義妹に虐げられる不憫姉の中身が悪女に乗っ取られた話
「ぐす……ぐすっ……」
「どうなされたのですかレーナさま!まさかレティナさまにっ……!!」
メイド長が真っ青な顔でレーナに駆け寄り、守るように抱きしめる。そして、キッと憎悪を含んだ目で公爵令嬢を睨みつけた。
「いくら養女とはいえ、レーナさまはあなたと同じく公爵令嬢です!あなたのような傲慢な方がレーナさまを妹と思えないのは当然ですが、非道な行いは慎んでくださいませっ!!」
屋敷の主人である娘に対し、メイド長は怒りのあまり身分の差を忘れて怒鳴った。自分の腕には弱弱しく震える可憐なレーナがいる。こんな優しくて弱い方をいじめるなんて、レティナはなんという悪女だろうか。
「あ、あの……わたくしは、ただ……」
なおも言い訳をしようとするさまは見苦しい。メイド長のビビは腸が煮えくり返った。またレーナの震えが自分にも伝わり、不憫さが募った。
「この件は旦那さまに申し上げますから!」
レティナの言い分も聞かず、ビビはレーナの肩を抱いて部屋から出て行った。
一人残されたレティナは泣きたいのをこらえ、割れたティーカップの破片を拾い始めた。
── 私さえ我慢すればいいの……。
レティナはメイド長が思うような悪辣な人間ではなく、むしろ優しい慈愛溢れる女性だった。孤児院を自ら訪れては炊き出しや雑務を手伝い、街の子供たちに読み書きを教えるなど、彼女の善行は数知れない。だが、これらはすべて『レーナ』がやったことにされ、逆にレーナがやった悪行はすべてレティナの仕業にされていた。
叔父の庶子だったレーナをレティナの父が養女としてこの屋敷に引き取った。弟の忘れ形見のレーナを父は実子以上に可愛がり、レティナの言い訳も聞かず、レーナばかりをひいきした。
レティナは釈明を試みたが、父は聞く耳をもたなかった。また、屋敷の人間はレーナに心酔しており、侍女ですらレーナに傾倒してしまった。もともと人見知りで話下手のレティナはレーナの蹂躙に耐えるしかなかった。
騒げばもっと酷いことが待っているだろうし、孤児院への寄付額を下げられてしまっては困る。
唯一のよりどころにレティナは尽くしたかった。
公爵家の領内にある孤児院は五つ。そのうちのリンデルガーデンは都市部にあり、子供の数も多くていつも財政がひっ迫していた。
「レテさん。いらっしゃい」
孤児院に通うとき、レティナは偽名を使っている。話しかけてきた彼は孤児院の少年でディーリという。同い年ということもあり、よく会話をする。
子供たちもレティナを慕ってくれ、ここにいる時だけは嫌なことを忘れられた。
「ねえ、アンタ。」
「はい?」
レティナは一人の少女に呼び止められた。彼女は怪しい微笑みを浮かべると何やら呪文を唱えだす。
「アンタの人生、アタシが貰うわ……」
本名をグシアという少女は前世の記憶がある転生者だった。物心ついたときにはここが魔法の世界だと知り、独学で魔法を覚えた。世にも珍しい闇の魔力持ちなので善行に使えば今頃王立学園の特待生となっていただろうが、グシアは上昇志向が高く、高位の女に成り代わろうと日夜魔術の研究をしていた。
そして白羽の矢が立ったのが孤児院によく来るレティナである。
レティナに恨みはないが、グシアは自分のために他人が犠牲になることを屁とも思わない、悪辣非道な女だった。
こうして公爵令嬢になったグシア……改めレティナは、堂々と国内有数の大貴族、グーレンバッハ公爵家に入り込んだ。
「ふざけんじゃないわよ!何私のドレスを勝手に持っていってんのよ!」
屋敷を震撼させるほどの怒号が、レティナ公爵令嬢の口から響き渡る。場所はレーナの部屋である。扉を蹴倒す勢いで開け、レティナはレーナに怒鳴りつけた。
レーナは目を丸くしたし、取り巻きの侍女も目を白黒させた。
「返さないなら勝手にとっていくわよ。って、この首飾りも私の奴じゃない。これすっごく気に入ってた奴なのに!!!!」
ズカズカと入り込んだレティナはクローゼットを開けるとあれやこれやと引っ掻き回していく。
「あ、あの……おやめくださ……きゃああ!」
我に返った侍女がレティナを止めようと腕に手をかけるが、レティナはその腕を振り切った。肘が侍女の胸にあたり、バランスを崩した彼女は床に転がる。
