獣、神、災禍、人
轟き、世界を抉る。
影を黒に染まる世界に溶かした隠密の果てに、突如飛来したそれが全てを揺らす。
走馬灯のように時間が引き延ばされて、私を潰すそれの姿が鮮明に視界に焼きつく。濁る白に血のような赤を混ぜた金属。
反射が命令する神経がアバターを動かして。
「……ッ!」
金属が落ちる。まるで隕石が墜落したような音と衝撃が生まれ、抉られ跳ねる大地と合わさって私を吹き飛ばす。
「シャオレン!」
赤く照らされた黒の中、跳ねた体は重力に引かれるままに落ちる。受けるしかない痛みと力は容易く私を地面に転がした。揺れた脳を再現するように思考に靄がかかる。
「く……っそ!」
『夜』の悍ましい嘲笑とは違う獣の叫び。宙を舞う私と合う、獣の瞳。強く敵意に濡れている。
……モンスター?
いえ、この、鳥肌が立つほどの感情が肉を纏って大地を踏みしめいている存在感。
「『極限』……!」
『極限』は合計三人と一匹、私が見たことがあるのは二人だけ。だから消去法で正体に見当がつく。
カジム。黒に同化する濃紺の体毛に砕けた鎧を絡みつかせた、歪な人獣。
「避けろッ!」
声に突き動かされるまま腕を伸ばして地面を弾く。起き上がってバックステップ。働かない思考が都合よく体の動きを回避だけに専念させる。
声にもならない唸りが黒を引き裂いて眼前に迫る。人型をしたシルエット、二足歩行の前足が振りかぶる濁白と血色の金属……大盾。
「くっ……そ!」
振り下ろされる。
さっきの一撃よりは軽く、けれど人など簡単に染みに出来るだろう轟音。衝撃が大地を伝って足を響く。
『オォオオオオオオオッ!』
狼の遠吠えに似たどこか心地よい叫び声をあげてカジムが再度盾を持ち上げる。
対して私にできることはただ一つ。テレフォンパンチに似た致死性の一撃を避けるためにひたすら下がる。下がることでえいるから引き離す。
閃くのはスキル。戦闘でいつもお世話になる脚力強化。
……けれど、私を殺さんと詰め大盾を振るうカジムとの距離はどんどんと詰まる。
「これは……」
純粋なスペック差!
体格も私の二倍以上を優に誇る人獣は一歩の距離さえスキルを使う私を凌駕する。ステータスだってきっとクラスⅡよりかは上だろう。退がる私を追うカジムの単純な追いかけっこは今にも決着がつく。
ジリ貧……。トランスパーレンシーで通過する? けれどえいる側に行くのは本末転倒だ。
打開策の浮かばない脳が焦りと苛立ちの汗をかき始めたところで、不意にカジムの動きが止まった。半ばで止まった振り下ろしが中途半端な空中で静止する。
電池の切れたおもちゃのように、あるいは糸の切られた操り人形のようにぴたりと止まったカジムは、微動だにせずこちらを見る。
……な、なに? 何か……起きたの?
数秒の間の空白。
そして、カジムが反転する。
「っ!」
しまっ、ヘイトがズレた!
翻る人獣は私を追っていた速度のまま駆ける。狙いはえいるだ、追わなきゃ!
