第三話 「アンドロイドと心」 4
俺の目前には有名画家が描いたであろう絵画が視界を埋め尽くしていた。よくCMやテレビ番組なんかでみる絵画だが誰が描いたのかは知らない、興味もないし知り得た所でなんの役にも立たないだろう。辺りを見回すも特に目新しいものはなく、あるとすればトイレットペーパーくらいか…お気づきかもしれないが俺は今、用を足しているところだ。
こんなに広いトイレを使用するのは初めてで落ち着かない、落ち着かないと出るものも出ないので苦戦している。もちろん小さい方ですよ、食事中の方には申し訳ない。下世話な話がこれから繰り広げられるかもしれないから食後2時間程置いてから読むことをオススメします。
ところで排泄することを『用を足す』と言うが不思議に思った人は少なからずいるんじゃないか?しょうがないからお兄さんが疑問を解いてあげようじゃないか。…いや、小便が出るまで暇なんで付き合って下さい。
まず『用』ってのはそのままの意味で『用事』ってことだな、ここでの用事は『用事=排泄』ってことだ。しかし、そのまま意訳すると『排泄を足す』って意味になるのだが、これでは意味不明な言葉だし逆にオシッコが溜まっているような響きにも聞こえてしまう。
それでは『足す』の意味を変えてみよう、そのままの『足す』だと『増やす』意味に捉えるが『足りる』という言葉で考えてみる。『足りる』とは『満足』や『充足』を表す時に用いる言葉だ、つまり『用事がある』『トイレに行きたい』とは心理的に不満足の状態。これを解消し『満足の状態にする』ことを『足す』と表しているのだ。
つまり『排泄・もしくは用事を済ませて満足な状態にしてきます』ってのを省略したのが『用を足す』って意味なのだ。
結論…日本語って難しいね。
素朴な疑問が解決したところで俺の下状況もスッキリ爽快だ。しかし気分は自己嫌悪で複雑な心境。
「なんで無責任にも”俺に任せてくれなか”なんて言ってしまってのだろう…」
確かに検証の余地はあるが、そこまで俺が責任を負う必要もない。まず交渉すらしていないのに請け負ってしまうとは…昨日寝ずにしたイメトレは無駄に終わった。
あの後、珈琲のオカワリを優雅に楽しんでいたのだが自分の言動を冷静に振り返ってみると、自己嫌悪囚われ耐えきらずトイレに閉じこもってしまったのだ。さっきから後悔のため息が止まらない、小便が出ないのはこれが原因だったりもする。膀胱炎になったらどうしよう…
雲英に出会ってから俺の言動がどうも自分じゃないように感じる。普段こんなに喋ることはなかったし、嫌なものは嫌と言ってきた性分だと自分で思っていたのだが、ここ最近は流れに身を任せるように物事がトントン拍子で進んでいく。流れが速すぎて頭が追いつかないぐらいだ。
しかし、このままトイレに居座る訳にもいかないし思考を巡らせるだけでは物事は解決しない。排泄も済ませ気分もだいぶ落ち着いてきたのでそろそろリビングへ戻ることにした。リビングを通り越して家に帰りたい気分なんだけどね…
手を洗いジェットタオルで水気を飛ばす。自宅にジェットタオルって必要なのか?タオルで十分だと思うのだが一般常識が通じないのが高級マンションという建物なのだろう。勝手に納得して絵画をもう一度眺めてみたが結局、画家の名前は思い出せなかった。美的センスがない俺には一生掛かってもこの絵画を理解することはないだろう、興味がないものには見向きもしないから仕方ない。現世では諦めて、来世では理解できるよう頑張るよ。多分来世でも無理な予感がするけどね。
絵画を横目にトイレのドアへ手を掛けたが、同時にドアが勢いよく開いた。反射的に手を放したのが良かった、危うく体ごと持ってかれるところだったよ。
そこには息を切らして焦燥感を漂わせている雲英が立っていた。
「せめてノックくらいしてくれ…用を済ませた後だったから良かったが途中だったらどうするつもりだったんだ?」
いくらお嬢様だからって他人のプライベート空間を断りもなく土足で踏み荒らそうとする行為は見逃せない。ここは大人の俺が注意しなければ…しかし、今の雲英には聞こえないようで俺の会話を遮って自分の要件を伝える。
「砂月さん!それどころではないのです。今すぐ私の寝室に来てください!」
その言葉だけを残して雲英は先に走り去っていった。
