第二話 「記憶と忘却」 3
戸締りも済み玄関先で八雲を待つ。
八月もお盆が過ぎ真夏日と熱帯夜を繰り返す毎日だったが、今日はあいにくの曇りだ。確か午後からは雨の予報だったはず、外出と言っても向かう先は室内なのでそこまで雨対策をしなくても大丈夫だろう…と、俺の甘い考えが微かによぎる。
空を見上げると重苦しい曇天の空。時間は10時過ぎだというのに、太陽の光が遮られ真夏の日中とは思えない程の暗さだ。夕立のように分厚い雲は見渡す限り続いており、今日は太陽を拝むことはないと勝手に確信する。しっとりとした空気は湿気を含んでおり、微風に乗って俺の頬をなでる。太陽が姿を見せなくても下がることのない気温と、ジメッとした湿気が夏特有の空気を作り出し、不快感が一気に押し寄せる。
"なんでこんな日に外出しなきゃならんのだ"
無意識に漏れた愚痴は、この気候に対して腹立たしい感情を吐露しただけで言葉に出すことはなく替わりに俺の肩がぐったりと落ちていた…
早く車に乗り込んでクーラーが効いている快適な空間に行きたいのだが、八雲を置いていく訳にもいかない。
外出の準備を済ませろと言ったが、アンドロイドって出歩く時に準備する物ってのはあるのだろうか?と疑問が浮かんだ。だが実際、時間が掛かっているのだからそれなりにあるのだろう。バッテリーやら、データベースや行動記録の更新なんてものをやっているのかもしれない。案外アンドロイドという存在も暇ではないのだ。
…それにしても時間が掛かるな、一体何をしてるんだ?俺、干からびちゃうよ?湿度80%超えてるけど干物になってもいいの?骨川スネ夫だよ?
…暑さで頭がおかしくなってきているみたいだ、少し頭を冷やそう…
時間がないのは八雲も分かっているはずだし雲英も待たせているんだから、それなりに配慮してほしいものなんだが…
苛立ちが彷彿し始めると無意識に指でリズムを刻み、貧乏揺すりのような行動を起こしていた。
…いい加減声を掛けた方がいいかもしれんな。
俺は玄関を開け室内を覗こうと頭だけ入れる。すると目の前に八雲の姿があった。
「御待タセシマシタ、砂月様。時間ヲ取ラセテシマイ、スミマセン」
「……いや、いいんだが…どうしたんだ、その格好は?」
そこには八雲であって、八雲じゃない存在がいた。
いや、単純に八雲はいつものメイド服から余所行きに着替えていただけなんだけどね。それでも俺の目には真新しく映った。
今までメイド服姿しか見たことなかったから、余所行きの服を持ってきていたこと自体に驚いたし、なによりよく似合っている。白地のロングワンピースに淡い水色のストライプ柄が清楚さを際立たせ、その上から白いレース生地のカーディガンを纏い女の子らしさがグッと増したように見える。頭に被るつば広のラフィアハットが夏らしさを全面に押し出し、またロングワンピースとカーディガンで上手く球体関節が隠れており、一目ではアンドロイドと分からない位に美少女だ。
例えるなら、海が似合いそうな服装だろうか…いや、この服装の組み合わせって何処かで見たことがあるな?
ふと脳裏に過ったのはオタクが好みそうな夏の光景だった。
1入道雲。2白のワンピース。3麦わら帽子。4美少女。
これだけの素材があれば大抵のオタクは画像を保存する…ソースは俺。
…なんでだろう、無性に寂しい気分になってきた…どうしてくれんのこの気持ち?というか、なんだそのファッションセンス!?童貞を殺すセーターよりある意味凶悪だぞ!いったい誰がそんな服を選んだんだ?
けしからん!……もっとやれ!!
