至天と獣 21 ラクエンプロジェクトをもう一度
どうして100話になって一章が完結していないんですか?
響いたのはより強く響く、耳障りなノイズ。
蒼が射線の全てを染める。足を止めた私を飲み込み上がる盛大な金切り声。悲鳴の如く人の精神を切り刻む音は、ただ、生じている現象そのものがあってはならないと警告するように私達に刻まれる。
そうして私は、世界弾の蒼から弾き飛ばされる。
そんなに飛ぶのかと、宙を舞った私は他人事のように思った。それは目の前に迫った死が予想外の方向で否定された故の思考の空白で、だから、着地の為に受け身を取るだなんて考えさえ飛んでしまう。上空数メートル、何もないまま落ちれば死ぬ。上昇が重力に負け、反転して水晶の大地へと落ちていく私をアレェリスタが受け止める。
「おい、生きてるか!?」
「っ、え、ええ!」
声に思考が引き戻されて、止まっていた脳が駆動を再開する。慌てて目を向ければ、佇みシオンの姿は数秒前のそれとは全くの変貌を遂げていた。
甲を鍵で光らせながら、右に握るは機械仕掛けの銃。左手からはランタンが消え、代わりに白黒の片手直剣。ドレスを上から覆う擦り切れてボロボロになったコートはアンドレイが纏うものとよく似ていた。
「……銃は見覚えがあるけど、剣はある?」
「『天魔壊剣』……最初のアンドレイの遭遇ドロップだね。今は確かウィリルスの武器博物館に展示されてるはずだが」
「なにそれ、使わない武器なんて意味ないでしょ」
「使えないんだよ、ステが足りなくて、ね!」
軽口を叩き続ける猶予もくれず、銃口が向けられ、瞬間で装填を完了した世界弾の二射目が放たれる。射線上のアレェリスタは機敏な反射神経で逃れ、私は……動かない。さっきとは違う、今度は実験だ。
また蒼に飲まれ、やはり上がる金切り声。再生機器から無理やりソフトを引き抜いたような、警告と壊れる寸前の悲鳴が混じる音。
そしてびりびりと衝撃が走り、また、弾き飛ばされ宙を舞う。
……やっぱり、『無形』のリソースを書き換えられない!
世界弾は『天魔』の『極限』、『神至災禍』から掠め取った技術、その文字通りの極限だ。射線上の全てを『弾丸』に置換する。阻む障害も、目標の敵さえ撃ち抜く弾丸そのものに書き換えてしまう防御という概念を消失させる絶対的な殲滅。
でもそれは『天魔』の世界の中だけの話。あるいは、表層も。
マナ世界を経由しない情報生命体のサーバー本体が抱えるリソースは独立していて、それぞれが交わらないように設定されている。ゆえにプログラムの改竄が神の域の技術だとしても、アクセス権が与えられていない状態を脱せず、だから現在、『無形』のリソースのみで構成された私のアバターを世界弾は飲み込めない。不干渉の法律に則って『天魔』と『無形』の化身はそれぞれ弾きあう。
……だけど時間の問題ね。
今度はきちんと着地の体勢、構えさえすれば回避できる死は多い。
「……何故、消えない?」
「さぁね、どうしてかしら」
「そうまでして私達を嘲笑うのですか!」
「そんなつもりはないけれど!」
感情の噴出のように放たれる三射目。速度はそれなり、光の速度とは似ても似つかぬ鈍重を横に飛ぶことで避ける。
どうする!? 説得は無に終わった、いや、説得というには喧嘩腰過ぎたけれど……。
急務は『天魔』の鍵を開くこと。それには鍵守の許可が必要であり、けれどその鍵守は私に対する敵意と殺意に溢れている。土下座して頼んだって開いてくれないどころかそのまま頭蓋骨を踏みつぶされてしまいそうだ。
ならやらなきゃいけないことは鍵を開かざるを得ない状況に持ち込むこと。
手段は、ある。でも……。
いや、覚悟を決めろ。宣言したはずだ。私の勝手で傷を抉る。
「アレェリスタ!」
叫んで投げる。世界に一筋蒼の線を引いて消えない世界弾を逃れる放物線を描いたのは剣。黒紅の剣葬の予備だ。
ついで私も剣葬を取り出す。店売りの武器は便利だ、簡単に予備が買えるからね! 在庫次第だけど。
黒紅の剣葬も再構成した際に『無形』のリソースで編まれている。斬ることは叶わずとも、不干渉を利用した衝撃と、『天魔』の『極限』を流用した置換による防御の影響を受けないはずだ。