「おやめくださいですって?!寝言は寝てから言いなさいよ!アンタの主人が私の部屋からドレスを盗んだのよ!それとも何、アンタがやったの?だったら重罪ね。即刻首にしてやるわ」
レティナの冷たい目が侍女に刺さり、彼女は震えあがる。すがるように侍女はレーナを見たが、レーナは目をそらした。何しろ盗みのきっかけはレーナである。『あのドレス。本当は私のなのに。お姉さまに盗られてしまったわ……』とわざとらしくため息をつき、侍女の正義感を利用した。
今までも同じ手でレティナからドレスを奪っていたが、レティナの抗議は可愛らしいもので、侍女にやり返されて泣きそうな顔で引き下がっていた……のだが、今回はまるで勝手が違う。
レーナは苦し紛れに言い放った。
「お。お父さまに言いつけてやるから!」
そのとき、レティナの動きが止まった。レーナは弱みを握ったとばかりに誇らしげに胸をそらす。
「お父さまにアンタが私の部屋に怒鳴りこんできたって言いつけるから!メイド長にも!執事にも!」
「……面白いじゃない。言ってみれば?」
レティナのあざ笑いにカチンときたレーナは遠吠えのごとく泣き叫んだ。泣けば必ずメイド長と執事が駆けつけてくるのだ。
「レーナさま!大丈夫ですか!」
「レティナさま!あなたという方は……!」
駆けつけた二人はレーナを守るようにレティナの前に立ちふさがる。だが、レティナは冷めた目をして鼻で笑った。
「メイド長。アンタの管理不足よ。レーナの侍女が私のドレスを盗んだの。家訓では盗みは何だったかしら?食事抜きで地下牢だったわよね。なにしろ私でさえ一週間前、やってもいない罪で冷たい床で寝る羽目になったもの」
「一体なんのことです……!盗みを働いたのはあなたでしょう!罰は当然です!」
「やってないわよ。だって盗まれたとかいうガラス瓶の香水。ちゃんと私が買ったやつだもの。購入記録もあるわよ。ちなみにこの部屋のほとんどのドレスの分もね」
レティナが言うとレーナが青ざめる。メイド長は訳が分からず混乱したが、堂々としたレティナの言い分は筋が通っており、不快ではあったが信じられた。
「証拠をお持ちというのであれば、侍女たちの処分は当然です……」
メイド長の言葉に侍女たちは悲鳴を上げる。レティナと違い、一日中立ち働いている彼女たちにとって食事抜きはきつい。温情を期待して侍女たちはレーナを見つめる。優しい彼女ならば救ってくれると期待して。
「あたしは知らないっ!」
レーナがそう言った。
侍女は目を限界まで見開いた。なぜ、なぜ、そう問いかけたいのに、縫われたように口が動かない。
「盗んだのは侍女たちよっ!あたしは盗んでなんていってないもん」
これは本当のことだ。レーナは一言も盗んでこいなんて命令していない。侍女が勝手に正義感を募らせて行動しただけなのだ。
レーナの答えにメイド長も執事も驚愕する。いつものレーナならすべての罪をかぶろうと泣きながら言うはずなのに。
レティナだけは楽しそうに笑う。
「へぇー。そうなの。あなたもひどい侍女を持って大変ねえ。で、その侍女をどうするの?」
くすくすと笑うレティナの表情は意地悪で、レーナは怒りに腹が焼け付きそうだった。
「公爵令嬢の私物を盗んだんだもの。屋敷から追い出すわ」
レーナの筋書きとしては侍女を傲慢な『レティナ』から守るために逃がし、みながレーナの思慮深さに感銘を受けるというもの。
レティナの非道さも際立つし、少々の苦汁ぐらいなめてやろうと思った。
「あらあら。調べたところこの子たちは帰る家もないんですって、そんな子を追い出すなんて可哀そうで私にはとてもできないわ」
面白そうにレティナは笑う。
レーナが侍女たちを見ると図星らしく、床に頭を擦り付けて慈悲を懇願している。
「……被害にあったのはお姉さまですから。お姉さまの判断に任せますわ」
「それじゃあ、この子たちを貰うわ。おまえたち、名前を言いなさい」
「ナナと申します……」
「ミリと申します……」
震えながら侍女たちは答えた。
レーナはレティナの引き取る発言に唾をのんだ。冗談じゃない。用済みの爆弾をこの屋敷に置いておくなんて!
