第二話 「依頼」 5
「はいよ、おまちどうさん。」
マスターが料理をテーブルに並べると同時にケチャップとバターのいい香りが一帯に漂う。
「これがうちの名物料理ナポリタンだ。今日は雲英ちゃんとの出会いに俺のおごりだ。ありがたく頂くんだな!」
がっはっはっはっと笑いながらマスターはカウンター席に戻っていった。ちゃんと俺の分まで用意してあったことに安心し、ついでにおごりなんて俺にもやっとツキが回ってきたか。
目の前には湯気を立たせたナポリタンが二つに並んでいるピーマン・タマネギ・ウインナーと具材も豊富に盛り込んである。一見どこにでもあるナポリタンと見分けがつかないが、一口食べてみると違いが分かる。まず一つ目はパスタだ。フェットチーネという平麺を使用している。それだけで普通のナポリタンと食感が大きく違い、スパゲティの細麺よりしっかりとした食感を味わうことが出来る。ちなみに自家製のパスタだそうだ。
次にケチャップソースの方はパスタに合わせ味付けを調整してあり少し濃目の味付けだ。ニンニク等の香味料も使用しているようで食欲をそそる刺激になっている。そう考えるとペペロンチーノに近いのかといえば違う。しっかりとケチャップの存在感もありこれはまさしくナポリタンである。あとマスター曰く隠し味にとある物を使用していると聞いたが企業秘密で教えられないと言っていた。正直気になって毎晩よく眠れている。あ、毎朝の間違いでした。
ちなみにナポリタンは日本発祥の料理だ。だから発祥当時から日本人向けの味付けになっておりアレンジも豊富にある。本場イタリアではトマトソースを使うのが一般的だが、トマトソースの代わりにケチャップを使う発想がなんとも日本人らしいと常々思わせられる。やっぱり日本人って天才だな。
ナポリタンを目の前に楽しい解説をしていると雲英が不思議そうに尋ねてきた。
「これがナポリタンというものですの?噂に聞いていましたが想像より少し違いましたわ。」
いったいどんな噂だったんだよ、というかナポリタンを見るのが初めてとか一体どんな暮らしをしてきたんだこの子は。作る工程は簡単な部類だから一般家庭でも出てくるレベルの料理だぞ。
「本当にナポリタンを初めて見るんだな、まぁ初ナポリタンが雪月花でよかったな。これから好きな物にナポリタンが加わることになるぞ」
ナポリタン推しの止まらない俺に対し雲英はやや得意げな表情を見せた。
「こう見えて私は好き嫌いはありませんのよ、たとえ苦手な食材が入ってたとしても完食して差し上げますわ。」
いや、俺はそういう意味で言ったんじゃないんだが…やっぱりこの子一般人とズレてる所があるな。しかも苦手な食材って言ってる時点で嫌いな物があるんじゃねーか。
「まぁ、冷めないうちにいただこうぜ」
「そうですわね、せっかくのご厚意ですものありがたく頂きます。」
しっかりと手を合わせ目を瞑る雲英。さっき言っていた通り礼儀作法はしっかりとこなしている。俺も右並えで手を合わせ『いただきます』と料理に対し感謝の言葉を述べる。
あつあつのナポリタンをフォークにからめ口へ運ぶ。雲英も上品にフォークを使い一口サイズに切り分け口へ運ぶ。
やっぱりこの子は食べ方ひとつでも絵になるな、と感心してしまう。俺といえばまるでラーメンを食べているようにパスタを勢いよく吸ってしまう始末、一緒の席で食べていることに若干の恥ずかしさが込み上げてきた。俺も今度マナー教室にでも通ってみるか、と適当な事を考えていると雲英が高揚とした表情でナポリタンを見つめていた。
「どうだ、ここのナポリタンは?今までのスパゲティと一味違うだろ?」
