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心機(仮題)  作者: 山葵
第二章 「心理と心」
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第一話 「新たな依頼」 6

「お待ちどうさま!」

元気な声と共に俺と雲英の前にラーメンが置かれる。

暑い夜でも湯気がほんのりと立ち上り、鶏ガラとニンニクの香りが鼻を刺激する。あの時に嗅いだ匂いは確かにこれだった。

透き通るようなスープは鶏ガラベースの醤油味だろうか、やや茶色がかっていて微かに醤油の香ばしい匂いも漂っている。そのスープに浸かっているのは黄金色の麺。やや太麺で歯ごたえがありそうだ。

トッピングに煮卵、メンマ、焼きのりがあしらってあり、小葱がスープの海を泳いでいた。

これぞラーメンの王道と言っても間違いではないだろう。シンプル・イズ・ベストとはこの事だ。

手を合わせ雲英と一緒に唱える。

「いただきます」

目の前に調味料が複数用意されていたが、まずはそのまま食す。一口目から味を変えては亭主に失礼だろう。

まずは麺、やや太い麺を勢いよく啜る。見た目通りに歯ごたえがあり、若干スープを吸い込んだ麺はいい感じに味が染みている。

次にスープをレンゲで一口啜る。鶏ガラベースの醤油味はあっさりとした口当たりでいくらでも飲めそうだ。

旨いラーメンはスープが美味しいと言うが、まさにこのラーメンが体現している。

見た目は普通のラーメンなのに、このスープと麺が絶妙にマッチしており"旨い"の一言に尽きる。

雲英の食レポはどうだろうかと気にかけて見ると、夢中でラーメンを食べていた…食レポどころではない程に腹が減っていたのだろう。雲谷さんも唖然とした表情で雲英を眺めていた。

二人で黙々とラーメンを食べていると雲谷さんは何かを思い出したように厨房下に潜り込む。

「そういえば…これ、今日は初来店のサービスって事で!」

俺達の前に差し出されたのは、チャーシューだった。やや厚めにカットされたチャーシューは白身魚のように真っ白な色合い、周りは茶色に縁どられ照明でも当てられているかのように輝いていた。

雲英と顔を見合わせると、同時にチャーシューへ手を付ける。

一口食べただけで分かる、このチャーシューは手作りだ。やや味にムラがあるものの、柔らかな肉感と溢れ出る肉汁。これはチルドや冷凍物では出せないものだ。

旨いの一言でしか言い表せない、自分の語彙力のなさをこんな所で悔やむことになるとは…いや、チャーシューだけじゃなく、ラーメンの食材全てが手作りなのかもしれない…そう思うと鳥肌が立った。

こんなラーメンを食べた日には、もう他のラーメンを食べれなくなってしまうじゃないか…

雲谷さん、どう責任を取ってくれるんですかね?もうこのラーメンなしでは生きていけませんよ。

ラーメンへの愛を語りつくした所で、雲英を見る。

既に完食し手を合わせていた。スープも一滴残らず飲み干していたが…お前、このラーメンの凄さが本当に分かってるんだろうな?

