変わらぬ、環境
「なぁぁぁ!?」
俺は空中に舞う加入申請書……だったものを慌ててキャッチする。
予め記入されていた名前をはじめ、必要な欄はすべて埋まっているが、これではもう使いものにならない。
「サ、サラちゃん、お前なにやってんだ! てかなに言ってんだ!」
「聞いての通りです。私は今まで通り、イブリスさんに着いていきます」
「おい、それじゃこいつは……!」
俺は真っ二つになった加入申請書をサラちゃんの目の前に掲げる。サラちゃんはそれを迷わず払いのけた。二切れの紙が再び宙を舞う。
「アトミスには入りません。レオさんたちには申し訳ないですけど……」
「どうしてだ! 一度は入ると言っただろう!?」
「話が変わりましたから」
サラちゃんは決意を秘めた表情で俺をまっすぐに見つめる。
「記憶が少しの間しか保てないなんて……放っておけるわけないじゃないですか! そんな状態のイブリスさんから離れるなんて、私にはできません!」
そして、俺と目を合わせたまま今の自分の気持ちを力説した。
しまった……こうなることを全く予想できていなかった。サラちゃんはこういう子だと、少し考えればわかったはずなのに。
「くっ……駄目だ駄目だ! サラちゃんには何が何でもアトミスに入ってもらう! そのほうがサラちゃんのためにもなるんだからな!」
「いいえ、入りません! イブリスさんに着いていきます! もう決めたんです!」
ああ、またサラちゃんのこれが始まってしまった。こうなった彼女を言いくるめるのは干し草の中から針を探すよりも難しいと言っても過言じゃない。
……だが、今回ばかりは引くのはNGだ。
言いくるめが難しいなら、突き放してやる。
「駄目なものは駄目だ! いいかサラちゃん! 君がついてきたところで、俺の記憶を戻す手助けになる保証は一切ないんだぞ!」
そう、記憶が消えていく俺を心配して着いてきたところで、彼女に何かができるわけじゃない。結局は今まで通り、サラちゃんの魔法を鍛えつつクエストをこなして生きていくだけだ……ギリギリの生活で。
ならば離れたほうが互いのため。サラちゃんは安定した生活とちゃんとした師匠を手に入れ、俺は弟子を養う必要もなくなる。
「でも、私が手助けにならない保証も一切ないですよね?」
しかし、サラちゃんも一切引こうとはしなかった。
「確かに、イブリスさんの記憶を取り戻すために何をすればいいのかなんて、私には検討もつきません。それでも、もしかしたら私が力になれることだってあるかもしれないじゃないですか!」
サラちゃんは必死の形相で俺の言葉への反論を続ける。
「それに、記憶を保つために定期的に会うくらいなら、今まで通り一緒にクエストに行ったほうがいいと思います!」
……くそう、悔しいが、最もだ。
サラちゃんが俺の記憶を取り戻すための役に立つとは限らないが、役に立たないとも言えない。
記憶を保つため……というのも、確かにサラちゃんの言うとおりだ。
「……だが、サラちゃん……何度も言うが、これはサラちゃんのためでもあるんだぞ。結局は俺はこの街で邪険にされてる人間にすぎない。そんな人間の下を離れて、ギルドに入れるチャンスだ」
「ギルドは……ギルドに入るチャンスは、この先いくらでもあります。でも、イブリスさんの記憶は……もし、イブリスさんが私たちのことを完全に忘れちゃったりなんかしたら……」
サラちゃんが顔を俯かせた。その声は少し、ほんの少しだけ、震えている。
「確かに、イブリスさんの言うとおりかもしれません。アトミスに入ったほうが、私の生活も安定するし、同じ白属性のセルテさんからの修行も受けられます。でも、でも……!」
俯いていた顔が、再び上げられる。
今まで通りの、決意を固めた、真っ直ぐな目。しかし、その目には……きらりと光る、涙が浮かんでいた。
