「見ず知らずのうみに」
想像してみてほしい。
全く面識のない女性に、馴染みのない土地で、いきなり話しかけられるのだ。
しかもその場所は個人宅の敷地内。これはちょっとした恐怖体験に他ならない。
視界がぐらつく。自分がなにをしているのかわからなくなる。
そんなことを頭の中で一通り繰り返した後、僕は持ち前のコミュニケーション能力を精一杯発揮させた。
「い、犬か猫だとどちらが好きですか?」
我ながら情けない。
「あまり動物は好きではありません」
突然の問いに驚くこともなく、意外にもすんなりと答えてくれた。
「そうなんですか・・・」
僕には対人スキルがなかった。
次に続く言葉も出てこない。それを察してか、今度は彼女が質問をする。
「旅行でこちらにいらしたのですか?」
僕はその言葉の意味を100回ほど咀嚼してから返答した。
「そうですね」
絶望した。消えてしまいたいと思った。
僕の内省などには全く気付かず、彼女は続ける。
「やはりそうでしたか。見たことのない方でしたので」
なるほど。それで僕に話しかけたというわけか。こんなことなら、暑いのを我慢してでも室内にこもっていればよかった。そんなことを延々後悔していると、彼女は突然、
「私を海に連れて行ってくれませんか?」
と、そう言った。
海?なにを言っているのだろう。まさか見たことがないわけじゃあるまいし。
「そうなんです。見たことがないんですよ、海」
とても驚いた。驚天動地といっても差し支えないぐらいに。
都会に住んでいる、海のないところに住んでいる僕ですらも何回かは見ている。
買い物へ行くにも一苦労なこの村では、ほとんどの人が車を持っているし、ましてやこの村は高台に登れば海が見えるのである。
そんな環境下で、海を見たことがないという彼女の言葉はお世辞にも現実味を帯びているとは言えなかった。
しかし、彼女の言葉はとても嘘や冗談を言っているようには聞こえなかったし、目は海のように澄んでいた。
だから、僕は気がつくと未だに緊張した声で、
「明日、見に行きましょう」
と、見ず知らずの女の子の不思議な頼みに了解をしていたのであった。
前書きは連載に限り、書かないことにしました。
筆者は人が多いので海は嫌いです。誰もいない砂浜なんてのは雅でいいのですが。
どのくらいで完結になるかはわかりませんが、お付き合いくだされば幸いです。
ではまた。