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帝国陸軍第一支部シリーズ

ニコル・キングストンの野蛮でやんちゃな婚約者

作者: ゼン

 これは、ニコル・キングストンと、その婚約者レイ・グレインジャーの物語である。




 ニコルは、キングストン家の長女として生まれた。

 優しく頼りになる父と茶目っ気のある美しい母、孫達に甘い祖父といつも笑みを絶やさない祖母。

 父に似て頭の良い三つ上の兄と、年の離れた可愛い双子のお姫様(いもうと)達。

 ニコルは大好きな人達に囲まれ、裕福な家庭で何不自由なく育った。


 一方、父は現役軍人、母は元軍人の、超ごりごりの軍人一族であるグレインジャー家の一人息子のレイ。

 若い頃の武勇伝が掃いて捨てるほどある二人から生まれた、サラブレッドであるはずのレイは、物心つく頃には手の付けようがないほどの悪童として名を馳せていた。

 レイは一人息子なので、グレインジャーの名を継がなければならない。


 しかし、とてもじゃないが継がせられない。


 彼はとにかくやんちゃが過ぎる。いや、やんちゃなんて可愛いもんじゃない。手を焼き、頭も抱えて尚余りある、大問題児だった。


 レイの底なしのエネルギーを心配した両親は、彼が唯一(・・)話を聞く女の子、ニコルを婚約者に決めた。

 二人の両親が友人同士だったことも理由の一つだが、ニコルといる時のレイは比較的、普通の子供と同じだったことが最大の決め手だ。


 レイが八歳、ニコルが七歳。

 二人は幼馴染から婚約者になった。


 マイペースなニコルと、乱暴者のレイは、果たして上手くいくのか……そんな大人達の不安をよそに二人の関係はとても良好だった。


 十歳になると、暴れん坊(レイ)は早々に軍学校に、文字通り放り込まれた。

 グレインジャー家の男児が必ず入らねばならない軍学校だが、初等部から入ったのはレイが初めてだったらしい。


 軍学校の厳しい縦社会で揉まれたレイが、すぐに大人しくなったかといえば──なるわけなかった。


 グレインジャー夫人は息子のやらかした後始末で方々(ほうぼう)を駆け回り、何十、何百回と頭を下げた。

 嘆く夫人の背中をニコルは何度も撫でて励ました。


 上級生と喧嘩して相手の鼻を折ったり、軍学校の寮室内で花火をしたり、夜中に校内に忍び込んで肝試しをしたり、授業をサボって屋上で肉を焼いて食べたりと、レイとおそらく同じ理由で放り込まれた悪餓鬼共はここぞとばかりに結託して、思い付く限りの悪ふざけをした──そして、死ぬほど上官を怒らせた。