「私がここまで冒険者を続けてこられたのは、イブリスさんが居たからなんです! 私は……だから私はっ! 少しでもイブリスさんの役に立ちたいんです! 例え何も出来ないかもしれないとしても……! ただ、傍に居るだけでもっ!」
涙をぼろぼろと流しながら、大声で俺に向かって語りかけるサラちゃん。
俺は、それに対して何も言わない。いや、何も言えない。目を合わせることすら、できなかった。
「……わかったよ」
幾つも浮かんでくる言葉の中から、探して、探して……ようやく声に出せたのは、そのたった一言だった。
俺がなぜ彼女の師匠になることを承諾したのかが、先ほどからずっと疑問に残っていたが……
あーあ……なるほど。こんなんじゃ確かに、俺が弟子入りを受け入れちまうわけだ。
「えっ……じゃあ!」
サラちゃんの表情が一気に明るくなる。涙もピタリと止まり、俺を見つめる目は眩しく輝いた。
「そこまでせがまれて断れるかよ」
「やったぁ! イブリスさん、大好きです!」
「うわっ、離れろ! 離れろサラちゃん!」
そう言ってサラちゃんは突然、俺に抱き着いてきた。
やれやれ、この子の感情表現の仕方はどうにも激しい……困ったものだ。これが街中だったらさぞかし騒がれていただろうに。
「良かったんですか? イブリス」
サラちゃんを半ば無理やり引きはがすと、今まで傍観者に徹していたラディスが話しかけてくる。
「まあ……別に大丈夫だろ。結局は今まで通りってことなんだからな」
「……君がそれで良いなら、僕も何も言いませんが」
そう、結局、これで何かが変わるわけじゃない。
今までと同じように、サラちゃんとクエストをこなし、サラちゃんと一緒の宿に泊まる。ただそれだけだ。何も変わらない。
変わることと言えば……俺の記憶喪失をサラちゃんが知っていることくらいか。
「話は聞かせていただきました」
と、そこで今まで居なかった声が聞こえた。
声のする方向を見ると、いつの間にかラディスの隣にメイド服を着た少女が立っていた。
「うわわっ!? フロワちゃん!? いつの間に!? というかどうして?」
「サラさんを追ってきたんです、突然部屋を出て行ってしまったもので。話の全貌が掴めるくらいにはここで聞いていたのですが……割り込むのも如何かと思いまして」
「病院の時といい、変なところで神出鬼没だなお前……」
俺の言葉にフロワは丁寧なお辞儀で返す。何に対してのお辞儀だそれは。
しかし、フロワにも聞かれていたか。俺が記憶喪失だという情報がどんどん広がっていく……良いことなのか悪いことなのか……
「ところでサラさんがイブリス様の元へ戻るというのなら……パーティ解散の話は、撤回ということで間違いないでしょうか?」
ああ、やっぱりお前もついてくるつもりなのね……まあ、こいつの防御は役に立つから、居て損になることはないか。
小遣いで生きているフロワなら宿代もかからない。フリーターとして大助かりだ。サラちゃんもフロワが一緒のほうが嬉しいだろう。
「えへへ、これでまた一緒に冒険できるね」
「……はい」
二人は早速いちゃつきはじめる。こういう時、サラちゃんは積極的だがフロワは顔を赤くして目を逸らすのが定番だ。
ともあれこれからも、行動するときはこの三人一緒ということになるか。
「さて、話はひと段落着きましたかね」
サラちゃんとフロワが仲睦まじく話し、それを俺が見守る。そんな光景に、ラディスの声が割り込んだ。
「これだけ人が集まっているのなら、僕の用事も一緒に話してしまいましょう。イブリスも落ち着いたようですし」
ああ、そうか。こいつにはまた別の話があったんだった。それをレオたちへ話に行く途中だったはずだ。
議会帰りなのだから、今回の事件の話であることは間違いない。なにかわかったことがあるのだろうか?