危うく口から本音がダダ漏れしそうな所を寸前のところで押し留め、生唾を飲む。
その行動で八雲は不信感を抱いたのか、身を捩ると疑いの視線を向けてきた。
「砂月様、アマリニモ凝視シ過ギデスヨ…私ガ、アンドロイドダカラ良カッタ、ヨウナモノデスガ、コレガ善良ナ一般市民ナラ、現行犯逮捕レベルノ、凝視デシタヨ」
「えっ…いや…そういうつもりじゃ…」
「犯罪者ハ、イツモ"そういうつもりじゃなかった"ナンテ言葉ヲ、使イタガル傾向ガアリマス。犯罪ヲ犯シタ後デ"そんなつもりじゃなかった"ハ通ジマセンノデ、以後御気ヲ付ケ下サイ」
「はい…すみませんでした」
軽く平謝りをし反省する。
…ちょっと待て、なんで俺が謝んなきゃいけないの?ちょっと魅入ってただけで謝罪が必要とかどこの国家だよ。だいたい遅れてきたのは八雲なのになんで偉そうな訳?もうちょっとは罪悪感ってのを持とうね…
色々と不安が爆発しそうだったが、雲英を待たせているのを思い出しここはグッと堪える。
「雲英が待ってる、準備が済んだならさっさと行くぞ」
「待ッテ下サイ。砂月様ノ感想ヲ聞イテマセン」
「……はぁ?」
何言っちゃんてんのこの娘?じゃなかった、このアンドロイド…感想ってもしかして服の感想って事なのか?なんでアンドロイドのファッションセンスを俺が品定めせにゃならんのだ、カリスマファッションリーダー的な人物に感想や所見を聞くならまだしも、ファッションセンスなんて欠片もない俺の感想を聞いてどうするつもりだ。感想なら雲英にでも聞けばいいだろうに…
毒舌ならいくらでも吐いてやるが、他人を評価するのは苦手だ。特にこんな感じのシチュレーション…女の子が服を二つ持ってきて"これってどっちが似合うかな?"なんて質問して来た時なんて最悪だ。一見選択肢は二つに見えるが実はそうじゃない、選択肢CやDなんてものが存在するし、更に答えたところでこっちの意見なんて聞いてない事が多々あるってのが性質が悪い。
正直、男ってのは貴方が何を着て、どっちを選ぼうがどうでもいいんですよ、その男心を分かって欲しい。
だいたい女子の待っている言葉ってのを当てるのは風雲たけし城より難易度が高い。いい加減ギャルゲーみたく選択肢が出る装置ってものを企業が作るべきだと思う。
多分大儲けできると思うよ!名付けて『コミュ力アップ装置』これで誰とでも会話が出来て話題に困らない!上司との無理矢理な飲み会での話題提供や、お偉いさん方へのヨイショはお手物!なんなら"巧みな話術で女の子にもモテモテ"ってキャッチフレーズでも付けとけば大ヒット間違いなし!ハリウッドでも映画化が確約されるだろう。
いかにも如何わしい雑誌に乗ってそうな宣伝も出来たところで、八雲がしびれを切らした。
「ハァ~…砂月様ハ、ソンナンダカラ女子ヲ、喜バセル事ガ出来ナイノデスヨ、モウチョット女子ノ心ヲ、汲ミ取ル特訓ガ必要デスネ」
「お前に女子との会話レッスンなんて頼みたくねーよ!それに、八雲に女子の心が理解できているのかも怪しい所だしな…最低限の会話が出来ればそれで十分だ」
「失礼ナ人デスネ、コレデモ他ノ、アンドロイドト比ベレバ、女子力ヲ磨イテキタ方、ナノデスヨ」
「…頼むから女子力を磨く前に、家事力を磨いてくれ。その方が俺の好感度も上がるぞ」
八雲は視線を逸らすとバツが悪そうに答える
「勿論、女子力ノ中ニ、家事力モ含マレテイマスヨ……多分…」
「えらく自信なさそうな答えだな…」
疑いの視線を向けるも八雲が視線を合わせる事はなかった。
与太話はここまで、これ以上雲英を待たせると本気で怒られそうだ、無理矢理会話を打ち切り玄関の戸締りをする。今度はしっかり鍵を掛け指差し確認。以前不法侵入された挙句、部屋を散らかされてから特殊な二重ロックを勝手に増設したので、もう部屋に入られることはないだろう。だいたい大家さんが勝手に部屋を開けなきゃ鍵を増設する必要はなかったんだが…仕方ないね、自分の身とプライバシーは自分で守らないと!
