第二話 「記憶と忘却」 8
真っ白い廊下の角を曲がると天井には救急外来の看板がぶら下がり、白い廊下を赤い光で照らしていた。
その看板を抜けると、大きなスリガラス状の扉が道を塞いでいる。どうやらこれ以上は、関係者以外立ち入り禁止らしい。特に掲示はされていないが、なんとなくその奥に踏み入っていはいけないような雰囲気がスリガラスの向こうから伝わってきていた。
なんとなく予想はついていたが…これ以上は流石の雲英も踏み込めないだろう。
雲英の足も自然と止まり、見えるはずのないスリガラスの向こうを眺めている。俺もこれ以上足を進める気になれず立ち止まる。
すると、後ろを歩いていた八雲は俺達を追い越し、そのまま救急外来の扉に手を掛けた。
おいおい、なにやっちゃってんのこの子!?いや、このポンコツ。そこは大人しくしとけよ!一体何考えてんだ。
扉を開けようとする八雲の手を、二人で同時に制止する。
「なにやってんの!?勝手に入ったら駄目じゃないか!」
「なにをやってますの!?勝手な行動は慎みなさい!」
見事に雲英とハモってしまった。綺麗なハーモニーとは言えなかったが、それでも怒りのハーモニーくらいは奏でれたようだ。そんなハーモニー奏でたくねーよ…
二人に制止された八雲は、なぜ制止されたのか分からない様子で答える。
「イエ、私ハ入ルツモリハアリマセン。タダ中ノ様子ヲ、伺オウト思ッタダケデスケド…ダメデスカ?」
「「………」」
それならそうと先に言え…まぁ覗く位なら邪魔にならないからいいんじゃないか?よく知らんけど。
雲英も同意見だったようで、二人同時に八雲から手を放した。
多分雲英も覗きたかったのだろう、八雲が僅かに開けた扉の向こうを二人一緒に覗き見ている。
勿論、その後ろには俺も視線を覗かせる。
…だって救急外来って滅多に見る機会ないじゃない!折角ここまで来たんだから少しくらいオジサンにも覗かせてよ!
僅かに見える隙間からは慌ただしく人が行き交うのが見えた。救急外来なんだから当たり前なのだけど、さっきまで歩いてきた病院内とは明らかに雰囲気が違う。病院とは物静かで穏やかなイメージだが、ここはまさしく戦場って感じだ。誰一人として休むことなく、ひたすら走り回っている。
同じ病院内とはいえど、ここまで雰囲気が違うものなのかと少し驚かされた。少しだけ覗くつもりが雰囲気に呑まれ三人とも覗き穴から目が離せずにいる。
きっとこの奥に老婦人はいる、しかしこの状況じゃ中には入れそうにもない。
ここは落ち着くまで静かに待つしかないだろう、寧ろそれ以外俺達には何も出来ないのだ。
自分の無力さを思い知らされた気がした、それはきっと雲英も同じ思いを抱いているのだろう。
しかし、このまま覗いていても仕方がない。俺は視線を雲英に向け声を掛けようとしたが、寸前で留まった。
雲英の横顔は今にも泣きだしそうな表情で、瞳には大きな雫が溜まっていた。
老婦人が救急車で運ばれたいった時の感情がフラッシュバックしたのか、それとも自分の無力さに苛立ちを感じているのか…それを確かめる事は出来ない。ただ一つ言えるのは老婦人の安否を心配しているのは確かだ。
…ここは雲英の気が済むまでやらせておこう…
俺は声を掛けるのを止め、後ろに下がる。こんな時どんな言葉を掛けてやればいいのだろう…
そんな事を考えながら時が来るのを静かに待つのだった。
あれからどれくらい経ったのだろう、この辺りに時計がないので確認しようがない。スマフォを見れば済むだけの話なのだが、あまりこの状況でスマフォをいじるのは気が引ける。
感覚で言うと一時間弱といったところか、あれから俺は近くのベンチに腰を掛け窓から見える風景を呆然と眺めていた。それと俺の横には八雲がちょこんと座っている、眺める先は同じだ。
雲英といえば先程から変わらず、扉を覗いては小さな溜息を吐いてどうにも落ち着かない様子。心配なのは分かるが、覗いていたところで現状は変わらないのだ。溜息を吐くくらいなら覗かなければいいのに…
雲英の不安そうな表情を見ていると、こちらまでその気持ちが伝染してきそうなので敢えて視線を逸らす。
小一時間待っても進展がない、こりゃもう暫く時間が掛かるかもな…気分転換に缶コーヒーでも買ってこよう。
そう思って勢いよく立ち上がると、二人の視線が俺に向かって一斉に注がれる。なんだよ…立ったくらいでそこまで見詰めなくてもいいじゃない…オジサンでも美少女達に見詰められると恥ずかしいのよ?
