そして街は眠りにつく
「うぅ……さ、寒いです……」
しばらくして食事も終わり、外に放り出されていたリリーさんも戻ってきた。
「ずっと外に居たんですね……」
「だってまさか鍵が開いているなんて思ってなかったもの……」
リリーさんは結局、最後まで鍵が開いていることには気づかなかった。途中から扉を叩く音も消えていたし、半ば諦めていたんだろう。
迎えに行ったとき、玄関前でうずくまって震えるリリーさんを見たときには、流石に同情を覚えた。少しだけ快楽の色が混ざった表情を見た瞬間、その同情も薄れてしまったけれど。
「ま、まだ寒いです……お願い! 暖めてフロワちゃげほぁ!」
身体を抱えてぶるぶる震えていたリリーさんは、突然フロワちゃんに抱きつこうとして……無言の回し蹴りを喰らっている。
駄目だ、この人全然反省してない。
「な、ならサラちゃん……!」
「えっ!? わ、私!?」
フロワちゃんには触れられないと判断するや否や、"暖房"の矛先は私へと向けられた。
私にはすぐに抱きついてくるわけではなく、両手をわきわきさせながら、じわじわ私へ近づいてくる。それだけでも十分怖いのに、寒さで震える両手が、不審者感を更に増している。
その雰囲気に押されて、後ずさりする私。リリーさんはそんな私との距離をどんどん詰め、そして……
「やめろ」「また追い出されたいか?」
……イブリスさんとルツァリさんの二人に、同時に頭を叩かれた。
「あ、ご、ごめんなさいお二人とも! 反省してます! 反省してますから……あ、ちょっと! お、お嬢様! 離してください! お願いですからもう外には出さないでください~! あっでもたまにはこういう意地悪もいいかも……」
「救いようがないなこりゃあ……」
イブリスさんの声と表情から、とてつもなく引いているのがわかる。自他共に認めるお人よしのこの人がここまでの反応をするなんて、よっぽどのことだ。
「はぁ……食事は温めなおしておいたから食べておけ。風呂は私が沸かしておくから」
「えっ、でも、それは私のお仕事……」
「いいから。お前も腹が減ってるだろう?」
「お、お嬢様~!」
「お嬢様呼びはやめろと言っているだろう! いいから食べて来い!」
ルツァリさんの気遣いに感激して、またもや抱きつくリリーさん。そっちの気があることを差し引いても、この人のスキンシップはなんだか激しい。
ルツァリさんはリリーさんを引き剥がすと、ダイニングの方向へ無理やり引っ張って行った。
「に、賑やかな人だね……リリーさんは……」
「……騒がしいだけです」
フロワちゃんはそう言ってまた、私の傍に寄ってくる。やっぱりリリーさんのことは完全にトラウマになってしまっているようだ。
「すまないな、リリーが迷惑をかけた。二階に空いている部屋がいくつかあるから、今日はそこを使ってくれ、掃除は行き届いているはずだ。浴室は一階と二階にあるから……そうだな、イブリスは二階、それ以外は一階の風呂を使ってくれ」
「……俺だけ別か?」
「ん? いや、君が幼気な少女たちと同じ浴室を使いたいと言うなら別に構わないが?」
「オーケー、別々で使おう」
ルツァリさんの意図をくみ取った瞬間、即答するイブリスさん。
……私は別に気にしないのだけれど、イブリスさんなりに思うところもあるのだろう。大人のプライドというか、なんというか。
「風呂が沸くのにもしばらく時間がかかるし、先に使う部屋を決めて荷物を置いておいてくれるかな」
「わかりました、お邪魔します! 行こっ、フロワちゃん!」
「はい。……ルツァリ様、遅ればせながら、本日はお世話になります」
私が頭を下げて、続いてフロワちゃんが丁寧にお辞儀をする。
そこで私は、足が既に二階へ上る階段に無意識に乗せられていることに気づいた。これだけ大きな家なんだから、やっぱり他の部屋がどうなっているか気になってしまうのだ。
「よし……じゃあ、俺も失礼して……」
「ああ、イブリスは残ってくれないか。少し、話がしたいんだ」
「ん? ああ、了解だ……二人とも、先に行っててくれ」
「……承知しました。では、サラさん」
「あ……うん、行こっか」
私たちはリビングへと入って行くイブリスさんとルツァリさんを見守りながら、荷物をもって二階へ上がっていく。
話……って、一体なんだろう?
