(7)『可愛いは禁句?』(改稿済み)
翌朝。
昨日は罰として、ずっと店の手伝いをさせられて身体中が悲鳴をあげている。結局最後まで何についての罰なのかも教えてくれなかったし。
父さんがいないからと、父さんがいつもやっているらしい仕事が俺に回ってきて、ほぼ力仕事を夜遅くまで続けてやっと解放された俺は、それから日付が変わる直前までやれていなかった鍛練をやっていたのだ。
心はともかく身は芯まで疲れ果て、そのままベッドに倒れ込むように寝ていたらしい俺は――――くしょんっ。
自分のくしゃみで目が覚めた。
春とはいえ、海沿いのこの街の朝は少しだけ寒い。
「大丈夫ですか、アルヴァレイさん」
寝起きではっきりしない視界の向こうから聞こえてくる優しい声は母さんの声とは全く違うもので――
「なんでお前がここにいるんだよ……」
どうして同じ台詞を二日連続で言わなきゃいけないんだ……。
昨日の朝に戻ったような気分だった。ベッドの脇の昨日と寸分違わない位置に、昨日と全く同じ前屈みの姿勢でシャルルが立っていたのだから。
「いけないんですか?」
「いけないかと言われたらそうでもないけど非常識ってものだろ、コレは。まさか習慣にでもするつもりなのか?」
「習慣じゃないです。日課です」
人はそれを毎日の習慣と言う。
「日課っていうのは習慣と同じもんだ。自分が繰り返しやってることなんだからそんな言葉じゃ誤魔化されないからな」
「では慣習です」
「既に誤魔化す気すらない!? いや、こんな非常識な振る舞いが昔から決まってるとでも言うつもりなのかよ!」
「えっ、む、昔から……? 決まってた……運命……? は、はいっ!」
んなわけあるか。
「で、今日は何の用だ?」
「お詫びです!」
だから何のだよ。
いまだによくわかってないけど、お前がおかしくなった時のことか? アレは自覚はないけど俺が気に障ることを言ったからだって納得してるからお詫びなんてどうでもいいって――。
「――何度も言ってるんだけどな」
「何がですか?」
「いいや、何も」
俺はごまかすようにそう言うと、手を振ってシャルルを避けさせてベッドから起き上がる。
何というか、シャルルはたまに話が通じなくなる。
「別に来なくてもいいんだぞ?」
シャルルに一応そう言うものの、実は結構嬉しかった。
ただ非常識なだけ――――最初は確かに本心からそう思っていたけれど、何だかんだシャルルみたいな可愛い女の子に起こしてもらえることはそれはそれで幸福なことだとは思う。
これでも思春期の男だし。
だから今の気分は嬉しさ半分非常識半分といったところだ。初対面から二日しか経っていないことを考えれば火を見るより明らかな非常識なのだが。
「いいえ、遠慮しないでください」
少なくとも半分は遠慮じゃないけどな。
「私がす、好きで来てるんですから」
人を起こすのが好き、ってことかな。だとしたらかなり変わった趣味だな。
趣味は人それぞれ、典型もあれば少数派から独自まで様々なのであまり首を突っ込まないことにしているが、シャルルのは他と一線を画している。
大体それ――――何が楽しいんだ?
「アルヴァレイさん……なんか変なこと考えてませんか?」
「いや、シャルルって変わってるよなーって思って」
途端、シャルルは眉を顰めた。
そしてパッパッと帽子に手を遣り、何故か背中を肩ごしに覗き見て、
「何処が変わってますか?」
今の挙動は何なんだろう。
少なくとも俺が言わんとすることとは別事だから気にしないことにする。女の子の考えることなんてよくわからないし、それでなくても言葉の通り、シャルルはちょっと変わっているのだから。
「いや、見た目の話じゃなくてさ」
ていうかお前の見た目は変わるんかい。
まあ水準以上の外見という点で他から外れてはいるが。
「どこかおかしいところはありますか? ……普通の人と違うところがありますか?」
やけにつっかかってくるな。
「答えてください、アルヴァレイさんっ」
前言撤回。
つっかかってくる――――というよりは、必死そうで一生懸命だった。不安げに視線が揺れ動き、その目は今にも泣きそうなぐらいに潤んでいた。
(どうしたって言うんだ……?)
