(3)『目が覚めるとそこに』(改稿済み)
翌朝目が覚めると――すぐ隣にやけに可愛いけど見慣れない顔があった。
「おはようございます」
いやいやよく考えろよ。おはようございますじゃない。
心臓に悪いだろうが。
そもそもここはウチがテオドールの代理統治を行っているエルクレス新和帝国の認可を受けて借りている土地であり、両親の店だ。
さらに正しく言うなら、今いるのは店舗じゃない。店の二階に作られた、いわゆる居住区間だ。
さらに正確に言うなら、家族で共用の居住区間の中でも、俺だけの個人空間、要するに俺の部屋。
昨日の夜もちゃんと窓には鍵を閉め、戸に鈴がくくられているため、誰かが入ってくれば必然的に目が覚める。元々眠りは浅い方だしな。
それなのに――今朝は鈴も鳴っていないし、見ると窓の鍵もかかったままなのに。
「なんでお前がここにいるんだよ……」
半ば脱力気味にその少女――シャルルにジト目で訴えかけると、クイッ。
不思議そうな顔で小首を傾げられた。俺が何を言いたいのかわからないといった感じで『なんで……お前が……ここに……いるんだ……よ?』と、なぜか指折り指折り俺の言葉を反芻している。
ちくしょう、なんか可愛い。普通の男ならこれ以上何か言うと悪い気になるだろう。だけど残念だったな。
俺は基本的に非常識は好まない性質なんだ。
「はいちゅうもーく。まず……どうやって入った?」
「あ、えっとえっと……空間転移魔法って知ってますよね」
「見たことはないけど、下手して失敗すると移動先に悪影響を及ぼす可能性のあるヤツ?」
「あ、はい。それです」
グリグリグリ。
「痛ッ。痛いですッ、アルヴァレイさん!」
頭を両の拳で挟んでかなり弱めにお仕置きをすると、非常識娘は両手を上に挙げて痛がりながら降参した。
「ちょっと間違えたらこの部屋めちゃくちゃになってるじゃねーかっ」
「大丈夫ですッ」
やけに自信満々にそう言うと、シャルルは俺の手を振り払って逃れた。
「今日は失敗しませんでした!」
「結果論かよ!」
昨日会ったばかりとは思えないほど自然にツッコミを入れてしまったことに微妙な自己嫌悪を覚えつつ、
「で……なんで来たの?」
本題に入る。
すると再び不思議そうな表情で小首を傾げられた。
「アルヴァレイさんは昨日、また来てもいいと言ってくれました」
いや確かに言ったけれども。なにこの俺がおかしいみたいな空気。
俺であろうがなかろうが、まさか部屋まで来るなんて思うヤツが何処にいる。忘れて欲しくないのはシャルルが昨日初対面ってことだけど、昨日の今日でこれですか?
「それでその……お詫びのことですが……その……」
「あー……いいよいいよ面倒だし。そもそも何に対するお詫びなのかもいまだに理解できてないしね……」
「そういう訳にもいきませんッ、このお詫びには口封……じゃないっ、その……口止めも兼ねてるんですから」
「今口封じって言わなかったか?」
「言ってないですっ。口封、までですッ」
言ってるじゃねえか、物騒な。
「とにかくお詫びさせてください! 昨日の、その、ちょっと、あの、ああっ、えっとっえっとっ……」
「落ち着け」
「はっ、はひっ。その……ちょっとおかしくなっちゃった時の私のことは誰にも言わないで貰えませんでしッ!」
ホント、よく噛むなぁ。というか自分から朝早くに押し掛けてきたくせにまだ俺のことが怖いんだろうか。さっきからどうもオドオドビクビクして、おっかなびっくり喋ってるみたいな感じだし。
「でしょうか!」
そこだけ言い直したか。
それとあの様子、おかしさはちょっとじゃなかったぞ。
「お願いしますっ、お願いしますっ」
ペコペコと倒木をつつくキツツキのように頭を上下させるシャルルが早々と不憫に思えてきて、
「わかったわかった。シャルルが何かしてお詫びしたいって言うなら早く済ませよ」
「ありがとうございますっ、ありがとうございますっ!」
キツツキシャルルから変わってないんだけど。変わる気配もなければ、そもそも人の話を聞いていたかどうかすら疑問に思えてくる。
「で、何してくれるんだ?」
シャルルは首をパッと上げた。一応聞いていたみたいだな。
「そ、それじゃあっ部屋のお掃除をっ」
「昨日の夜やった」
掃除するほど汚くないしな。
「えっ!? えっと……じゃっ、じゃあ朝ごはんを作りますっ」
チラッ。
「時間的にもう下で母さんが作ってくれてると思う」
「ふぇっ!? えっとえっと……じゃあ空間転移魔法で下までお連れしますっ」
「下の階ぐらい普通に行くわっ! どんだけ怠け者なんだよ俺は!」
「えっ!?」
「そこで驚くな!」
ビックゥッ、て感じにシャルルの肩が跳ねる。いや確かにちょっと大声になっちゃったけどさ。
あーもう、なんか目が潤んできてるし。俺が泣かせてるみたいだ。
こんなところを誰かに見られたら間違いなくそう判断されるだろうな。
チリーン。
うん、今の音何かな。
鈴の音に聞こえなくもなかったけど、なんでだろう。
(振り返るのが怖いッ……!)