疑心の視線を雲英に向けていると、雲谷さんが口を開く。

「どうだった?東雲さん。うちのラーメンはお口に合ったかしら?」

「えぇ、とても美味しかったです。ラーメンを初めて食べましたが…言葉に表せない程、感激しています。また、食べに来てもいいですか?」

雲谷さんは雲英の感想に満足したようで満面の笑みを浮かべ答えた。

「えぇ、いつでもお待ちしております」

いつ空いているか分からない屋台で"お待ちしております"はちょっと矛盾している気がしたが、お客の感想を直接口で聞ける距離感ってのは屋台ならではなのかもしれない。

まさに、料理人冥利に尽きるとは、この事なのだろう。

雲谷さんの表情がそれを物語っているようだった。


二人ともラーメンを完食し、暫しの余韻に浸っていたかったが次々とお客が流れ込んでくる。

小さな屋台なので瞬く間に満員になってしまった。案外、隠れた名店なのかもしれないな…

これ以上長居をしていると商売の邪魔になりそうなので、忙しく作業をする雲谷さんに軽く挨拶をし引き上げることにした。

別れ際に小言のように説教を受けた気がしたが、満腹で耳には入ってこなかった。忙しい身でも説教を忘れないのはご愛敬って事にしておこう。

そのまま真っ直ぐ自宅を目指す。この辺まで来ると街頭もポツポツと等間隔で設置してあり、夜道もさっきの公園と比べるとだいぶ明るく感じる。

雲英と他愛もない会話をしていたら、いつの間にか雲峰壮の入口まで到着。

ふと自室の窓に目をやると、明かりが付いていた。

家を出るときに電気を消し忘れていたか?…いや、俺達が出るときはそこまで暗くなかったので、電気を付けてさえいなかった。鍵も掛けたはずだし……まさかね…

こういう時の嫌な予感ってのはだいたい当たる。まるで予知能力でもあるのではないだろうかと、自分の秘めたる力が恐ろしくなるよ。

というか、こういう事が出来るのは大体限られているから…もう察しは付いてる。

本当はこんな事に慣れてはいけないのだろうけど、人の習慣って怖いよね。

階段を上がり、数メートル歩くと玄関前に到着。ドアノブに手を掛け捻る、玄関のドアは容易く俺を迎え入れてくれた。勿論、鍵など掛かっていない。抉じ開けられた形跡もないので、合鍵かピッキングで開錠されたようだ。

「ただいまぁ」

一応、帰ってきた証として挨拶をしてみる。しかし、なにも反応がない。

雲英と顔を合わせ、二人で小首を傾げる。

てっきり八雲と氷華がお出迎えに来るのかと思っていたが、予想が外れた。

スリッパに履き替え俺の自室兼リビングへ歩を進める、雲英も俺の裾を掴みながら後に続く。

光が漏れているドアの前に辿り着く。何やら物音が聞こえるが、やけに静かだ。ちょっと怖い気がするが、ここは腹を括るしかなさそうだ。

勢いよくドアを開けると、いつもの声音が返ってきた。

「あら、おかえりなさいませ、お二人様。遅かったですね、いい加減待ちくたびれましたよ」

抑揚のない冷めたような氷華の声音はいつもの事だが、いつもと違う目の前の光景に唖然とする。

「なにやってるんだ、お前達は…?」


出掛ける前はある程度綺麗にされていた自室は、見るも無残な姿に変貌していた。

別に綺麗好きって訳じゃないが、俺の性格上、不必要な物はすぐに捨てるようにしている。だから、綺麗と言うよりはあまり物がないと言った方が正しいのだろう。必要最低限の物だけしかないのが、俺の部屋だ。模様替えなんてする必要がない、衣・食・住さえ満たせばそれで十分なのだ。

趣味のパソコンに関しては別だが…精密機械は丁寧に扱わないと壊れてしまので、パソコン周りだけはマメに掃除をしている。俺からパソコンがなくなると死んでしまうからな…勿論、墓まで持っていくつもりだ。

HDDの中を他人に見られるのだけは勘弁な、パソコンの中なんてプライバシーの塊みたいなものだからな…それに見た所で誰も幸福にはなれないし、お互いが気まずいだけだ。

人は見たくない物を見ようとするからね…これも人間のさがってやつかもしれない。

人間の性の話で現実逃避を試みたが、目の前の現実は逃がしてくれそうにない。

そこはまるで空き巣が入り込んだかのように荒れ果てていた。様々な物が床に散乱し、足の踏み場がない。水のような液体がテーブルに広がり、ふき取ったティッシュはそのまま放置。衣装ケースからは無造作に衣類が飛び出て、まるでミミックの舌が何本も出ているみたいだった。

自室の片隅では八雲が膝を抱えて何やら独り言を呟いている…この光景どこかで見たことがあるな…

だが、一番気がかりだったのが、床を埋め尽くす破れた衣類だ。なぜ衣類を破く必要がある?というか、なにをすればこういう事になるの?

