暗闇にて
「うわぁ……ぬめぬめしてる……」
洞窟をサラの明かりで照らしながら進む。
入り口は人が数人通れるほどだったが、中はそれよりもずっと広い。洞窟の深さに比例して広さもどんどん増していく。
潜ってから数分経ったが、今やサラが明かりをつけていても遠くに暗闇が待ち構えている状況だ。
そしてなによりも特徴的なのはその壁面。若干のぬめりがあり、それも深く潜るにつれてどんどん強くなっていく。
「潤滑油みたいなものだ、大蛇が動きやすい環境を作ってるんだな。なにせここは奴の巣だ、ここまでくるとどこからでも襲われる危険があるな」
「ちょっと怖くなってきました……」
やはり年頃の女の子というのはこういうものが苦手なのだろう。突入するときはあんなにもテンションが高かったというのに、今となってはかなり大人しい。
いつ、どこから襲ってくるかわからない。そんな疑念と不安が心を支配している状態だ。
「……おかしい」
そしてイブリスもやはり疑念と不安を抱えていた。サラのそれとはまったく違うものではあるが。
静かすぎるのだ。
確かに蛇は静かに獲物を待つ生き物ではある。しかしここまで来ているのに気配の一つも感じないのはどういうことだろう。
洞窟内に居ない?いや、それはない。洞窟内に続いていた跡がそれを証明している。
……と、なると。
「っ!い、イブリスさん!」
突如、サラが足を止めた。
「サラちゃん?どうした?」
「ま、前……前!」
サラの表情は青ざめて、前方を指す人差し指をはじめ、全身ががくがくと震えている。立っていられるのが不思議なほどである。
イブリスはそんなサラを守るように陣取り、彼女が指す方向に視線を向ける。
「……おでまし、か?」
サラの光球に照らされて、暗闇にそれが浮かび上がる。
恐らくは潤滑油である物質でおおわれた鱗。それを無数に張り付けたような太く、細長い胴体。
視界に入りきらないほどの長さを持つ、この洞窟の主たるもの。
「へ、蛇が……!」
「待て、様子がおかしい」
間違いなく、このクエストの討伐目標。森の洞窟に巣食う大蛇は。
「……もう、死んでる」
物言わぬ亡骸となって、暗黒の中に横たわっていた。
「……っ!」
「きゃっ!?」
そこからのイブリスの行動は早かった。
すぐさまサラの手を引いて大蛇の死体の陰に隠れ、息を潜める。この巨体は身を隠すのにちょうどいい。
突然引っ張られたことに驚いたからか、サラの光球も消えてしまったが、それもこの状況でなら好都合だ。
「ど、どうしたんですかイブリスさん……!?」
「しぃ……」
何もわからず戸惑うサラに対し、人差し指で”静かに”のジェスチャーを見せる。サラは素直にそれに従った。
「ちとまずい状況になった」
イブリスは小さく、しかしサラには聞こえるレベルのボリュームでそう告げる。
切羽詰まった様子のイブリスから何かを感じ取ったのか、サラも真剣な表情で疑問を返した。
「なにがあったんですか……?この大蛇が死んでることに、心当たりがあるんですか?」
「こいつは他の冒険者に意図的に倒されたんだ……先回りしてた冒険者たちにな」
間違いなく、三大ギルドに所属している誰かだろう。まさかこんなにも早く行動してくるとは。
対策云々の話を考える暇など与えてくれないわけか。
「先回りって、どうしてそんなことを?受けるクエストが被っちゃったとか、そもそも自然死とかも考えられるんじゃあ……」
セレナから件の話を聞いていないサラは未だに混乱の渦の中だ。ちゃんと説明しなければならないだろう。
「クエストのダブルブッキングなんてまずあり得ない。それに自然死するような魔物なら討伐依頼なんか出されないさ……まあ、無いわけじゃないが」
ダブルブッキングの件に関しては本当にあり得ない話だ。クエストの受注状況は”機関”とそのデータベースによって厳重に管理されている。そのために受注の際にわざわざ魔具を使って登録するのだから。
討伐対象が自然死または事故死する……というケースは、はっきり言って稀に起こる。
……が、セレナの話を考慮すると今回は他冒険者による襲撃と考えた方がいいだろう。
「……実を言うとだな。俺たちがとある団体から狙われてるって話を聞いたんだ」
正確に言うと”俺たち”じゃなく”俺が”だがな。
心の中でそう付け足し、巻き込んだことにこっそりと謝罪をして、話を続ける。
「狙われてる……?ど、どうしてですか!?」
サラからは予想よりも大げさな反応が返ってくる。最初からイブリスの事を慕っているサラにとっては、イブリスを狙うなど考えもしないようなことなのだ。
「俺が居ると都合の悪い連中も居るってことさ」
三大ギルドの仕業だという事は伏せておく。将来、サラがイブリスのもとを離れるときにギルドという物に対して偏見を持たないようにするためだ。
あまり勧めはしないが、三大ギルドに入りたいと言う事もあるかもしれない。サラには、自由な選択をしてほしいのだ。
「じゃあ、この大蛇を私たちより先に倒したのが、その、私たちを狙う団体の……?」
「その可能性が高い。そしてもしそうだとしたら」
「……この洞窟のどこかに、潜んでいる?」
「正解だ、よくできました」
少し余裕を見せるような返事をしたが、イブリスも実際は気が気でない。
大蛇とはまた違う、どこから来るかわからない疑念と恐怖。今度は相手の人数も相手の攻撃手段もわからないというおまけつきだ。人を相手にするが故の恐怖と言えるだろう。
自分の心臓の音がうるさい。普段よりもはるかに大きな鼓動を刻む心臓は、まるで胸に抱えた大きな爆弾だ。たった少しだけの衝撃で爆発してしまいそうな爆弾。
きっとサラも同じような感覚を抱いているのだろう。何の説明も受けずに、突然この状況に放り込まれたのだからイブリスよりも恐怖を感じているかもしれない。
「……大丈夫だからなサラちゃん、俺がどうにかする」
そんな少女を守りたくなったのか、はたまた師匠として格好がつかないと思ったのか。
イブリスは恐怖を押しのけ、そんな無責任な言葉を吐いた。