自慢気に俺が尋ねると雲英の表情は高揚から紅潮し、照れくさかったのか顔を横に向けながら答えた。
「そ、そうですわね、確かに初めて食べる料理で少し意表をつかれましたが、なかなか美味しいパスタ料理ですわ。」
なぜ上から目線の感想なんだよ…、素直においしいと言えば済む話なんだが俺には面と向かって言いたくないらしい。多分マスターには素直に答えるんだろうな。マスター羨ましい。
「私、あまり麺料理は好まなかったのですが、このナポリタンは好きになれそうですわ。マスターに感謝しなければいけませんわね。それに…」
雲英は途中で会話を切ると、やわらかな微笑を浮かべた表情に変化し話を続けた。
「なんと言葉で表現したらいいのか分かりませんが、初めて食べた料理なのに懐かしい気持ちになりました。これが家庭の味というものなんでしょうか…」
表情は変わらず雲英はナポリタンを見つめていたが、俺の目にはさっきとは違う表情に見えた、感情の変化がそうしたのだろうか。
過去の記憶を懐かしむように、
感傷に浸り過去の自分を慰めているように、
両親の愛を求める一人の寂しい女の子のようにも見えた。
様々な感情が一度に押し寄せてきたのだろう。
哀愁が漂う雲英に俺は何一つ言葉を掛けてやれなかった。
そういえばこうして誰かと食事を摂るのは久しぶりだ。いつもはカウンター席かパソコンの前で食事を摂ることがほとんどだったな、ふと昔の記憶がよぎるが思い出しかけた時には止めていた。過去を振り返ったところで今の現実は変える事は出来ない、それに感傷に浸っては折角の料理もまずくなってしまう。
今はこの食事会を楽しもう、感傷に浸るのは食事会が終わってからでも遅くはないだろう。
そんなことを胸に秘め、この時間が少しでも長く続くようにゆっくりとナポリタンを食べ始める。
たわいもない会話を途切れ途切れに続けながらお互いナポリタンを食べ終える。雲英も空腹が満たされ満足気な表情に変わっていた。マスターも気を利かせていたのだろうか、ほとんどカウンターから出てくることはなく二人きりの状態が続いている。食後のウインナーコーヒーを一口含みようやく一息をつく。
さて、ここからが本題だ、雲英から情報を聞き出さなけらばならない。どうやって聞き出そうか…
俺の思考回路が回りだそうとした時、雲英が先に口を開いた。
「このウインナーコーヒーも美味しいですわ。紅茶の方が飲み慣れていましたが、今度ティータイムの際にはコーヒーも頼んでみようかしら」
「その歳でコーヒーに目覚めるなんて、雪月花様様だな。ただ夜に飲み過ぎるとカフェインで眠くなくなるから程々にしとくんだぞ」
昼夜逆転になってしまえば大家さんに怒られるからな。俺限定なんだけど。本当はコーヒーの解説も話たかったんだが今は情報を手に入れる方が先だ。それにコーヒーはマスターの方が詳しいだろ。面倒なことはマスターに投げやっておく。
「それじゃ腹も満たされたところで本題に入ろうか、雲英の探している人物についてだ。雲英の分かっている範囲で俺に情報を教えてくれるか?素性とか、容姿とか小さな事でもいいから」
あまり周りくどい言い方になると変に疑われるからストレートに聞いた方がいいだろう。とういうか周りくどい言い方を考えるのが面倒だ。雲英の性格なら素直に答えると予想していたのだが、予想外の答えが返ってきた。
「あ、その話ですね、もういいですわ。私もそろそろ本題に入ろうと思っていたところでしたから。」
もういい?本題?会話が噛み合っていない返答に俺の心拍数が上がっていくのを感じた。……あ、これヤバイやつだ。
雲英の表情が不敵な笑みに変わっていき俺に本題を突き出してきた。
「あなたが砂月さん。砂月 悠さんですよね?」
