第一話 「新たな依頼」 2
珈琲の香りが漂う室内に、研究設備の機械音だけが小さく響く。
先程までは雑音に紛れ全く気にならなかったが、他の雑音や会話が止まると妙に機械音だけが大きくなったように感じ、それは耳障りな程に俺の気を散らす。
八雲は俺と雲英の会話に興味があるようで、ただ黙って視線をこちらに向けている。
雲英は相変わらずモジモジと体を揺すり、伏し目がちの視線はテーブルを見つめていた。
……なにこれ、オシッコ?尿意でも催しているのかな?いくら子供でも中学生なんだし、トイレくらい一人で行けるよね…
しかし、この状況で流石にトイレはないか…まぁ実際は話し辛いという、心理の現れなのだろう。下手に雲英へセクハラでもはたらいた時には、どこからともなく氷華のナイフが飛んできそうなので言動には気を付けないと…
俺は一つ息を吐くと、雲英にもう一度話の続きを促した。
「どうしたんだ、そんなに言いにくい事なのか?話すだけなんだし、そこまで恥ずかしがらなくても…」
「はぁ!?は、恥ずかしがってなどいませんわ!なぜ砂月さん相手に恥ずかしがる必要があるんですか!」
ただの冗談でそこまで動揺しなくても…思わずこっちまで動揺してしまうじゃないか。
…でも、少しは俺相手に恥ずかしがってもいいのよ。
雲英の中での俺の立ち位置ってものが気になったが、雲英の話は続きていたらしく、俺は傾聴に努める。
「ただ…既に依頼を頼んでいる身として、更にお願い事を聞いてもらうのが申し訳なく思っただけですわ」
おい!聞いたか氷華よ、これがお前の主の言葉だぞ!!氷華には少しくらい従者らしく見習ってほしいものだ!あまりに慈悲深い言葉に、俺の目には涙のような液体が溜まっていた。もしかしたら汗だったかもしれない…
これは…ゴミに目が入っただけだから!…あっ逆だ、目にゴミが入っただけだから!感動して泣いた訳じゃないんだからね!!
…歳を取ると涙腺が緩くなって困る。俺くらいの歳になると、挙式のCMでお嫁さんのお父さんにもらい泣きするレベルだから。赤の他人、しかもCMでもらい泣きするって…これ以上歳を重ねると俺はシラフでも泣き上戸になりそうだな…
歳を重ねることに不安を抱きつつ腕で涙を拭う。その行動に雲英は訝しむように声を掛けてきた。
「砂月さん、大丈夫ですか?なにか嫌な事でもあったのですか?私でよろしければ相談に乗りますよ」
「いや、大丈夫だ。気にしないでくれ」
確かに嫌な事や、納得いかない事があって泣くことはある。でも、今回は感動の涙だ。
雲英に相談する必要はないが、少し余韻に浸る時間は欲しいと思った。それに、雲英の言葉に感動した!とでも言えば確実に引かれるだろう…これ以上変態と思われたくないし、一応クライアントなので信頼は築いておきたい。
ようやく涙も収まり、感情も穏やかになってきたので雲英のお願い事を聞くことにした。
「それで、雲英のお願い事についてだが、内容を聞かない事には俺も返事のしようがない。話してくれるか?」
珈琲を一口含み、俺は新しい依頼内容を尋ねる。
「分かりました。砂月さんがそこまでおっしゃるなら…少し長くなりますがお話しします」
先程の伏し目がちな表情はなく、俺を真っ直ぐに見据え、雲英は話を切り出した。
「砂月さんは"アンドロイドによる社会的養護システム"ってのはご存知ですか?」
「あぁ、一昔に結構話題になったな。独り身の老人宅や、障害のある人にアンドロイドを提供し生活の手助けを行う法案だったか?あの頃はまだ、世の中にアンドロイドが受け入れられていない時代だったから難航していたイメージだが、今ではアンドロイドも世の中に溶け込んでいるし、いつの間にか可決していたな」
もう少し噛み砕いて話しても良かったが、長くなりそうだったので割愛した。