 レイとその悪友(あくゆう)達のせいで、現在の軍学校の規則はとんでもなく厳しい。

 ニコルは、さも愉快そうに笑うレイから「顔も知らねえ後輩共に俺は恨まれてる」と、聞いたことがある。

 得意(ドヤ)顔で言うことではない。まったく仕方のない男である。


 しかし、その悪行も徐々に収まっていった。

 恨みを買った上官や、理不尽な先輩の酷しい訓練(エグいシゴキ)私刑(リンチ)に耐え(時には反撃し)、心身ともにレイは着々と成長していった。


 レイは、長期休みには必ず帰ってきた。

 グレインジャー家には帰らず、真っ直ぐキングストン家に来るレイを、ニコルはいつも笑顔で迎えた。

 レイに会える夏季休暇と冬季休暇は、ニコルにとって大切なものだった。


 十四歳の夏季休暇を境に、レイはニコルと『ただいまの抱擁(ハグ)』をしなくなった。

 手を広げ駆け寄ったニコルをレイが「やめろ」と言って止めたのだ。

 ニコルはあの時、生まれて初めてレイの照れた顔を見た。

 そして、ニコルは恋に落ちた。ニコルの初恋である。


 十六歳になると、レイは兄と別の生き物なのでは? と疑うくらい体格に差ができていた。

 ひょろりと背が高い兄と、同学年の誰よりも体が出来上がっているレイ。

 そんな(文系)レイ(脳筋)はどういうわけか馬が合うようで、ニコルを置いて遊びに行くこともしばしばあった。




 そして、十八歳になり成人したレイは──


「はあい! レーイ」

「ねえ。レイ君あっちで一緒に飲まなぁい?」

「Mr.グレインジャー、こんばんは」

「いい夜ね、ナイス・ガイ」

「レイ・グレインジャーさん、今日も素敵ね」


 ──女性から人気のある男になっていた。


 ニコルは思う。サマー・パーティーの会場内には、魔物が棲んでいる、と。

 ギラギラした、獲物を狙う猛禽類のような女達の目がレイを狙っている。


 レイの隣には腕を組んで並ぶニコルがいるというのに、妖艶な美女、綺麗なお姉さん、()()サバサバ女子……とにかくレイに声をかけてくる。皆、胸が重そうな年上の女性ばかりだ。


 ちょっと、待て。お前らの目は節穴か? お前らが声をかけた男の隣を見てみろ。


 半年後に軍学校を卒業するレイは、正式に軍に所属することが決まっている。

 その所属場所というのが、帝国陸軍第一支部という実力で選ばれた将来出世、間違いなしの花形支部だった。


 その将来性は、整った見た目と相まってレイを持て囃した。


花形軍部所属(エリート)で見た目の良い優良物件』

 それが、女性達のレイに対する評価である。いや、その優良物件にはニコルという婚約者がいるのだが……。

 婚約者がいても遊んで欲しいと思う女や、婚約者からぶんどってやろうと企む女、愛人などの二番手狙いの女がそこそこの数いる。

 皆、手練である。


 先週、ゴシップ雑誌の『気になる男性』という特集に載ってからは、ますます人気が(とど)まることを知らない。

 そんな『時の男』は、声をかけてきた女性を軽くあしらい六杯目のシャンパンを手に取っていた。


「ちょっと、レイ」

「ん?」

 小さく名前を呼ぶと、屈んでくれるレイの耳にニコルは口を寄せる。

「飲み過ぎないで。酔っ払いなんて嫌だからね」


 ニコルのお小言にレイは、はんっと鼻で笑ってシャンパンを一気に飲み干した。

 ニコルの知っているシャンパンの飲み方ではない。


「こんなん酒じゃねえ。水だ。酔いやしねえよ」

 水ではない。度数十一パーセントの(アルコール)である。


 むすっと頭二つ分高いレイを睨むと、何がおかしいのか、くくくと笑いはじめた。

 声をかけてくる女性達には、爽やかに微笑み返しているのに、ニコルにはどうだ?

