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街と遺跡の中間から少し遺跡寄りの場所に在る詰所に預けてあった馬車の中で、リュイは独り考え込んでいた。ミウは何時もの様に御者台で手綱を握っているし、ミトラは馬車の揺れなど全く感じていないかのようにリュイの前の座席で眠り込んでいる。
今回の探索は完全に自分の判断違いだった。ミトラの精神力の事も考えに入れずに迷宮の深部に降り過ぎた。ミウも何でもない様に振る舞っているが相当に参っている筈だ。
しかも、とリュイは傍らに置いた鞘から段平を引き抜く。それは刃の中程から完全に折れていた。
幸い、出口も間近な所での豚鬼との戦闘の際に、豚鬼の振るう斧を無理に受けようとした時の出来事だった為に大事には至らなかったが、これがもっと迷宮の奥で折れていたらと思うと背筋に冷たいものが流れる。
幾ら迷宮で手に入れた剣があったとしても、手に馴染んでいなければ戦力は半減だ。しかもこの仲間の中でまともに剣を振るえるのは私だけ、そう思った途端リュイの全身を震えが襲った。
今回は誰も死なずに済んだ。しかし、一歩間違えば全滅していても奇怪しくない状況だったのだ。
自分の段平がどれだけ疲弊していたかにも気付かないなんてどうかしてる…
何時もは不敵な笑みを浮かべているリュイだか、最近独りになるとどうしても気弱になってしまう。リュイはその訳を知っていた。
私が家を飛び出してからもう五年は経つ。その間自分は一体何をしてきたのか…人並み外れた剣の腕のお蔭で食べるのに困った事は無い。気を許せる仲間も出来た。
しかしそれだけだ。自分が自分で在る理由を求めて貴族の生活を捨てたのに、未だに何故自分が自分で無ければならないのかを見つける事が出来ずに迷宮に潜り、生命のやり取りを続ける毎日。それが堪らなく不安なのだ。
彼女を知る全ての人は、彼女がこんな事を感じている事など知らない。それだけ普段の彼女が自信に満ちているからだ。彼女自身、自分がそんな事を感じているのに気付いたのは最近の事だった。
そして今日、その情緒不安定な自分の精神状態の所為で仲間に全滅の危機を招いた。
リュイの震えが酷くなる。彼女は今、はっきりと「恐怖」を感じていた。かつて同じ迷宮で巨大な蛇の魔神アスタロトと対峙した時にさえ感じた事の無かった恐怖を。ミウやミトラを失えば一体自分がどうなってしまうか、皆目見当も付かなかった。
次は絶対にこんな間違いを犯さない。
震える躰を必死で宥めながらリュイは心に誓う。馬車が速度を緩め始めた。街に着いたらしい。
「おー、遅かったな。今日も大漁かい?」
「あったり前でしょ。あたし達を誰だと思ってんのよ。」
堅固な城壁に設けられた大扉の開かれる軋んだ音に混じって、すっかり顔馴染みになった城壁の門番とミウのやり取りが聞こえてくる。リュイ達が寝泊まりしている“朧月夜亭”はここ此処から直ぐそこだ。
リュイは頬を何度か叩いた。リュイの眸が何時もの自信に満ちたものに変わっていく。もう大丈夫、とリュイは自分に言い聞かせた。
馬車が軋んだ音を発てて止まる。
「おーい、着いたよ。」
ミウの声にリュイは馬車の扉を開ける。ミトラも目が覚めたようだ。
「ふわぁ、もーう着いちゃったのぉ?もっと寝てたい・・・」
先程よりは随分と回復した様子だ。自分から立ち上がって馬車から降りる。その後に続いてリュイも馬車から降りた。
「ほら、あんたは寝惚けてないで早く部屋に戻って寝な。後の事はあたしとリュイでやるからさ。」
ミウが言う。リュイは馬車から荷物を下ろし始めた。ふとその手が止まる。どうしたのかと二人がリュイの方を見た。リュイは二人の方に向き直る。
「今日は一寸無理が過ぎたわね。私の判断違いだわ、御免。」
何時も自信に満ちているリュイの突然の謝罪に二人は一瞬唖然となる。
「やーね、確かに今回はちょっち厳しかったけど結局無事に帰ってこれたし、お宝も手に入れたし、大成功ぢゃないの。謝るなんてらしくないよ。」
ミウがあっけらかんと言う。ミトラも隣で同意見とばかりに頷いた。
「やっぱりそう思う?まあでも一応謝っとこうと思ってね。ま、気持ちだけ受けとっといてよ。
ああ、それから皆相当疲れが溜まっているし、私も剣を駄目にしちゃったから十日ばかり休息を取りましょう。いいわね?」
リュイが何時もの調子で言うと二人共安心したように頷く。
「それは有り難いわ。そうそうリュイ、剣だったら今回のお宝の中に在る紅い鞘で柄に猫の瞳っていう宝石が埋め込まれてる長剣を使ってみて。
第八階層の一番奥で純魔族、悪魔っていうのかしらああいうのは。とにかく魔族の軍勢が守ってた祭壇の隠し宝箱の中に在った奴。
他の二本は魔法で強度を上げてるだけだけど、それは何だか毛色が違うの。相当な逸品の筈よ、魔力の波動をビンビン感じるから。
ああ一応寺院に見てもらってね。嫌な波動は感じないから、九分九厘呪われちゃったりする事は無いと思うけど。」
ミトラが荷物を指さして言う。
「有り難う、そうさせてもらうわ。さあさあ、もう休んで。躰がふらついてるわよ。
ミウ、ミトラを部屋迄送ってあげて。あなたも早く休んだ方がいいわ、荷物は私がやっとくから。」
リュイが二人を促す。
「ん、分かった。よろしくね。ほらミトラ、行くよ。」
ミウの頭に寄り掛かって“朧月夜亭”に入っていくミトラ。その二人を見つめるリュイの躰が未だ微かに震えている事に気付く者は無かった・・・。