「えぇ、その考え自体はなんら問題はないですし、身寄りのない人や、不自由な生活を送っている人にとっては素晴らしい法案ですわ。ですが、そのシステムとアンドロイド達はちょっと特殊でして…」
「特殊?ってあの人間の思考回路を模してあるA・Iの事をいっているのか?」
「!?…知っていたのですか?よくご存知ですね」
雲英は驚きの表情を見せたが、すぐに平静さを取り戻しマグカップを手で包み込むと、再び口を噤む。
アンドロイドのA・Iには大きく分けると三種類ある。
人間とのコミュニケーションを必要としないA・I。
人間とある程度のコミュニケーションを取れるが、定型文のみしか会話ができないA・I。
人間とコミュニケーションが取ることができるA・Iだ。
まず、一つ目の人間とのコミュニケーションを必要としないA・Iだが、これは主に工場用に構築されている。なので人間が指示を出さない限り稼働することはなく、効率を重視するためコミュニケーションの能力を省いてある。
二つ目の定型文のみしか会話が出来ないA・Iは、コンビニの定員アンドロイドや八雲みたいな、人間とある程度のコミュニケーションが必要となる職種に搭載してあるA・Iだ。ゲームのRPGで例えるとモブキャラみたいなもんだ。この種類のA・Iは様々な職種に対応できるので一番普及しているA・Iと言われている。
そして、三つ目の人間とコミュニケーションを取ることができるA・Iだが、これは本当に特殊だと噂で聞いたことがある。アンドロイドと気づかない程に流調に話し、表情も豊かなのだそうだ。ただ、所詮はA・Iなので予期せぬ事態には対応出来ない、そこが八雲との違いなのだろう。それに、開発費用やアンドロイドの維持にかかるコストは莫大なのだとか…
俺自身もまだ見たことがなく、実際は都市伝説じゃないのかと言われていて詳細は謎のままだ。
しかし、雲英が話していた"アンドロイドによる社会的養護システム"には、その特殊なアンドロイドを提供すると唱っていた。それがこのシステムの大きな落とし穴なのだ。
このシステムには莫大な費用が掛かると予想され、その費用が血税から出される事に反対する人々が多数いたのだ。確かに、世の中には独り身の老人なんて溢れているのだし、コスト的に考えて全員に提供するのは不可能に近い。
しかし、それがなぜか可決してしまっている。なぜ可決できたのかは知らないが…そこは雲英に聞けば分かるのかもしれない。
俺は珈琲が残り少なくなってしまったマグカップをテーブルに置き、雲英に尋ねる。
「そのシステムが今回のお願い事に関係しているのか?今度は法案をどうにかしてくれってお願いじゃないだろうな?流石に俺では国会議員にはなれないし、そんなツテもいないからお手上げだぞ」
「いえ、先程も言いましたがその法案の考えには何も不満はありません。私がお願いしたい事は…」
その先がなかなか言い出せず再び沈黙が訪れる。だが、今回は意を決したのか、雲英は俺と視線を合わせると真剣な面持ちで告げる。
「一日、いや半日でもいいですから!八雲を私に預けてくれないでしょうか!?」
雲英のお願い事の意図が分からず、俺はただただ茫然と雲英の顔を眺めていた。
「……砂月様、大丈夫デスカ?」
不意に掛けられた声に反応し、俺の意識が現実に戻される。その声は側面から聞こえたので恐らく八雲の声だったのだろう。
俺は大丈夫だと手で合図をし、再度雲英に意図を尋ねる。正直どこから聞けばいいのかさっぱり分からないが…
「えっと……八雲を預けるってのは取り敢えず置いとくとして、雲英に八雲を預ける意図が分からないのだが、説明してくれるか?」
「あ……確かに、説明不足でしたわ。では、詳細をお話ししますね」
そう言って雲英は珈琲を一口含み、ゆっくりと話し始める。
