第一話 「新たな依頼」 5
少し大きめの三日月が頭上に浮かぶ。月灯りはやや心許ない。
この月灯りだけで夜道を歩くのは少し危ない程の暗さだ、特にこの公園辺りは街頭が少なく余計に暗く感じてしまう。恐らく、この公園の名前の通り"星空"を見るために敢えて街頭を少なくしているかもしれない。
そんな理由の方が聞いていて悪い気がしないだろ?…蓋を開ければ、単純に経費の問題だけなのかもしれないが…
雲英とも無事和解でき、公園を後にする。やや傾斜の強い下り坂を降り、再び住宅街に入った。
少し歩くと喫茶店"雪月花"が見えてきたが、看板は出ておらず店内に灯りは付いていない。今日は本当に定休日のようだ。
今まで客が入っていなかったことは何度もあったが、定休日に当たったのは初めてだ。いつも暇そうに見えてたけど案外忙しい身なのかもしれないな…それにしても、こんな時に限って定休日とか、タイミング悪すぎますよマスター。大好きな雲英がいるのに…残念だったね。
他人の不幸の甘い蜜を啜っていると、どこからともなくニンニクと鶏ガラスープのような香りが鼻に付く。
食欲をそそる匂いに、再びお腹が空腹を訴えかける。雲英もその香りを察知していたようで、お腹が鳴らないように必死に押さえていた…今さら音を抑えても既に二回も聞いているのだから、ただの悪足掻きにしか見えない。だが、そこは女の子として譲れないところなのだろう。
空腹のまま雲英を帰す訳にもいかないので、俺はもう一度提案する。
「この先に行ってみるか?」
雲英が答える前にお腹が返事をした。もう行く気満々なんですね…成長期真っ盛りだから仕方ないね。
俺が苦笑していると、雲英は下を向いて赤面した顔を隠していた。無言の雲英を先導するように、俺は匂いの先へと歩みを進めた。
芳しい匂いに誘われると見慣れた公園に辿り着く。ここはあの時の公園。
確か、俺が死んだふりをしたが為に雲英に引き摺られながら来た公園だったはずだ。
ここで俺は不意に疑問が浮んだ、俺はこの公園の名称を知らない。表札がないのだから本当に公園なのかも怪しいところだが…先程の"星空公園"よりはよっぽど公園らしいのは確かだ。
それに俺のナイトハイクコース(深夜徘徊)にもなっているので雲英と出会う前からこの公園の存在を知っていた…だが、今日の公園はいつもと違う。違和感だけしかなかった。
公園の中央に怪しい屋台が一つだけ建っていた。あきらかに場違いのような雰囲気を醸し出し、入り口の前には赤く灯る提灯。そこには"拉麺"と達筆な行書体で書かれ、周囲には芳しい香りを撒き散らしている。まるで童話に出てくる、お菓子の家のようだ。
そうなると俺達はヘンゼルとグレーテルと言ったところか…あの屋台には一体どんな魔女が住んでいるのか楽しみでもある。
しかし、雲英はグレーテルを演じられるだろうが、俺がヘンゼルは無理があるな…まず、俺と雲英が並んでいれば親子と勘違いされる程に歳の差があるのだから、やはりヘンゼルとグレーテルは無理だな。
そうなるとブラックジャックとピノコが一番しっくりくるかもな。一応俺も元・学者なわけで、色々と闇も抱えているし…もしかしてブラックジャックの元ネタは俺だったのか!?