それどころって、俺のプライベートタイム以上の大事が起きてしまったのか?俺にとっては排泄も十分、大事なのだけれど…仕方ない説教はまた今度にしよう。俺は雲英を見失わないように後を追う。
無事、雲英の寝室へ到着した。実際トイレから寝室までは近かったので迷う要素はなかった。そのままの勢いで寝室に入ると悲惨な光景に驚愕した。
壁には鋭利な切り傷が何ヵ所もあり花瓶は割れ床に破片と水が飛び散っている。さっきまで花瓶に生けてあったであろう花々も踏み潰され無残な姿で横たわっていた。テーブルは転がり椅子には無数の切り傷が残されている。布団は破れ羽毛が宙を舞う、その中には二つの影が睨みあうように立ち尽くしていた。
羽毛がゆっくりと地面に落ちていく中二つの影が鮮明になってくる。悲惨な寝室の中央で対峙していたのは氷華とメイドロボだった。いや、よく見るとメイドロボはやや体を仰け反るように後ずさりをしている。まるで殺人犯から命乞いをしているような仕草だ。
氷華は右手に逆手持ちでナイフを所持、ナイフからはノイズの様な音が聞こえる。恐らく対アンドロイド用スタンナイフの類だろう。対人用スタンナイフは気絶・無力化が目的だから殺傷力は極めて低いがアンドロイドに高電圧を流すのはかなり危険だ。電圧を間違えれば回路を焼き切って再起不能になることだったである、それだけ氷華の敵意が本物ということだ。氷華の表情には一切の躊躇いはなく一瞬の隙があれば殺しにかかる様な眼光でメイドロボの動きを抑制している。
雲英はどうすればいいのか分からず、二人を交互に見てはオドオドと挙動不審な動きを見せている。こんな戦場にいては巻き込まれる可能性がある、取りあえず雲英を外に出し状況の収拾に努めるしかない。
「雲英、ここは危険だ。万が一って事もあるから廊下に出ているんだ」
今度は俺の言葉が聞こえたようだ、雲英は不安な表情を浮かべながら俺の警告を素直に聞き入れ廊下に出た…だが、気になるようで顔だけはドアから覗かせている。まぁここいるよりは安全だから良しとするか。
さて、雲英の安全は確保できたが問題はここからだ。まずは氷華の臨戦態勢を解除しなくては話にもならん。まずダメ元で話しかけてみるか
「氷華、これはどういう状況なんだ?詳しく教えてくれないか?」
「…………」
無視。人間で一番心理的ダメージが大きい差別を受けてしまった。しかし俺はこれぐらいでめげないからな!無視する人間にはそれ相応のウザさで対応してやる。まず一つ目
「おい!クソメイド!俺の質問に答えやがれ!」
「…………」
罵ってみたが効果なし。次だ。
「聖母の中のメイド氷華様、愚民にこの状況を教えて下さい。なんでもしますから!」
「…………」
おだてても無理か仕方ない。やや強引にでもこちらを向いてもらおう。
足元に落ちていたゴミ屑を氷華に向かって投げる。しかし、視線は変わらず。だが一つで終わるとおもうなよ!手当たり次第にゴミ屑を氷華に向かって投げつける。あれ?なんだか楽しくなってきたな…いつも上から目線の奴を甚振る機会なんて滅多になかったから気分がいい。背中に雲英の視線を痛い程感じたが気にしない。だって楽しいんだもん。
よし、次はあれにしよう。意気揚々と床に落ちていた手のひらサイズのぬいぐるみを拾おうとした時、目の前にナイフが突きつけられていた。
「一体どういうおつもりですか?そんなに死に急ぐ用事があるのなら先に逝かせてあげますが?」
いつの間にか標的が俺に変わっていたようで、横には目を光らせた氷華が立っていた。
「……すみません、調子に乗り過ぎました。まだ死ぬ予定はないのでナイフは下げてもらっていいですか」
俺の行動を抑制するとすぐにメイドロボへ向き直り臨戦態勢を再開する。だがメイドロボとの距離が開いたおかげで先程より氷華に話しやすくなった。
「なぁ、この状況はどういうことなんだ?教えてもらわないと俺も動きようがないんだが」
「私は『なぁ』なんて名称ではないと申したはずですが、覚えの悪い愚民ですね。この粛正が済んだら貴方も粛正対象ですから足りない頭で憶えておいて下さいね」
「名前で呼ばなかっただけで粛正されてたまるか!今はそんな雑談している場合じゃないだろ?早く状況を教えてくれ」
今、皆が思ったことを当ててやろうか?『お前が言うな!』だろ?自分でも思ってるよ。でも無視する方が悪いんだからお相子ってことでいいよね?…え?ダメ?