「私の住んでいるマンションに御高齢のお婆様がいらっしゃるのですが、その方は独り身で先程お話しした"アンドロイドによる社会的養護システム"を利用されている老婦人でしたの。私はあのマンションに引っ越してからその方と知り合ったのですが、その方はシステムを利用されるまでは自宅に引き篭もりがちで、誰とも交流がない生活を送っていたと聞きましたわ。しかし、システムを利用し始め自宅にアンドロイドを迎え入れてからは、その生活は一変し驚くほど社交的になったそうです。私がその方と初めて挨拶を交わした時も親切にして下さいましたし、以前はそんな生活を送っていたと思えないほど社交的でしたから…ですが、先月からお婆様の姿をパッタリと見なくなってしまったので、心配になり一度自宅を尋ねてみました」
次第に雲英の表情が曇っていく、この先はあまりいい話ではないのだろうと察しがついてしまう。
「そこには初めてあった頃とは別人のように、表情が乏しく元気がないお婆様がいましたわ…お婆様の話を聞くと、利用していたシステムの契約更新が出来ず先月で終わったとの事でした。つまり、"アンドロイドによる社会的養護システム"が受けられなくなってしまったと…」
そこで俺は一つの疑問が浮かんだ、すかさず雲英に質問をぶつける。
「ん?なぜ受けられなくなったんだ、法案で可決したはずだろ?国もそこまで国民に厳しいシステムは設けていないと思うが…」
「えぇ、確かに国民の誰でも受け入れられるようにこのシステムは改変されましたわ。でも、そこに大きな弊害があったです…」
雲英は一呼吸挟み、改めて俺と視線を合わせ続きを話し始める。
「それは、アンドロイドの"コスト"ですわ」
「コストだって?それは国が血税で補うって話じゃなかったか?」
「始めは利用者に負担がかからないようにアンドロイドのコストは国が負担する。と唱っていたのですが…まず、このシステムが通らなかった理由として一番の要因はアンドロイドのコストでした。そこで国は保険を適用できるようにしたのですわ。高齢の方であれば介護保険、障害のある方は医療保険が適用されるようになったのです。さらに特殊なアンドロイドに限らず、用途に応じてアンドロイドを選べるようにもなり利用者の選択の幅も広がりましたの」
「なるほど、窓口を広くして軽度の利用者でも容易に利用できるシステムに改変されたのか。しかし、いくら自己負担分があるからといってシステム自体を利用出来なくなるものなのか?」
雲英と同じマンションに住んでいるなら尚更だ、あんな高層マンションに住んでいるなら富裕層の老婦人なのだろう。蓄えはあるようだし、なんなら実費でアンドロイドを購入すればいいと思うのだが…
しかし、実際はそうはいかないらしい。雲英は俺の疑問にマニュアル通りに答えた。
「それが、保険適用内ならお婆様もなんとか自己負担分を支払っていたようですが、システムを利用されたことにより身体や精神面でも元気になられた為、保険適用外になってしまいましたの…もし、そのままシステムを利用するのなら全額負担を余儀なくされてしまいましたわ」
「なんだって!?介護保険の自己負担額は1割から2割といわれているから…全額負担となると今まで支払っていた額の約10倍を支払うって事なのか!?」
「はい…そういうことです…」
実際いくら払っていたのかは教えてはくれなかったが、次回からの支払いが10倍になると言われれば誰でも契約更新を躊躇するだろう。それに毎月払わなければいけないのなら尚更だ。
そして、特殊なA・Iを搭載したアンドロイドを利用していたのなら…富裕層の老婦人が諦めるくらいだ。相当な出費になったのだろう。
雲英はさらに追い打ちを掛けるように続けた。
「それに、維持費は別料金になりますし…税金も支払わなければいけません」
維持費に税金って…それじゃ車と一緒じゃないか。
