赤ずきんは夢を見ない
八獄と下北沢発祥のエモエモのエモロックバンドに情緒が壊されたので二章は音楽と監獄のお話です。な、なぜ一章も終わっていないのに二章の構想を……?
幸せな夢を見る。
のんちゃんが笑う。つられて私も笑う。何を話しているのかなんて覚えていなくって、続く会話の中身なんてどうでもいいことばかりだったのだろう。
今でも鮮明に思い出せる、顔。
少し嫌な夢を見る。
放課後に入るなり一人でどこかに消えていくのんちゃんの背中。そうだ、のんちゃんはいつもそうだった。授業が終わるなり消えていく背中はどこか慌てていた。
ぼうっと、わたしは見る。遠ざかっていく背に幾ばくかの寂寞を思う。伸ばせなかった手は肩を掴まない。のんちゃんは振り返らない。見えない、顔。
嫌な夢を見る。
休日だった。わたしたちだけの上履き置き場はひっそりと静まり返って、運動部のグラウンドからの声と、吹奏楽部の漏らす音が微かに耳をくすぐるだけだった。
のんちゃんは笑う。わたしも笑う。笑おうとする。でも、上手く笑えない。わたしはなんで笑おうとしたの? のんちゃんがわたしを呼び出した意味がわからなかったから、そうしてその頃ののんちゃんは休みがちだったから、わたしはのんちゃんいったいどうしたのって、そんなことが渦巻いていた。
差し出されたそれを受け取る。文庫よりちょっと大きいくらいの革表紙の本。友達の誕生日って何を贈るものなのって悩んだ私が必死で考えた、今思えば大人が子供に渡すようなプレゼント。
わたしは困惑する。困る。不安になる。必要じゃなかったの? いらなかったの?
のんちゃんは笑っている。笑っている。いつもの笑顔、いつもの、顔。
血の気が引く夢を見る。
硝煙の代わりに蒼く光った。どうしてか手に持つ銃が蒼を吐く。襲ってくる嫌なものをかき消すように撃った。途端に銃身が引き寄せられる。照準がズレる。撃つべきじゃなかったものを撃つ。少女が、蒼に消える。静まり返る。
手には引き金を引いた感触だけが残る。消えていく少女の顔が焼きつく。知らない顔、いや、知っている。わたしは知っている。わたしが消した、顔。
夢が覚める夢を見る。
息苦しい。塞がれていく。空気を取り込もうと無意識に吸い込む。邪魔される。口の中に何かが入ってくる。異物。噛む、途端に脳に突き刺さる鉄の味、暖かい、熱い、血。熱が解けてわたしの中に満ちていく。
声を聞く。わたしが消したはずの音を聞く。わたしが消したはずの顔と同じ名を名乗る。
彼女の言葉が強く、強く、私の中に落ちていく。
血と熱と声。
選ばなくちゃいけない。
* * *
【『天魔』の階層の解放を確認いたしました。ラクエンプロジェクト:フェーズ2完了。『天魔』の解放により『エリア』『フィールド』の制限が解除されます】
【『惑星再現』システムが解放されます】
【『往古来訪』システムが解放されます】
【『平行世界接続』システムが解放されます】
「さて、またよくわからないものが追加されたが」
腕を交差させて肩の筋肉を伸ばす。システム的な意味はなく、プレイヤー的な意味はある。世界補正を切ったプレイヤーはパフォーマンスが認識とセンスに依存する。だから、筋肉の凝り一つでさえ伸ばしておけば(伸ばしたと脳が認識するなら)動きの幅が広がる。
シオンが消えた途端に様変わっていく景色は見覚えのある景色を描いた。水を湛えるオアシスを中心に僅かな緑が広がり、それ以外は岩と砂の荒廃。レベル40台のモンスターがちらりと見た後、格の差を感じて去っていく。
「止水の緑園」。
「帰ってきた、か。他の奴らは……いない。まったくわからないな!」
自分ともう一人だけが出力された世界で、アレェリスタは吠える。その木霊を受け取るものはいない。いや、いなかった。
空がぴしりと割れる。それもまた、アレェリスタには見覚えがある。
空間の日々は大きく、同時に空を歪に変えていく。渦。
世界が割れる音がした。
『……再び立つか、アレェリスタ』
「やあ! 久しぶりだね、アンドレイ」
ズシンッ! と、重量を思わせる着地音と振動がアレェリスタを僅かに震わせた。それを心地いいと感じる。声もなくアレェリスタは握った。何もなかった掌にオールヴェンの執政が現れ、握りしめる。
