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旧き理を背負う者‐エンシェントルーラー  作者: 立花詩歌
第4章『ヴァニパル戦線』
82/121

(18)『チェリー=ブライトバーク=鈴音』(改稿済み)

 ただでさえ敵襲直後でぴりぴりと緊張の走っていた空気が、その中心で突発した惨劇に血気立つ。


「お前、何を……」


 呟くようにその少女に問う。

 我ながら、目の前の光景を理解できていないかのようで、声の震えも心拍の高鳴りもなかった。

 ただ呆然と、静かにその意味を問うことしか。


「何と言われても、お仕置きですよ~。私をゴキブリと言っていたもので~」


 その少女の姿をした何か――恐らくアプリコットの言っていたチェリーという殺人狂――は返り血に染まった口元を歪ませた。

 一瞬で、理解せざるを得ない。

 コイツは――――『ティーアの悪霊(ルシフェル)』と同じだ。怒りも憎しみも嫌悪も拒絶もなく、大した理由もなく笑って人間を殺せる人格を持つ化け物だ、と。

 ただコイツは、おそらくヘカテーとの約束がある今のルシフェルよりも数倍性質(タチ)が悪い。今の剣撃――鎌撃にはそう思わせるほど躊躇いがなく、化け物みたいにまったく淀みのない綺麗過ぎる斬り筋だった。


「あ~もう、まったく、面白可笑しくメンドクサイなぁ♪」


 その時、周囲の阿鼻叫喚を引き裂いてヘカテーが――もといルシフェルが圧倒的な存在感を含んだ言葉を放ち、そのわずかな一瞬、その空気を強制的に逸らさせた。

 恐怖と敵愾心で満たされたその空間の空気が、ルシフェルによって塗り替えられる。


 ――――理を逸脱した表裏一体エーンリッヒ・ドゥンケルハイト――――


 空気が変わった。

 まるで何事もなかったかのように広がる安穏とした空気。

 チェリーに詰め寄りながら剣を引き抜いていた将校クラスの若いヴァニパル兵すらも、素気無(すげな)く殺気も剣を収めて元いた場所に戻っていく。

 しかしそれらの様相とは裏腹に、俺はチェリーに掴みかかるのを必死に抑えようとしていた。


「……何でだよ。何で……何で……」


 同じ言葉以外出てこない。思考停止状態だった。


「何で殺――」


 その時、むくっと何かが起き上がった。思わず言葉を失う。


「いやいや、さっきも言った通り死にはしないんですよ、これが。この程度で壊れもしないですしねー」

「……何で?」


 思わず聞いてしまう。

 返り血なんかなかった。

 血溜まりなんかなかった。

 細かな肉片なんかなかった。

 噴き出す血柱なんかなかった。

 そこにはただにこりと微笑むアプリコットの姿があった。

 似たような感覚を前にも感じたことがある。マルタ城砦でルーナが一度殺された時だ。あの時のルーナは致命傷の域を超えた直接的な死から生還した。

 (のち)にそれはルーナの旧き理を背負う者(エンシェントルーラー)としての能力だとわかったけれど、アプリコットもそれと似たようなものだろうか。


「こう見えてボクは機械ですからね。驚かせてすみませんでした。これでも以ってうちのバカ上司なんですがこう見えてもゴキブリいやいやだからわざわざそんな凶器を首に突きつけるとか意味ねぇことしないでくださいね。どうせ壊れやしないですから」


 チェリーがため息のように嘲笑を漏らし、アプリコットの首に突きつけていた黒刃の大鎌を外した瞬間、ドグシャとチェリーが石造りの床に叩きつけられ、彼女の持っていた大鎌がぐにゃぐにゃに捻じ曲がってその場に転がった。それもたった一瞬で。

 自分の異常な適応力が怖い。

 精神的な余裕ができてくると、周りが見えるようになってくる。

 ヘカテーは目を輝かせながら、ルーナのほっぺたを弄り倒していた。さっきの惨状を見ていなかったわけではないはずだから、たぶん死体に慣れているのだろう。誉められることでは全くないが、ヘカテーというかルシフェルは数えきれないほどの人を殺しているのだから。


「アルヴァレイさん?」


 怒りの混じった声色。いつのまにか俺の背後に立っていたヘカテーが激しい殺気を発していた。

 一瞬、ルシフェルかと思ったぐらいだ。しかし、ヘカテーはスッと殺気を抑える。


「ごめんなさい、アルヴァレイさん。思わず――」


 少し辛そうな顔で俯いたヘカテーは――――ぎゅっ。

 後ろから俺に抱きついてきた。ヘカテーの吐息が耳をくすぐり、思わず視線が泳ぐ。そして自分で床に叩きつけておいて今度はチェリーを助け起こしているアプリコットと目が合い、現状の姿がすさまじく恥ずかしい事実を知る。


「おい、ヘカテー(はな)――」

『この際だからはっきり言っちゃいますけど、私……アルヴァレイさんのことが好きです。いつもアルヴァレイさんのことばかり見てますから、きっと気づいてるはずですよね……?』

