(12)『エルフリード=メルチェ』(改稿済み)
「エルフリード……メルチェ……?」
ヘカテーの口から飛び出した聞き覚えのない人名に、思わず俺は首を傾げた。
視線をヘカテーの横顔に泳がせるが、普段の優美な表情は消え、攻撃的な感情を以って未だに人陰の見えない木々の奥を睨みつけているようだった。
俺が改めて短剣の柄を握り直した時、木陰からザッと足を擦るような音が聞こえてきた。
「貴様……」
続いて、はっきりとした不審を伴って響いてくる、男のようで女のような低音と高音の中間のような声。ゆらりと現れたその人物の発する殺気に俺は思わず後ずさった。
が、数センチというわずかな距離に留められたのは、ヘカテーがその場にいたからだろう。
「なぜ私の名を知っている?」
下草を踏みしめながら出てきたのは、抜き身の刀のようなたたずまいの銀髪碧眼の女だった。余計な防具や装身具を着けておらず、簡素なフルレザーに金属製の胸当てをつけた姿は騎士と言うよりもむしろ傭兵に近い。
しかし、その顔つきは精緻で繊細、高貴な血統を感じさせる。
その身体から発せられるのは気品は貴族のそれを彷彿とさせた。右手に握られた細身の両刃剣は透き通った輝きを放ち、武具に詳しくない俺ですら一目で業物だと推測できる。
「貴女をよく知ってるからよ。エル」
ヘカテーはエルフリード=メルチェというらしいその女戦士の、素人の俺ですら身体が萎縮するほどの殺気すら意にも介さない様子で、挑発するような話を続ける。
「胸の傷はもう癒えた? 背中の傷は残ってしまったようね」
ギリッと強く歯を噛み締める音が聞こえた。当然、目の前のエルフリードのものだ。
「貴様……何者だ!」
「もしかしてそれは私のことを言っているの? まさか憶えてないというわけではないでしょう、エル。名門貴族だったメルチェ家が没落したのは誰が原因だったのか忘れたの? 貴族だった貴女が奴隷として売られて、メルチェと反目し合っていた貴族の家に買われて、人としての扱いも受けずに苦しい思いをしたのは誰のせい? そんなことも忘れちゃったの? エルフリード=ルパス=メルチェ」
ヘカテーが追いつめるように言葉を紡ぐ度に、エルフリードの目は見開かれ、その瞳は憎悪に染まっていく。そして同時に、その視線は俺に揺らぐことなく、ただヘカテーを睨みつけているだけだった。
「……貴様があのイビルだと言うのか? そんな小娘の姿を借りている、貴様があのっ! ……イビル=メビウスリングだというのか!?」
「この娘も元は貴族よ。エルフリード、いずれ貴女と同じ運命を辿る可哀想な娘。今は私の人形と言ったところね」
ヘカテーさん……話がまったく見えないのですが。
『ただのハッタリですよ』
ふと感想を心の中で漏らした途端、それを読み取ったヘカテーの声が頭の中に聞こえてきた。
『何のために……悪趣味だな』
『違いますっ! このエルフリードって人、精神面はともかく結構強そうだから頭に血をのぼらせて冷静さを失わせているんです。ふふっ……挑発しやすい記憶を持っててよかったです』
『怖ぇ……。というか記憶を読むのはシンシアを出さなきゃいけないんじゃなかったか?』
『最初に名前を呼んだ時に、色々と自分から思い出してくれたんです♪』
絶対に敵に回したくないな。身体能力が人知超えてるくせに人の思考が読めるって無双だろ。
しかし、ヘカテーの策略に期待通り引っかかったエルフリードの顔は怒り一色に染まり、先ほどまでの凛とした殺気と気品は完全に消え失せて黒々とした獣のような殺気に全てを塗り潰されていた。
「その娘を解放しろ……」
「アハッ♪ まだ他人を心配する余裕があるの? 冷静だね~励精だね~。で? その剣をどうするの? この子もろとも、私もろともこの子を殺すの? いいよ、いいよ~試す権利が貴女にはあるんだから」
傍目には変わっていないが、人格がルシフェルに入れ替わったらしい。あの特徴的な語調とあらゆる敵を小馬鹿にするようなテンションは間違いなくルシフェルのものだ。
『やっぱり、さすがにアルヴァレイさんでもわかりますよね。ちょっとだけルシフェルに花を持たせてあげたんですけど、久しぶりに外に出たから機嫌いいみたいです』
どう見ても機嫌悪いようにしか見えないんですけどね。
俺は思わずため息を吐く。
「お前たちは先に逃げた連中を追え!」