だが、ラディスの表情がやけに険しい。俺は少し身構えた。
「残念ながら、あまり良いニュースとは言えない話です」
「だろうな。一体何があった?」
ラディスは俺の問いに、少し言葉を選ぶようなそぶりを見せ……そして、その"ニュース"を口にした。
「ノゼル・リケイドが……獄中で死亡しているのが発見されました」
「何?」
「え、えっ!? そんな、ノゼルさんが!?」
ラディスのニュースに、俺たち三人は多種多様な反応を返す。
突然の訃報に驚くサラちゃん。無言で眉をひそめるフロワ。
一方の俺は……驚きこそはしたが、そこまで大きなショックではなかった。ノゼルのあの様子を見るに、狂い死んでもおかしくないと思っていたからだ。最も、本当に死んでしまうとは思わなかったが。
「死因はなんだ?」
「……不明です」
「不明だと?」
これは予想外の返答だ。
「外傷は全く無し、薬や何かを飲まされた様子もなし……だから直接の死因は不明ということです」
「主様、お言葉ですが……その言い方では、まるで誰かに殺されたかのような言い方に聞こえます」
「流石フロワ、鋭いですね。その通りですよ」
「!?」
廊下の空気が一気に凍り付くのを感じた。
「死因は不明ですが、一つだけ……手がかりが残っていました」
手がかりだと、ふざけるな。そんなもの言われなくてもわかりきっている。
死因もわからないような殺し方ができるのは……何より、ノゼルを殺したいだなんて思う存在は、一つしかない。
「彼女の遺体には、黒属性の魔力の痕跡が残っていました」
……奴に力を与えた、悪魔の軍勢だ。
「今、"機関"では悪魔の軍勢の仕業に間違いないとして捜査を進めています……が、相手が相手ですからね。正直成果は期待できないでしょう。どうやって牢獄に侵入したのかさえ不明なもので」
侵入手段さえ不明、か。
「フロワ、"機関"の牢獄ってのはどんなセキュリティになってるんだ?」
「……私も牢獄に関してはあまり詳しくはないのですが……地下深くに作られ、出入り口は専用のものが一つだけ。そこも24時間体制で看守が立って監視されているとは聞いています。中にも、許可された者しか入ることができないと」
なんだ、十分詳しいじゃあないか。
出入口は一つだけ、か。ノゼルを直接殺しに行ったのなら、そこを通らなきゃいけないわけだ。
だとすれば、牢獄に入って行った奴は絞られてきそうだが……
「その看守は一体どうしてたんだ?」
「残念ながら、今日は誰も通していないようですよ。昨日、ノゼルが捕まった時は数えきれないほどの出入りはありましたがね」
そう簡単にはいかないか。
相手は悪魔だ、元よりこちらの常識が通じるとは思わないほうが良いだろう。
「で、でも……ノゼルさんが死んじゃったってことは……」
「手に入る情報も手に入らなくなっちまった……目的は十中八九口封じだろうな。くそっ」
この事件で一番有力な情報源が失われてしまった。
一応、機巧士ではペンドラゴンとハンニバルが生き残っているはずだが、こちらはあまりあてにならないと考えたほうが良い。
ヴェルキンゲトリクスがわざわざ『ノゼルを止めてくれ』と頼んできたくらいなのだ。あの二人も何も知らないだろう。特にハンニバルはどちらかというと俺たちの味方に近いのだから。
「大丈夫、まだ迷宮入りしたわけではありません。確かにノゼル・リケイドが殺されたのは大きな損失ですが……先ほど言ったように、黒の魔力の痕跡がありますからね。雲をつかむような話ですが、これを手掛かりに捜査は進められます……ここからは僕らの仕事です」
一つ、大きな情報は消えたが、小さいながらも新しい情報はある。この街に潜む悪魔への道が潰えたわけではない。不幸中の幸いといったところか。
なんにせよ、これ以上俺たちみたいな一般の冒険者ができることは無さそうだ。
「だがこうなった以上……俺たちも十分に警戒する必要がありそうだな」
「え……? ど、どうしてですか? 私たちはノゼルさんと違って何も知らないのに……」
「サラさん」
俺の発言に疑問を呈するサラちゃん。それに、俺に代わってフロワが解答する。
「私たちが何も知らない、ということを、向こうは知らないのです」