「お、俺は望月と名乗ったはずだよ、な、なんでそう思うのかな?理由を聞こうか」
やっぱり、もうバレちゃってるパターンだわ。苦し紛れに質問を質問で返すが、俺の表情は作り笑いで冷や汗が喉をつたう。
「まだ嘘を突き通せるとお思いなんですのね、元・心理学者のくせに嘘が下手だなんて笑えますわ、あんな嘘小学生でも見破られる程度よ。それと、もう少し自分の表情や感情を隠せるよう見直した方がいいと思いますわ。砂月せ・ん・せ・い。」
中学生にありがたいお説教を頂いた。しかも砂月先生だって。これじゃあどっちが先生か分かんないな。さっきの先生と生徒の妄想が脳裏によぎったが、今はそれどころじゃない。再度脳内から吹き飛ばす。まだ俺はここで心を折る訳にはいかない。
「お、俺の嘘が下手な事は認めるが、理由にはなってないな。証拠でもあるのか?証拠をみせてみろ」
もう詰将棋状態。終いには犯人特有のセリフが口から出ていた。一般成人として恥ずかしい。いや俺は特殊だから一般人とは別か。なら安心だ。……現実逃避が止まらない。
「往生際が悪いお方ですね。仕方ありませんので理由を述べて差し上げますわ。もう確定事項なんで意味なんてないのでしょうけど」
雲英の表情は変わらず不敵な笑みを浮かべている。その表情はやめた方がいいよ、せっかくの美少女が台無しだよ。
「まず、学者特有の理論的な会話ですわ。一般の方はあんな会話を普通はしません。それに礼儀作法の解説の際には客観的な考察と結論の出し方。これも学者特有の考え方ですわ。まぁ変態的と言ってもいいと思いますが。そして決定的な証言もあるんですよ。」
中学生女子に変態と言われてしまった。嬉しいような悲しいような…って最後、証言て言ってなかったか?つまり協力者がいるってことか。これはいい情報を聞き出せる。そう確信したが、やっぱり予想外の答えが返ってきた。
「さっきマスターに本名を聞きましたわ。」
マスターの方にゆっくりと目を向けると俺に背を向けていた。協力者がこんな身近にいたとわ…
マスターなにしてくれてんの!俺の努力がマスターせいで全部台無しだよ!もしかしてさっきのナポリタンは俺への罪滅ぼしって事!?あんなんじゃ罪滅ぼしになんないよ!
俺の視線を背中で感じたのだろう、こちらをチラ見したマスターはいそいそと調理場へ姿を消した。俺の人間不信が加速すると共に、もうマスターは信用しないと心に誓った。
「……わかったよ降参だ。俺が砂月だ。それで要件を聞こうか」
「嘘をついていた事に謝罪もないのですね、まず私に謝るべきではありませんこと?」
うっ、本当に痛いところを突いてくる、まるで礼儀作法の先生のようだ。
「…嘘をついてすみませんでした。心からお詫び申し上げます」
「まぁいいでしょうこちらがクライアントですから、それで水に流すことにしますわ」
呆れた表情をしていた雲英だが、一瞬で真剣な表情に変わり俺への要件を伝えた。
「あなたに見てもらいたい物がありますの。専門的な知識が必要で、是非協力して頂けないかしら?」
「専門的な知識?別に俺じゃなくても専門家なんて沢山いるだろ、俺に拘る理由はなんだ?」
その質問に雲英は表情を曇らせる。言いにくそうに言葉を選びながら雲英は答えた。
「その、なんと言ったらいいか…我が家のアンドロイドに…心が宿ったの…ですわ」
返答を聞いて俺の思考が止まった。
過去の記憶が脳裏によぎる。
思考が追い付かない。
様々な思考・感情が脳内を支配していき眩暈を引き起こす。反射的に頭を抱え、これは夢なんじゃないかと現実逃避も考えてみるが、これは現実であり、まぎれもなくリアルだ。眩暈が収まるまで俺は一言も言葉を発せずにいた。