車を所有している人なら分かると思うが、車を購入する際、長期的に見ると実際は車の車体価格より維持費や税金の方が出費は大きい。都会や都市部には公共交通機関が豊富にあり車を所有している人は少ないが、地方都市や田舎では車がないと著しく不便な生活を送ることになる。ただでさえ物価が安いのに、そんな貧困層から税を取るなんて国としてどうなのだろうかと疑問に思う…まぁ俺は車の免許すら持っていないから、この先も車とは縁のない生活を送ることになるだろうが。
「それで、その老婦人はシステムの利用を諦め、以前の引き篭もりがちな生活に逆戻りしてしまった訳だな?」
「……はい…」
俯いたままの雲英は萎れたような声で小さく返事をした。
「その老婦人のことは大体分かったよ、しかし八雲を雲英に預ける事と、どう繋がるんだ?」
俺の問いに雲英は顏を上げ、再びお願い事の続きを話し始める。
「まだお婆様が、お元気だった頃に八雲をお見せしたことがありまして…その時に八雲を見て、孫にそっくりだと言われてましたわ。レンタルしていたアンドロイドも孫に似ている子を選んだとか…お婆様は孫の話になるといつも以上に楽しくお話をして下さいました。それで…」
「老婦人に元気になってもらえるよう、八雲に会わせたいと?」
雲英の言葉に被せるように俺は問う。
「…そういうことです。身勝手なお願いだと自分でも分かっています…それでも預けて下さいますか?」
純真無垢な瞳が俺を目を貫く、その曇りのない瞳に俺は耐えきれず視線を外し頭をガシガシと掻いた。
正直、今回のお願いは俺に拒否権はない。いくら八雲を研究している身だとしても、八雲の所有権は雲英にあるのだから断りようがない。
八雲自身が老婦人に会う事を拒否できるが、八雲は拒否しないだろう。それに主の命令は絶対だしな…
しかし、俺に拒否権はないが忠告はできる。
雲英にとっては老婦人を思ってのことだろうが、老婦人は本当に八雲と会いたいのか?
老婦人が八雲に会いたいなんてお願いをした訳ではない。会いたいのは本当の孫ではないのか?
それならば孫に会わせるのが一番だと俺は思う。
そして、俺が一番危惧しているのはその後のことだ。
もし、二人を会せて老婦人が元気になったとしても、結局、八雲は雲英のアンドロイドだ。面会後は再び寂しい独り生活が待っている。下手をすればアンドロイドへの依存心を増幅させてしまうだけかもしれない…
この行為になんの意味がある?
雲英にとっては可哀想な老婦人を少しでも助けてあげたいという気持ちが、このお願い事に繋がっている。だが、それは雲英の独り善がりとも取れる。よかれと思ってやったことが悪い方向へ転ぶこと程、虚しいことはない。
慈悲深い事はいいことだが、必ずしも相手がその慈悲を素直に受け取るとは限らないのだ。
勿論、雲英が老婦人にやれることは高が知れている、雲英も自身が出来る範囲で出した答えだったのだろう。だから忠告する必要があるのだ。
俺は残りのコーヒーを飲み干し、雲英へ真っ直ぐな視線を送る。
「雲英、この件に関しては俺に拒否権はない。あるとしたら八雲だけだろう…まぁ八雲は拒否しないと思うが。でもな、一つ忠告がある」
「忠告ですか…一体何でしょう?」
神妙な面持ちで雲英は俺に続きを促す。
「雲英、君は優しい子だ。慈悲深いほど人に優しい。だが、その優しさは時に、思いもよらない事を招くかもしれない。それはとても辛く人を嫌いになる事もあるだろう。だが、それは方法を間違っただけで人が悪い訳ではない。つまり、優しさだけではどうにもならない事もあるってことだ。今はその方法しか分からないかもしれないが、時には厳しさも必要だという事を忘れないで欲しい」
「……分かりましたわ…」
了承した雲英の表情は、若干落ち込んでいるように見える。雲英自身も少し思い当る節があったのだろうか、伏し目がちの視線は目の前の珈琲に向けられ、珈琲の水面に映る自分の顔をじっと見詰めていた。




