第二話 「記憶と忘却」 10
「勘違いをされるような紹介を受けたような気がしたのだけれど…貴方の主観だけで、私を評価しないでもらえないかしら」
そう言いながら氷華は自販機の取り出し口に手を差し込む。
そうやってすぐ人の心を見透かさないでもらいたい、氷華の前で変な事考えられないじゃないですか!勘弁して下さい…
だいたい何をやってんのかと問われても、それはこっちのセリフでもあるんですが…
まず、なぜ躊躇なくボタンを押したの?それ窃盗と同罪だからね?俺が顔見知りだったから良かったものの、知らない人だったらどうするつもりだったの?取り敢えず金返せ。
言いたい事は沢山あったがこの辺で許してやろう。だって口ごたえすると後が怖いからね、俺としては穏便に事を済ませたい。
氷華が飲み物を取り出すのを確認した後、再度お金を入れて選びなおす。
今日はなんとなく糖分が足りない気分だからロイヤルミルクティー。君に決めた!
モンスターボールを投げるかのように勢い良くボタンを押すと、ガコンッとやや鈍い音が下から聞こえた。
取り出し口からアツアツの缶を取り出し、火傷をしないように両手で転がすように往復させる。
氷華は先にベンチへ腰を掛け、俺を待っていた。俺は背中合わせになるよう、背面のベンチに腰を掛け缶を開ける。
カシュっと軽快な音と共にミルクの甘い香りが周囲に漂い、アッサムの独特な香りが鼻腔を刺激する。
ズズズっと一口含むと、まろやかな味わいが口内に広がり甘みの後に紅茶のさっぱりとした苦みが鼻に抜けていく。
この絶妙なバランスがミルクティーの醍醐味だろう。俺は一人舌包みを楽しんでいると、背中合わせのメイドさんからお叱りを受ける。
「音を立てて紅茶を愉しまないで頂けないかしら?下品です。飲んでいる姿もまるで御爺さんですね」
「缶ジュースくらい好きに飲ませろ。あと御爺さんじゃなくてオジサンな?そこんところ間違えないでくれよ」
それと人が楽しんでいるところに水を差さないで欲しい、ただでさえ低いテンションが更に地を這うように低くなってしまうからね…
ところで氷華は何を買ったのだろう?ふと気になってので後ろを振り返り手元を見る。
細くて白い手の中には見覚えのある赤い缶が握られていた。
あっ…お察し……
甘酒気に入ってくれたんですね…甘酒布教者として冥利に尽きるとはこの事です。
これで甘酒信者が一人増えてくれたので俺の取り分は何割増しですかね?
…え?、ネズミ講じゃない?……そんなバカな…
冗談は置いといて、単純に甘酒を気に入ってくれたことに嬉しく思う俺だった。
あまりの嬉しさにニヤニヤとほくそ笑んでいると、背中の方から冷めたような視線を感じる。
やめて!そんな目で俺を見ないで!!
