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心機(仮題)  作者: 山葵
第二章 「心理と心」
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第二話 「記憶と忘却」 12

ーーーーカランッーーーーーー


響いた音は、薄く軽快な音。

雑踏の中なら他の音に紛れてしまい誰も気付かない程の音量。

それでも俺の脳内ではいつまでも響いていて、遠くまで突き抜けていくように感じる。

その小さく薄い音で俺の意識は現実に引き戻された。

五感が徐々に現実を感じていく。

味覚が感じたのは、苦くもほろ甘い後味の感覚。

触覚が感じたのは、冷たく湿っぽくもグラスのように滑らかな肌触り。

嗅覚が感じたのは、香ばしく薫る珈琲の風味。

聴覚が聞き取ったのは、BGMのように緩やかなジャズピアノの旋律。

視覚が捉えたのは、黒色の液体にグラスの底まで敷き詰められた氷。

どうやら目の前にあるのはアイスコーヒーらしい。

そして、さっき脳内に響いた音は氷が溶けグラスに当たった音だった。

音の発生源が分かったところで別にどうこうする訳ではないが、何気なくもう一度聞きたい気分になりマドラーでアイスコーヒーを掻き混ぜてみる。

暫く混ぜ続けてみたが、俺が納得できるような音は出なかった。

意識を味覚へ移すとコーヒーの後味に満たされている。飲んでいたのは確かなのだが、全くと言っていい程減っていない。

周囲を見渡すと見慣れたカウンター席、この心地よいジャズピアノのレコードにも聞き覚えがある。

…そうだ、ここは喫茶店"雪月花"

今日一日の出来事をここで整理していたら現実を忘れるほど熱中していたようだ。

特に最後の方は情報量が多すぎて…若い頃のように頭が上手く回転しない。オジサンにも少しは優しい世の中にしてほしいものだ。

実際、最後の方はまだ整理がついていない。

情報の整理もだが、心の整理というか…まだ老婦人の甥が言った言葉が信じられないのだ。

いや、信じるも信じないも、それが真実なのだから…どんなに足掻いても変えようがない。

それでも何かの間違いか、なんらかの理由があるんじゃないのか探してしまう。

分かっているはずなのに…心が、気持ちが、受け入れられないのだ。

そして、俺はもう一度今日の出来事を振り返る。

ポイントはあの休憩室での…水栖 玲さんの言葉から状況は一変した。


「一体、どういうことなのですか?」

雲英の口から出た言葉は疑問。

当然の反応だ、玲さんが言ったことが真実なら老婦人は嘘をついていることになる。

雲英は老婦人を嘘つきと認めたくない。なにかしら理由があるのだろうと踏んで出した言葉がその疑問だった。

「私にも分からないんだ、叔母がなぜそんな事を言い始めたのか…始めは冗談か何かの勘違いと思っていたのだが、会うたびにその話を続けるものだから様子がおかしいと常々思ったのだよ」

「でも、私にはお孫さんの容姿や性格だったり思い出なんかを鮮明に話して下さいました。特に容姿はこのアンドロイド…八雲にそっくりだと」

「私もその話を聞いていたよ、だから実際に会ってみたかったんだ。君とそのアンドロイドにね」

そう言って玲さんは雲英と八雲を交互に視線を移す。

静寂が流れる中、自販機の動作音だけが休憩室に響いていた。

玲さんは二人の容姿を見終えると、小さな嘆息を漏らす。

「だが、私の予想は外れてしまったようだ…君たちが親族の誰かに似ていて、それを孫と勘違いしていると予想していんだが、こんなに可憐な美少女二人はうちの親族にいなかったよ」

「可憐な美少女なんて…こんな時に冗談は止めて下さい」

予想が外れていても玲さんの表情は穏やかで微笑を浮かべていたが、雲英の表情は対照的で玲さんの言葉が癇に障ったのか少し不機嫌な顔を見せている。

「冗談?私は本当に思った事を言っただけだよ。あまり自分を過小評価しすぎるものじゃない、少しは自分に自信を持ちなさい」

いきなり真剣な表情で物申す玲さんに少し驚きつつも雲英は小さく頷いた。

温厚そうな男性かと思っていたが、子供の躾に対しては厳しい面があるようだ。

今時、こういう人はなかなかいない。他人の子供に対して面と怒れる大人は少なくなっている。

時代の流れだったり近所付き合いが薄れていったのが原因と言われているけれど、単純に他人に興味がないというのが一番の原因じゃないかと俺は思っている。

他人に興味がないと怒る理由もないし、怒ったところで逆恨みを買う場合もあるのだから下手に口を出さないのが現代人の考えだ。

確かにその保守的な考えは悪くない、俺もその考えには賛同するし、面倒事を自ら起こしたくないのが本音だ。

だが、その保守的な考えが行き過ぎてしまうと他人に注意できる人間は減っていくばかり、仕事上での注意が出来たとしても、こういう場で他人を叱れる人はいなくなってしまうのではないのか?