屋台を前に妄想が広がリングしていると、不意に後ろから裾を引っ張られる。振り返ると雲英が膨れっ面で俺を見ていた。
「砂月さん、ここで立ち往生しても仕方ないのでは?行くなら行く、行かないなら行かない。どちらかハッキリさせて下さい」
「おう…悪かった」
別に立ち往生してた訳ではないのだが、優柔不断なのは事実だ。
しかし今回に至っては迷う必要なんてない。いい加減空腹も限界に近い、俺はビニール製の暖簾を手で広げ挨拶と共に入っていく。
「こんばんは、今空いてますか?」
「いらっしゃいませ、どうぞ好きな席に座って下さい」
店内からややおっとりとした女性の声が返ってきた…あれ?この声どこかで聞いたことがあるような…
店内を見渡しても人影はない。不思議に思い暫く立ち尽くしているとカウンターの下からぬっと店主が姿を現す。
「あら?砂月さんじゃありませんか。こんな夜更けにどうかされましたか?」
「………大家さん、なにやってんですか?」
状況が理解できず質問を質問で返してしまった。
どうかされましたか?はこっちのセリフだ。一体何やってんの?それに夜更けと言うほど夜中でもないし…大家さんって副業が出来るほど暇なのか?それなら俺もアパートの管理者目指そうかな…何もせずにお金が入るなんて夢のような仕事じゃないか!?
でも、今から管理者を目指すのは遅すぎる気もするし、まず土地がない…ならいっそ大家さんと結婚してしまえばいいんじゃないか!?これで、俺の老後は安泰だな!
妄想で頭が一杯なところに大家さんが質問に答えてくれた。
「なにをやっているのかと言われても…見た目通りの事をやっていますよ」
「それはつまり…ラーメン屋の亭主ってことですか?」
「はい、その通りです!」
満面の笑みで答えてくれる大家さん。
どうやら、アパート"雲峰壮"の大家さんはラーメン屋の亭主もやっているらしい…なにこれ、意味わかんないんだけど…
黙っていれば美人で有名だが、説教好きでも有名な大家さん。まさかこんな所で会うとは…これはとんでもない魔女に出会ってしまった…奴隷のように永遠と御説教を頂くことになりそうだ。
雲英は俺の後ろに隠れ、腕の隙間から大家さんの様子を伺っていた。初めて雪月花に行った時もこんな反応だったな…礼儀正しい挨拶は出来るが案外人見知りなのかもしれない。
また一つ、雲英の知らない一面を見れた気がした。
「立ち話もなんですから、どうぞ腰を掛けて下さい」
大家さんに促され、俺と雲英は近くのカウンター席に着く。
その時にようやく雲英の姿を認識したらしく、大家さんは小首を傾げると声を掛けてきた。
「その子は確か…よく砂月さんの部屋に出入りしている子ね。挨拶はよく交わすけど、こうしてちゃんと会うのは初めてね」
そう言って大家さんは改めて自己紹介をしてくれた。
「私は雲谷 陽。砂月さんが住んでいるアパートの大家をやっているの、よろしくね。あと、呼ぶときは"大家さん"ではなく、"雲谷さん"って呼んで欲しいわ!…それで、えっと…」
呼称の話をしている時に俺に視線が向けられる。忘れていた…大家さんって呼んじゃダメでしたね…
雲谷さんの自己紹介が終わり、雲英は一度席から立ち上がり姿勢を正す。小さく会釈をした後、丁寧に自己紹介を始めた。
「私は東雲 雲英を申します。砂月さんには色々とお世話になっております。今後も出入りを繰り返すと思いますがよろしくお願い致します。雲谷さん」
斜め45度の最敬礼をし礼儀正しく挨拶をする雲英。なんだか取引先の会社で挨拶しているみたいだ…ここはラーメン屋で俺らは客なんだけど…
綺麗な最敬礼を目の当たりした雲谷さんは暫く止まっていた。
「……雲谷さん、大丈夫ですか?」
心配して声を掛けると、少し体をビクつかせ意識が戻ってくる。
雲谷さんは驚きを隠すように、いつもの微笑を浮かべながら俺へと視線を向けた。
「えっ…あ、ごめんなさい。こんなに若い子があまりにも礼儀正しかったから、ちょっと驚いちゃった。東雲さんもごめんなさい。あと、よろしくね。砂月さんって見た目通りズボラな生活を送っているから、東雲さんがしっかりサポートしてくれると私も助かるわ。これからも砂月さんの生活リズムを整えてあげてね」
「はい、こちらこそ。よろしくお願いします」
ようやく挨拶が終わったが…気になるフレーズがあったな、俺の生活リズムがなんとか言っていたような…別に俺は雲英に生活リズムを整えてもらっている訳じゃないんだけど…