『覚えている。お前が剣を下ろした姿を。勝てないと絶望した顔を、俺は幾度も見てきた、覚えている……。言ったはずだ、もはやお前に用はない』
「言ったはずだが? 俺にはあるのさ、お前を討つ理由がね」
『……シャオレンは、どこへ?』
「さっき走っていったよ。すれ違いだね、追うかい?」
『いや。……シャオレンにはもう聞いた。答えを問う相手は、まだ見ぬ未知へ』
ゆっくりとアンドレイは踏み出す。その足元を、紫色の光が切り刻んだ。瞬間で振るった双剣が吐いた斬撃の余韻が、紫の残光となってアレェリスタの手元に残る。
『無駄だ』
「無駄かどうかは俺が決めるさ」
『……忘れたのか? 俺たちは、四つで一つだと』
罅割れる。アンドレイが落ちた後も消えない亀裂。その近くに二つ、新しい傷が現れる。瞬く間に広がり、空間を侵し、やはり世界が割れる音と共に、それらが降る。
「ミシェリア、カジム」
重低音が響く。地震に似た振動。アンドレイの着地のような一瞬ではなく、継続的な振動が続く。それはどんどん強く、大きく。やがて地平線にその影を表す。
白い馬。何かを引きずっている。
「……トルク・キッド」
『戦力差は絶大だ。お前など、些事ですらない』
「ははっ! 言うね。だけど……自分で言ったことすら覚えていないのかい?」
『なに?』
「死地を超えられないものに未来はあり得ない……賢しさなんてとうに捨てたのさ」
『……抗うか』
「お前たちがどれほど強く、たとえ四対一だろうとも」
アンドレイが剣を抜く。逆の手に銃を握る。ミシェリアが杖を、カジムが盾を構え、トルク・キッドがひと際強く嘶く。
戦闘態勢。
『歯向かうならば、打ち砕くだけだッ!』
「勝つのは俺達だ!」
* * *
「暇なの」
「暇ですねぇ」
「暇だな」
「あー暇だ」
「確かに、暇ですね」
緑の王国、「真理溟森林ギルギルギル 上層」にて異口同音が響く。五つの人影が森の中を歩いていた。
手持無沙汰に、不用心に森をうろつく。恰好の獲物に思えるが、五人を襲う影は無い。
シャオレンの想像に反してヘレン達はスライム駆除をやり終えていた。それはステージが進む際に出た先がスライムの溜まり場だったので戦闘が避けられなかったという運の悪さと、拝領品によって実質的に無限に近いMPを持つヘレンにとって戦闘で捨てるリソースがほぼ皆無であるという事情、また保持する魔法改造武器が集団戦に向いているものが多いからだった。それと、スライム達のステータスがヘレン達よりもぐっと低かったというのも大きい。
つまり勝手に場所が変わったと思ったら急に因縁つけられたからレベル差とクラス差と武器で虐めていたらつい殲滅してしまった、というわけだった。
「まったく、バカはどこ行ったの!」
「目を離した途端に消えるとかホラーで良くありますよねぇ。リスタ、何かフラグ踏みましたっけ」
「生きてるだけで死亡フラグ踏んでるような奴だからなぁ」
「おい、生きてるだけで色んなフラグ踏みまくってる奴がなにか言ってるぞ。なにかないか副団長」
「言い返す言葉もありません……」
「変なアナウンスは入るし、るーと? とかわーるどとれーすとか、新機能をメンテと予告無しに実装するんじゃないの!」
「アルプロは元々メンテ休止をあまりしないがな。緊急メンテくらいか。それよりも気になることが多すぎるから早く公式告知を見たいんだが、まだ来ないか?」
「ラクエンプロジェクトって、紙月のゲームシリーズやゲームコミュニティの総称ですよね。アルプロも確か正式名称は『ラクエンプロジェクト:ナンバー5 アルカディア・プロジェクト』だったはずですし」
「拝領品の制限解除ってなんだろな? ちょっと試してみていい?」
「ダメですよ団長。団長のは一番危ないんですからね」
「……まだ連絡も出来ない」
フレンドリストを眺めてヘレンは嘆息する。そこにはあるのはシャオレンの名前。淡く光っているのでまだログインしているとは思うが……まだこの森に囚われているのか、もう死んでリスポーンしているのかはわからない。
と、
叫び声を聞く。
「ぎゃあああああああああ! なああんで逃げた先でも見つかるんですかねえええええ!」
「ひゃっほう逃げだ逃げだ逃げだ!」
「あ、二桁」
「どうします?」
「迎撃なら巻き添えるか」