 こうである。


「なあ、ニコのダチにはもう全員挨拶したろ? 帰ろうぜ。クッソつまんねえんだけど」

 退屈そうに七杯目のシャンパンに手を付けるレイがふざけてニコルに寄り掛かる。

「レイ、やめてよ」

 注意をしても、にやにや笑うだけで、どんどん体重をかけてくる。重い。本当に。


 サマー・パーティーは、かしこまったものではない。

 若者の為のカジュアルなパーティーだ──頭に『裕福な』という文言は付くが。

 ニコルは今日ここで、女学校の仲良しの友人達にレイを紹介した。


「はじめまして」


 心地良い声で挨拶をするレイは、まるで貴公子のようだった。

 猫を被り過ぎて、もはや別人である。


 いつもは起きてから寝るまで手を入れない黒髪を後ろに撫で付け、額を(あらわ)にしたレイはとんでもなく色気があった。

 太い眉に、高い鼻、ミステリアスなモスグリーンの瞳、どれ一つ取っても彼はこの会場で一番だとニコルは思った。

 絶対に、絶対に、言わないけれど。


 大事な友人だから、失礼のないように、と何度も、いや会場に着くまで何十回は釘を刺したが杞憂だった。

 彼は完璧に任務を遂行させたのだ。

 ──そんなわけで、こんなにだらけていても怒れないニコルである。


「帰りてえ」

「……レイの友達に、まだ挨拶してない人いるんじゃないの?」

「あいつらに挨拶なんていらねえよ。おっ()んだらすりゃあいい。なあ、帰ろうぜ」

 死んだら挨拶はできない。


「うーん、わかった。帰ろう」

 実はニコルも早く帰りたかった。レイに折れたふりをしつつ、内心ほっとする。

 レイを見る女達の視線が不快で堪らないし、ニコルを品定めするように眺めた後、あからさまに煽り笑う様子が最悪だ。


「そんなにパーティー退屈だった?」

「ああ、酒は水だし」

「水じゃないってば……まあ、いい。帰ろ」

「今日お前ん()泊まる」

「レイ、自分の家に帰らなくていいの? そろそろ、おじ様に怒られるよ」

「別にいい。ヒューゴの買ったビリヤード、俺もやりてえ」

お兄ちゃん(ヒューゴ)、すぐ飽きてたよ……」

「いいんだって」

「どうせ、レイもすぐ飽きる」

「わかったから、ほら、帰るんだろ?」

「うん」

 

 シャンパンをがぶ飲みしたレイは用を足しに行き、ニコルも化粧室で自分の姿を確認することにした。

 口紅を塗り直し、さっと髪を梳かす。

 鏡に映る自分に向かってにっこり笑ってから、ニコルは化粧室を出た。


 会場の入り口に着くと、レイが軍学校の友人ナイジェルに捕まっているのが見えた。

 レイの一番の悪友である彼は、今日ニコルが挨拶された時こそ好青年に見えていたが……こうして二人並んだのを見ると、なるほど、である。

 きっとあの二人なら比喩ではなく、世界を征服しそうである。


 呼びに行ってもいいが、レイの楽しそうな顔を見て、待つことを決めた。

 ああして笑っていると、まるで子供みたいだ。

 ただし可愛くないクソ餓鬼であるが。


「──ニコルさん、ちょっといいかしら?」


 よくない。


 突然ニコルの前に現れたのは、膝丈の真っ赤なタイトワンピースを着用している、『カップルクラッシャー』と渾名されているエリカ・パーキンスだった。

 ぴったりとしたワンピースはメリハリのある体を強調していて、女のニコルですら目のやり場に困る。

 一方のニコルは足首が見えるくらいの丈の、薄桃色のツーピースのプリーツスカートという出立ちである。


「なんでしょう。私、もう帰るのですけれど」

 若干苛立った声のニコルに、エリカは頬に手を当て態とらしく息を吐いた。

 分かりやすい煽りである。


「私、レイといい(・・)仲なの。だから、ニコルさん、彼と別れてくれない?」

 十センチはあるヒールを履いたエリカは、勝ち誇った顔でニコルを見下ろした。


「エリカさんは、私達が婚約しているのを知らないと仰ってる?」

「あら嫌だ。大昔のお貴族様じゃあるまいし。親同士の口約束の婚約でしょ? お子様(ベイビー)の貴女に彼が付き合ってあげてるのよ」

 どちらかと言うと、レイがお子様である。


「貴女のお家、すごいお金持ちだし」

「……はあ?」

 家が金持ちなのとレイとの婚約は全く関係がない。


 口角を右だけ上げて笑うエリカを見て、ニコルは──キレた。


「じゃあ、貴女()()聞いてあげるね。……『なんで私がレイと別れなきゃいけないの?』」


 すっと表情を変え、口調も変わったニコルに一瞬エリカが怯んだ。


 ──勝負有り。

 たまたま近くを通りがかった、ニコルの友人ドロシーはエリカの敗北を悟った。


「……貴女みたいな、貧相な体でレイは満足しないわ」

「ふうん?」

「私なら、きっと満足してもらえるんじゃないかしら」

「あはっ!」


 何がおかしいの、とエリカは呟く。


 ニコルは、コーラルオレンジの唇で意味深に弧を描き、エリカの目の前に一歩大きく踏み出した。

 二人の距離は、とても近くなった。


 そして──


「貴女には特別に教えてあげるね?」


 耳元で囁かれたエリカはなぜか、ピクリとも体を動かせない。


「レイが、私の体で満足できないなんて嘘。だって、レイは私のことも私の体も、大好きなんだもん。それとね、嫌いなタイプはエリカ・パーキンス。貴女みたいな女だよ」


 ニコルはにっこり笑って、そう言うと三歩後ろに下がった。


 エリカは耳を疑った。


 ──信じられない。

 名家キングストン家のお姫様であるニコルが?

 こんな純真っぽい顔しておいて? ……これだから、清純系の女は嫌いだ。

 そして、聞き捨てならない「嫌いなタイプ」の後に続く言葉。


 こちらは信じたくない……!