ようやく眩暈が収まり、脳内も落ち着きを取り戻す。俺にはだいぶ時間が経ったように感じたが実際は一分も経っていなかった。雲英が心配そうに声を掛ける。
「砂月さん、大丈夫ですか?顔色が優れない様子ですが」
「えっ、あぁ大丈夫だよ。ちょっと驚いただけさ、しかし面白い冗談を言うね。しかも、君みなたいな女の子の口から出てきたから余計に笑えるよ。」
作り笑いでその場をごまかす。まだ、感情が収まりきれていない。そのせいで適当な事を口走ってしまった。俺の言葉が癇に障ったのか雲英は感情を爆発させた。
「冗談なんかじゃありませんわ!私は本当にこの目と耳で確認しましたの!あれは夢でも妄想でも…!」
あまりにも突然の事で俺は反射的に身を引いていた。その反応を見た雲英は我に返った様子で、身をすくめて黙ってしまった。
「悪い、そんなつもりで言った訳じゃないんだ。」
「…いえ、私こそ取り乱してすみません…」
お互いに下を向いたまま謝罪する。その後しばらく沈黙が続いたが雲英は小さな声音で独り言を呟く。
「……やっぱり、あなたも私の事を信じてくれないのですね…」
その独り言はしっかりと俺の耳に届いていたが、俺には返す言葉が思いつかず沈黙を続けるしかなかった。
その言葉には様々な苦悩や葛藤が含まれているように感じた。おそらく俺の前にも様々な人を訪ねては同じ依頼・相談を持ち掛けたのだろう。だが依頼の内容を聞くなり悉く断られ、時には障害者を見るような目で蔑まれ言いようのない侮辱を受けて来たのではないだろうか、そして俺の元へと辿り着いた。その頼みの綱も断ち切られ出た言葉があの呟きだったのか。
正直、今の時点では俺にも雲英の言葉を信じることは出来ない。いや、俺だけじゃなくほぼすべての人が信じる事ができないだろう。これを信じる事が出来るのは単純なバカか、雲英に対して狂信的な信仰心を持つ者でないと信じられないだろう。きつい言い方になるがさっきの呟きはじつに烏滸がましい。
こんな嘘だらけの世の中で出会って間もない人に信じてもらおうと思う方がおかしいのだ。信頼はすぐに構築できるものではない。小さな積み重ねと日々の努力を互いに評価し、長い時間を掛けて信頼を勝ち取るものなのだ。しかし雲英はまだこの世に生まれて十数年しか生きていない。信頼を得ることを理解するにはまだ経験が足りない。雲英自身も薄々感じているのだろうが、信頼を得るための手段を持ち合わせていないのではどうすることも出来ない。その葛藤が感情を爆発させた。
しかし、それを恥じる事はないと俺は思う。むしろ妥当なところだろう、交渉術に長けた中学生なんてこの世にいる訳がないし、思春期の子供なんて感情むき出しじゃないか。むしろ大人達が寛容な態度で接するべきではないのか。子供と同じ目線に立ち、感情を共有し時には助言をし正しい方向へ導く。それが大人としての対応だと俺は思うのだ。だから、俺は実行する。そう有言実行ってやつだ。
決意が固まり俺は雲英をまっすぐに見据えた。
「雲英、まだ俺は君の事を信じる事は出来ない。君も分かっているだろうが、信頼なんてすぐに得ることなんて出来ないものなんだよ。」
俺の言葉に雲英からの反応はなく俯いたままだ。
「しかし、話を聞いてあげる事は出来る。もちろんその後、協力できそうなら協力するが、その判断は話を詳しく聞いてからでも遅くはないだろう。…雲英の話を聞かせてくれるか?」
雲英は顔をあげ驚きの表情をしていた。緊張が解けたように頬が緩み笑みがこぼれる。
「はい、よろしくお願いします。砂月さん」
目には若干涙を浮かべ満面の笑みで答えてくれた。