「いや、いや!? どうして自然に巻き込むのが前提なんですか!?」
「敵がいるなら使っても文句ねえよな、いくぜ『カオス・サプライズ・フィールド』!」
景色が変わって、混沌が幕を張る。ドーム状に降りた帳が五人と、逃げる二人、それを追うスライムを飲み込んだ。それに気づいた幽花が顔を上げ、露骨に嫌な顔をする。
ヘレンが蟲の殻と口腔を思わせる大槌を取り出す。けばけばしい緑に塗られたそれを振り上げ、
「死にたくないなら死ぬ気で避けろなの」
「ほんっと、あほおおおおおおおっ!」
幽花の声を切り裂いて、振り下ろす。
* * *
「ああ、ようやくだ」
声が下りてくる。低い声、男の声、アバターとは似ても似つかない、声。
「嘘を吐かれたのかと、そう思ったが……いや、もう、なんでもいい。今、俺はここにいて、お前もここにいる」
指さされる。少女のアバター。燃えるように赤いそれに、面影が重なる。
「…………のんちゃん」
「わかるのか。だが、違う。わかるな?」
「…………」
のんちゃんの顔が歪む。負の感情で満たされる。声には敵意ばかりがある。
のんちゃんの顔をしたアバターを手繰るカノンが口を開く。
「紙月えいる、お前が、日記を持っているな」
「……どうして、それを」
「返せ。お前の物じゃない」
「で、でも」
「でも?」
大剣が、えいるの隣に振るわれる。黒い刀身が地面を叩き割って、小さな亀裂を生む。
「でも、なんだ。……必要か? 夏音の何が必要なんだ!?」
何が……わたしにのんちゃんのなにが必要なんだ?
わからない。
「俺は知っている。夏音の絶望を、後悔を……知り合わなきゃ良かったと言ってたよ」
「っ!」
胸が詰まる。息が苦しい。
カノンは……目の前の少女はのんちゃんの日記の片方を持っていると言った。そして、のんちゃんが私を恨んでいると、言った。本当か? いや、疑う余地があるのか? 嘘を吐く理由も……どうして日記を欲しがるんだ?
わからない。
「いらないだろ、お前には。……なんでもあっただろ、紙月、えいる。……どうして夏音なんだ? どうして夏音と友達になったんだ? 他の誰でも、家柄に見合った奴だっていたはずだろ……!」
どうして、のんちゃんと友達になった? 話したのは志島と紙月でしの苗字だから、最初のクラスで席が前後だったからだ。でも、わたしはぶっきらぼうだった。ぶっきらぼうに世界を閉ざした。のんちゃんがわたしの世界を開いた? それともわたしから話しかけたんだっけ。
わからない。
……予感がする。寒気と怖気になって脊髄を巡る。
「お前が、お前さえ、いなければ……! ここにいたのは夏音だった! 夏音は今頃、この世界で遊んでいるはずだった! どうしてお前だけがいるんだ……! どうして、夏音の未来を奪うんだ!」
わからない。
わたしはがちがち震えていた。恐怖と怯えを読み取った機械がアバターに反映させる。鼓動が早い。熱が、全身を駆けている。
どうしてここにいるんだ? ここにいるのは誰の意思だ? わかっている。わたしだ。胡散臭いと知りながら、御伽噺だって思いながら、それでもアドハの存在と言葉を信じて、無理やり機械を被ったのは私だ。高鳴る鼓動と息苦しさを押し込んで、無理やり夢を見たのはわたしだ。
夢を見ている。仮想現実の中で、わたしが犯したかもしれない罪の罰が、人の形をとって立ち塞がる夢を見ている。
カノンが切っ先を向ける。黒い剣が視界を中央で分ける。カノンの言葉ががんがんと、頭蓋骨を裏側から殴っている。
そして、音を聞く。何かが走る音。近づいてくる。
カノンが目を向けた。それさえ遅く、影が加速する。仮想現実故の光を纏って、影が座り込んだ私を抱き抱えてカノンの足元から引き離す。
「まずね、自分が志島夏音のなんなのかから話しなさいよ、不審者。……えいる、大丈夫?」
顔、真剣な色を差す。わたしが消したはずの、顔。
夢を見ていた。でも、もう見られない。ここは仮想現実、仮想に創られた現実は、夢を見ることを許さない。真っ赤な血の色の罪がわたしに被さっているかもしれないことから目を逸らさせない。
現実の中で、わたしは見つかった。覚まされてしまった。血と熱と声がわたしを捉えて引き上げてしまった。もはや見られず、隠れられない。
予感がある。確信に変わる。
もう、わたしは逃げられない。