鍵の掛かりを再度確認すると八雲と急ぎ車へ向かった。
アパート前には妖しく黒光りを放つ高級車が停車してあり、一目で雲英の乗っている車だと確信する。
ある程度車に近づいたところで後部座席のドアが自動で開く、本当にタクシーみたいだよねこの車…
もう何度か乗ったことがある車なので、俺は慣れたような手つきで乗り込む。その後に続くように八雲も後部座席に乗り込んだ。
少し車が傾いた気がしたが気にしないでおこう、隣には雲英が待ちくたびれたように座っていたが、八雲が乗り込むと驚いたような表情をしていた。どうやら八雲が同席することは聞いていなかったらしい…そりゃそうだ、だってさっき決めた事なので雲英が知る由もなかったのだから。
雲英は暫く俺と八雲の顔を見比べていたが、本来の目的を思い出したかのように運転手へ出発を告げた。その合図と同時に車はゆっくりと前へ進む。
「砂月さん…あとでちゃんと説明して下さいね?」
雲英の表情は穏やかな微笑を浮かべていたが…その奥では禍々しい怒りの感情が見え隠れしていた。
…あれ?…これって怒らせちゃったかな?
今更ながら、勝手に八雲を連れ出した事に後悔の念がジワジワと込み上げてきた。
俺達を乗せた車は徐々に加速していき、大通りに出ると車の大群に入り込む。車外を眺めているとビル群が立ち並ぶ道に入ってきた、歩く人たちもスーツ姿やOLが多くまさしくオフィス街と言ったところだ。
そのビル群の中でも一際大きく突出している建物があった。建物と比例するように会社名まで大きく書いてあり、なんとも自己主張の激しい会社だなと呟く。改めて社名に目をなぞらせると勝手に納得した。
"東雲コーポレーション"
…あの会社がやりそうなことだ。如何にもこの国の経済を支えているのは我が企業だと言わんばかりの傲慢っぷり、まぁ実際この国のGDPを底上げしているのはこの会社なんだけどね…GDPの数値だけを見ればこの国は豊かになったのだろう。
しかし、GDPを底上げしたからといって国民全員が豊かになったかといえば、そうではない。あくまで平均値なのだから、最底辺の人もいれば最高値の人も勿論いる。今やその差は広がるばかりだ。
どこの国でも生じるであろう貧富問題、この時代が続く限り恐らく一生解決することのない問題だろう。
いつの時代も強者が弱者から奪い取るというお決まりの定説は変わらない、それも人間の性というのなら悲しい生き物だと心底思う。
じゃあ強者が悪者と定義するのかといえば、そうではない。強者の中にも善良な人はいるし、弱者の中にも悪者は存在する。正義の名の元と銘打って殺人を犯す人もいれば、子供を生かす為にと決意しながら悪事に手を染める人もいる。結局どちらとも悪者と定義できないのだ。
人間は善と悪の二面性を必ず持っている。ちょっとしたきっかけで善良な人になることもあれば、悪者にもなれる。これは人間の中に善悪が入り混じっている証拠なのだろう。
だが、人は善悪だけが全てじゃない。人の本質と性は別物だ。
善悪以外にもいろんな感情や性格、ちいさな癖や仕草。それら一つ一つが集まってその人を形作っている。
どうせ誰もが善悪を持っているのなら、そういう小さなところに目を向けてみてはどうだろうか?それがその人の本質に繋がっているのかもしれないし、人を見極める判断材料にもなる。
よりよい人間関係を築きたいのなら、そういう目利きを鍛えるといいだろう。案外人間観察という趣味は捨てたものじゃない。
脱線に脱線を継ぐ話だったが、結局なにが言いたいのかというと…東雲コーポレーションは嫌い!っという事だ。これでオチも着いて一安心!終着駅も目の前だ。
ご乗車ありがとうございます。まもなく終点です、お出口は右側です。お降りの際には、お忘れ物・落し物がないよう御注意下さい。本日はありがとうございました。
脳内妄想の御客人を無事送り届けたところで声が掛かった。
「砂月さん、そろそろ説明して頂けますか?」
雲英の声音は落ち着いてるように聞こえるが、その奥にはやはり怒りが潜んでいるような気配が感じ取られる。思わず心臓が飛び跳ねるような感覚に襲われるも平然を装いながら聞き返す。
「え…?なんのことかな?」
「この状況でシラを切るつもりですか?どうして八雲まで付いて来ているのかを尋ねているのです」
俺もこの状況でシラ切れるつもりはなかったが、改めて尋ねられると言い淀んでしまう。しかも結構口調が辛い…
雲英の視線も痛かったが、正面を向いている八雲も目だけはこちらに向けダブルで視線を感じる。正確に言うと四つ目が向いているのだからクアドラプル…意外とみんなが知らない単語を使って、俺ってば鼻高!