そういえば甘酒を雲英にも勧めるつもりだったが、すっかり忘れていた。ついでに雲英の分まで買っていくか…
なんてことを考えながらミルクティーを飲んでいると極悪非道のメイドさんから声が掛かる。
「ところで、何故こんなところで油を売っているのですか?貴方一人のようですが?」
「それはこっちのセリフだ。氷華こそ今日はお留守番じゃなかったのか?なんでここいる?」
「質問を質問で返さないでくれないかしら。先生に習わなかったの?メイドの質問には速やか、かつ簡潔に答えるようにって?」
「そんな横暴な教育受けた覚えはねーよ!」
一体どんな先生だよ…メイド崇め過ぎじゃない?狂信者過ぎて怖いわ…
このまま言葉のドッチボールを続けてもキリがないので俺から先に質問に答える。
「例の老婦人が救急外来に運ばれて、状態が落ち着くまで足止めくらってるんだよ。雲英はずっと救急外来の前で待ってるけど、俺はそこまで忍耐強くないからな…ちょっと休憩ってところだ」
「そんなの知ってるわよ、私たちの情報網を甘く見ないで頂戴。私が聞きたいのは雲英お嬢様の事じゃなくてメイドロボの事よ」
「八雲の事?なんでそこまで気になるんだ?」
「貴方には関係ないことよ、今メイドロボはどこにいるの?」
なにか引っ掛かる言い草だな、今まで八雲の事をそこまで気に掛けていたか?氷華の言葉も引っ掛かるが、この場にいる事が一番の疑問だった。
俺は八雲の居場所を居場所を教える前に一つ提案をする。
「八雲の事が気になるのは分かった。でも俺の質問にも答えるのが筋だろ?ここはお互い情報交換といこうじゃないか」
「は?なにを言っているの?貴方と私が対等な立場と勘違いしているのではないかしら?情報交換なんて生温い、いざとなれば力尽くでも問うことが出来る事を忘れないで欲しいわ」
氷華の声音は更に冷たく、視線も鋭くなる。これは脅しじゃなく本気だ。
内心ビビりながらも俺は恐怖心を振り払う。
「俺がそんな脅しに屈すると思うか?第一、情報を求めているのならもっとスマートに振る舞うべきだ。そんなんじゃこれから先、交渉事を上手く運べなくなるぞ?」
「………」
氷華の視線は更に鋭くなるも、言葉は何も発さない。どうやら迷っているようだ。
確かに、今の俺では氷華相手に簡単に制圧されてしまうだろう。そんなものは素人から見ても当然の結果だ。
しかし、交渉術・論破術においては俺の方が一枚上手。こういう人を言い包めるのは結構得意だ。
何故かって?ネット掲示板で相当鍛えられたからな…あいつらの防壁強すぎ、もうちょっと手加減してくんないかな…
氷華と見つめ合うこと数分。いや、実際は数秒程度だったかもしれないが体感的には10分くらい死線を交わしていたように感じた。
その後、諦めたかのように目を閉じると何も言わずに席を立ち移動を始める。移動した席は対面に座れるソファで、まるで交渉の場のようだった。
「分かったわ、ここはお互いに有益な情報を得られるよう交渉の場に着いてあげる。早く座りなさい」
俺は氷華に促されるまま交渉の席に着いた。
氷華と向き合うような形でゆっくりとソファに座る。
俺のお尻を包み込むように沈むソファは、今まで感じた事のないリラックス感を味合わせてくれた。
駄目だこれは…人をダメにするソファだ…
お尻がムズ痒くなるのを堪えながら視線を前に向けると、氷華は腕を組み上から目線で俺をじっと観察している。いかにも下等生物を見ている様な眼差しが俺に注がれていた。
ここは交渉の場だ。いくら氷華が相手でもナメられてばかりでは、こちらが不利になる。
俺は虚勢を張るように睨み返すが、氷華の姿勢は変わらずあまり効果的ではないようだった。
不意に氷華は足を組み替えると、細長くスラッとした御身足に目が奪われる。
黒のストッキングで覆われた脚は細いだけではなく、肉付きが程よいシルエットでモデルのようにバランスが良い。更に黒のストッキングが色相的にピッタリで引き締まったように見える。ストッキングの濃さで言うと60デニール程だろうか?膝関節辺りは薄っすらと透けて見え、それが大人の魅力をグッと引き出している。
俺は脚フェチではないが、それでも視線を奪われるほど妖艶な魅力を感じる。
このまま見つめ続けると色んな妄想が捗りそうなので、意図的に視線を逸らし平然を装う。
しかし、氷華が見逃すはずもなく挑発的な口調で俺に先制攻撃を仕掛けた。