美少女の二人は無言のまま視線のみで訴えかけてくる。"どうかしましたか?"っと…
「えっと…トイレのついでに飲み物でも買ってくるよ」
無言のままだと二人の視線から解放できそうになかったので要件を答える。
「そうですか、道中迷いやすいので気を付けていってきて下さいね」
雲英は俺に一言伝え、再び覗き行為を再開する。
八雲も雲英と一緒にいるかと思っていたが、俺の予想は外れた。
「私ハ、砂月様ニ付イテ行キマス。帰リ道ニ砂月様ガ迷ワナイヨウ、私ガ道案内シマス!」
「え…いいよ、トイレと自販機に行くだけだから…流石の俺でもこれくらいで迷ったりしないよ」
それにアンドロイドと連れションなんて恥ずかしいじゃない、中学生じゃないんだからそこまで過保護にならなくても大丈夫だよ?俺、これでも36歳だよ?もうすぐしたら初老を迎えちゃうんだよ…
少し切ない気持ちになってしまったが、ここで落ち込んでいても仕方がない。気を取り直して八雲を見ると小首を傾げていた。あれ?俺の話聞いていたのかな?
「八雲、俺は一人で行ってくるから…」
「砂月様、早ク参リマショウ。コンナ大衆ノ場デ、オ漏ラシヲサレテハ、私モ弁解ヲスル余地ガアリマセン。慎重カツ迅速ニ参リマショウ」
俺の断りを無視して八雲は付いてくる気満々のようだ。なんで俺はこいつを連れてきちゃったんだろ…今更ながら自分の行動を恨む。
これ以上八雲と言い争っても時間の無駄だと察し、俺は雲英にだけ一言伝える。
「…じゃあ、八雲と一緒に行ってくるから、留守番頼むな」
「………」
雲英からの返事はなくこちらを振り向きもしない。…まぁいいか、トイレに行くだけだし、そこまで時間は掛からない。少しの間だけ雲英を一人にしても問題はないだろう。
雲英の事は半ば諦め、八雲に向き直る。
「じゃあ、行くか…」
「ハイ!砂月様トナラ、地ノ果テ海ノ果テ、更ニハ空ノ果テマデ、付イテ行ク所存デス」
「いや、トイレに行くだけだから…それ以上付いてこなくていいからね?」
俺が頭を抱える一方で八雲はフンスカ!っと息巻いている。そんなに退屈だったのね…実際、俺も退屈で死にそうだったけど…
テンションが反比例する二人の珍道中が始まった。
小さな曲がり角を曲がると再び真っ白な廊下が目前に広がる。またこの廊下を歩く羽目になるのかと思うと溜息と共に目が濁る、やっぱり行くの止めようかな…
後ろを歩く八雲は意気揚々と俺に付いてきている。
心なしか足音が軽快に聞こえる。また、病院内も静寂を保っているので余計に八雲の足音が響いているようだった。
俺とは対照的な態度の八雲と、この遠近感を狂わせる廊下…
あれ、なんだろう?なんか無性にムカついてきたな…今、非常に叫びたい気分だ。誰か俺のポジション変わってくれない?今ならポンコツアンドロイドが付いてきますよ!
誰かにボンビーを擦り付けたあと、ぶっとびカードでハワイくらいに高跳びしたい気分だ。
桃鉄懐かしいなぁ…昔は友達とよくやって殴り合いの喧嘩になったもんだ。あれってパーティーゲームと言う名の友情崩壊ゲームだからね、あのゲームこそ人の本性が現れるゲームだと思う…結局最後はキングボンビーに全員仲良く有り金を巻き上げられ、借金地獄になるんだけどね…現実でもゲームでも修羅場とか、あのゲームにハッピーエンドはないのか!?
子供の頃の切ない記憶が蘇ったところで、俺は日月の事を思い出す。
そういえば…あいつって大学の頃とあまり変わり映えしなかったな。俺が一発で日月と分かったくらいだ、そうそう人間ってのは変わらないが、あれ程変わらないのも珍しい。
セミロングの髪は淡い亜麻色で、後ろ髪はゴムバンドで一くくりに纏めてありショートのポニーテールのようにも見える。顔立ちは整っているが、キツネ目のように細い瞳は一見ニコニコしているような表情に見えるが、実際は何を考えているか分からない。
あの目が一瞬開いた時、あまりの鋭い視線に悪寒がしたのを憶えている。できれば二度と見たくない瞳だ。
大学生の頃から白衣をいつも羽織っており、その下はたいてい無地のシャツかニットを着ている。それは今でも変わらないようだった。ズボンもスラックスを愛用していて、如何にもドクターや研究生らしい格好だ。
恐らくお洒落に興味がないか、そんな暇がないかのどちらかだろう。多分日月の場合は前者だ。
背格好も小柄とも大柄とも言えない中途半端、スタイルがいいのかと言われればそうでもない。the普通。
取り柄がないのが取り柄、みたいなものだ。
まぁ容姿を帳消しにする程の博士号って肩書があるからいいんじゃないか?天は二物を与えず。あいつに美貌が与えられなくて良かったよ、神様ありがとう。
神様も捨てたものじゃないな…っと勝手に神様の認識を改めていると、救急外来の方を覗く人影が見えた。
そうそう!ちょうどあれくらいの中途半端な容姿が日月だ。行動まで日月にそっくりとは…それにしてもよく似ている。
…というか日月本人だった…
「お前…なにしてんの?」
俺の声に肩をビクつかせる変人。日月は恐る恐るこちらを振り向き、俺の顏を確認したあと胸を撫で下ろした。
いや、なに安心してるの?俺が同じ変人だったとしても通報くらいは出来るからね?なんなら過去の行いも含めて通報してやろうか。
日月の反応にイラつきつつも、一応弁解を聞いてやる。
「なんだ君か~ビックリさせないでよぉ。警察官の尋問かと思っちゃった!テヘペロ!それで?この超絶美少女!日月柚博士、アンドロイドの権威と呼ばれた私に何か用?」
超絶美少女?そんなものはどこにも見当たらんが…それに肩書を自ら名乗るな恥ずかしい!