 今一番旬な男の婚約者、ニコル・キングストン。

 世間知らずで箱入り娘のお嬢様を、他の子みたいに揶揄って遊んでやろうとしたエリカは、この時点で負けていたが、この後に起きることによって完全に撃沈することになる。


「──ニコ、(わり)ぃ。ナイジェルの馬鹿に捕まってた……ん?」

 エリカに気付いたレイが居住まいを正し、「ニコのお友達かな?」と他所行きの声と笑顔を向ける。詐欺顔だ。

 この笑顔にならニコルも振り込んでしまいそうだ。


「……レイの知り合いだって言ってるけど」

「は? 違うけど。誰?」

「私が紹介しよっか」


 そして、ニコルは微笑んだ。


「あ、ちょ、ま、待って、ニコルさんっ!」


 待たない。


「彼女、エリカさんていうの。でね、レイと私に別れて欲しいんだって」



 ──エリカ・パーキンス、終わったな。

 ドロシーは足早にその場を離れた。

 ニコルに喧嘩をふっかけるなんて、馬鹿としか思えない。


 武装せずに戦地に行くようなものだ。








 破天荒で、無敵の大問題児。


 そんなレイだが、どうしても勝てない相手がいた。

 婚約者のニコルだ。

 一つ下のこの婚約者の前では、レイは昔から悪さができなかった。


 十四歳の時に、二コルへの自分の気持ちを自覚したレイは、帝国陸軍第一支部への所属を目指すことにした。

 その理由は「ニコにかっこいいと思われたいから」だった。


 第一支部への道のりは、とてつもなく大変──でもなかった。

 軍学校で実技成績一位のレイには余裕だった。


 そして十八になる二月(ふたつき)前、第一支部への所属が決まったレイはキングストン城の城壁を登って、ニコルに夜這いをしかけた。


 翌日、父親にはぼっこぼこに殴られ死にかけて、母親には罵倒を浴びせられた。

 グレインジャー夫妻は平伏する勢いでキングストン夫妻に謝罪した。

 しかし、キングストン夫妻は「結婚するんだから問題ない」とあっさり許してくれた。軽い。

 ニコル本人も、「あの壁よく登ろうと思ったね」と呆れたくらいで怒らなかった。


 あまりにもあっさり許されたレイが、調子に乗らないはずもない。


 行為を覚えたての(レイ)はニコルの柔らかい体にすぐに夢中になった。

 バレたら父に半殺しにされるというのに、レイは懲りない。全然懲りない。バレなきゃいいのだ(バレる)。

 足が折れても、腕が折れても、例え死にかけたとしても、何としてでもやりたい。

 レイは発情期のど真ん中にいた。


 サマー・パーティーは、ニコルの友人達に、「こいつ無いわー」の烙印を押されない為に参加した。

 女のそういうところは、時に屈強な男より恐ろしいものなのだ。

 それに、ニコルの友人達は皆、良いところのお嬢様であるから、きっと将来付き合いが発生する。

 その日の為になら猫は三千匹は被れるレイである。


 つまらないパーティーを終わらせて、可愛い婚約者とイチャつけると浮かれていたレイは軍学校の馬鹿仲間ナイジェルに捕まった。

 下世話な話で盛り上がってからニコルの元へ向かうと、ニコルは知らない女と一緒にいた。


 それ(エリカ)は、可愛い婚約者と自分を引き離そうとするケバイ女だった。


「お前、死にてえの?」

 レイの言葉に女は声にならない悲鳴を上げた。顔は真っ青を通り越して、白い。


「レイ、もういいから帰ろ?」

 殺気が溢れかえるレイの腕に、ニコルはするりと自分の体を潜り込ませる。


「ああ。……エリカ・パーキンス、名前と顔覚えたから。お前、今後ニコに近付いたら殺す」

「……っ!!」

「返事は?」

「っ、は、ぃ」

「クソが」


 レイは舌打ちをしてから、ニコルの肩を抱いて会場を後にした。


 ──この日から、レイ・グレインジャーを狙う女は居なくなった。

 同時に、ニコル・キングストンに喧嘩を仕掛ける命知らずな女も居なくなった。





【完】

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