推測するに――何故かは知らないが、シャルルは『普通』にこだわっている。『普通』にこだわるのは別に悪いことではないが、それにしてはお前の行動は普通じゃないのが多いぞ。
常識を身につけてないというか世間ずれしているというか。
とにかく今はシャルルを落ち着かせること、それが最優先だ。
「ん~そうだな……」
真剣な目つきでじっと俺の目をまっすぐ見つめてくるシャルルの前で、少し考えるフリをしてやる。そして、
「シャルルが他と違うところは……」
わざと溜めを作るようにそう口を開く。
俺はコクコクと頷いて二の句を待つシャルルを観察しつつ、
「その辺の女の子よりシャルルの方が断然可愛いことだな」
ボッ。
期待通りの反応ありがとうございます、シャルルさん。
頬は紅潮し、口は魚のようにパクパクと開いたり閉じたりする。
ちなみに普通なら俺もこんなこと言えない。同年代の女の子に『可愛い』だなんて気軽に言えるほど手慣れてもいないし、その機会も限りなく0に近い。それでも何の緊張も感じずにこんなことが言えるのはやはり、シャルルが本当に子供っぽいからだ。
「か、か、かわっ――」
シャルルは顔を真っ赤にしたまま、よろよろとした足取りで後ずさっていく。俺の褒め言葉はどうやら想像以上に効果覿面で、
「わきゃっ」
シャルルは自分の足につまずいてコケた。
コケたと言うよりは尻餅をついた感じだから、怪我はないだろう。それにしてもたった一回でここまでの悪影響が出るとなると、シャルルに『可愛い』は禁句かもしれないな。
次は尻餅ですまないかもしれないし。
「ア、アルヴァレイさん……」
足をバッと閉じ、両手を膝の上に置いて弱々しくそう言ったシャルルは、
「た、たったたた、立たせてくれませんか……? その……こ、腰が抜けちゃって――」
うん、禁句指定は確実だな。
それとも言い続けると慣れたりするのだろうか。
「はいはい」
控えめに伸ばしてきた右手を握ると――――ぎゅっ。
シャルルもその手を控えめな力加減で握り返してくる。
あれ? 女の子の手ってこんなに柔らかかったっけ。
しかも小さくてすごく温かくて、やばい――――自分でからかっておいて、意識しちゃってるぞ、俺。
心臓が少しずつ高鳴るのを感じる。顔も熱くなってきてる。
赤くなってないだろうな――。
「アルヴァレイさん?」
「――え!?」
声が裏返ってしまった。
どうやらシャルルの手を握ったまま硬直していたらしい。思わぬ破壊力に耐えきれなかったのだ。
我ながら手を握ったくらいでこんなに動揺するなんて――。
平静を装いつつシャルルの手を再び握り直し、補佐して助け起こしてやる。シャルルは足の調子を確かめつつゆっくりと立ち上がると、ホッと息を吐いた。そして握っていた手も放す。
「あ、ありがとうございます……」
シャルルは深々と頭を下げた。
ホントに律儀だな、シャルルは。
「ああ、いや、うん」
言葉が出てこない。
シャルルは顔をほんのり染めて(たぶん完全赤面の残滓)右手を握ったり開いたりしている。
「アルーッ! ご飯って呼んでるの聞こえないのーッ!」
母さん。ぼーっとしてなかったとは言わないけど、本気で初耳です。
「シャルル、ご飯は食べてく?」
「あ、いえ。もう食べたので――――それに今日は用事があるので、もう帰ります」
コイツ、本当に俺を起こすためだけにしか来てないのか……!?