そんなんだから変態呼ばわりされんだぞ?いい加減学べよ…あと、そのテヘペロ超絶ブサイクだぞ。
色々と胸中でツッコミを入れたが、こいつに付き合っていると会話がズルズルと長引きそうなので無視する。
「質問しているのはこっちだ、もう道案内も済んだから帰ったんじゃなかったのか?っていう帰れよ…」
「何言ってんの?別れの挨拶はしたけど帰るとは一言も言ってないんじゃ!それにまだ勤務中だからね~帰りたくても帰れな~いのよん!一応こう見えて雇われの身だから、ちゃんと従業規則は守らないと給料がでないんだよぉ」
なにその喋り方、キャラが不安定過ぎてムカつく。ちゃんと喋ろよ面倒くさい。
でも、博士って肩書があっても雇われの身なんだな。以外に知らない事が知れて得をした。つまり、ここで仕事をサボタージュしていることを密告してやれば、お前の給料天引きされんだね?いや~イイ事を聞いた!早速チクってやろう。そして少しは痛い目見やがれ!
周りに病院スタッフの姿を探すも見当たらない、まぁ暫く歩いていると誰かしら通るだろう。その時に密告してやる。
日月との会話を途中で打ち切り俺はトイレに向かって歩き出した。
「ちょっと、ちょっと!?さっきから私へのスルースキル高すぎない?私に声を掛けたんだからなにか用があるんじゃないの?」
「無いです。俺、用事があるので。じゃ!」
俺が全力で振り切ろうとするが、それでも食い下がる日月。
「そんなはずがない!だって私に質問したでしょ?なにしてるのか?ってね」
「いえ、もう結構です。時間が惜しいのでここで失礼させて頂きます」
「そんなこと言ってぇ、ホントは知りたいんでしょ?分かった!教えてあげるわよ!」
こいつ…本当にしつこい性格してんなぁ。
仕方ない、ここは素直に聞いてやって早いとこ切り上げよう。それが一番手っ取り早い気がする。
俺は足を止め日月に向き直る。
「やっと聞く気になったようね!じゃあ、まずはちゃんとお願いして?"日月先生、貴方のようなお方が何をしていたのか教えて頂けないでしょうか?"はい!Repeat after me」
「…却下だ!」
なぜこいつに教えを乞わなきゃならんのだ、死んでもそんなセリフ言うかよ!
少しでもこいつに耳を傾けた俺がアホだった…さっさとトイレに向かおう。
俺は日月の脇を抜け先に進む。
「わぁぁ!ごめん、ごめん!調子に乗り過ぎたよぉ。ちゃんと言うからちょっと待ってぇ!」
「じゃあ歩きながら聞くから勝手に言ってろ」
俺は足を止めることなくトイレに突き進む、その後を八雲と日月が足早に付いてきていた。
俺を追いかけながら日月は答える。
「さっきは雲英ちゃんの事が心配で…別れはしたけど、気になって壁の影から覗いてたんだよぉ。だって雲英ちゃんって可愛いじゃない?他の誰かに取られないように監視するのは当然でしょ?いっそ誰かのものになるなら、私と一緒に…」
その答えに俺は足を止める、いや、止めざる負えなかった。
「それってつまり…ストーカーってことだよな?」
「すとぅーかー?なにそれ、美味しいの?」
日月は小首を傾げながら答えた。
本人の自覚なし。これ…本物だ…駄目だこいつ、早く何とかしないと!
まさかこんな所に危険因子がいるなんて…氷華に報告して排除してもらおう。そうしよう!
犯罪者予備軍を氷華に報告すると共に、この場から一刻も早く離れたかったので俺は全力ダッシュでトイレに駆け込むのだった。