「それじゃあ、お邪魔したわね。ああ、このことは私からお父さまに伝えておくわ。あなたも自分の侍女が盗みを働いたなんて言いたくないでしょう」
レティナは勝ち誇ったように笑いながら、ミリとナナを引き連れて部屋を出て行った。
レティナがいなくなったあと、レーナは執事とメイド長に質問攻めにあった。レーナは苛立ちながらも、必死に涙を流し、
「あの侍女は……信頼していたのですが……。私よりもれっきとした貴族のお姉さまの方がいいって常々言っていました。彼女たちのよい主人になれなかった私の罪です」
といたいけなヒロインを演じて見せた。
執事は不憫さにおいおい泣いた。メイド長は心配そうにレーナを見つめたが、少しだけ違和感を胸に抱えた。
夜、父を交えた晩餐で先に口を出したのは執事のファードマンだった。レーナの侍女の非道を説明し、レティナの指金ではないかと付け加える。不正を許さない熱血漢の彼は老齢に似合わず饒舌にレーナの不幸を嘆いた。
「レティナ。今の話は本当か!」
父は娘を怒鳴りつけた。いつもなら、父に糾弾されたショックでロクに話せないレティナであるが、中身は根性最悪のグシアである。
「いいえ。嘘ですわ」
にっこり。
向けるまなざし、笑みの浮かべ方、首の角度。すべてが計算されている。
もともとの美しさに加えて堂々としたレティナの態度に公爵はうっかり見とれた。亡くなった最愛の妻の面影がそこにあり、不覚にも目頭が熱くなる。
「そ、そうか。嘘か!」
公爵は愛妻家だった。妻が白といえば黒を白と言っちゃうほどの男である。だが、亡きレティナの母は品行方正で慈愛の人だったので公爵は道を誤らずに済んだ。
「冗談が過ぎるぞ。ファードマン。はっはっは」
「じょ、冗談ではありません!わたくしは確かにレーナさまから聞きました!レーナさまはレティナさまと仲違いをされたくなくて耐えていらっしゃるのです!」
「本当か、レーナ?」
「ほんt「嘘ですわ」」
レーナの返答の前にレティナがにっこりと答える。
「そうか嘘か!」
「ええ」
公爵は上機嫌に笑い、レティナも笑う。
レーナは悔し気ににらむが、レティナは涼しい顔でワインを飲む。レーナは瞳を潤ませ、執事を見つめた。
だが、執事はその涙を『言わないで。私さえ我慢すればいいのですから』の意味だと捉えた。何しろレティナにいじめられても、レーナはいつも耐えてレティナを庇っていたのだから。
執事は大きくうなずいた。
レーナは期待に目を輝かせた。
「旦那さま、申し訳ありません。嘘でした!」
「そうか嘘か!ハハハハ!」
「オホホホホ!」
その夜、レティナの高笑いが脳にこびりついたレーナは怒りでぜんぜん眠れなかった。
翌朝、レーナはレティナにビンタされたと大声で泣いた。ちなみに嘘ではなく、本当である。御用商人が持ってきた布地を独り占めしようとしたのだが、レティナに「アンタなんてぼろ雑巾が似合いよ!」という言葉とともに頬を張られた。
レーナはわあわあ泣いた。だが誰も来なかった。レティナが怖かったからである。
部屋に戻ったレーナはナナとミリの代わりに専属となった侍女に「お姉さまに頬をぶたれたの」と泣きついたが、「今日は水をかけられなかったのですね」と見当違いなコメントをもらった。
「え、あの。ビンタよ?頬をぶたれたのよ?」
「ええ、でも、いつもは水をかけられたり、足で踏まれたり、鞭で打たれたりされますけど、今回はビンタだけなんて、レティナさまも変わりましたね」
メイドが感心するように言う。
