不穏な空気と不吉な瘴気
「ここは……居住区か?」
イブリスたちが階段を上がると、そこは真っ直ぐに続く廊下だった。右手方向には扉が並び、左手方向には窓。そこからは下の冒険者たちの往来が見える。
アトミスの本部でも同じような光景を見た。これはギルドに所属する冒険者が利用する個室だ。しかし、やはりここにも人の気配はない。
「この扉を一つ一つ調べるなんて言わないでくださいよ」
「いや……鍵がかかってるな」
イブリスが近くの扉をいくつか開けようと試みるも、全てが固く閉ざされていた。部屋の中からは物音も聞こえないため、誰もいない状態で外から鍵がかけられているようだ。
「居住区にも人が居ないとは……とことんまで人払いを済ませているようだな」
レオが腕を組みながら呟く。酒場に人が居ないのはまだしも、生活の場にまで誰もいないというのはギルドマスターとしても流石に違和感を感じるらしい。
一体、ヒュグロンのメンバーはどこへ行ってしまったのか。
「なんにせよここには何も無さそうだ。さっさと次の所へ……」
「……待ってください、セルテから連絡です」
どうやら、もう一つのチームが何か見つけたらしい。
リアスが空中に透明な球を出現させる。普段本人にしか聞こえない伝達魔法の声を周りの者にも聞こえるようにするための、スピーカーの役割を果たすものだ。
「あー、あー……こちらイブリス。どうした?」
『たい……だ! こ……きが……』
「……なんだって?」
聞こえてきたのは慌てた様子のセルテの声だった。しかしノイズが酷く、何を言っているか全く聞き取れない。
ただ、向こうで何かが起こっている、それだけは確かだった。
「おい、何が起きてる!?」
『……ここは……瘴気の影響が……!』
「何!? やはりか!」
「……駄目です。切れました」
通信はそこで途絶えてしまった。
しかし、最後の言葉はハッキリと聞き取れた。"瘴気の影響"……つまり、悪魔の瘴気がこの建物に影響を与えていると。
「くっ……こうしてはいられん! すぐに降りて、向こうと合流を!!」
「いや、そいつは無理だな」
レオの提案は、すぐにイブリスに否定された。
「見ろ、もう降りれねえよ」
3人が上ってきた階段があった場所は、何もない、ただの床と化していたのだ。
「なにぃ!?」
「階段が……消えている……」
レオとリアスの二人が床を調べるが、いくら探しても階段は無い。
隠し階段だとか、そんなものではなく、建物そのものが変形して階段を床に変えてしまったのだ。
「瘴気の影響があるってのは確からしいな。そうでもないとこんなレンガ造りの建物が変形するなんざあり得ない」
悪魔の瘴気に影響を受けた物質や生物は、通常ではありえない挙動をすることがある。
以前、森でサラが樹木に襲われたように、動くはずのない物が動くこともあるのだ。
今回もそう。レンガが変形するという普通ではありえない動きが悪魔の瘴気の存在を裏付けている。
「くそっ!! これではあの3人を助けに行けないではないか……!」
レオは跪き、悔しそうに床を思い切り殴る。仲間たちが危機に晒されているというのに、何もできないのだ、その心中は穏やかなものではないだろう。
「くっ……仕方ない、進むしかないでしょう」
「ああ、もしかしたら他の道もあるかもしれん。だから落ち着け」
イブリスとリアスがレオに声をかける。
2階に上がるための階段がここ一つとは思えない。どこかに下りの階段がまだあるはずだ。
……もちろん、その階段が使えるという保証はどこにもないが。
「そう、だな……ここで止まっていても何もできん……」
レオがゆっくりと立ち上がり、廊下の先を見据えた。
とりあえずは一本道だ、敵の姿は見当たらない。しかし瘴気の影響がある建物だ、一本道でも何が起こるかわからない。できるなら、ここは一気に駆け抜けてしまいたいところである。
「ただちょっと待ってくれ。ひとつ、質問がある」