しかし無常に灯火が消える。スキル時間の終了、遅くなる身体はただでさえの速度差にさらに開きが生じる。
先ほどとは逆にカジムを追って走るけれど、その背は遠く、小さくなるばかりだ。えいる……生き残れるか? カノンがいるとはいえ。
「こっち向きなさい、よっ!」
投げる剣葬はカジムの気を引くことさえ許されなかった。目も向けず盾を持たない腕で弾き飛ばされる。その動きはどこか獣に似つかわしくない熟練した戦闘技術の色を出している。
「カノン!」
「空斬扇!」
真の名前と炎を封印した漆黒の大剣は振るわれた軌道に沿って透明の刃を吐き出す。見覚えのある飛ぶ斬撃。
『ガアッ!!』
盾が鈍器に、構えられては落とされる。叩き潰すように盾は一切の抵抗を許さず斬撃を消し去り、カジムが走る速度は全く落ちない。
「足止めにも……っ」
「緋鎖」
カノンの大剣を持たない腕から赤い鎖が伸びる。
「『六条連環』!」
六本。跳ねだした鎖は使用者の望むままカジムの四肢や胴体に巻きついて拘束する。
……って。
「止まってないわよ!?」
「元から足止めできると思ってない!」
伸びる鎖は途中でカノンの手を離れた。鎖は放たれた蛇のようにただ巻き付くだけ。濃紺の体毛に絡む赤い線は淡く発光している。
「空斬扇!」
また同じ斬撃。先ほどの軌道をなぞるように飛びだし、カジムもまた同じように迎撃の盾を振り上げる。
刹那。
「……ラピッドファイア!」
放たれるのは超速の炎。鎖を出した腕より生まれる手のひら大の炎の弾丸はいとも簡単に斬撃を追い越し、振り上げられた盾が生んでしまった僅かな隙を飛び越える。カジムの身体、絡まる鎖を撃ち抜いて。
そして、空気を呑んだような大爆発。
『ギャオオオッ!』
爆風が舞わせる土煙を払いのけてカジムが咆哮する。無傷……でも足は止まった。
「……碧鎖!」
「壱、式ぃ!」
二速と一速がリキャスト中の私に残された急加速の光。足の裏が強く大地を掴み、視界がブレる。コマを飛ばしたかのように大きくなる、青い鎖が巻きつくカジムの背に勢いよく飛び蹴って、背中を駆け上がる。
「『三叉交差』」
あ、まっいのよ!
私を振り払おうと動くカジムが、体躯を捩じる前に背から足を離す。宙転、空で回った私は振り向きざまに後ろを薙ぎ払うために伸ばした腕を踏む。
手に、星の触媒。視界を防ぐように顔の前へ投げる。
同時にインベントリから取り出した予備の剣葬を強く握る。
「叩き斬れ!」
「星駆け三輪っ!」
結晶ごと三度斬る。
『グゥウウッ……!』
青の鎖が弾け、光って爆ぜた。斬撃と鎖の光に怯むカジムに結晶から溢れだした光が形どった小剣が殺到する。
「まだ!」
カジムの足元に着地、ただ無心で鎧を狙って斬る! そのたびに光の剣が表れて金属を傷つける。怯み続けるカジムは動かず、ちょうど星の光が消えるまで攻撃を続け、終わると同時に即座に下がる。
「このくらいじゃ倒れないわよね、そもそも、効いてないんでしょう」
腐るどころか骨ですらない影だとしても、強さだけは残っている。単純に紙月が誰にも攻略させないようにと設定したバカみたいなステータスもあるわけだし……。
けれど、カジムはそれでも唯一攻略された『極限』。そしてその攻略はHPを削りきる必要もないギミック解除。
カジムにダメージは通らない。
彼が構える盾を飛び越えて、彼の身体に絡みつく鎧と、大盾を破壊する。それが『極限』、『我らを守りし防壁カジム』の攻略方法。
文字にするとあっけないがその実態は困難極まる消耗戦だ。カジムの盾の耐久力は現段階のプレイヤー装備の頭を飛び越えて高く、鎧もまた同様に。ダメージが通らないから大正義だった火力でのごり押しも効かず、ステータスに任せて動き続けるカジムを前に、盾職と回復職を中心にひたすら状態異常なんかの搦手を交えて戦わなければならない。
……二人で手順を超えられるかしら。
『……グ』
静止し、俯いたカジムから漏れる獣声。
『グ、ガ、ガア……ガア、ラン、ドォオオオッ!!』