『やっぱりそんな感じでしたか……』


 背中を伝う冷や汗は恐怖100パーセントだ。

 人外からの好感度高いな……、俺……。色々複雑だ。人生およそ20年間、ここまで好意的に見られた覚えはほとんどないからな。


『アルヴァレイさんが何を考えてるのかは私には筒抜けですけど、アルヴァレイさんが私のことを考えてくれるのはとっても嬉しいですけど……』


 ヘカテーは腕に力を込めた。


『さっきみたいな()()()はちょっと(つら)いですから、できるだけしないようにしてくれるともっと嬉しいです……。逃げてるだけだってわかってはいるんです……けど、やっぱり自分のことでもそれだけはアルヴァレイさんの()から聞きたくないですから……』

『そう、だな。ごめん。気を付けるよ』


 俺がそう言うと、ヘカテーは安心したようにフッと息を吐くと、少し可笑しそうにクスッと笑った。


『ありがとうございます、アルヴァレイさん。やっぱりアルヴァレイさんは優しい人ですね……。どんな人も、心の中では嘘は()けない。そんな中でも迷いがありませんから』


 腕が解かれ、背中にくっついていたヘカテーの身体も離れた。ていうか、ルシフェルのやつ、ホントに徹底的な認識阻害術式エーンリッヒ・ドゥンケルハイトのためだけにさっき出てきたんだな。

 振り返ると、ヘカテーは何事もなかったかのようにルーナのほっぺたで遊んでいた。ぷにぷに。いい加減やめておきなさい。イジられすぎてほっぺたが真っ赤になってるし。

 俺がヘカテーの指からルーナのほっぺたを取りあげつつ彼女を前に押し出すと、ヘカテーは途端に仏頂面になり、不機嫌そうに口を尖らせた。


「そんなことより誰か探してたんじゃないんですか? こっちの馬鹿上司は思った以上に手っ取り早く衝撃的に見つかったので、そっちの人探しも手伝いますよ」


 アプリコットが隣のチェリーを横目でちらりと見て、またも長々とした台詞を言い切った。


黒乃(くろの)がいるのですか~?」


 自分のこととは露ほども思っていない様子できょろきょろと辺りを見回すチェリー。


「まぁボクの上司に馬鹿と口に出すほどの馬鹿馬鹿しい馬鹿はチェリーさんしかいねぇと思うんですけどね。まぁこんなゴキブリはほっといていいですーって、ああもう腕が鋭く痛い。おっと紹介はしとかなきゃですね。これがチェリー=ブライトバーク=鈴音(りんね)です。はい、紹介終了ー。で? 誰を探してるんです? シャルロット=D=グラーフアイゼンですか?」

「いや探してるけど今は違うよ。リィラさんって言うんだけど。ていうかなんでシャルルのこと……」

「リィラってかっこよくて理不尽な赤毛の女性のことですかね?」

「一目でそうと気づくあなたの洞察力は素晴らしい才能です」


 理不尽な会話でも聞いていたのだろうか。それでもかっこいいと思わせるリィラも大したもんだ。


「いやいや、見てはいないですが。データベースを見ているだけです。っつーかリィラ=アスティアルス=テイルスティングですよね? “黒き森(シュヴァルツヴァルト)の魔女”の裏人格ノウェアによって父親を殺され、その復讐のためにアルヴァレイ=クリスティアースと共にテオドールを出る。合ってますかね、チェリーさん? あ~、すみませんでした。兵器格納庫(アームズハンガー)ごときにはまともな記憶媒体(メモリー)は入ってませんでしたよね。期待なんざしてませんでしたが、人工頭脳(ブレーン)すら腐ってるチェリーさんに聞くこと自体が愚かでした。馬鹿はチェリーさんですが」

「壊すですよ~?」

「乞わせますよ?」


 命を、と付け足すように笑う仲が良いのか悪いのか全くわからない2人だった。喧嘩するほど仲がいいとは言うが、むしろこの2人は仲がいいほど喧嘩するといった感じだ。ある意味真理か。

 というか何を当たり前のようにこんなヤツらを受け入れてるんだよ、俺。かたや身体がバラバラにされても死なない人外、かたや殺人狂だぞ。落ち着いて考えなくても、頭の中から警告音が鳴りっぱなしだ。なんだかよくわからないことも言っているし、離れた方が――――。


「まぁ黒き森(シュヴァルツヴァルト)の魔女については最近会ったばっかだったからすぐ出てきたっつー裏事情的表事情もあるんですけどね」


 ――――いい?


「何処でッ!? っぐ……」


 舌噛んだ。口の中に広がる鉄の味に顔をしかめながらも、アプリコットの返答を待つ。


「え、そりゃもちろん……」


 (ゴウ)ッ! と突然砦の外から聞こえてきた爆音に、アプリコットの言葉が遮られた。それは空気を呑み込む炎の呼吸音であり――――


 ――――それを裏付けるように多数の悲鳴が(つんざ)いた。

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