ちなみに「お姉さまにビンタされた」というレーナの訴えは日常茶飯事で、「頬を張られるくらいなら我慢できる……でも、氷水をかけるなんて……」とビンタの他に何かしらがプラスされるのだ。
もちろん今までのビンタも他の被害もレーナの作り話であって実際はそんなことされたことないのだが。
「ビンタだけなら良いって仰ってた甲斐がありましたね!」
メイドは明るく言い放つ。彼女の父は酒乱で暴力が日常だったため、『ビンタ』だけで済むなんてラッキーと本当に思っているのだ。レーナは人選を間違えた。
次の日もレーナはレティナにビンタされた。メインディッシュを横取りしようとしたからだが、仕返しとばかりにメインディッシュとデザートを分捕られた。
料理長に泣きついたら、
「へえ、今日は二皿だけだったんですね。いつもは全部取られるのに……。レーナさまは最近太り気味ですから、カロリー的にはちょうどいいかもしれません」
とまで言う始末。
今までレーナが吹聴していた悪行がすごすぎるため、真実を訴えても味方になってもらえなくなったのだ。オオカミが来るぞ、オオカミが来るぞと嘘をぶっこいて本当に来たオオカミに食い殺されるオオカミ少年と同じである。
ちなみに被害はレーナだけにとどまらない。
家庭教師のカテジーナは地味で大人しいレティナを憂さ晴らしの道具にしてイジメていた。レティナさまはロクに話を聞かない。レティナさまに殴られた……と、レーナと似たようなことをやっていた彼女は、中身グシアのレティナに散々な目にあわされている。嫌みを言えば100倍になって返ってくるわ、鞭で叩こうとすると、「公爵令嬢の私の体に傷をつけるつもり?」と脅される。
レーナと違ってぶたれたりすることはないが、代わりにネチネチとカテジーナのコンプレックスをあげつらう精神攻撃がおぞましく、顔を見ただけで胃痛がするレベルである。
公爵家お抱え家庭教師の地位はおしいが、このままだと神経が持たない。逃げるしかないとカテジーナは公爵の執務室の扉を叩いた。
「旦那さまっ!わたしはもう面倒見られません。授業中にレティナさまはマニキュアを塗っているんですよ!」
レティナに言われたことをそのまま伝えると、イジメがばれてしまうので彼女の素行の悪さをメインにしたのだが、
「なんと!ちゃんと椅子に座るようになったのか!進歩だな!やはりあなたに任せて良かった!」
公爵は豪快に笑った。
以前、レティナの愚行を忠告しに来た彼女に公爵は家庭教師を辞めるかを尋ねたことがある。カテジーナは真剣な目でこう言い切った。
「いいえ、旦那さま。彼女をまっとうな人間にするのが教師たる私の使命です。たとえ頬をぶたれようと、足蹴にされようと、私は彼女を見放しません。どうかお任せください」
とまさしく教師の鑑たる姿を見せたのだ。
なので、殴る蹴るの暴力がなくなったのだから、喜んでいいんじゃないかと公爵は本気で思った。
ちなみに孤児院の方でも変化があった。表向きはレーナが孤児院に支援していることになっているのだが、レーナは何もしていなかった。もちろんグシアたるレティナもやっていない。
嘆願書が山のように届き、執事はレーナにいかがいたしましょうかと尋ねてきた。
「………せ、せっかくだからお姉さまにお願いするわ。子供たちにふれて優しい気持ちになってくれればうれしいもの」
「いけませんレーナさま。悪逆非道のあの女に崇高なこの事業を任せることなんてできません!どうかご自身でやり遂げてくださいませ。この老骨、お手伝いいたしますぞ!」
レーナは徹夜で作業する羽目になった。しかも、やったことがないので聞かないとわからないし、だんだんと執事の目も厳しくなってくる。