「あっ……そうか。それでもしかしたら、私たちが狙われる可能性も……」
俺はサラちゃんに向かって頷く。
「俺たちが既にノゼルから何かを聞きだしたかもしれない、あるいは戦闘中に情報を手に入れたかもしれない……と、奴らはそう思っている」
奴らにとっては俺たちは不確定要素だ。賢明な判断を下せる存在なのであれば……間違いなく、消しにくるだろう。
「その通りです。我々当事者はターゲットにならないという補償はありません。ノゼル・リケイドの訃報も伝えたかったことの一つではありますが……それ以上に、警戒を促すのが本題です」
ラディスも最初からそのつもりでここに来ていたか。
悪魔の軍勢が予想以上に近くまで迫ってきていたとなると"機関"はかなり慌てているだろうが、俺たちは俺たちでまだまだ安心することはできなさそうだ。
……ここまで大きな事件に関わったってだけで、街じゃまた俺の悪い噂が流れるだろうに。
「はぁ……」
「い、イブリスさん? 大丈夫ですか?」
「……なんでもない、ただこれからのことを想像してちょっとテンションが下がっただけだ」
気のせいか胃が少し痛くなってきた。
「とにかく、色々な調査に関しては"機関"が受け持ちます。君たちは……くれぐれも、気をつけて」
「りょーかいだ」
俺が軽い返事をするとラディスは少し会釈をして、アトミスのメンバーが居る部屋へと向かって行った。あいつらにも同じ話をするのだろう。
そして廊下には、俺を含めていつもの三人が残される。
「さて……二人とも、動く元気はありそうか?」
「問題ありません」
「私も大丈夫ですよ! でも、どうしてですか?」
「……決まってんだろ」
俺は自分の銃と、銀の弾丸の残り弾数を確認する。
「クエスト、受けに行くぞ」
さて、まずは今日のノルマを達成しなきゃな。
***
「な……なんだこりゃあ!?」
とある男が、アヴェントの街の一角で驚嘆の声をあげた。
この男は、ヒュグロンに所属する冒険者である。ここ数日間、男は遠方のクエストをこなしており、それがようやく終わってこの街へと帰ってきたところだ。
ところがどうだろう。帰ってきてみれば、自分の所属するギルドの本部が、変わり果てた姿になっているではないか。
建物はほとんど原型をとどめておらず、入り口には『立入禁止』の立て看板。なにかの調査中なのか、"機関"の職員が行ったり来たりしている。
「おかえり」
瓦礫と化した本部の前でわなわなと震える男に、一人の女性が話しかけた。この女性もヒュグロンに所属する冒険者。即ち男の知り合いである。
「よ、よお。なぁ、一体何があったんだこれ? ギルドの皆は?」
「残念ながら私にも詳しいことはわからないわ……出張から帰ってきたらこれだもの」
どうやらこの女冒険者も遠方へ出払っていて、今回の事件へは巻き込まれなかったようだ。
「"機関"に色々聞いてみたのだけれど、どうも情報の開示がされていないらしくて……でも、目撃者からなら話は聞いたわ」
「目撃者?」
「ギルド本部がこうなった時、結構派手だったみたいよ? なんだか空を飛ぶ、見たことも無い機械がこの本部を破壊したって」
「はぁ? なんだそれ? 流石に嘘っぱちだろ?」
ヒュグロン所属とはいえ、この二人は一般の冒険者に過ぎない。自分たちのギルドのマスターが機巧士という存在を作り出したことなど、知る由も無い。
「見たって人が何人も居るから、残念ながら本当みたいね。他には……そうそう、その少し前に黒の魔術師が本部に入っていったって……」
「黒の魔術師だと!? ははーん、奴のせいか!」
「そんな、まだそうと決まったわけじゃ……」
「状況からしてどう考えても怪しいだろ?」
女冒険者から反論は無かった。
「やっぱりあいつ、悪魔の手先だろ……少し前に悪魔を撃退したなんて話があったけど、それもどうせ自作自演に決まってる!」
好き勝手に語る男冒険者だが、女冒険者は止める様子が無い。止められない、と言ったほうが正しいか。この街においては、イブリスはそういう存在なのだ。
「くそっ! 俺たちのギルドを滅茶苦茶にしやがって!」
「あーら、対した"憎しみ"……ねぇ、ちょっといいかしら」