エルフリードは背後に控えているだろう誰かに向けて言い放つ。おそらく理性的でいられる内に隊長としての矜持を果たそうというのだろう。その言葉に従ってか、薄暗闇の中で何かがザザッと動く。
しかしそんな隙は、ルシフェルにとって抉るべき傷口でしかない。
ルシフェルは思わず、といった調子でプッと吹き出した。
「アハハ♪ そこにいる……9人かしら? 貴女1人じゃ相手にならないし……そうだ! 加勢してもらったら? 私はいいよ? 所詮ただの雑魚集団だし? 貴様ら、人間なんて私からすれば押しなべて敗者なんだから♪」
エルフリードの残った理性を鋸や鉈でまとめて削り取っていくような言葉。
『ティーアの悪霊』ルシフェル=スティルロッテは最初に会った時から全く変わっていなかった。
「貴っ……様ァあああああああああああぁぁぁぁッ!!!」
エルフリードは中段に構えた剣をわざわざ振り上げ、思いきり地面に突き刺した。
「私はもう! あの頃の私ではない!!!」
知らずとはいえ、『あの頃の私』を知らない2人の目の前でそう叫んだエルフリードの剣、それを中心に地面に魔法陣が大きく広がった。
よく見ると、やけに幅広の柄部分にはいくつもの魔法陣図式が刻まれている。
「フラメ・グランデ!!!」
ボゴッとその剣の周りの土が隆起する。次の瞬間、その岩は赤熱しドロドロとした溶岩に変わった。
そしてその溶岩はゆっくりと、剣を這い上がるように上に伸び、金属剣の刃を覆った。
「死ねェえええええええええぇぇぇッ!!!」
ドサッ。
エルフリードの雄叫びと共に、何故かヘカテーの身体が崩れ落ちた。同時に胸を強く打ったのか、わずかに呻き声を漏らす。ヘカテーの身体がふるふると震える。
その突然の展開にエルフリードの動きがピタリと止まった。
「なんか既視感……」
俺の呟きは誰にも届かない。
冷静さを欠いた相手の目の前で態度を明らかに一変させる、どこかおかしい雰囲気を作り出し、相手に無駄な警戒をさせ、そのために直前までにストーリーを捏造する。
「あ……あ……」
か弱げな声で何事か呟くヘカテー。
もう誰でもわかるだろう。ヘカテー=ユ・レヴァンス、現在『誰も知らない没落貴族の娘』モードだ。
「あ、私は、どうして……?」
無垢なその表情は見る者を確実に欺く。
明言するのは久しぶりだ。ヘカテーは性格が悪い。むしろ酷い。面白いと思うものはとことん面白くして、面白くないものは面白いと思える方に持っていく。つまりルシフェルと似ているのだ。
ルシフェルは身体能力とその固有能力、そして魔法を使って力ずくで方向修正をしてしまうが、ヘカテーの場合はそうと気取られないように実行する。その計算高さは類を見ない。
むしろ見たくない。これ以上のやつがいるとか思いたくない。
「お前は誰だ?」
ビクッ。
凄んだエルフリードに対して、俊敏かつ正確に怯えた表情を作るヘカテー。
わかってる俺ならではの視点だな。
「あ……え、えっと、ヘ、ヘカテー=ユ・レヴァンス……」
「レヴァンス……?」
訝しげな表情になるエルフリード。しかし、その両手は剣を握る力を緩めることなく、切っ先をヘカテーに向けたままだった。今にも、ヘカテーの首を切り落とすとばかりの殺気と共に。
「……申し訳ありません、メビウスリング様! お許しを……!」
エルフリードは、何かに怯える(演技をしているだけだが)ヘカテーの腕を掴んで無理やり立たせ、その首筋に煮えたぎる溶岩の剣を近づける。
「卑怯者め! その娘から出てきて、正々堂々と戦え!!」
「やだ」
ボキッ。
ヘカテーもといルシフェルは首筋に突きつけられた剣を叩き折った。
剣が纏った溶岩の中に無造作に手を突っ込み、神経が熱を感じる前に叩き折り、手を抜く。
言葉にしてすら普通なら不可能なことを軽々とやってのける。
「あ、ごめんね~? 誰かの形見だった? 違うの? 良かったね♪」
えげつない。
「貴様ァああああぁぁぁッ!」
頭に血が上って、恐らく冷静な判断もできていないだろうエルフリードは懐刀を抜いて、そのままヘカテーに斬りかかる。
その時だった。
「落ち着け、エルフィ!!!」
誰かの声が俺やヘカテーの背後から聞こえた。
ヘカテー、ではなくルシフェルは、肉薄するエルフリードの刃を軽く避け、俺と同じタイミングで背後の元来た道の方を振り返る。
あれ……確かあいつ……。
どこかで見たことのある赤い騎士甲冑がそこにいた。




