真夜中の騒動
「……さて」
煙草を一本吸い終わった俺は、灰皿に吸殻を押し付ける。
代わりに、ベッドに置いてあった銃を手に取り、部屋を出た。
ルツァリ邸。現在時刻は……わからないが、外は真っ暗。つまり、深夜である。そろそろ日付を回った頃だろうか。
サラちゃんは勿論、恐らくはフロワも、部屋でぐっすり眠っていることだろう。ルツァリが加わって回転率が上がったことで、今日はいつもより多くのクエストに行った。そのせいで疲れてしまったのか、サラちゃんもフロワもすぐに眠りについてしまったのだ。
――だが俺はまだ眠るわけにはいかない。
俺は右手に銃を、左手にランタンを持ち、暗い邸内の巡回を始める。いわば、見張りだ。
夜の襲撃もあり得る以上、警戒を怠ってはいけない。だが、眠らないのもNGだ。次の日のクエストに響くし、昼間に襲撃があった時に頭が回っていないと大変なことになる。
そこで、俺とルツァリ、片方が仮眠をとって、もう片方が邸内を巡回する、という体制をとることになったのである。……先ほど話し合って急遽決まったことではあるが。
今日は前半の巡回が俺、後半の巡回がルツァリ。今頃ルツァリは巡回のためにゆっくりと眠って体を休めているはずだ。
……悪魔は本来、"悪魔の巣"と呼ばれる特異点からのみ姿を現すもの。そのはずだ。
だが、ノゼルの殺害の時といい、先日の襲撃の時といい……最近、悪魔がこの街中に直接現れる事例が多発している。突然この屋敷の中に現れる可能性だって十分あり得るわけだ。
ここまでの警戒はやりすぎかもしれないが、決して不必要なものではない。
「ここだったな」
巡回とは言うが、見張るのは主にサラちゃんが泊まっている部屋の周辺だ。
階段を上がったところの目の前にある部屋……の、もう一つ隣。そこがサラちゃんとフロワ、二人が泊まっている部屋である。
中の二人を起こさないよう、そっと扉に頭を近づけて、聞き耳を立てる。
「とりあえず……大丈夫そうか」
かすかに……本当にかすかにだが、気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。不審な音は……特に聞こえてこない。ありがたいことに、今は異常はないようだ。
――こんな事してると俺が不審者みたいじゃないか。
一瞬、そんな思考が脳内をよぎったが、ぶんぶんと頭を振ってその考えを振り払う。
これはサラちゃんを守るための行動だ。しかもルツァリと話し合って決めたこと(つまり、証人が居るということ)だ。確かに動きだけ見ると怪しいかもしれないが、これは正当な行動なのだ。
「……一人で何考えんだ俺」
あまりこういう事を言ってはいけないのだが……見張りというのは、本音を言うと、襲撃がなければ暇なものだ。
勿論、何もないのが一番だ。定期的にこの部屋の周辺を見回り、部屋の中の物音を伺う。俺もルツァリも、ただただそれを繰り返して、それだけで朝を迎えることができるのが一番。
……そう、それだけで数時間過ごすために、忍耐力を要するというだけの話。
その単調作業に耐えかねて、変な思考が頭をよぎるのもまあ当たり前の話と言えるだろう。……今こんなことを考えているのも含めて。
「はぁ」
ほんの少しだけ部屋の前に座って、またすぐに立ち上がる。
10分くらいは経っただろうか? もしかするとまだ5分も経っていないのかもしれない。 いや、1分くらいしか経っていないか?
こうも何もないと時間の感覚も全くつかめない。暗闇のせいで時計も見えないというもの……そもそも俺はこの家のどこに時計が設置されているのか全く知らないが。
俺はランタンを持って、再び周辺の巡回を始める。
サラちゃんたちの部屋のほうへ、注意を向けながらだ。扉は闇の中に消えてしまうが、足音は判別できる。自分以外の足音が聞こえたら……襲撃の合図だ。
……最も、聞こえたら、の話なのだが。
ああ、結論から言うと、何の異常もなかった。二階をちょこっと一周回ってみたのだが、怪しい物音も聞こえず、怪しい物陰も見当たらなかった。
そうして、俺はまたサラちゃんたちの部屋の前に戻ってきた。
――この"サイクル"が、どれだけ続くんだろうな。
ちょっとした邪念を抱きながら、また、扉の前で聞き耳を立てる。
「――!」
"サイクル"の崩壊は……思ったよりもずっと早く訪れた。
部屋の中から寝息以外の音が聞こえる。がさごそと、何かを探るような音。
サラちゃんやフロワが起きた訳ではない。寝息はまだ、二人分聞こえてきている。
――部屋の中に、何者かが進入している。
「くっ……!」
俺はすぐに銃を構え、勢いよく扉を開けて部屋に突入した。
その衝撃で片手のランタンを取り落とす。幸いにもガラスは割れなかったが、衝撃で火は消えてしまった。無論、再点火する余裕などない。
なにか……なにか異常だ。なぜフロワは起きない!?
あいつはこんな時、悠長に寝ているような奴じゃあない。寝ていたとしても怪しい気配を感じた途端に飛び起きるような奴だ。サラちゃんが狙われているこの状況となれば、尚更。
だが、なぜか起きてこない。まさか、何かされたのか?