こういう時、なぜか冷静になっている自分に驚いた。いや、冷静じゃなくただ不思議で堪らないのかもしれない。怒る気も起きず、俺は氷華にもう一度問いかける。

「一体なにがあったんだ?説明してくれないか?」

氷華は肩を竦めると当たり前のように答えた。

「説明するもなにも、見ての通りよ。八雲に頼まれて家事を教えていたのよ」

自分の耳を疑う。聞き間違いでなければ、家事を教えていたと言ったのか?なぜ家事を教えると部屋がこんなにも散らかるのだ。

なに?お前らの教育はこれが当たり前のなの?最近の教育って大変なんだな…どおりでモンスターペアレントが生まれる訳だ…今の状況で俺がモンペになりそうだもん。

質問の内容が悪かったみたいなので、俺は言葉を変えて再度質問する。

「その…結果は見ての通り分かったんだが…経緯を教えてくれないか?」

「経緯…と言っても私は教えただけで、実行したのは八雲だから。大した説明にはならないわよ?」

「それで構わないよ。なにか原因があるのは確かだから…」

そうでなければ俺が納得できない。氷華は一呼吸置くと、流暢に話し始めた。


「まず、お茶の作法を教えたのだけど実践に入る前にフリーズを起こしてしまったから、基本的に無理と判断したわ。どうやらメイドロボに侘び寂びを理解するのは困難なようね」

「そりゃそうだ…」

アンドロイドが侘び寂びを理解できる訳がない。八雲の場合はまだ検証中なので、いずれは理解できる可能性が生まれるかもしれないが…まだ検証段階で心が不安定なのだから、いきなり高度な心配りを強要しても混乱するだけだ。

眉間に手を当て困惑していると、氷華は話を続ける。

「次に礼儀作法を事細かに教えたのだけど…まるで覚えの悪い子供のようだったわ。何度も同じ間違いをするし、人の話は聞いているようで聞いていない。人間で言うところの真面目系クズに近いわね…これじゃあ、ろくに接客も任せられないわ」

思い当たる節があるから、何も言い返せない…気は利くんだけどなぁ。結果がそれに伴わないのは悲しいの一言である。努力は…認めるよ?

なんとなく結果は見えていたが、氷華の話は終わっていないので耳を傾ける。出来れば聞きたくなかったが氷華は畳みかけるように続けた。

「最後に家事を教えたわ、その結果がこの惨状よ。因みに一番悲惨だったのは洗濯ね。洗剤の代わりに入浴剤を入れるし、洗濯が終わって干そうとしたらベランダにぶちまける。最後は衣類を畳むときに力加減がわからず何枚も破っていたわ。まぁ私の衣類じゃないからどうでもいいけど」

「どうでもいい訳ないだろ!俺の衣類で練習させるなよ!!」

ほとんで来ていないTシャツやパンツが無残な姿に成り果て、俺は初めて怒りを露わにした。しかし、氷華は動じることなく俺を抑制する。

「黙りなさい、さもなくば貴方の大事な靴達が次の犠牲者になるわよ」

睨みつけるような鋭い視線が俺に向けられる。靴を人質に取られては俺は何も言い返せない。

お願いします!あの子達には手を出さないで下さい!!

懇願するように俺は沈黙を貫いた。

「結果、自分の不甲斐なさに落ち込んで、あの有様よ。あと、よろしくね」

尻ぬぐいは俺の仕事ですか…そうですか…

大切な靴達を人質にとられては、ここで俺が人肌脱ぐしか道はなさそうだ。

八雲にゆっくりと近づき、そっと肩に手を添える。うつろな瞳が俺を視認すると一言俺は告げた。

「八雲、人には得手不得手ってのがある。それは八雲も例外ではなく、当てはまるのだろう。人間、諦めが肝心だ」

その言葉で八雲はゆっくりと目を閉じた。まるで死期を悟ったように穏やかな表情だった。

後ろですすり泣く声が聞こえる。八雲の代わりに雲英が涙を流してくれていたようだ。

…これってそんなに感動するシーンじゃないよね…

しかし、この場にいた誰もがツッコミを入れることはなかった。


茶番劇はこの辺でお開き。

八雲に根性論と修造ばりの"あきらめんなよぉ!"と喝を入れるとすっかり元通りになっていた。

その後は皆総出であと片付けだ。勿論、八雲には一切手出しはさせない。これ以上仕事を増やされては終わるものも終わらないからな…

片付けも終盤に差し掛かり、氷華は何気なく俺に問いかける。

「それで、お嬢様とはもういいの?」

「ん?なにがだ?」

質問の意図が分からず、咄嗟に切り返す。氷華は掃除の手を止め、察しが付かない俺に苛立ちの視線をぶつける。

「つまらない争いは終わったの?と聞いたのよ。それくらい察しなさい木偶の坊」

木偶の坊って…まず、お前の聞き方が抽象的すぎるだろ、"もういいの?"って聞かれればなんか卑しい事が済んだみたいじゃん?…そんな発想俺だけか?