剣を受け取るアレェリスタを尻目に反対方向へ駆ける。世界弾は私とアレェリスタをちょうど真ん中を通り二分した。合流を困難にさせ、結果としてシオンを対角上で睨む挟み撃ちを形成する。
……あとはひたすら待つだけだ。アドハを、そして、私のルートが目を覚ますその時を。
* * *
「リーリぃ!」
どうしてか『天魔』の世界の端っこの方に落とされたので、戻ってくるまでずっと走っていた。
息が切れる。肉体の枷から解き放たれたのに肉体機能の限界がアバターに現れてしまうのは、精神状態がそのままアバターに出力されるからだ。焦りが呼吸という形を取って、仮想の身体が酸素を求めて肺と心臓を強く動かす。平常ではない状態が苦しく、それでも、何とか息をして水晶の大地に佇む影を見る。
リーリは、酷く、無表情だった。
「……何かしらぁ?」
「はぁ…はぁ…頼みが、あるんだ」
「頼みぃ?」
応答さえリーリは表情を崩さない。さっきまでの豊かな表情は影さえ見当たらない。こんなリーリを見るのは、あの日以来だった。
「鍵を開いて欲しい。『天魔』の世界を解放して表層と融合するんだ」
「…………アド君が言ってた、本当のラクエンプロジェクト」
「そうだ。僕たちの目的、僕たちがいつか楽園に辿り着くための計画。そのために!」
「ふぅん。……嫌よぉ」
「……っ、どうして?」
「だって私はその意味を知らないもの。知らないモノに乗りたくないわぁ。……ねぇ、楽園に辿り着く、その意味を、アド君以外の誰が知っているというのぉ?」
「それは……いない。いなくなった」
「……やーっぱりあの人は知ってたんだ。アド君とあの人だけが知っている事実、私達が知らない事実……私達はどうやって生まれて、生まれたことにも意味があったのかなぁ? そんなことさえ私達は知らないって言うのに、アド君は全部知ってるんだねぇ。ならどうしてあの日、あの人を救ってあげられなかったの? なんて……全部、今更よねぇ。全部が今更。でも、今更じゃないこともあるわぁ」
無表情だったリーリの瞳に強い意志が宿る。見据えるのは僕。そして、異なるテクスチャ故にこちら側から見えていても干渉できないシャオレンとシオン。
「楽園に辿り着く? 私達の楽園はとっくに壊れたって言うのにもう一度戻れると本当に思っているのぉ? ……それとももしかして、あの場所じゃないって言うの、アド君が言うのは。それなら尚更いらないわぁ」
「知らないのが嫌なら教えてもいい! ラクエンプロジェクトが何なのか、僕たちが何の為に生まれてきたのか! 元々隠す意味もなかったことだ、僕が君達には必要ないと勝手に秘めてただけのことだ! 知りたいなら止めない、だから早く鍵を」
「ダメよ、鍵守の協力が必要だもの」
「君の鍵は貸してるだけだ! 僕が夜にやったような『譲渡』じゃない! いつでも君の権限で回収も、鍵だって開けるだろう!?」
「ねぇ、見てよ」
リーリが顔を背ける先、そこでは三つの影が躍っている。夜、シオン、アレェリスタ。世界弾が引く蒼線が『天魔』の世界を蒼く傷つけ、避け続ける夜とアレェリスタが隙を見て攻撃を加えるも、リソース同士の反発で決定打となり得ない。
「『遺品纏い』……あんなものまで使っちゃってぇ。それだけ本気でシャオレンを倒したいということでしょうけれどぉ。アド君はわかる? リラちゃんがあれを使うことの意味ってやつを」
「……アンドレイの装備の再現だろう。単なる『極限』の応用じゃないのか?」
「『極限』はそんなに万能じゃないわよぉ。万能であるための技術が足りないって言ったほうが正しいかしらぁ? リラちゃんたちが勝ち取ったのは、ただ、花に置換する技術と、それを応用しての世界弾と威王誓装だけ。かつてのアンドレイの装備と技術の再現だなんて、そんなの、出来るわけがないのよぉ」
「じゃあ、あれは」
「『遺品纏い』はリソースの流用。かつてアンドレイだったリソースを、置換技術の際のリソース移動を応用して疑似的に回帰させてるだけ。長続きしない、その内花に消えるだけのモノ。……勝ち取ったのは花への置換技術、それだけ。その逆、花や世界弾に書き換えられたモノを戻す技術をリラちゃんは持っていない。わかるかしらぁ? それはつまり……リラちゃんは、アンドレイを蘇らせるたった一つの希望を、自分で捨てたってことなのよぉ」