「アル。説明」
たった二文節に含まれた計り知れない恐怖と緊張に、俺は昨日今日と2日連続で戦慄した。
おそるおそる振り返るとそこにはいつも通りお玉を持って――なぜか直らない癖だ――俺を起こしに来た母さんが、ってなんで今日に限って包丁なんですか!? その刃先、なんかこっち向いてないか……?
「あなたはこの可愛らしいお嬢さんに昨晩何をしましたか?」
最悪の事態だ。これは恐らくとんでもない方向に勘違いしてらっしゃる。
ちなみに命の危機になんだけど、どんどん口調が丁寧になるのは母さんがキレたときの癖だ。ウチの両親は腹を立てると揃いも揃って外面丁寧な容赦ない言論で相手を論破しようとする、厄介な似た者夫婦なのだ。この二人が喧嘩しようものなら目も当てられない。今回の場合、あまり関係がない上に俺が圧倒的に不利なんだけど。
「か、母さんが想像してるようなことは何ひとつッ……」
包丁を中段に構えたままの母さんの視線が、俺の斜め後ろに立ってるだろうシャルルの方に向く。
「その子はあなたが昨日店の前でぶつかった子ですよね」
「はい……」
「それではその子がなぜこんな朝早くにあなたの部屋にいるのですか? 見たかぎり泣いているようですが」
後ろでシャルルが『あっ』と小さく声をあげる。振り返ると、シャルルは慌てた様子で目元の涙を袖で拭っていた。
なんか見られちゃいけないところを見られた子供みたいな反応。
「な、なんでもないですっ。悪いのは全部私でっ、アルヴァレイさんは何も悪くないですっ。ホントに何もしてませんからっ」
俺は本当に何もしてないのに、その言い方だとなんかやらかしてそれをシャルルがかばってるみたいじゃねーか。
ほら、なんか母さんも胡散臭そうな目を向けてくるし。特に俺に。
「アル。人道にもとることだけはしていないと誓えますか? 命とクリスティアースの名にかけて」
「してません!」
後ろでシャルルもコクコク。
「ハァ……。それならとりあえず信じましょう。それは置いとくとして、ご飯よ。冷めちゃうから早くね」
やれやれと言う感じで首を振り、母さんは廊下に消える。
「はぁ……」
朝っぱらからこんな騒ぎか……、とため息を吐いた時、
「あ、そうだ」
ドッキーン!
突然戻ってきた母さんが顔を出して、心臓が喉から出るかと思った。医学的に考えれば人体はそんな芸当ができるような構造になっていないが。
「あなた、お名前は?」
シャルル、お前をご指名だぞ。
なんかボーッとしているシャルルを揺り動かして起こす。
「あっ、えっ、えっと……シャルロ……い、いえ、シャッ、シャルル……です」
今のつっかえつっかえで無駄に長い台詞で言いたかったのは結局『名前はシャルル』。それだけだった。人見知りとは言え、どんだけテンパってるんだよ。
「そう。じゃあシャルルちゃん。あなたはもう朝ごはん食べた?」
「あ、えっ? えっとっ食べてっ……いえ! 食べました!」
くううぅぅぅぅ。
今のは俺じゃない。シャルルのお腹が鳴ったのだ。その証拠に、気まずくなった空気の中シャルルの顔が真っ赤になっている。
「シャルルちゃんの分も急いで用意するから、食べていきなさい」
どこか楽しげな表情になった母さんが部屋を出て行き、すぐにトントンと階段を下りていく音が聞こえてきた。