「どうしました?私の御身足がそんなに魅力的でしたか?素直にメイドロボの居場所を教えて頂ければ好きなだけ顔を踏んであげますよ?」
「俺にそんな性癖はねーよ、勝手に変な印象を植え付けるんじゃない!」
一応全年齢対象なんだから過激な発言は勘弁して下さい…怒られるの俺じゃないけど一応弁明しておこう…
軽く咳払いをしこの話を無理矢理終わらせる。
やや動揺してしまったが思考を切り替え、俺は交渉モードに突入した。
「じゃあ、まずは俺からの質問でいいな。なぜここいる?今日は留守番じゃなかったのか?」
「違うわ、誰も留守番なんて一言も言わなかったはずよ。ここにいる理由は監視、ただそれだけよ」
監視…誰の監視だ?と言っても監視されるような対象は俺を除くと二人の内どちらかになってしまう。
それに、雲英の場合だと監視と言うより護衛の立場にあるはず。そうなると八雲の監視で間違いないだろう。
「次は私の番よ、メイドロボはどこにいるの?」
「今ここにはいない。どこいるのかもちょっと分からないが、一人ではないから大丈夫だろう。それに逸れたのは数分前だ、そんなに遠くへは行っていないと思う」
「…………」
俺の答えに氷華は沈黙で返す。期待通りの答えではなかったのか、疑いの目を向けてきた。
だが、俺の知っている情報なんてそんなものだ。これ以上答えようがない。
「次は俺だな、なぜ八雲の監視が必要なんだ?監視なら初めから同行していれば良かったじゃないか、なぜこんなまわりくどい事を?」
「貴方と雲英お嬢様、二人だけで病院へ向かうなら私が動く必要はなかった。それを貴方がメイドロボを連れ出したお蔭で余計な仕事が増えてしまったのよ。このツケは必ず払ってもらいますからね?」
えっ、俺のせいでこんな事になってたの?…それはどうも、ご苦労様です…
身に覚えのないツケを払いたくはないが、知らず知らずの内に迷惑を掛けていたようで少し心が痛い。
「メイドロボは一人じゃないって言ったわね?一体、誰といるの?」
「日月 柚だ、知っているだろ?今はここのアンドロイド研究施設に勤めているようだが…」
「よりにもよってあのドクター…早いとこ見つけ出した方がよさそうね…」
確かに、あの二人組は色んな意味で危険だ。主に八雲と貞操と日月の命が危険…
しかし、氷華の表情は真剣だ。その様子を見る限り俺の危険視している部分と違った意味で危惧しているようだった。
「今回に限ってなぜ八雲の監視が必要なんだ?今までも外に出歩く位じゃ監視なんてしていなかっただろ?」
「別に今回だけではないわ、私はあの時以来ずっとメイドロボを監視していた。それが私の仕事だからよ。貴方はメイドロボを軽視し過ぎだわ、貴方が思っている以上にあのメイドロボは危険な存在…アンドロイド的にも、社会的にも…」
俺なりに危険な存在だと認識しているつもりだが、かといって何もかも制限するのは俺のポリシーに反する。それじゃ本当に研究対象としか見れなくなってしまう…俺は八雲の研究を任された身であって、八雲の友達でもあるんだ。たとえ研究者と被験者の立場であっても八雲の意思は尊重したい。
それが俺のポリシーだ。
これについては、いずれ氷華や雲英と話さなければならない事だと思っていたので、ある意味良かったのかもしれない。だが、今は氷華と交渉中なのでこの話は一旦置いておこう。
「それじゃ、あの二人がどこに向かったか分かる?貴方の予想でいいわ」
「それは多分、雲英の所に戻ったんじゃないか?二人とも雲英の所に戻りたがっていたからな」
自分で言いながらふと頭に過る。
…じゃあなんで俺に付いてきたんだよ、あの二人…意味がわからんな…
「そっ、じゃあ雲英お嬢様の所へ戻るわよ」
氷華はスッと立ち上がり踵を返すと、フリルのロングスカートが華やかにふわりと揺れる。
思わず目を奪われそうになったが、まだ交渉は終わっていない。
俺は氷華に最後の質問を問う。
「氷華、監視は誰の指示なんだ?それに指示した奴は一体何を企んでいるんだ?」
ここまで読んで下さっている皆様。いつも、ありがとうごさいます。
今年もあと数時間となりました。ここまで付き合って頂き本当にありがとうごさいます。
この物語もまだまだ続きますので、皆さんの時間が許す限りお付き合いください。
そして、来年もよろしくお願いします。では、よいお年を!
梅酒を片手にほろ酔い気分に浸りつつ 山葵