どうでもいい自慢が脳内で広がっていたが、重圧のある静寂が車内を満たすと俺も流石に空気を読まざる負えない。
「えっと、あれだよ…流れというか…その…社会科見学…みたいな?」
「はぁ…社会科見学ですか…では、なぜ今日なのですか?他の日にでも良かったはずですが?」
怖い、女性の質問攻めって超怖い!浮気とか不倫の修羅場ってこんな感じなのかよ、こんな思いするなら俺は一生独身でいいや。独り身でまったりと平穏な日常を希望します。
雲英の質問と視線は更に辛みを増し、それに反比例するように俺のテンションは下がっていく。
「あの……そうだ!老婦人が倒れたんだろ?八雲が孫に似ていたって話をしていたし八雲の姿を見れば少しは元気になるんじゃないか!?」
苦し紛れの言い訳を全うな理由のように述べる。すると雲英の怒りはすっと消え失せいつもの柔らかい表情に戻った。
「そうでしたの…私としたことが色々と疑ってしまいすみません。砂月さんも考えがあっての事だったんですね」
雲英は軽く謝罪をすると付け足すように続けた。
「ですが、アンドロイド…いえ八雲を車に乗り込ませるのは違反になります。なんでも重量が人間の数倍はあるので積載量の都合だとか…今後、八雲を連れ出す場合は事前に連絡を下さいね。アンドロイド専用の運搬車両をご用意できますので」
そう言って雲英は静かに前を向く。さらっと凄い事を言っていたな…
アンドロイド専用車両なんてものがあるのか、それも保有している雲英はやはりただのお嬢様とは思えない。流石は東雲の名を有しているだけはある。
そんな世界的に有名なお嬢様の隣に最底辺クズニートの俺がいる。大丈夫この図?絵的に間違ってない?俺、誘拐犯とかじゃないからね?
まさしく貧富の差が体現しているような二人だった。
取り敢えず雲英の疑いも晴れ胸を撫で下ろす。その様子を八雲が横目で見ており俺に耳打ちする。
「良カッタデスネ、私モ少々ヒヤット、シマシタガ。モウ大丈夫ソウデスネ」
「そうだな、お前のお蔭で俺の肝もだいぶ冷えたよ…」
八雲は心外そうに異議を唱えた。
「誘ッタノハ砂月様デスヨ?私ニ罪ハ一切ナイハズデス!」
「誘ったのは俺だが、自らの意思で付いてきたのは八雲だ。つまり同罪ってことだ言い逃れは出来ないぞ」
「……砂月様、ズルイデス…」
ふて腐れたような仕草を見せ文句を垂れる八雲、そんな八雲に俺は今日の教訓を偉そうに答える。
「それは褒め言葉として受け取っておく。大人ってのはずるい生き物なんだよ、よく覚えておくんだぞ」
あくどい笑みを浮かべながらアンドロイド相手に一本取ってやったと静かに勝ちどきを上げる男がそこにいた。
というか俺だった…