木偶の坊は怒りを抑え、さも平常心で返答する。

「終わったと言うか、お互いの認識を改めたって言った方がいいか…実際これからが問題な訳だし」

「これから?また貴方達はなにか仕出かす気?これ以上私に迷惑を掛けないで欲しいのだけれど」

またって俺は一度も仕出かした事ないし、一応俺も迷惑を被っている被害者なんだけど…それはまず、お前のご主人様に言って欲しい。あいつ、結構なトラブルメイカーだぞ。

困惑の表情を浮かべる氷華に、俺は諭すように告げた。

「今回は人助けみたいなものだから、前回みたいな事にはならないだろう。まぁ迷惑が掛かるのはお前が従者だから仕方ないな、諦めろ」

「なるほど…事が起きる前に、問題の根源であるお嬢様をどうにか出来れば、私に迷惑が掛からないってことね」

お前、本当に従者なのか?従者としてあるまじき発言だし、発想が怖いわ…

自分の為ならご主人も厭わないってことか?雲英と主従関係じゃなかったら一体どうなってたことやら…

氷華の発言に俺は上体を仰け反り体で拒否感を表すと、氷華は冷めたような口調で続けた。

「冗談よ、メイドジョークよ。木偶の坊だから理解できないのかしら?少しは学習しなさい」

いや、お前の冗談は冗談に聞こえないよ。多分俺だけじゃなく全人類が口を揃えてそう答えると思う。

あと何を学習しなきゃいけないの?メイドジョーク?なにそれ、あんたバカァ~?そんなの分かる訳ないだろ!

惣流さん並みに罵ってやりたいが、罵倒が10倍で返ってきそうなので口には出せない。

俺は頭を抱え話題を戻した。

「取り敢えず明日は雲英と出掛けるから、詳細は雲英にでも聞いてくれ。よろしくな」

暫しの沈黙が流れ、氷華は俺の目を真っ直ぐに見据える。表情にあまり変化はないが、真剣な様子を感じ取れた。そのままゆっくりと口を開く。

「……分かりました。内容はお嬢様に聞いておきます。ですが…」

氷華の話はまだ終わっていなかったが、その先の言葉は分かっていたので声を被せるように答える。

「分かってる、雲英を危険な目に合わせないよ。なにかあったら氷華に連絡する」

「分かっていらっしゃれば結構です。ああ見えて無鉄砲なところもありますから目を離さないようにして下さい。くれぐれもお気をつけて」

小さく会釈をし、氷華は掃除を再開した。

…無鉄砲ね、たしか俺を尋ねて来た時も家を抜け出して来たなんて言ってたな。思い立ったらすぐ行動に移す。聞こえはいいが、見かたを変えれば無計画と言われるだろう。

俺にはそんな行動力はない。だから行動力の優れる雲英を見ていると少し圧倒されてしまう。

しかし、無計画なのは変わりない。計画を立てたとしても、詰めが甘すぎる。それが今回の依頼と妙にあっていた。

それならば俺が計画を立てようじゃないか。俺が計画を立て、雲英が行動に移す。普通逆なんじゃないかと思われるかもしれないが、あいにく俺も雲英も普通じゃないので仕方ない。

少しアンバランスなコンビだが、それくらいじゃないと面白くない。凸凸コンビでも凹凹コンビでも上手くハマる時はある。

今回も上手くハマってれればいいが、それは神のみぞ知るってところだろう。

せっせと掃除に勤しむ雲英を横目で見ると、健気に頑張る姿に少し頬が緩む。

「さて、さっさと掃除を済ませて、明日に備えるか」

自分を鼓舞するような独り言は掃除機の音にかき消され、俺も掃除に勤しむことにした。

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