二人とも少し勘違いをしているようなので、あとでちゃんと訂正しておいた方がいいだろう…これ以上、俺の生活リズムに口を出す人が増えれば俺の気が休まらないしな。
自己紹介も済んだところで俺は話題を変える。
「ところで、なんでラーメン屋なんてやってるんですか?雲峰壮に住んでもう数年経ちますが、俺は初耳ですよ」
「そうね、私自身もあまり公言してなかったし、話せば色々と長くなるのよ…取り敢えず私の話は置いといて、今日は砂月さんがお客さんなんだから、まずは注文をお願いね」
雲谷さんは可愛くウインクをすると、お品書きを手渡してくれた。雲英にも見えるように広げて見せる。
だが、そのお品書きは、お品書きと呼べるほどのものではなかった…
「あの…これ、ラーメンとお酒しか載っていないんですが?」
「当たり前じゃない、ここはラーメン屋なんだから。ラーメンがないとおかしいでしょ?」
…おかしいのは雲谷さんの頭だよ!なんてツッコミを入れたかったが、喉奥になんとか押し留めた。
「言っている事は分かりますが…もう少し、餃子やチャーハンとかサイドメニューがあってもいいんじゃないですか?」
俺は、やや顔が引きつりながら物申したが、雲谷さんから逆に質問を受ける。
「それじゃ、もし砂月さんがラーメン屋に行くとするなら、ラーメン屋に行く理由はなに?」
「それは…ラーメンを食べに行く以外理由はないですね」
「じゃぁお品書きもラーメンで十分じゃない。一件落着ね」
満面の笑みで持論を繰り広げてくる雲谷さん。極論過ぎて付いて行けない…これはもう、俺が何を言っても無理そうだ…諦める事も大事だよね。
雲英に視線を送ると、困惑した表情をしていた。多分俺もそんな顔をしていたのかもしれない…
二人で小さく溜息をつくと選択肢がないお品書きを眺めつつ注文をする。
「じゃあ、ラーメン二つ。お願いします」
「ラーメン二丁入りまーす!」
小さな屋台に、高らかな声が響き渡った。
注文も済んだところで改めて店内を見渡す。
屋台だけあって小ぢんまりしており、座席もカウンター席が数席しか用意されていない。カウンター席から見える厨房もそこらのラーメン屋の設備となんら変わりない。
唯一違うとすれば換気扇の代わりに扇風機が3台とも全力で回っていることぐらいだ。壁がない代わりに風よけの厚いビニールシートが店内を覆っているが、この熱帯夜では室温を上昇させるだけでなんの意味もない。むしろ悪影響でしかない。夏くらいはもう少し薄手の物に変えればいいのにな…
じんわりと汗ばむ顔を拭きつつ、俺はもう一度同じ質問をする。
「雲谷さん、どうしてラーメン屋なんか?最近始めたんですか?」
雲谷さんは作業の手を止めることなく答えてくれた。
「そうね、ラーメン屋はずっと昔からしていたわ。ここ数年は私の気が向いた時にしか開かなかったけど、なぜラーメン屋かと聞かれても…私はこのお店を引き継いだだけだから、なぜラーメン屋だったのかは分からないのよ」
雲谷さんは微笑を浮かべていたが、いつもより少し陰のある微笑に見えた。店内が暗かっただけかもしれないが…
「お店を引き継いだ?誰からですか?」
「それは教えられないわ。女性はちょっとミステリアスな所が魅力的なのよ、東雲さんも覚えておいてね」
雲英は肯定も否定もせず、苦笑いでその場を誤魔化した。
ミステリアスな女性ってキャッツアイにでもなるつもりか?しかし、雲谷さんってマイペースで運動音痴に見えるから真っ先に掴まりそうだけどね。でも雲谷さんのレオタード姿は見てみたいかも。泪姉さんのレオタードとかぴったりと思うけどな…
キャッツアイの残りのメンバーをどうするか考えていると、雲谷さんからお叱りを受ける。
「あと、砂月さんは人の過去を根掘り葉掘り聞きすぎよ。もう少しデリカシーを持つようにね」
「うっ…すみません。そんなつもりはなかったのですが…」
興味が沸くとつい質問責めになってしまう。悪い癖だ。以前、氷華にも似たような事を言われた気がする。
人間そう簡単に変われないってことで悪い癖については諦めよう。コンプレックスなんて簡単に変えられないから、コンプレックスって言う訳だし。簡単に変えられるものをコンプレックスて言わないだろ?それに、長く付き合っていると案外愛着が沸いてくるかも……沸かないか?