最後の方では、
「この事業を本当にやっていたのはどなたですか……?」
と冷たい目で聞かれた。
徐々に化けの皮がはがれていくレーナは、あるとき、堪忍袋の緒が切れてレティナに殴りかかった。メイドや侍従が驚く中、物を投げ合い、怒鳴りあい、ののしりあって日が暮れた。
レーナの本性を知った執事やメイドたちは、もはや味方にならなくなった。
「おかしい。ぜったいにおかしい。お姉さまは偽者よ!!!!!」
ある日、レーナは皆が集まっている食堂でレティナを糾弾した。
「どういうところが偽者なのかしら」
レティナはにっこりとほほ笑む。
だがレーナは黙るしかない。
なにしろ、「お姉さまはいままで口答えなんかしなかった!」とか言えば芋づる式に自分の悪事がバレる。
ぐぬぬ……と押し黙るレーナにレティナは優しい微笑みを投げかける。
レーナは心の中で叫ぶ。
「ぜったいに化けの皮をはがしてやる!!!!覚悟しろよ!!!!!!」
■
そのころ、グシアとして庶民に落ちた本物のレティナはなんと貴族のお屋敷で養女になっていた。グシアになったレティナが道端でオロオロしていたところを、貴族の老婦人に拾われたのである。
もともとレティナは貴族の娘としての教養はちゃんと身に付けていた。というのは亡き母がしつけに厳しい人だったからである。
「本当にあなたは庶民の娘さんなのかしら?教養も作法も素晴らしいわ」
「恐れ入ります。お話ししても信じていただけるかどうかわかりませんが、わたくしはこの女性と入れ替わってしまったのです」
レティナの話に老婦人は驚きもせず最後まで聞いてくれた。
「それは禁呪と呼ばれる恐ろしい魔法よ。かけた子は知らなかったかもしれないけど、とても魔力を消費するの。魔力が尽きると元に戻ってしまうから……せいぜい一二か月というところね」
「そんな……戻ってしまうのですか?」
レティナは外の世界に出てあの屋敷がいかに自分にとって恐ろしいところかを知った。
悲嘆にくれるレティナに老婦人はにっこりとほほ笑む。
「ふふふ、禁呪に手を出すほどの図太い娘だもの。あなたの屋敷で好き放題やっているんじゃないかしら?あなたが戻るころにはお屋敷もすっかり変わっているでしょうから、居心地がよくなるはずよ」
老婦人の言葉にはなぜか説得力があり、レティナは少し安心した。だが、この娘の処遇はどうなるのだろう?入れ替わるということはこの屋敷に彼女がいるということになる。恐ろしい魔法を使う娘がここに来てこの夫人は大丈夫だろうか。
「おっほっほ。私は大丈夫よ。それに気にかかることがあるの。私の大切なコレクションの一つが大胆不敵な悪党に盗まれてしまったのよ。彼女ならその行方を知っていそうだからゆっくり聞いてみようと思うわ」
老婦人は楽しそうに笑う。
レティナは優しい老婦人と楽しく暮らした。
二か月後、気が付くとレティナは元の屋敷に戻っていた……が、使用人たちの態度は一変していた。
なにしろレーナが泣いても知らんぷりしているし、レーナがレティナのドレスを盗もうとすると侍女が怒号を飛ばす。父の公爵もレーナに厳しく接するのでレティナは目を丸くした。
レティナはいつも通りの日々を過ごす。
朝起きて花壇に水をやり、孤児院の助成や受け入れの手続きといった雑務にあたる……のだが、
「レティナ様だったんですね……!花壇に水をやっていたのは。今までずっと誤解していました」
と侍女が謝り。
執事なんてレティナの前で土下座した。