まあ、黒の魔術師と"機関"戦闘部門のサブリーダーっていう、それなりに大きな地位を持っている二人だ。きっと積もる話も色々あるんだろう。
大人たちの話も気にはなるけれど、とりあえずは借りるお部屋を選ぶことにしよう。
「うわぁ……流石、二階もすごい広い……!」
二階に上がった私は、まず、その広さに感動の声をあげた。
この場からだけでも、扉がいくつも見える。確かに、これだけお部屋があると、ルツァリさんとリリーさんの二人だけでは使いきれないだろう。
ルツァリさんが掃除は行き届いていると言っていたけれど、まさかこのお部屋、全部掃除されているんだろうか。だとしたら、途轍もない手間のはず。
言われた通り、リリーさんは家政婦としての腕は確かなようだ。料理もとても美味しかったし。
――行動もちゃんとしていれば、言うことないんだけれど。
「フロワちゃん、どのお部屋を借りる?」
「あの端と、その隣がルツァリ様とリリー様のお部屋です。なのでそれ以外の部屋を選ぶことになりますが……サラさん」
私と、フロワちゃんの目と目があう。
「確か、二人部屋が一つあったはずです。今日はそこをお借りして、一緒の部屋に泊まることにしましょう」
「へ?」
……フロワちゃんは、真っ直ぐに私を見つめたまま、至って真剣に、そう言い放った。
「え、え?」
「……? どうしたのですか?」
「ううん。私は別にそれでいいんだけど、その……なんだかフロワちゃん、積極的になったなぁって……」
「――! そ、そういうわけではありません……!」
フロワちゃんが突然顔を赤らめて目を逸らした。どうやら、自分がそこそこ恥ずかしいことを言っていたことに気づいていなかったようだ。
「ルツァリ様が言っていた通り、夜、寝静まったときに、悪魔が襲撃してくる可能性は十分高いといえます。そんな時に同じ部屋に居たほうがサラさんを守りやすいですから。そういった意味で同じ部屋にと言ったのです。他意はありません、本当に」
早口での弁解。フロワちゃんらしからぬ弁解の仕方だけれど、さっきリリーさんを見てしまっているから、私が変な誤解をしているとか……そう思っちゃったのかもしれない。
「そ、そっか、そうだね。一緒のお部屋に泊まろうか」
フロワちゃんの言うとおりだ。さっきまでのドタバタで忘れかけていたけれど、私は悪魔に――もっと言えば『カルテット』たちに――狙われている立場なんだ。守られる側という自覚を持つ必要がある。
確かに、そういう意味ではフロワちゃんの言うとおりにするのが一番だ。
元々嫌ではないことだし、フロワちゃんと一緒のほうが、一人よりもずっと安心できる。
「で、では……」
私がその提案を受け入れると、フロワちゃんはそそくさと歩き出して、部屋へと向かって行ってしまう。
きっと赤面しているのが恥ずかしくて、顔を見られたくないんだろう。でも、耳まで赤くなっているから後ろからでもバレバレだ。
……最初に会った時よりも、態度はずいぶん柔らかくなっているけれど……どうやら完全に慣れるまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。
でも、それでいい。ゆっくりゆっくり……フロワちゃんとの仲を深めていけばいいんだ。
「ふふっ、待ってよ、フロワちゃん!」
私は荷物を片手に、赤面したまま部屋へと向かうフロワちゃんを追いかけた。
* * *
それからしばらくは、平和な時間が続いた。
借りる部屋はフロワちゃんの提案どおり二人部屋。ずっと使っていなかったらしいけれど、それが信じられないくらい綺麗に保たれていた。埃ひとつないくらいだったのだ。
私たちが来るのは急に決まったことなので、普段からしっかり清掃が行き届いているということ。改めてリリーさんの仕事ぶりに感銘を受ける。
お部屋で荷物を少しばかり整理して一階に下りると、ちょうどお風呂が沸いていたので、早速入らせてもらった。
浴室もこの家に見合った広さ。私とフロワちゃんが一緒に入れるくらい。私たちが小柄なこともあるとはいえ、二人一緒に入ってまだ余裕があるんだから驚きだ。
……ゆっくり入っている時にリリーさんが乱入してきたけれど、フロワちゃんがどうにか追い出した。入ってきた瞬間に動いていたあたり、乱入の予想はできていたらしい。
「あーん! 私はただ、二人とのスキンシップを楽しみたかっただけなのに~!」とは、本人の言葉だけれど……そのスキンシップはどれほどのレベルなのやら。表情が下心丸出しだったあたり、かなりレベルの高いスキンシップだったのだろうけれど。
お風呂から上がると、どっと眠気が押し寄せてきた。今日は色々と興奮していたから、思った以上に体が疲れていたみたいだ。
折角のお泊りなのだから、もうちょっと起きていたかったのだけれど……明日もあるということで、すぐに寝ることにした。
ルツァリさんたちに挨拶をして、部屋に戻り、大人しくベッドに入る。
昼は騒がしいアヴェントの街も、この時間になると街を支配するのは暗闇と静けさのみだ。たまに、ギルドで飲み会をしている冒険者たちの声がこちらへ届くくらい。
「ふわぁ……それじゃあ、おやすみ、フロワちゃん……」
「……はい、おやすみなさい」
……私は、隣のベッドに入ったフロワちゃんと少しだけ言葉をかわして、眠りについたのだった。