だが、そこでイブリスが待ったをかけた。
「……お前ら、ここに悪魔が絡んでること、知ってたろ?」
イブリスは、二人を尋問するような口調と表情で、そう問い詰めた。
イブリスの問いかけに二人は押し黙る。どこか、迷いを感じる表情だ。
「瘴気の影響があるって聞いたのにいくらなんでも反応が薄すぎる。まるで前々から知ってたみたいにな。ここに入る前にもリアスの様子がおかしかったし……さっき連絡を受けた時、『やはり』っつったろ?」
二人が言葉を発しないために、イブリスはさらに畳みかけた。
ヒュグロン本部に突入する前のリアスの何かを懸念するような表情、瘴気の連絡を受けた時の言葉、そして反応。
通常、悪魔の瘴気がこんな場所に影響を与えることなどない。もう片方のチームのように軽いパニックになってもおかしくないはずなのに、この二人は大して動じなかった。その後階段が消えていることへの反応のほうが大きいくらいだ。
そのうえで、イブリスはこの結論に達したのだ。
二人は、この場に悪魔が絡んでいることを知っていた。
「……で、どうなんだ。何かあるか?」
「違う……と言えば嘘になります」
リアスからは、否定とも肯定ともとれる微妙な返事が返ってきた。
「確かに、我々はヒュグロンがどこかで悪魔と関わっているだろうという情報は掴んでいた」
続いて、レオが話を続ける。
「以前、この辺りで黒い魔力を感じたという報告がギルドメンバーから上がってきたのだ。最近、ヒュグロンがやけに好戦的になっているのもあって、まさか悪魔と手を組んだのでは……という予想は立てていた」
「俺に接触したのもその関係か?」
「疑っていたわけではない。お前がヒュグロンから疎まれていたのは前々から知っていた……そんなところに手を貸すのはお前にはメリットが無い。接触したのは単純に協力を頼みたかったからだ」
目には目を、歯には歯を、黒には黒を。
イブリスに接触したのはあくまで利害が一致する関係であったからだと、レオは言う。
「隠していたのはすまなかった。だが、本当に悪意はないのだ……信じてはくれないか」
レオは、なおも真剣な目で話を続ける。
イブリスをまっすぐ見つめるその視線の中には、真剣さと共に焦りが宿っていた。ラディスとフロワ、そしてセルテの安否がわからないこの状況なのだ、当然の事である。
逆に言えば、レオは自分たちがどうなるかわからないこの状況においても、仲間たちの事を心配しているのだ。
ふとリアスの方向へ視線を移す。ここまで隠していた後ろめたさ故か、彼はイブリスと目が合うと暗い表情で目をそらした。
「……はぁ、別に俺ぁお前らの事を疑ってるわけじゃねぇよ」
イブリスはため息と共に頭をぼりぼりと掻いた。
「ただ疑問に思ったことについてハッキリさせたかっただけだ。お前らに悪意が無いことなんぞもうわかってるわアホタレ」
短い付き合いではあるが、それでもこうして行動を共にしている仲である。イブリスも、この二人に関しては一定の信頼は置いている。
確かに声をかけてきた当初こそ少し警戒はしたが、それをここで掘り返すのは野暮というもの。もしも寝首をかこうとしているのならばとっくにやっているだろう。
「ほれ、話を長引かせるわけにもいかねぇだろ。クヨクヨしてないで行くぞ」
イブリスが二人の背中をドンと押す。リアスはよろめいたが、体格の良いレオはイブリスの力ではびくともしなかった。
「……ああ!」
「そうですね……! 今は、サラちゃんを助けないと!」
それをきっかけに、二人の表情に色が戻ってくる。
なんてことはない、結局は同じ目的を持った仲間であることに代わりは無いのだ。変に考える必要など、どこにも無い。
「……ところで」
さて、そうして三人がまた気合を入れたところであるが。
「さっきから後ろの壁が迫ってきているような気がするのだが……?」
やはり、相手はいつまでも待ってはくれないものだ。