「動くなっ!」
部屋の中には、何者かの影があった。サラちゃんのベッドの側に立ち、掛け布団に手をかけている。
体格からして女。髪型はロングで、ドレスを着ているようだ。暗くて顔は見えない。ランタンの明かりが消えた今、頼りになるのは窓の外の月明かりだけだ。明るさが足りなさ過ぎる。
フロワは……ぐっすりと寝ている。これでも起きる気配がないとは、やはり何かされたのか。フロワだけではなく、サラちゃんまで起きる気配がない。
「!!」
侵入者が動いた。俺はすぐに発砲する。
二発。挨拶代わりだ。
「……!!」
だが銃弾は侵入者をかするのみ。近くのサラちゃんに気を使って狙いが甘くなってしまったか。
侵入者も攻撃を仕掛けてくる。影が何かを投げるような動きをしたと思うと……細長いものが数本、俺目掛けて飛んできた。
「――! イーグル・アイ!?」
俺は飛来したそれをかわしながら、侵入者に向かって叫ぶ。俺に当たらなかったそれは、背後の壁に突き刺さった。
この飛び道具、イーグル・アイなのか?
……いや、違う。イーグル・アイじゃない。奴はロングヘアーではなかったし、ドレスも着ていなかった。
なにより。
「投げナイフ……」
得物が違っているのだ。
「っ! くっ!」
侵入者からの追撃――二本の投げナイフが俺を襲う。
俺は一本を銃で、もう一本を素手で叩き落とした。相手がイーグル・アイでないのなら、武器に触れるのもとりあえず問題はない。
「おいフロワ! なに寝てやがる! いい加減目を覚ませ!」
未だに目を覚まさないフロワを呼びながら、侵入者に向かって銃をもう一発撃った。
魔法を使いたいのは山々だが、流石にこの室内で使うわけには行かない。サラちゃんやフロワ、そして俺まで巻き込まれてしまう可能性もある。
「――!」
「イブリス……様?」
銃弾は侵入者の肩を掠めた。同時にフロワがようやく目を覚ます。
「っ!? これは……!」
「ようやく起きたか寝ぼすけ。さっさと盾持ちやがれ」
起きた瞬間に状況を把握したらしいフロワは、飛び起きてベッドに立てかけられた盾を持つ。
室内での取り回しを考えてか既に分解されており、片側だけの小さな状態だ。
「どうした!? 襲撃か!」
騒ぎで目を覚ましたか、仮眠を取っていたルツァリも部屋にやってきた。
「……!」
3対1。分が悪いと判断したか、侵入者は窓を開けて外へ逃れようとする。
「逃がすものか!」
が、侵入者が窓を開けた瞬間、強風が吹き込み、侵入者は部屋内に押しもどされた。
自然に吹いた風ではない。ルツァリが魔法で風を発生させたのだ。
倒れた侵入者を、フロワが押さえつける。
「イブリス、明かりを!」
「ああ……!」
俺は部屋の外に落としたランタンを拾い、懐からマッチを取り出して再点火した。淡い炎の光が部屋を包む。
さあ、その顔を拝んでやろうじゃあないか。
俺はフロワに押さえつけられている侵入者のほうへ、ランタンの光を運んだ。
「あ、ああ! は、離して~! で、でも押さえつけられるのもいい……かも……!」
……そこには、見覚えのある顔があった。
「……おい。何をしているのか……聞いてもいいか? リリー」
俺は侵入者……改め、リリーに冷たい視線を送った。
「……これはどういうことだ……リリー」
ルツァリも隣で静かに声を出した。無表情が恐怖を誘う。
「あ、あーえっとこれは……」
「返答次第では右腕を折ります」
「え、ええ!? よりによって利き腕!」
……フロワが一番容赦ないな。
* * *
侵入者の正体はリリーだった。
目的は……言うまでもないだろう。彼女に言わせれば「側にいることで私なりに守ろうとしたんです!」らしいが……どうやら、外に締め出されたのにまだ懲りていなかったらしい。
思えば投げナイフは全て微妙に狙いが外れていた。攻撃したのも、逃げようとしたのも、"正体不明の侵入者"を貫き、自分だということを隠そうとしていたらしい。こういうことをする辺り、邪念のこもった目的があることを暗に認めていることになるんだが……
フロワが目を覚まさなかったのもある意味当然だ。敵意への警戒は十分していたのだろうが、リリーに敵意はないのだから。
……結果としてリリーはフロワに右腕を折られかけ(流石に未遂に終わったが)、その晩中はベッドにベルトで固定して身動きを封じる、という処置をすることになった。
ここまでしても表情に若干喜び……もとい悦びが浮かぶ辺り、これで懲りるとは思えない。もう手も足も出ないと言った感じだ。
家政婦としての仕事ぶりが素晴らしいのは今日だけで俺も痛感しているが、よくもまあ、ルツァリはこんな奴と一緒に住んでいるな……
結局、悪魔の襲撃は、その気配すら感じられることもなかった。その晩はそれ以上の事件は起こらず。
何事もなかったかのように――夜は明けたのだった。





