awakE:2
「……まだですか」
「黙っていろ。すぐに着く」
「ならもっと早く歩いてください」
フロワと手をつないでルフに同行するサラから、敵意を隠さない言葉が飛ぶ。地上を覆う黒い雲の中を進む3者の間には、険悪な空気が漂っていた。
遠くから聞こえる、混乱を象徴するかのようなくぐもった喧噪。その中を、3人分の土を踏む音がまばらに響く。
「イブリスさんに一体何が起きたんですか?」
「……」
「どうして突然こんなにたくさんの瘴気が?」
「……」
「これがイブリスさんを狙っている理由なんですか?」
「……」
「答えてください!」
「黙れ、と言ったのが聞こえなかったのか?」
「っ! サラさん!」
度重なるサラの質問にしびれを切らしたルフが、彼女へと振り返って鍵を突きつける。今までサラの後ろについていたフロワもすぐに彼女の前へ立ってサラをかばった。
紙一重。少しでも前へと動こうものなら刺さる位置にある鍵の先端。少女2人とルフはその状態でにらみ合いながらピタリと動きを止める。
「†言葉無き世界に罪は生まれず† ……次に余計なことを口走ったなら、言葉を発することを禁ずるぞ。"制約"によってだ」
「……っ」
ルフからの脅迫に、2人はただ無言で睨み返すのみだ。いくら毅然とした態度を見せても、この2人ではルフには勝てない。
「上出来だ」
そんな2人のことを鼻で笑いつつ、ルフは再び歩を進め始めた。
聞きたいことは大量にあるが、ここで無駄に戦闘を始めるわけにもいかない。サラは歯を食いしばりつつ、そしてフロワはそんなサラを心配する様子を見せながら、静かにその後をついて行った。
そうしてどれくらい歩いただろうか。それほど歩いていない気もすれば、少し長い間歩いていた気もする。それくらいの時、正面に見覚えのある長身のシルエットがうっすらと現れたのだ。
「――! イブリスさん!」
顔を見るまでもない。見上げるほどの背の高さ、ぼさぼさの髪、そして手に握られ、何者かに突きつけられた銃。シルエットだけでも、それがイブリスであることは明白であった。
それを目にした瞬間、サラは握っていたフロワの手を放し、ルフも追い抜いてイブリスの元へと走り出す。
「――え?」
だが、その姿がはっきりと見えた瞬間、サラは困惑で立ち止まった。その理由はイブリスが銃を向けていた相手だ。
「どう、して……?」
イブリスの構えた銃口の先には、酷く疲弊し、荒い息で膝をついたラディスが居たのだ。
「! サラちゃん! ダメだ、来るんじゃない!」
駆けつけたサラに気が付いたラディスが枯れた声で叫ぶ。それを見てイブリスも気が付いたか、銃を構えたままゆっくりとサラの方向へと振り向いた。
「――!」
……イブリスと目があった瞬間、サラは息をのみ、体を震わせた。
その姿は間違いなくイブリスのものだ。だが、その目は、サラを見つめるその目だけは明らかに自分が良く知るイブリスとは一線を画していたのだ。
その色や瞳は同じ。だが、その視線が放つ威圧感と不気味な雰囲気は、気だるげながらも優しさを含んだいつものイブリスの目とは思えないものだった。
「……違う」
サラから一歩離れてその姿を見ていたフロワが、静かに呟く。
今まで2人に先行していたルフは……イブリスのようなものに対して跪き、頭を垂れていた。
「あぁ……君も来たのか、サラ・ミディアムス」
イブリスのような何者かが、イブリスのような声で少女の名を呼んだ。
「あなたは……あなたは、一体……?」
「俺か? そんなことを聞かれるとは心外だな。俺の事は君だってよく知っているだろう」
「ちがうッ!!」
叫び。
