる蝙蝠擬きの数は完全に元へと戻っていた。際限のない落下は、ただ、ひたすら生きているものへ向かう。生物の弾丸は確かな密度で降り注がれた。
今がチャンスなのに!
それでも無視して死んでしまえない。仕方なく握る剣で迎撃を始める。同じくヘレンが槍を握った。肥大する速度が蝙蝠擬きを瞬殺していく。
「ああもう! シャオレン、イノシシ! こっち来て時間作るの! まとめて吹き飛ばしてやる……!」
槍を振るうヘレンが飴を噛み砕く。拝領品によって急速にMPが回復するヘレンをしてさらに甚大なMPを消費する相図。私と既に起き上がったカノンは指示通り彼女の周りへ。落ちる蝙蝠擬きを迎え撃つ。
と。
二つ、違和感に気づく。
一つは地面に転がる蝙蝠擬きの死骸達。消えないはずのそれらが何故か姿を見せず……代わりに死骸の場所にあるのは水晶。浸食し、大地さえ蝙蝠擬き一つ分の体積で水晶へと置換している。それはつい先ほど見たばかりの終末の先駆け。脳の奥で、無意識に答え合わせがなされていく。
もう一つは。
「……顔なしの方へ?」
蝙蝠擬きは同族である顔なしへも降る。速度は落ちない。カノンに見せた体当たりのまま顔なしへ着弾するそれは護衛や救護というよりも……。
やがて顔なしの身体を蝙蝠擬きが覆い尽くす。
小さく、けれど確かに鼓膜を揺らす、咀嚼音。
「喰ってる、のか?」
死体に群がる蠅のように、死肉を貪る蛆のように。三足になった瀕死の獣の血肉を蝙蝠擬きが啜る。
落ちる数は顔なしへ向かう方が多い。私たちが撃ち落とす数を優に超える数が顔なしへと。それが私たちに余裕を与え、そして顔なしが食べたえいるはどうなるのだろうという焦燥感を生む。
「準備OK!」
『GYA、GYAAAっ、GYAAAAAAAAA!!!!』
ヘレンが紅蓮の籠手を纏うと同時に、一際強い咆哮。
世界を打ったかのように空気を震わせ、瞬間、あらゆる生物の動きが止まる。蝙蝠擬きで出来たドームの頂上を、顔なしの大きすぎる口が貫いて現れる。
口の端が裂ける。
裂けた口はさらに大きく。地面とほぼ垂直になるまで開かれた口が、集る蝙蝠擬きドームの一部を飲み込んだ。耳障りな蝙蝠擬きの悲鳴。意に介さず、反撃とばかりに顔なしが喰らう。
一口で飲み込み、次の瞬間にまた次の捕食。瞬く間に蝙蝠擬き達が食べられていく。
やがて。
新たに生えた右脚。立つ地面を侵食するように水晶へと置換する。
『緑夢暴食』に半分潰された顔は完全に復元し、そして。
大きく私たちを見据える一つ目。
紅く光る。
語彙力が詰まるのでいい加減辞書が欲しいですね~。