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 深淵の闇だけが広がっている巨大迷宮の地下第五階層。その苔むした石畳の上を何かが忍び足で移動している。全く光が無いというのに、それは迷うこと無く進んでいた。

 やがてそれは立ち止まる。湿った大気中に漂う臭いを嗅いでいるのだ。

 一瞬、それの眼が爛々と輝いた。獲物を狙う猛獣の眼光。それの鋭敏な嗅覚が獲物の臭いを嗅ぎつけたのだ。獲物の臭いはどんどん強くなる。

 それはその場に身を潜め、脆弱な獲物の躰を鋭い爪で引き裂き、血の滴る臓物を喰らう様を思い描きながら、刻一刻近づいてくる獲物の臭いを待ちわびた。

 暫くの後、淡い暖色光が闇を滲ませながらそれが潜む闇の方へと近付いて来た。ラムプの光だ。いぶした様な獣油の臭いが辺りに漂う。ラムプを(かざ)しているのは小柄な躰を丈夫そうな革鎧で包んだ草原の妖精の女性。その後ろにも二つの人影が見える。

 闇に潜むそれは獲物を確認し、奇妙な違和感を感じながらも危険は無いと判断した。普通獲物達は五、六人で隊列を組んで此処に降りてくる。そして自分はそういった連中を(ことごと)く喰らっているのだ。たったあれだけの人数、一瞬で片がつく。

 そう思ったそれは、次の瞬間には高く跳躍していた。そしてそのまま先頭を歩いている草原の妖精に襲いかかる。大きく開かれた凶暴な牙の生え並ぶ顎からは歓喜の雄叫びが洩れた。

 しかし、それの眼に一瞬何かが映った。と同時に凄まじい衝撃がそれを襲う。

 それはあまりの苦痛に叫び声を上げた。

 ひときわ一際痛む腹の辺りを見ると、躰の下半分が綺麗に吹き飛んでいる。次から次へとズルズルとはみ出してくる腸が血に染まって妙に赤く見えた。

 何故だ、何故俺のはらわたがこんなにもぶちまけられている?

 シャギヤァァァァァァ!

 それは今迄味わった事の無い強烈な痛みに石畳を転げ回る。

 それの持つ強力な再生能力もここまで躰が損傷するととても追いつかず、千切れ飛んだ傷口が妙な具合に捻じれ始めた。

 それは自分をこんな目に合わせた奴の姿を捜し求めて視線を彷徨(さまよ)わせた。視界の隅に自分に引き裂かれる筈だった草原の妖精が映る。その横には長身に白金の鎧を纏った人間族の女性がそれを見下ろして立っていた。

 長い純銀色の髪を鉄の額甲で止め、(ひすい)の眸でそれを見つめる(かお)はまるで戦乙女の様に凛々しく整っている。その右手には鈍い光を放つ段平(だんびら)がしっかりと握られていた。

 その段平が振り上げられる。瞬間、それの視界は赤い色彩で一杯になる。それは自分の頭が砕け飛ぶ音をどこ何処か遠くで聞いた・・・




 「まったく、理性失った人狼如きがあたし等に手ぇ出そうってんだから、やんなっちゃうよねぇ。身の程をわきまえろっての。」 ラムプを(かざ)した草原の妖精が足元の肉塊と化したそれ──人狼──を見ながらぼやく。

 草原の妖精に特有の若草色の髪を短く切り揃えており、大きな 黄玉(トパーズ)色の眸をした彼女はまるで少年の様に見える。がそれは、この種族は成人しても人間族の子供程度の身長にしかならない為であり、彼女はとっくに成人の儀を終え、独り立ちした女性なのである。

 姓名をラトル・ミウという。この種族特有の勘の良さと手先の器用さを生かして周りから《解錠師》と呼ばれる程の盗賊として迷宮に潜り暮らしている冒険者だ。

 「ミウ、そう悪く言うもんじゃ無いわ。元々はこいつも誇り高き人狼族。迷宮の毒気に当てられて理性を失い、人肉の味を覚えて魔物にまで貶められた被害者なのよ。私達だってこうならない保証はどこ何処にも無いんだからね。」

 そう(さと)したのはミウの横に立っている戦乙女。元は西方貴族の御令嬢だったが家を出奔し、姓を捨てて冒険者になったリュイという名の女剣士だ。この辺りでは《魔神殺し》のリュイという通り名で呼ばれる強者で、実質上このパーティを仕切るリーダーである。

