路地裏の奇襲 その2
「"ちゃっと殺る"、でしたか?」
「……あれぇ、おっかしいな」
相も変わらず無気力そうな悪魔がほんの少しの戸惑いを含めた声で言う。……フロワちゃんの盾に押しつぶされ、動きを封じられながら。
私たちには大きな怪我はない。『カルテット』ではないとはいえ、人型の上級悪魔を私たちふたりで倒したんだ。
「子供だからって馬鹿にしないでください。私たちだってちゃんと戦えるんですから!」
フロワちゃんが悪魔たちと渡り合えるのは言わずもがなだけれど、私だって後衛でただ見ているだけじゃない。
私の純白の魔力が悪魔たちにダメージを与えられると知ってから、自分の魔力を形作り、操る訓練を毎日欠かすことなく積んでいるんだ。下級の悪魔くらいだったら、もう私ひとりでも十分倒せる。
「いや、想像以上だねぇ……子供だって聞いてたし俺でも行けると思ったんだけどなぁ」
「子供の成長の早さを甘く見ないことです」
「確かに、一理ある」
不健康そうな悪魔が気だるげに答えた。どこか余裕そうな様子を見せているのは、何か奥の手があるからなのか、それとも……何も考えていないのか。
今は動きを封じているけれど、何をしてくるかわからない。私はフロワちゃんとアイコンタクトを取り、お互いに警戒を緩めないよう意識を合わせる。この悪魔、どこか掴みどころがない感じがして不気味だ。
「さて、いい加減この体制も飽きてきたな」
「!!」「ッ!」
悪魔が少し身じろぎした。私はすぐに光弾を撃てるように身構え、フロワちゃんも盾を押さえつかる力を強くした。
「……というわけで、もう何もしないので離してくれない?」
――けれど、悪魔が発した言葉は宣戦布告でも何でもない、ただの頼み事だった。
「え?」「……?」
思わず声をあげる私と、目を丸くしてきょとんとするフロワちゃん。
「だからさァ、俺が君たちに勝てないのはわかったから、もう逃がしてくれーってェこと。大丈夫、もう襲い掛かったりしないから。なァ?」
……ほ、本気だ。
この悪魔、嵌め手もなにも持っていない。心の底から、ただこの状況からの解放を願っている。なんだか心配していたのが馬鹿みたいになって、私は思わず気を緩めた。
「って、言ってるけど……どうする? フロワちゃん……?」
「流石に信用できませんね。再起不能にしてからであれば拘束を解きますが」
「いやァやめてくれって! マジで! 痛いの嫌い!」
「……」
フロワちゃんの悪魔を見る目がどんどん冷ややかになっている。彼女ももう、この悪魔が本気で降参宣言をしていることはわかっているんだろうけど……それでも、そう易々と解放してしまうわけにはいかない。
「――なら、なにか情報を提供してもらおうか」
「……! ラディスさん!」
聞き覚えのある声。いつの間にか、路地の向こうからラディスさんがこちらに歩いて来ていた。
3対1。この悪魔にとってはさらに状況が悪くなったことになる。
「案の定、悪魔が接触してきていたか。広場に居なかった時は心配だったけれど……ふたりとも大事無いようで良かった」
「私とフロワちゃんの手にかかればこれくらいお茶の子さいさい! です!」
私が笑顔でそう言うと、ラディスさんも優しい笑顔で頷いてくれる。しかしラディスさんの目線が悪魔に向かうと、その表情はすぐに真剣なものになった。
「わォ、そんな怖い目しちゃって……情報ってどんな情報?」
変わらず盾で押さえつけられたままの悪魔が、ラディスさんを見上げながら聞いた。
「この町で僕ら以外にイブリスを探している誰かが居る。悪魔の軍勢の仲間だね?」
「サァ、俺にはサッパリ」
「……まあいい。本当に聞きたいのはそこじゃあない」
ラディスさんは片膝をついてしゃがみ、悪魔に目線を近づける。
「僕らはこちらへ行くことを公にはしていない……君は、この町の方角へ僕らが向かったことを、誰から聞いた?」
「……」
ラディスさんと悪魔は互いに睨み合い、沈黙する。
この悪魔は、明らかに私たちの事を知っていて接触してきた。『カルテット』への成り上がりのために私たちを排除するという確固たる目的を持っていたし、偶然とは考えにくい。つまり、この悪魔は私たちがこの町に来ることを間違いなく知っていたんだ。
……私が知る限り、私たちの行き先がこの町であることを知っているのは"機関"の議会の人たちとカイリさん。そして最後に少しだけ話をしたセレナさん。議会の人たちから漏れることはまずあり得ないだろうし、カイリさんだって今は常にルツァリさんと一緒に行動してる。
セレナさんは……私がアヴェントに来たころからずっと親切にしてくれているんだ。まさか彼女に限ってそんなことはないだろう。
つまり、この情報は私たちの予想していないどこかから漏れてしまっていることになる。会話を盗み聞きされていたのか、それとも……"機関"に潜んでいるという裏切者の仕業?