そう思うと彼は絶滅危惧種なのかもしれない…

世の中いろいろな人が存在するが、玲さんという人物は現代人とは違うなにかを持っている様な気がした。

「いい子だ。君みたいな子供は、褒め言葉を素直に受け取るべきだ。背伸びして大人振る必要はない」

「…………」

玲さんは再び穏やかな微笑を浮かべていたが、雲英はまだ納得出来ない様子。

まぁ雲英の場合はそうそう納得できないよな…年頃の女の子だし、こういう相手はあまり好きじゃなさそうだ。

このまま話を続けても大丈夫なのかと心配になってきたが、雲英はこの話を打ち切るように話題を切り替えた。

「私の話はいいので、お婆様の事で他に心当たりはないのですか?」

「そうだったね…あと一つだけ思い当たる節があるんだが、あまり信憑性は高くない」

玲さんの表情がやや曇る、それだけであまりいい話ではないのが察することが出来た。

「それに、これは叔母のトラウマのような話だ、出来れば他言無用でお願いしたい…」

この休憩室に居合わせた全員が無言で頷くと、玲さんは重い口を解いた。


「さっき、叔母には孫も子供いないっと言ったが、実は子供はいるのだよ…正確には"いた"と言った方が正しいか」

その言葉で大体の内容は予想できたが、皆は黙って玲さんの話を聞き入る。

「そう、実は幼い頃に亡くなったんだ。私もまだ生まれて間もない頃だったから実際に見た事はない、聞いた話によるとちょうど君達くらいの年頃で亡くなったそうだよ」

「可愛らしい女の子でとても聡明な子だったそうだ。なにが原因で亡くなったかは聞いていないが…叔母はあまりその事を話してくれなかったからな。私の父もあまりこの話に触れたくなかったようで詳細は分からないんだよ」

「…そう、なのですか…」

雲英は戸惑いを隠せず言葉に詰まる。

雲英だけではない、ここにいる皆が口を閉ざしていた。

正直に言ってこんな時にどんな言葉を掛けていいのか分からない、いくら昔話だからと言っても悲しい思い出には変わりないのだ。それに当の本人はここにはいない、慰めの言葉を掛けても誰も報われない。

再び訪れる静寂に玲さんは周りを気遣って口を開く。

「皆さんの同情を引く為にこの話をしたのではないので、あまり気を落とさないで下さい。本題はここからなので…私が思い当たるもう一つの節と言うのが、亡くなった叔母の子供を君達のどちらかに面影を重ねていたんじゃないかと」

「…なるほど。そうなると私たちのどちらかが、お子さんに似ているのかもしれないのですね。写真とかは残っているのですか?」

「それが、その子に関しての記録や写真は一切見つからなかったんだよ。もしかしたら叔母の家にあるかもしれないが、あまりガサ入れみたいな事はしたくはない…」

確かに玲さんの言う事は分かる気がする。

いくら親族でも人の部屋を漁るのはあまり心地いいものではない、かと言って本人にその事を詳しく聞くのは余計に気が引けるだろう。

しかし、確かめる術がないのではこれ以上話が進まない。結局のところ本人に確認するしか方法はない。

雲英は意を決したように玲さんに告げる。

「分かりました。その事に関しては私がお婆様に確認してみます!」

「そんな…君達にこれ以上迷惑は掛けられない!叔母が目覚めたら私が聞こう。もしかしたら病気の可能性もあるんだ、叔母も高齢者で虚言癖があってもおかしくない、認知症の可能性だって…」