フロワもラディスも、サラがここまで荒げた声を出すのは見たことがない。普段はあれだけ明るく真っ直ぐなサラが、今は恐怖と困惑に支配された心を誤魔化すように顔をくしゃくしゃに崩している。
「あなたは……あなたは、イブリスさんじゃない! イブリスさんの顔をした偽物だ!」
完全に落ち着きを失ったサラは矢継ぎ早にそう言うと、杖を構えて攻撃を仕掛けようとする。
「サラさん! 危ない!」
その瞬間、イブリスのような何者かの危機を察したかのように何処からともなく下級悪魔が現れ、サラへと攻撃を仕掛けた。間一髪、フロワがその悪魔を盾で押しつぶしたことで攻撃は回避されたが。
サラは礼を述べるのも忘れてまたイブリスのような何者かと向き合うが、フロワは今自分が撃退した悪魔を見ていた。この悪魔、どこか様子がおかしい。
「早い……それに……」
フロワは見ていた。サラが杖に手をかけた瞬間にそばに異次元への門が現れ、そこからこの悪魔が飛び出してきた瞬間を。
迎撃が間に合わないかと思ったほどの早さ。そう、余りにも襲撃が早すぎるのだ。偶然にしてはできすぎている。
そしてなにより、襲ってきた悪魔には意思が感じられなかった。盾で攻撃を弾いてやるだけで簡単に倒れてしまったし、押しつぶしによる追撃の際も抵抗の様子が感じられなかった。まるで、何者かに操られているように。
「大切な師匠にそう簡単に手をあげるものじゃないぞ、サラ・ミディアムス?」
また、イブリスの声がサラの名を呼ぶ。
「それともまさか師の顔を忘れてしまったとは言わないだろうな?」
サラは何も言わず、杖を握りしめてただその顔を見つめている。フロワがそっと抱きしめるように肩に触れると、彼女の体はひどく震えていた。
「ン・ン・ン……下手な演技はやめて頂けないでしょうかねぇ?」
そうして見つめ合う両者の間に、不気味な声をあげながら瘴気の中から現れたクロウが割り込んだ。
「ボクたちはそのような演劇を見せてもらうためにアナタを呼び戻したわけじゃあ……ないんデスから」
「……ちょっとした余興だ。少しくらい楽しんでくれたっていいじゃあないか」
先程まで敵対していた者同士が、今は旧知の仲のように軽い言葉を交わしている。そしてその光景は、イブリスのような何者かが悪魔の軍勢の一員であることを示すには十分な証拠となった。
「何者ですか、貴方は」
激しく震え、落ち着きを取り戻せない様子のサラに変わってフロワがその質問を投げかけた。
「……俺は」
「統率者」
瘴気の雲の中から聞こえた大人びた女性の声が、その名を挙げた。
そして瘴気の中から妖艶な雰囲気を纏った褐色肌の女性が姿を現す。イーグル・アイだ。
「彼こそが私たちの……悪魔の軍勢の頂点に立つ者。統率者よ」
イーグル・アイは恍惚とした様子でそう言うと、まるで愛しい人に寄り添うようにイブリスのような何者かのそばへ歩み寄る。
統率者と呼ばれた、その者の元へ。
「……イーグル・アイ。自己紹介くらい自分でさせちゃくれないか?」
「あら、ごめんなさい。なにせとても久しぶりにあなたに会えたものだから」
「ま、待ってください!」
ついにサラがたまらず声を上げた。
「そんな、そんなこと……!」
サラは信じたくないのだ。まさか今まで一緒に戦ってきたイブリスが、あんなに優しくしてくれたイブリスが、少し不器用だけれど尊敬していたイブリスが……
……悪魔たちの、王であるなどと。
「……サラちゃん。残念ながら本当だ」
だが、サラの祈りは届くことはなかった。
未だ動けないほどに疲弊した様子のラディスから、無慈悲な宣告がもたらされる。
「そこに居るのは……間違いなく、悪魔を統率する者……」
「統率者だ」