「……なに、俺がアンタたちと会えたのは……ただ、運が良かっただけさァ」
悪魔がニヤリとしながらそう言った瞬間、ドスン! と鈍い音を立ててラディスさんのカタナが地面に突き立てられた。
「うおォ! いやいや、本当! 本当だっての! ただ何となくこの町に来てみたら、偶然あんたらがこの町に居る情報が入ってきてさァ」
「じゃあ、その"情報"を流した誰かが居るわけだ」
「……ハイ、ソノトオリデゴザイマス」
折角作った怪しい表情も、発言のアラを指摘されると即座に冷や汗と共に変わってしまう。この悪魔、どうにもしまらないなぁ。
「……?」
……私が、何か違和感を覚えたのはその時だった。
裏路地とはいえ、表の町の喧騒は少しは聞こえてくる。その中に、ゆっくり、一歩一歩確実に私たちの元へと近づいてきている足音が混ざっていた。どの方向から来るかはまだよくわからない。どうやらフロワちゃんも既に気づいているようで、辺りをキョロキョロと見回していた。
「はァ、わかった。言う、言うよ……」
ラディスさんと悪魔はまだ気づいていないのか、足音など気にも留めずに話を続けている。
「そいつァ……」
足音がそこで止まる。同時に、私たちはその方向を突き止めた。私たちの真上……屋根の上だ。
「――! フロワちゃん! 危ない!」
「ッ!?」
悪魔がその名を口に出す前に、フロワちゃんが悪魔の身体から飛びのく。
――その瞬間、地面に臥せていた悪魔の身体を、巨大な魔力の矢が上から貫いた。
「なっ……!?」
「サラさん! 上です!」
「わかってる!」
私は光弾を飛ばそうと屋根を見上げて杖を向ける。けれど一歩遅く、悪魔を射止めた"犯人"はすぐに視界から消えてしまった。
かろうじて見えたのは、大きな弓と、身体を翻した時に靡いていた長い髪……つまり、女性であるということだけ。顔も服装も、それ以外の情報はなにも得られなかった。
「おい……おい! 大丈夫か!?」
「なんじゃあ、こりゃあ……」
身体を貫かれた悪魔をラディスさんが気遣うも、悪魔は一言だけ口にするとゆっくりと目を閉じ……そして、動かなくなってしまった。
「……口封じ、ですか」
「クソッ! してやられた……! サラちゃん、敵の姿は?」
「すみません、一瞬しか……でも、少しだけなら見えました!」
「十分だ。情報が無いよりよっぽど良い」
ラディスさんは私の言葉に頷くと、倒れた悪魔に憐れみを込めた目を向ける。
悪魔を貫いていた矢は霧散していて、大きな傷口からは血が流れだしていた。私は思わず目を背ける。
「この町にも敵が居るとわかった以上、あまりここに留まるのは得策じゃないね。どこか宿に入って、誰にも聞かれないように話をしよう」
「……はい」「承知いたしました。主様」
落ち着く間もなく、少し足早に路地を去るラディスさん。私とフロワちゃんもそれに続くように路地を後にした。
* * *
「ン・ン・ン……やれやれ、お喋りだと早死にしてしまいますヨ……」
サラたちが去っていった路地を、不気味な仮面を身に着けた道化師……クロウ・ロ・フォビアが見下ろしながら言った。
クロウの隣には大きな弓を手にした"機関"の受付嬢、セレナ・ロリエスが佇んでいた。彼女の服装はいつもの"機関"の制服ではなく、冒険者然とした格好であり、その表情には意思が感じられない。
更に彼女の服装には、所々ワンポイントのようにクロウの能力のトリガーとなる紫色の百合の花が見て取れた。
「よくやりましたネェ、ロリエスさん。さて、次は……おや?」
クロウは早々にその場を立ち去ろうとするが、視界に映った光景に思わず足を止める。
なんと身体を貫かれ、絶命したはずの悪魔がゆっくりと立ち上がっているではないか。
「ぐ……ちくしょォ、クッソいてェ……運良く命は助かったみてェだが……」
どうやらセレナの攻撃は幸運にも急所を外していたらしい。それから気を失っていたのか、死んだふりをしていたのか……何にせよ、あの悪魔は死ぬことは免れたようだ。
「……ククク、なるほど。彼も中々に面白いじゃあないデスか」
クロウはその光景に仮面の下の口元を歪ませると、今度こそその路地から立ち去っていく。
「さてロリエスさん。貴方にはまだ仕事が残っています……休む暇などありませんよ」
「はい、クロウ様」
ふたりの目の前に歪なワーム・ホールが出現する。青の魔力による転移術を、黒の魔力によって無理矢理に増幅させているようだ。
セレナとクロウは、共にそのワーム・ホールの中に消え、この町を去っていった。
ククク……という、不気味な笑い声を響かせながら。





