童話作家
暇ね。時間つぶしにチェーンの喫茶店に入ったはいいもののとにかくやることがなくて、軽くコーヒーを一杯流し込んだ後で帰路についた。受験をとっくに終わらせた学生ほど暇な人種もそういないだろう。
ナビに登録された家の住所まで、コンビニを回る少しばかりの寄り道をしてから帰ればリビングで掃除をしていたあいるさんを見る。手伝おうかという打診を、けれど彼女は断った。働かざる者食うべからずとは何なのか、しかしどうやらあいるさんは家事が楽しいらしいので、無理に手伝うべきではないと判断して部屋に引っ込むことにした。
部屋の時計は午後二時を少し回った頃。アルプロでもやろうかと思うが、しかしアレェリスタのあの口ぶり。まるで誰かが声をかけてくるのを確信しているかのような……約束のためにフィールドに出れない以上サントレアスの外には行けないわけで、早くに行って面倒を貰うくらいならとログインを控えていたけれど。
……そういえば武器ないわね。
アレェリスタのせいで初期装備たる旅人の剣は耐久値を全て失って消えてしまった。今のシャオレンの戦闘手段は格闘のみとなっている。なんとも心細いことで。
武器はヘレンのところでしか買わないという約束もあったが、しかしあの店はアレェリスタ曰くアホ高いらしい。ヘレンの言葉から察するに、持ち込み武器を改造できるようでもあるし……。ヒューイから貰ったなけなしの駄賃もある。初期剣くらい買い戻してもいいか。ついでにヘレンかアレェリスタがいるのならそのまま『極限』とやらの話をしてもいい。
やるか。
黒色のPMギアを撫でる。まだ新しいそれは表面に傷を負わず、光沢を帯びながら自分の存在を示していた。それをそのまま被ろうとして気づく。えいるはどうしましょうか。
喧嘩の結果は朝の時分にもう伝えてある。集合時間も言ったので昨日より少し早いくらいに七階に姿を見せるだろう。そうでなくても一緒に住んでいるわけだし、私が聞いたことを現実でそのまま伝えればいいだけでもある。
……けれど、えいるは昨日はあいるさんに言われて私の案内に来ただけだ。初期装備のまま起動さえしていなかったことを考えると、アルプロ、フルダイブVRゲームさえ興味がないのかもしれない。紙月としてそれはどうかと思うが、餅は餅屋とて餅屋の子が餅屋にならなければならない道理もなかった。そう考えると喧嘩の結果に巻き込んだこと、これから一週間はログインしなければならないらしいことに心苦しく思う。……でも、朝の時はいつもと同じ無感情のまま承諾してくれた。気にしても仕方ないか。
これからやるのは個人的なプレイだ。バカとアホという案内人もいるわけだし、実質えいると一緒にやる理由は無いに等しい。……でも、親睦を深める意味であいるさんはえいるを案内人にしたのだと思えば、二日目から誘わないのはそれはそれで……?
誘う、誘わない。二つの選択肢が頭の中をぐるぐるしている。十分ほど悩んだところで、結局そのままPMギアを被った。……夜にやるわけだし、まあいいかというわけ。
* * *
「あ! 昨日のここで戦ってた子だよね! 協会の動画見たよ、これから一緒に狩りに行かない?」
「やぁシャオレン。僕の名前はファイ・ルットという。あのバカ傭兵……じゃないアレェリスタより僕のほうが役に立つから、僕が君を手伝ってあげよう」
「シャオレン! 火龍の人と知り合いだからすぐ呼べるよ! 私と一緒にフィールドにでよっ!」
「あ、あの……へ、ヘレン様といっしょ、ですか? あの、ちょっと俺も、その、ヘレン様にしょ、紹介してもらえないかなって、へへ……」
「準備はできたか? さあ行こうか。なに、モンスター? 違う違うリザードマンだ俺は。お前と一緒に出掛けるためにわざわざルドクルグからやってきたんだ」
「うざい!!」
うざい、うざい、うざい! なんなんだこいつら、しかも半分くらい知り合いみたいな距離感で話しかけてくるけど全員初対面なのよ!
大広間に着くまでに数回、着いてからはもはや話しかけられないタイミングはないという勢いで人が私に殺到する。いくら感情を抑制しないとはいえ礼節くらいは持ちなさい!うざいと言い放った私にそっくりそのまま返ってくる言葉を思いながら足早に、とは言えずもはや走って階段を駆け上がった。七階に行けば多少マシになるだろう。
けれど思惑は外れてしまう。昨日の説明では七階に近づくほど人がいなくなるはずなのに、今日に限って一階の喧騒をそのまま持ち込んだかのようにプレイヤーの集団が集まっていた。
「ご、ゴミ溜まり……!」
やっぱり人間ってゴミね。集まっても害しかないわ、この種族。
「あ! シャオレン! 夜までインしないんじゃなかったの? いや、そんなことどうでもいいの! 今はこっち手伝うの!」
人波に流されて、どこかの学校の制服を着こんだ金髪美少女が階段まで流れてくる。その手に、「ヘレン・マジックギミック」に掲げられていたのとはまるで違う、立派な金属製の看板。最後尾はこちらです……?