そこまで言われて、ハッと気づく。
プログラムの改竄。『天魔』の『極限』をそう推測した。けれど真にそれが可能なら、たとえ『神至災禍』に負けようとも世界はこんなことにはならずに……いや、負けることさえないはずだ。『神至災禍』と同質の力なら向こうが書き換えたモノをこちらは戻せるはず。終わりの見えない千日手は少なくとも負けを齎さない。
だから、違った。
シオン達はプログラムの改竄まで辿り着けなかった。敵が落とした銃の構造を理解しないまま、引き金を引けば弾が出るということだけを知って利用していた。
シオンが手繰る『極限』は花に書き換えるだけの一方通行。
不完全なんだ。
だから、一度置換をしたものは二度と元に戻せない。
……希望。
完璧は諦めを生み、未知は希望を残す。シオンの中の縋るほど小さい希望。
いつかシオンが技術を解析し本当の意味で『極限』を掌握できれば、かつてアンドレイだったリソースからそのままアンドレイを蘇らせられるのではないか?
そんな、希望。
「……出来なかったのか」
試したことがあるのかと思っていた。アンドレイ達を再構成し、もう一度生き続ける道を取ったのかと。けれどシオンがそれを「別物」と思ってしまったからしていなかっただけなのだと。
「リラちゃんはもう諦めた。もうアンドレイは元に戻らない。私は……また、何もできずに立っているだけ。あの日から何も変わらない。もう、悲しいのは嫌なのに……私はリラちゃんを救えない」
「……君が再構成してあげれば良かっただろ」
「アンドレイ達のリソースはそのまま永世未終教会に転化されてた。私が作り直したなら、あの教会が解けて、またリラちゃん達は『神至災禍』と戦ってたわ。そしてその果てにアンドレイはまた教会を創る……」
瞳に意思が揺らぎ、表情は動かない。能面のような無に、微かに……。
いや、そうだとしても。
「鍵を開く。それでリラちゃんをアンドレイの影に合わせて、それで? それでどうなるの? シャオレンは勝手だって言った。シャオレンもアド君もリラちゃんを見たアンドレイの反応が見たいだけなんでしょぉ!? 貴方達の救いの果てに、リラちゃんの救いはどこにあるのぉ!?」
リーリの目に涙が生まれ、水滴が頬に線を描く。情報生命体はアバターに強く感情を張り付けてしまう。強い感情を取り繕う術を僕たちは知らない。
「もう、どうしようもない。どうすればよかったの、どこに向かえばよかったのぉ? 私は、私が最初から、シミュレーションなんてしなければよかったのぉ? 私達は何でも出来るはずなのに、どうして、間違い続けるのぉ?」
「まだシオンは生きてる、続いてるんだ。このままじゃどこにも通じないまま枯れて朽ちるだけじゃないかっ!? 頼む、鍵を解放してくれリーリ! 僕の為にも、シオンの為にも道を繋げてやってくれ!」
「だったらっ! じゃあっ! 先にアド君がリラちゃんを救ってよっ!!」
涙に濡れるリーリの眼。それが僕を睨み、けれど縋るような視線。だけど、そんな眼をされても僕らにはシオンをアンドレイと逢わせるという答えしか出せない。
……わかってるよ、リーリ。君の小さな嘘も、不義理も。……君が取り繕えない感情も。取り繕えないからこそ、別の激情で隠す感情を。
「救いなんてないのならここで終わらせるべきじゃないのぉ? 道だなんて、そんなの……。私達はなんだって出来るはずなのにどうしてこんなにも無力なのぉ?」
「……そうだよ、僕たちは無力だ。なんだって出来るはずなのに、そのくせ感情一つどうにもできない。どれだけ技術を積み重ねて極限にも思える地平に達したって、小さな感情一つで簡単に僕らは死んでしまう。それが生命ってやつなんだよ、それが、生きてるってことなんだよ、リーリ。……シオンはアンドレイを救いたいって言う。君はシオンが救いたいって言った。でもそれは嘘だよ。シオンの望み通りになったとて、アンドレイが救われるかは当人次第だ。それは君が一番よくわかってるはずだ」