その時、雲英は勢いよく立ち上がり叫んだ。


「それは絶対にありえません!!!」


室内に響き渡った怒声は乱反射し、耳の奥にまで伝わってくるほどに感じた。

木霊した叫び声が徐々に収まっていき再び鎮まり返る休憩室で、雲英は玲さんを睨みつけ立ち尽くしていた。

あまりに突然だった為、誰一人身動きできず皆の視線は雲英に集まっている。

すると、雲英も落ち着きを取り戻したかのようにふと我に返った。

「す、すみません。私、失礼な事を…」

「いや、いいんだよ。私も失言だったね、実際のところ私より君達の方が今の叔母をよく知っているようだ。悪かった」

「そんな…玲さんが謝らないで下さい。私はただ…」

そこからは二人とも塞ぎ込んでしまい、三度静寂に戻ってしまった。

これでは話は進みそうにないな、それにお互い頭を冷やさないとロクに話も出来ないだろう。

俺はここが潮時と決め口を挟んだ。

「それで、今日はどのみち面会は出来ないんですよね?大体の話は済んだみたいですし、今日はこの辺で失礼させてもらいます。雲英、いいな?」

「え……あ、はい…」

下を向いたままの雲英を氷華が連れ出し、その後に続くように皆続々と休憩室を後にする。

最後に残ったのは俺と玲さん。

「今日は大変ご迷惑をお掛けしました。では、また面会に来ます」

最後の挨拶をし立ち去ろうとした時、背後から声が掛かる。

「すみません、気を遣わせてしまって…まだ私も気持ちの整理が付いていなかったようですね。自分では落ち着いているように思っていたのですが…」

「いえ、謝られることは私はしていませんよ。単にあの時が潮時と思っただけですから、それと…」

俺は一旦言葉を切ると、感情を押し殺し極めて冷静に忠告した。


「安易な考えで親族を病人扱いしないで下さい。あの時、雲英が声を上げなければ代わりに私が貴方を批判していました」


そのまま振り向くことなく俺は出口に向った。


その後は特に会話もなく、俺と八雲を自宅に送り届けた後、雲英達は帰っていった。

日月にいたってはいつの間にか消えていたので、また何処かにフラフラと去っていったのだろう。

そして、八雲に留守を頼んで今に至るっという訳だ。

なんとか情報の整理がついて思わず吐息が漏れる。

…さて、これからどうしたものか…

腕を組んでふんぞり返っていると、カウンター越しに声が聞こえた。

「また辛気臭い溜息なんぞつきおって、俺の前で溜息をつくなとあれ程言ってるだろ!お前はあれか?溜息をつく為にここに来ているのか?もしそうなら出禁にするからな!?」

マスターは眉間にしわを寄せながらこちらを睨んでいる…やめて!マジで怖いからその顔!よく指名手配で見る写真にそっくりだよ?一応接客業なんだから穏やかに…ね?

と言うか、俺も一応お客様なんだけど…この扱いの差はなんなの?いくら常連の客だとしても酷くない!?

色々と反論したい事が沢山あったが、まずは誤解を解くことに専念した。

「マスター、いつも俺が溜息をしているって言いますが…あれは溜息じゃなくて普通に呼吸しているだけですよ」

「あんな分かりやすい呼吸があるかよ!如何にも"自分悩みあります"みたいなアピールしやがって!じゃあお前ここに来たら呼吸禁止な!」

「理不尽すぎるだろ!」

思わず勢いでツッコんでしまったが、マスターの目はマジだった…

「すみません…以後、溜息をつかないように気を付けます…」

「分かりゃあいいんだよ。あと、折角入れた珈琲が薄くなっちまう、早いとこ飲んでくれ」

言われてアイスコーヒーに目をやると、氷がだいぶ溶け黒色だった液体は薄い焦げ茶色になっていた。

俺は急いで珈琲に口を付ける。まだアイスコーヒーの香りは残っていたが、やはりいつもの珈琲に比べると味が薄く感じた。

残念そうな表情を読み取ったのか、マスターは飽きれつつ一つ提案してきた。

「仕方ねーな!珈琲を淹れなおしてやるから、もうちょっとマシな顔つきをしやがれ!お代は…そうだな、お前のお悩み相談ってところでどうだ?」

「えっ?そんな悪いですよ。珈琲代くらい払えます、これでも成人して十数年になるんですから」

「そんなもん知ってるよ!たまにはいいじゃねーか、俺の気が変わらない内に甘えとくもんだぞ!それとも俺の好意は受け取れねーってか?」

グラサンの奥に見える瞳が怪しく光る。あっ…これって好意って言うより強制なのね…

「分かりました。あまり楽しい話ではないですが…それでもいいですか?」

「知ってるよそれくらい、悩みが楽しい話な訳ねーだろ…」

そう言ってマスターは珈琲豆をブレンドし始めた。

たまにはこういう事もあるのだなっと勝手に納得していると、マスターは珈琲を淹れながら尋ねてくる。

「隣の嬢ちゃんもブレンドでいいか?」

「はい!是非ご馳走になります!」

…ん?となりのお嬢さん?俺は一人でここに来たはずだが?

何気なく隣の席に視線を送ると意外な人物がそこにいた。

……意外というか、面倒臭いで有名な日月だった…

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