コンプレックスの話はこの辺で、話を戻そう。
これ以上お店の話を掘り下げても答えてくれなさそうだ、雲谷さんのお叱りはある意味警告のようなものだった。
"これ以上詮索しないで"
拒絶にも似た警告を、俺も流石に無視できないし、踏み込む勇気もない。
だが、それは今だけかもしれない。もう少し雲谷さんと関係が深くなれば自ずと話してくれるんじゃないだろうか。
そういう期待を含めて俺は雲谷さん提案する。
「それじゃ、ラーメン屋を開くときは教えて下さい。何度でも食べに来ますから!」
すると雲谷さん怪訝な顔で答えた。
「嫌よ、砂月さんに見つからないように開いていたのだから。近くにラーメン屋があるなんて分かったら毎日でも食べに来るでしょ?それにラーメンを夜中に食べるなんて体に悪いのよ。もう少し野菜や魚を中心とした食生活を心がけなさい」
いい提案だと思ったが、あっけなく砕かれてしまった…
俺に見つからないようにって、なんのイジメですか?いくら俺の体を思っての事だとしても傷つきますよ…
だいたいラーメン屋なのにラーメンを食うなって言ってることが滅茶苦茶だ…それ程、俺にラーメンを食べさせたくないんですか…
落胆する俺を、雲谷さんは横目で見て小さく笑っていた。
作業の手を止めると俺に向き直り、手に持っていた箸先を俺に向け説教を垂れる。
「冗談よ、うちのラーメンは健康志向だからそこまで胃に負担は来ないはず。だからってラーメンの食べ過ぎは厳禁だからね。ちゃんとバランスよく食べること!…あと、お店を開く日は残念だけど教えられないわ。これは私の気分とか…色々あるから…」
教えられない事が本意ではないのか、雲谷さんは申し訳なさそうに告げた。俺に向けられた箸先も若干下がっているようだった。
雲谷さんにも色々と事情があるのだろう、俺は雲谷さんの悲しそうな顔を見たくなかったから、少しおどけてみせた。
「そうですか…それもミステリアスな女性ってところですかね?」
俺の問いに雲谷さんは一瞬驚いた顏を見せたが、すぐにいつもの微笑を浮かべ優しく答える。
「ふふっ…そういう事にしておいて下さい。もし、また砂月さんがお店に来られた時は腕を振るってラーメンを作ってあげるから、期待していてね!」
そのまま作業に戻る雲谷さん。さっき感じていた影は既に消え失せていた。
ラーメンを作る雲谷さんの背中を眺めていると、いつもより一回り小さく見える。
その背中は、どこか寂しさが滲み出ているように感じた…
こんなに明るく振る舞っている人にでも、人には言えない暗い部分がある。勿論、俺にも…人に言えない過去は沢山ある。人はその深くて暗い、醜い物を背負って生きているのだ。
だが、それは悪い事ではない。むしろ誇るべきだ。自分の醜い部分や辛い過去と向き合い、受け入れる。それがあったからこそ今の自分があるのだと、俺は自負している。
…俺はあの時、間違ってなかったと…