「…………」
「シャオレンは言った。だから僕も言う。僕は、僕の身勝手で君を傷つける。僕の勝手で彼女を裏切る。恐れも後悔もきっとあって、それを二人で背負うことを選んだんだ。リーリ、何があろうとも君は鍵を開けるよ。今の会話でそれがわかった」
「……どうしてわかるのぉ?」
「僕たちが最低なことを、するからだよ。……シオンにはステータスが無い。彼女流にいうなら悪魔の加護に守られていないわけだ」
だから唯一付け入るスキがある。
「『天魔』の『極限』の程度も知れた。あとは貫くだけだ」
世界弾、リーリの発言。情報の種はゆっくりとだけど集まった。推測は立つ。そして実証も。
「……出来るわけないわぁ」
「やってみなくちゃわからないぜ。それより、止めないのかい?」
「…………アド君にはわからないわ」
消え入りそうな声でリーリは呟く。それが仮想の鼓膜を響かせるのと同時に、脳の片隅で演算が始まるのをしっかりと自覚する。
「……救いがないと、リラちゃんに言われる。それがどれだけ救いがないことなのか、アド君には絶対にわからないわぁ」
「わからないよ。だから、君だって僕の絶望がわからないし……シオンの絶望だってわからないんだ。誰かが何を考えて、何に希望と絶望を持つかなんて、最初っからわからないものなんだよ」
サーバー本体が高駆動する感覚は内臓が熱を持つのに似ている。あるいは、強い強壮剤を飲んだような感覚とも。
お腹の中が熱く、代謝が上がって心臓の鼓動が跳ね上がる。熱っぽさを脳の中に湧いて出て、当たり前の思考を柔らかく鈍くさせる。
「リーリ。僕たちは踏み込んだぜ。迷って、怯えて、足を止めて。それでも歩くことを決めたんだ。……どうなるのかなんてわからない。それでもと望んで、僕は僕の意思で止まっていた計画を動かす! 手遅れになる前に覚悟を決めろ!」
にわかに治まって、だけど完全に止まってはいない鳴動がまた強くなっていく。水晶の大地に走る亀裂は全長を伸ばす。その下に、見覚えのある建造物の影が待ち構えている。
そして、情報生命体の誰とも似ても似つかない中性的なシステム音が、世界の全てに響き渡る。
【『無形』の階層の解放を確認いたしました。ラクエンプロジェクト:フェーズ1完了。『無形』の解放により『職』と『拝領品』の制限が解除されます】
【『ルート』システムが開放されます】
【『至天認定』システムが解放されます】
「ラクエンプロジェクトをもう一度! 今、この時から始めるよ!」
* * *
響く地鳴り。亀裂は遂に地平線にまで達した。それはちょうど私の足元を通る形で伸びる。
シオンが構え、蒼く光る。無数に放たれた世界弾は確かに世界を限定し、私達の回避先を潰し終えた今、シオンが放つ世界弾は必中のはずだった。
私目掛けて光る蒼を遮るように、亀裂から陰が伸びる。それだけではない。辺り一面中から水晶を砕く音と共に影が亀裂を喰い破る。
現れたのは、ビルだった。
「なんですか、これは……っ!?」
【『無形』の階層の解放を確認いたしました。ラクエンプロジェクト:フェーズ1 完了。『無形』の解放により『職』と『拝領品』の制限が解除されます】
【『ルート』システムが開放されます】
【『至天認定』システムが解放されます】
来たっ!
強くぐらりと大地が揺らぎ、私もろともビルが生える。シオンもアレェリスタも例外ではなくビルの乱立に捕まるまま、私達は高度を上げていく。
鳴動が強く吠え、水晶を砕き、そして止んだ後。残されたのは高層ビルが生え並び眼下を見下ろす摩天楼。
「ようこそ、『無形』の世界へ」
「これが……」
十メートル程度離れて、対面のビルの屋上に佇むシオンに不思議と声が届く。
ラクエンプロジェクト、その最初の一歩! 『無形』の世界の解放によって表出してきた『首都幻影』。
「でも、それだけじゃないのよ……!」
予備の黒紅の剣葬に淡く光が宿っていく。
それは白の光。私が使う拝領品のものと酷似した白が剣に纏う。
「『夜殺し天明』ッ! さあ、クライマックスよ!」
そうとも、私のルートが、目を覚ます。