「ほんっとうに!!!!申し訳!ございません!!レティナ様がレーナさまの罪をかぶり、悪を演じて善をなすお方だったとは!この老骨知らなかったとはいえレティナ様にひどい態度をとってしまいました!!!!!どうかお気のすむように私を罰してくださいませ!!!!!」
ちなみにほかの使用人も同じように平伏する。
とまどっていると父の公爵がやってきて、
「今まですまなかった。レーナがあんなに性悪だとは思わなかったんだ。厳しい家庭教師をつけて徹底的に教育をし直す」
公爵の言葉通り、レーナの一挙手一投足はすべて監視されている。
ほんの偶然、レーナがすべって転んで紅茶をぶちまけたときも、
「まあ!!わざとレティナ様のお召し物を汚すなんて!!!!」
と信用ゼロであるため、言い訳すら聞いてもらえなくなっていた。
おろおろするレティナにレーナはきらりと目を輝かせて見つめた。
「お姉さま?本当のお姉さまですよね?今までごめんなさい。謝るから助けて?」
この屋敷で唯一、入れ替わりに気付いていたらしい。つまり、他の人間はそこまでレティナに関心を寄せていなかったことの裏付けだ。
ふとレティナは老婦人に言われた言葉を思い出していた。
『あなたはお人よし過ぎるわ。そんな性格じゃまた同じようなことが起こって食いつぶされるわよ。もっと強くなりなさい』
「……ええ、もちろんよ。私の妹ですもの。で、どうやって助ければいいかしら?具体的に教えて?」
レティナが言うとレーナは少しひるみながら、
「ええと、つまり孤児院とかの支援は私がやっていたってお父さまたちに伝えて。あと、ドレスも本当は私のもので、購入証明書も偽造したって」
ずいぶんと図々しいお願いだ。かつてのレティナだったらホイホイ言うことを聞いていただろう。
レティナはにっこり笑う。
「わかったわ一言一句間違えないで伝えておくわ」
レーナは目をキラキラさせて「なるべく早くねー!」と声を弾ませて部屋に戻っていった。
食事の時、レティナは言葉通りにみんなの前で一言一句間違わずに伝えた。
そのときのレーナの表情は面白かった。顔が青くなったり赤くなったり、目を吊り上げたりしていた。
「──とレーナに言われましたの。約束ですから申し上げますわ」
「お前には苦労を掛けるなレティナ。レーナに更生の余地はないらしい。修道院に行け!いやならルース伯爵の後妻だ!」
ルース伯爵は金貸しを生業とした好色で有名な老人でなんと50人余りの妾がいる。妾に対する扱いは酷く、捨てられて救貧院に保護された女性もいる。
レーナは顔を真っ青にして「修道院!修道院に行きます!!」
と叫んだ。
そこも厳しくて有名なのだが、ルース伯爵のところに行くよりはマシだと思ったのだろう。
なお、レティナと入れ替わりで老婦人の屋敷にきたグシアは消息を絶った。老婦人は「逃げ足が早かった」と残念そうな顔で言っていた。グシアの思惑はどうあれ、レティナは彼女のお陰で救われたので幸せになって欲しいと思う。
(まあ、でもレーナをやりこめるほど強かな彼女ならどんな苦難でも乗り越えられるでしょうし、わたくしが心配することもないわね)
レティナはそう考え、記憶からグシアを忘れることにした。
なお、グシアはその後、狙った侯爵家の嫡男と結婚するのだが、穏和で優しい彼に荒んだ心が軟化し、平々凡々な家庭を築いた。
心を入れ変えた彼女は、
(魂を入れ換えるなんてレティナに悪いことをしたわ。彼女が困っていたらいつか助けよう)
と思っていたのだが、色々経験して強かになったレティナは女公爵として社交界の中心人物までなり、名誉と権力を手にし、グシアの出番はなくなったのであった。