雨のち、豪雨
知らせは突然だった。
『───という事で、今夜外出の際は強い雨にお気を付け下さいませ。以上、天気予報でした』
誰も居ない家の中。
一人早めの晩御飯を済ませた吹雪は、テレビを付けながら弟からの電話が掛かってくるのを待っていた。
なんせ今日は待ち望んだ、弟との二日ぶりの再開である。たかが中学校の修学旅行、焦らずとも弟が帰ってくる事は分かっているのだが、この二日間ずっと寂しさを感じていた吹雪は落ち着かずにはいられなかった。
時刻は6時前。あと2分で、弟が好きな戦隊アニメが始まるところだ。
今頃バスの中で学校の友達と楽しくおしゃべりでもしているのだろうか?
そんな事を考えながら、今か今かと意味もなく時計とテレビを交互に眺める。が、弟の乗っているバスが中学校に到着するのは早くて9時頃。それまではまだ、3時間以上もあった。
───プル、プルルルル……
それが掛かってきた時、吹雪は部屋の掃除をしていた。旅行で疲れているだろう弟がゆっくりと眠れるように。
「まだ掃除終わってないのに……」
もうそんな時間か……。
時計の針を見ると、それは7時半頃を指している。幾ら何でも早過ぎやしないだろうかとは思いながらも、特に疑問を持たずに受話器を掴んだ。
『───もしもし、雪那君のクラス担任の近藤です。雪那君のお兄さんですね?』
電話越しに、まだ若い男性の声が聞こえてくる。弟から掛かってきたと期待していた吹雪は、落胆に肩を落とした。だがそれを悟られないよう、気を持ち直す。
「はい。いつもうちの弟がお世話になっております。それであの……、何か?」
訝しむ吹雪に、担任は重々しく口を開いた。
『……お兄さん。どうか、落ち着いて聴いて下さい。実は───』
荒い息遣いがやけに耳に響く。心臓が口から飛び出しそうなぐらいバクバクと鳴って、体を叩く豪雨はまるでサイレンの様に吹雪を追い詰めた。それでも、自分に呪いを掛けるように足へと全神経を注いでいく。
(速く、もっと速く……!)
吹雪はあの後電話で、土砂崩れに弟の乗っていたバスが巻き込まれたという事を聞かされていた。激しく降り出した雨により地盤がぬかるんだ事が原因らしい。更に、カーブを走行中だったそのバスは横転し、何人かが車内から崖へと放り出されたとの事である。
そしてその中の一人が、まさしく弟であるとも。
長い長い濡れたアスファルトを走り続ける。今まで生きてきた中で、こんなにも必死になった事なんてあっただろうか。靴の中に入り込む水も濡れる髪の毛も、転けて擦り切れた膝だって気にならない。
でも、この行為に終わりが見えない様な気がして、果てしない恐怖が襲い掛かってきた。
「ハッ……かみさまっ、神様……ッ」
たった二人きりの家族。
ずっとずっと、二人だけで生きてきた。
大事な弟が無事なら何だって良い。今まで信じた事なんて一度もなかった神様にも、悪魔にだって心を売ってやる。何なら、自分の全てをくれてやっても良い。だから、だからどうか弟だけは自分から奪わないで欲しい。
吹雪はひたすらそれだけを祈り続けていた。
だが、世界はいつでも残酷で。
「ぁ、ァ"ァ"アアア……ッ!」
ただ、豪雨に紛れて赤いサイレンの音が聞こえていた。