氷華は呆れたように答える。
「今は悠長に状況を説明している暇はありません。どうしてもってことであれば雲英お嬢様にお聞きください」
そうだった、雲英も状況を分かっている一人だったな。安全を確保することばかりに気を取られて忘れていた。そうと決まれば雲英に状況を聞きに行くしかない、早速雲英の元へ向おうと思ったが氷華に伝えなきゃいけない事もあった
「氷華、あのメイドロボ絶対壊すんじゃないぞ。壊したら雲英が悲しむことになる」
「貴方…私の主にでもなったつもり?貴方の指図は受けないわ。…でも雲英お嬢様が悲しむ事は避けるべき事項。あちらが攻撃してこない限りは抑制に止めておきます。なるべく早めの対応策を考えて下さい」
「わかってるよ。それまで頼むぞ」
「えぇ、善処します」
お互いに信頼を得た訳じゃないが、こういう状況なので氷華を信じるしかない。要件を伝え雲英の元へ急ぐ。
善処しますか…今回は信じてみようと思えた。
「雲英、状況をできるだけ詳しく頼む」
俺の顏があまりにも真剣な表情だったのか特に疑問を持つことなく雲英は状況を教えてくれた。
「はい、あれから寝室でメイドロボを起動させていたのですが時間が掛かってしまって、心配になって氷華が様子を見に来てくれましたの。その後も暫く反応がなく氷華と様子を見ていたのですが、いきなり起動しまして二人で駆け寄ると私を目がけて飛びついて来ましたの。それを阻止するため氷華が割り込んで私を助けてくれたのですが…その後はご覧の通り寝室が戦場と化してしまいました。氷華が対峙している間に助けを呼ぶため砂月さんの元まで走ってきましたの。他に頼れる従者はいませんし…砂月さん、この状況をどうにかできますか?もし可能であれば止めて頂きたいのです。お願いします!」
雲英は泣きそうな顔で俺に懇願する。わかってる、これを止めなければ俺も無事で帰れそうにないし、あのアンドロイドの事も気になる。出来れば穏便に済ませたいのは俺も一緒だ。
大体の情報は頭に入ったが、まだ情報があったようで雲英は話を続けた。
「それに氷華は恐らく負傷しています。アンドロイドの体当たりを生身で受け止めてタダでは済まないのは私でも分かります。表情には出していませんが苦しいはずです。でも、アンドロイドの方もあれから攻撃はせず氷華から逃げ回っているだけなのです、それにオドオドとして氷華に恐怖している様にも見えますが…私にはどう対処していいのか分かりません。」
「氷華に恐怖している…か、分かった。俺も初めてのケースだからどう転ぶか分からん。だが、やれることはやってみるよ」
「はい、氷華とメイドロボをよろしくお願い致します。」
情報は手に入った。あとは対処法だけだが…全くいい案が出てこない。しかし、悠長に考えている時間も僅か、限られた時間で答えを出さなきゃいけない状況は苦痛だ。ストレスが急激に上がっていくのを感じながら脳の思考回路をフル回転させる。二人の戦闘を止める方法は…
「仕方ない。状況が状況だ、俺にできるのはこれぐらいしかないか…」
嫌々ながら覚悟を決め、氷華の元へ戻る。
さあ、俺の真骨頂を見せてやるよ。