 「そういうわりには情け容赦無く潰したぢゃないのよ。いつもの事ながら原型留めてないわよ、この人狼。・・・ぐっちゃぐちゃ・・・」

 ミウが足元の肉塊を気持ち悪そうに指さしながら言う。

 普通に段平で斬りつけてもこうはならない。リュイの振るう段平の剣圧が凄まじ過ぎる為に、大抵のものは剣身が触れる前に弾け飛んでしまうのだ。

 今回もリュイの下げている段平には血一滴付いてはいない。

 「いつも言っているでしょう。向かってくる敵には出し惜しみせず自分の全てで答えるのが私流の礼儀だって。」

 リュイはミウを見つめて不敵な笑みを浮かべた。

 と、それまで黙っていた三人目が口を開く。

 「ねぇねぇ、私の出番って今回無し?」

 紅玉(ルビー)色の長衣を纏い魔法を起動させる為の触媒である杖に寄り掛かっているのは、長身痩躯の森の妖精だ。歳の頃なら十八、九といったところだが、長寿の種族だけにもう四、五歳は多く見なければならないだろう。長衣と同じ色の髪を短く揃えて、潤んだ紅玉を思わせる眸を持つ細面の(かお)は、中央通りを歩けば十歩に一度は声を掛けられるだろう美女のものだが・・・

 突然ミウがその森の妖精の(すね)を思いっきり蹴飛ばす。

 「っ痛いっ!もう、何すんのよ!」

 その森の妖精は座り込んで(すね)を摩りながら、演劇にでも出ている様な愛らしい仕草でミウをにら睨み付ける。対するミウは朝からの不満を()くし立てた。

 「何すんのよ、ぢゃ無いでしょうが!何なの、その恰好は!」

 ミウは思いっきり森の妖精を指さす。

 「何って・・・普通の恰好じゃない。どこ何処か変?」

 そう言って立ち上がり、自分の恰好を眺める森の妖精。その姿はどこ何処から見ても美女の風貌だ。

 「そう、確かに普通の恰好よね。二年前に化粧を止めて、一年前に女物の服を着るのを止めて、昨日腰まであった髪をバッサリ切って、それでも何でまだ女に見えるのよ、あんたは!男だったらちゃんと男に見えなさい!・・・まったくっ・・・」

 ミウは頭を抱えて嘆息する

 そう、どこ何処から見ても絶世の美女にしか見えないこの森の妖精、実は紛れもなく男なのだ。姓名をトニア・リトラ・ミトラという。

 森の妖精の中でも最も北方の森に住むトニア族リトア家の長男だったが、その性癖、女性癖故に森を追われて冒険者になったという変わり者だ。

 しかしその実力は確かで、魔法を使わせれば元々魔力を繰るのが得意な森の妖精の中でも一番の腕前、第十階梯(かいてい)までの全魔法を繰る事の出来る彼は魔術師組合から《熟達者》の称号を受けている。問題は只一点女装癖のみで、それもミウに出会ってからは着実に更生への道を歩んでいるのだが・・・。

 「私は全く女装はしてないわよ。それで女に見えるんだったらしょうがないじゃない。ミウもいい加減に諦めなさいよ。」

 どこ何処からどう見ても女性にしか見えないミトラが(さと)す様にミウに言う。

 と、ミウはその黄玉(トパーズ)色の眸に闘志すら浮かべて反論を開始した。

 「いいえ、まだ直すべきところはあるわ。その女喋りを何とかなさい!その喋り方があんたを女っぽく見せるのよ!」

 そう言われるとミトラは泣きそうなかお貌になった。

 「幾らミウの強制、じゃなかったお願いでもそれは無理よぉ。

 私、北妖精語以外に話せるの古代魔法文字と、人間族の女の子と一緒に育つうちに自然に覚えちゃった中央共通語だけなんだから。

 今更ちゃんとした中央共通語を覚え直すなんて、時間がいく幾らあったって足りやしないわよ。」

 ミウはそんなミトラに使命感に燃えた口調で言う

 「そんなもん根性で乗り切んなさい!」

 ミトラはがっくりと頭を下げる。ミトラは今まで、一度だってミウに逆らいきれた事が無いのだ。

 そんな様子をリュイは笑いを噛み殺しながら見ていた。

 凄惨な状況が絶えないこの迷宮の中にいても、二人を見ていると何だか安心出来る。それが自分にとってどれだけ重要な事かを、リュイはしっかりと認識していた。

 「さっ、そろそろ行くわよ。この回廊は初めてなんだから気を抜かないでね。ミトラ、出番よ。この先どんどん暗くなる一方みたいだから明かりを頼むわ。」

 リュイのその声に二人の(かお)は冒険者のそれに戻る。

 ミトラは一瞬目を閉じ、古代魔法文字を二言、三言呟いた。すると光の粒子がミトラの周りに序々に集まりだし、突然軽い破裂音を伴って弾ける。

 途端にリュイ達の周りが淡い燐光に照らされ、ラムプの光を掻き消す程明るくなった。 第二階梯(かいてい)に属する“照明”だ。魔力を集めて光に変換させる簡単な魔法だが、迷宮探索には欠かせない。

 ミウは慣れた様子でラムプの火を消し、ラムプを背負子の中に仕舞い込んだ。

 「さてと、行きますか。」

 リュイが二人に問うと、二人とも軽く頷く。リュイは不敵な笑みを浮かべると、光の届かぬ暗がりの方へと進み出す。ミウとミトラも直ぐ後に続いた。燐光もその後を追う。こうしてリュイ達のパーティは迷宮の闇の奥へと消えていった。




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