それは、今までで一番の咆哮だった。魂の奥底から漏れ出た感情が声になって飛び出したかのような、他者に畏怖と威圧を、そして幾ばくかの寂寞を思い起こさせる声だった。
カジムの身体が蒼く光る。絡んだ鎧が解けて蔓と蒼い花と化し、濃紺の体毛が蒼く染まる。
その姿は攻略情報にない、いまだ、この世界の誰にも見られていないものだ。
「第二、形態……!?」
「……そうよね、お前も、抗った者だものね」
『ガアアアアアアッ!』
一撃は鳴動を伴った。
カジムが足元の大地を叩き壊す。衝撃がカジムを中心に広がり、ひび割れていく大地に蒼い光が走る。
「っ、カノン、光に触らないで!」
私に向かう亀裂を咄嗟の反応で横に避ける。どう見ても『世界弾』と同じ光……! 置換技術による花化、触れば実質戦闘不能だ。
……未知の形態、というよりかは、こっちが本当のカジムよね。となると今までの攻略法が通じるかどうか。
新たに生まれ変わったのか、濁った白も血の赤も見られない、純白を湛え、表面に精巧な蒼い花の文様が刻まれた大盾をこれ見よがしにカジムが掲げる。そもそも、壊せるのかしらね。……あの絶対防御が搭載されていたらお手上げだ。
「緋鎖、『五角灯篭』っ!」
カノンが放った鎖が宙を走り、カジムの上で五つに分かたれる。ちょうど五角柱の輪郭を描くように、鎖が隙だらけの檻を作りカジムを閉じ込める。
「イグゼキュートのっ!」
『ゴアアアアアッッ!!』
盾を、薙ぎに一回り。鎖を一撃で断ち切る。
「簡単に……っ!」
カジムが獣の瞳でカノンを見る。
「まずっ、カノン!」
「くっ、……雪鎖『三叉交差』」
白い鎖が三本、今度はカノンに巻きつくが、遅い。
カジムは既に走り出し、カノンを沈めんと強くヘイトを向けている。速度は速く、次のカジムのアクションさえ間に合わないと思えるほどで……。
瞬間、上空から何かが飛来する。
それは正確にカジムへ落ちた。
「な、なに!?」
「ラビット・ステップ!」
白の鎖が光り、一瞬のうちにカノンが消える。いや、消えたように見えるほどの速度で横へと跳ねていく。
とりあえず安全圏に離脱したカノンを横目に、注意をカジムと、急に飛来した何かに向ける。
それは奇怪な姿だった。
真っ黒の体躯。赤い光がなければ背景に混じって見えないほどの純粋な黒。軟体のようなけれど芯があるような、骨格があるともないとも思えないような細長い楕円のフォルム。背中に生えた一対の翼は蝙蝠のようで、そして、楕円の頂点に大きな単眼がある。
紅い、瞳。
『ガアアアアアアアアアアッッ!!』
突如落ちてきたそれは一瞬でカジムのヘイトを奪った。カノンに向けていたヘイトも意に介さずに落ちてきた蝙蝠崩れを強くにらみつけ、掴んで地面に叩きつけ、そのまま何度も足で踏み潰す。憎しみを隠そうともしない激情がカジムの底から湧いている。
蝙蝠崩れはすぐに動かなくなった。踏み潰されて、黒一色でしかない中身を地面に撒き散らしながら死体として残っている。
……ゲームはシステムに縛られて、この世界の死は大概、仮想で幻想的に美しい。だからその吐き気を催すような死にざまは、システムに見放されたか、システム外での存在である証拠だった。
「……『夜』の眷属」
空を見上げたのは無意識だった。
けれど見上げた先には呟きの答えが巣くっていた。
……空を覆う『夜』の姿。それよりも下、地上に近い場所からこちらへ向かってくる……単眼の群れ。
群れ? いや、そんな生温いものじゃない。大本の『夜』の瞳を除いて、それ以外のすべてが単眼に染まってしまったかと思えるほどの目の大群。千、万、いや、億……あるいはもっとの瞳が私たちを見下ろしている。
「……『神至災禍』」
世界を滅ぼした災禍の断片が、今、この世界に現れている。
『霊鎖印士』
れいさいんし。『印士』の派生形クラスⅢ。
スキルや魔法を命中させると効果を発揮する霊鎖を操り戦う変則的バフ・デバフアタッカー。緋鎖が命中した攻撃の威力増加、雪鎖が自身のバフの増加。碧鎖が状態異常の付与。それぞれ本数で効果が増加、変動する。
ザグルゼムみたいな感じ。