「ヘレン!? この騒ぎ何なのよ! あといちいち話しかけられて鬱陶しいんだけど!」
「話しかけてくるのは乞食以下のハイエナどもだからこのクズ! って言っとけばいいの! それより今日は大変なの! あのボケが急に帰ってきやがって、即売会まで開くって言いだしたの!」
「はぁ!? 意味わかんないわよ!」
「今バカが暴れてる奴ら処刑してるの。列整備は私がやるから、シャオレンはボケのところで釣銭確認と在庫確認よろしくなの! あと売り子! あ、これスタッフ証なの!」
「ボケって誰よ!」
「ゴスロリに身を着こんだ陰鬱女なの! 顔だけはいいから見ればわかるの!」
「だいたい全員美男美女でしょうが!」
「いいからさっさと行けなのノロマ!」
ヘレンに背中を蹴られる形で前に押し出される。とりあえずスタッフ証と称されたネックレス型のカードケースを首から提げる。そこには手書きで「すめらぎじんぐうほんどう」とひらがなでカードが入っていた。文字数が多くてぱっと見読みづらいので、名札としての機能は低そうだ。
わらわらヌーの群れの大移動もかくやという密度を見せる人間を掻き分けて進むけど……どっちに行けばいいのよこれ。それでも人と人とたまに人外の間を縫って前へ進む。とりあえず「ヘレン・マジックギミック」を目指して進んだところで、虚空から急に現れたバカとばったり出会った。
「シャオレン!? 外に出てないだろうな!」
「出てないわよ! そのせい? なんかやたらと一緒に出掛けようってナンパばっかりなんだけど! あとこの騒ぎなによ!」
「これはボケが急に新作引っ提げて……そこのお前! お前とお前も! お前だよリロフトの下層プレイヤーメイドみたいな中途半端な鎧着こんだお前! お前らは列を乱した! 今すぐ列に戻らなければ処刑する! なお処刑権はボケもとい皇神宮御伽狂言から容認されているので、このPvPを無視した場合今回のお前らの購買権は消失するものとする!」
「すめら、ちょっとなによそれ」
「ボケのスペースはヘレンの店だ! さっさと行ってやってくれ!」
「ちょ」
言い切る間にアレェリスタはまたもや虚空に消え去った。見ればアレェリスタが指さしていた数人も一緒に消えている。個別フィールド、処刑とはなんとも物騒な、いや昨日も実質処刑しようとしていたな。どれだけプレイヤーの死に親しんでいるんだ。……いやそれよりもいったん落ち着ける場所へ。
目指す場所はどうやら間違っていなかったらしい。人の波を押し分け「ヘレン・マジックギミック」へ。いちいち人を横切るたびに睨まれるものだからひやひやするが、スタッフ証を盾に進む。
よくよく見れば人の波はある一定の規則を持っていた。つまりきちんと列を守っているわけだ。七階に対して人の量が多いので列自体を把握しづらいが、それでも一応バカとアホの治安維持は上手くいっているらしい。
えいるを連れてこなかったのは果たして成功か失敗か。いや多分成功ね、えいるは放っておくと人に流されて帰ってこられなさそうだ。
「ヘレン・マジックギミック」より多少手前、恐らく最前列と思われる異様な雰囲気をしたプレイヤー群をおっかなびっくり追い越せばそこは空白地帯ができていた。ぽっかりその空間だけ人がいない。そのせいで、そこに足を踏み入れている私が浮いているが……。
足を進めればヘレンの店、しかしそこも昨日とは様子が違う。
店が建っている。それは屋外販売車からタイヤを取り払ったかのような、受付分だけ窓を開けたかのような店だ。小さな、けれど外装にカウンターからちらりと見える内装まで凝った立派な店。
「ちょっと、ねぇ、おーい。ここに誰かいるんでしょ?」
「おや? 聞き慣れない声ですね。フライングは処刑対象ですが、ご存じで?」
「……なんとなく思ってたけど、処刑はバカの暴走じゃなくて主催の意思なの……」
店の奥に引きこもっていたらしい女が受付に現れる。それは、確かに美しい少女だった。
ヘレンよりは大きな、けれどアレェリスタと比較すれば随分と小さな体。私よりも低いわねこいつ。そして黒のゴシックロリータ。リボンとフリルで覆われるそれに、手袋からタイツ。首までフリルで覆い隠してしまえば顔以外は限界まで露出を嫌っている。そしてその顔は、単純に美しかった。人間離れした美貌は少女のようなあどけなさと、どこか似つかわしくない妖艶さを兼ね備えている。濡れ羽色の黒いミディアムボブが首筋のフリルにかかっていた。
えいるといい目の前の少女といい、どうして最近はこうも絶世の美少女と言うべきものばかりに出会うのだろう。……でも、目の前の曰くボケはアバター制作の賜物なのでしょうけど。
「失礼ですね。顔は変えていないのですよ、ボク」
「……心でも読めるの?」
「いいえ。けれど皆様初対面で必ずキャラクリ時間を聞かれるので。自分参照で三十秒で終了させてやったと言って絶句させるのが楽しみなのです」
「プライバシーやばいわね。バカとアホと違ったやばさだわ、お前」
「初対面でお前は少し……スタッフ証? バカとアホが寄こしたのですか?」
「そうよ、私はシャオレン、よろしくね?」
「これはこれは。バカとアホに捕まるとはかわいそう……もとい奇特ですね。ボクは皇神宮御伽狂言。そう、今をときめく『童話作家』、なのです」
美しく。微笑む少女は優雅にスカートの裾をつまんでお辞儀をした。小さな店、人の賑わい。それらの喧騒さえ切り離された小さな店の中はただ、彼女の気品がで満ちていた。