(0)『闇の訪れ』(改稿済み)
ヒロインの登場です。残酷シーンにご注意を。
――触るだけで壊れてしまう。
だから触りたくないのに、身体が言うことを聞かない。
夜になるといつもこうだった。
日没直後から気分が悪くなって、頭がぐるぐるして世界が歪んでいくように視界が曲がり、身体が勝手に動き始める。“私”が目覚める。
夜なのに眠れない。
夜だから眠れない。
むしろ夜になったから目が覚めているようだった。
意識がはっきりしている中で私の身体は暴れ回り、どす黒い言葉を吐き散らし、血を求めて駆け回る。
破壊衝動に身を支配され、人を殺してしまうこともあった。
子供も大人も女も男も若者も老人も、神族も魔族も人間もおしなべて等しくこの手にかけてきた。何の罪も無い人たちを殺した時の感触は、朝になっても消えることはなく、その度に自分が恐ろしくなった。
自分が何なのかわからない。
世間に疎い自覚はあるけれど、それでも自分と言う存在が異常なことぐらいはわかる。いっそ死んでしまえばと思ったけれど、結局それも怖くてできなかった。
夜の私は、何故か野生の動物は殺さない。
少なくとも今まで殺したことはなかった。
一般的な家族とは少し外れた『家族』には、ラクスレル――つまりラクスレルの森に移り住めばいいと言われたこともあるけれど、黒き森から離れる気にはなれなかった。
それもどうしてなのかもわからない。
夜の間の私と何か関係があるのかもしれない、でも何となく違う気もしていた。
昼の間たまに、用もないのに近くの港町テオドールに来てしまうことがあった。
その時はいつも、まるで自分が何かを探しているかのような感覚に囚われる。
私はその感覚に戸惑いながらも、心地よさを感じていた。
何故かはわからなかったけれど、安心感に包まれているような感覚だった。
特に人を手にかけてしまった次の日は必ずテオドールに行く。
――――たぶん明日も行くことになるのだろう。
深い、まるで奈落の底に立ったように光の気配もないような深夜、私は黒き森から少し離れた所にある砦のような建物の前に立っていた。
その闇夜を侵食する唯一の光は、閉め切られた砦の中から微かに漏れ出す光だけ。
月の出ていない夜にはいっそう、私の中の黒い血が騒いだ。砦からわずかに漏れていた動物の血の匂いに過敏な反応をした“私”の背後には、黒き森に住んでいる動物たちが追従している。そして砦の中から、警報らしい甲高い音が鳴り響いてくる。
「魔女だーッ!」
建物の屋上に見える人影がそう叫んだ。
魔女。
私は昼夜問わず、近隣の街の人たちから黒き森の魔女と呼ばれている。
でも私じゃない……。
こんな私は、私なんかじゃないのに!
「殺セ……」
“私”がそう呟いた瞬間に、込められた殺気に翻弄された大きな影が翔んだ。
「敵襲警報! 総員警戒態勢、本部への増援を申請す……ぐっ……ギャアァァやめっ……!!」
瞬く間に屋上に駆け上がったその巨影が屋上の人影にのし掛かる。低い塀のせいでわからないその向こうの惨状は途切れた悲鳴が物語っていた。
「皆殺セ!」
その叫び声と同時に、森の木々の闇に潜んでいた猛獣たちが一斉に飛び出して、砦の窓を突き破り、屋上に上がり、思い思いの場所から砦に雪崩れ込んでいく。
そして“私”もその中の一つ。
正面の扉を素手で突き破り、向こう側にいた兵士を一蹴する。人を超えた力を受けた兵士は悲鳴もあげずに絶命し、群がった猛獣たちの餌食となった。
確固たる目的など無く、ただ衝動を満たすためだけの破壊、殺戮。
そのきっかけは何の変哲もない血の匂い。
心で嫌だと叫んでいても、殺したくないと願っていても身体は止まってくれなかった。黒々とした闇に包まれた右腕が、何の躊躇いもなく人の身体を貫通していく。
“私”は黒々とした揺らめく右腕で自分に飛んでくる反撃の魔力球体――魔弾もかき消し、足元に仕掛けられた魔法陣もその圧倒的な脚力で床の石材ごと踏み砕き、次々と人をその手にかけていく。
「うわああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「ぎゃあああああぁっ!」
砦の至る所で悲鳴が上がり、爆発音と共に建物全体が軋む。
そんな中、“私”は奥の扉を一撃で吹き飛ばし、流星のごとく部屋の中に飛び込んだ。
「今だ、撃てッ!」
部屋の中に立てこもり、何かが入ってくるのを待ち構えていた兵士たちが剣を構えていて、その切っ先から放たれた無数の魔弾が“私”に向かってくる。
「八ツ裂キ……」
魔弾が“私”の身体に当たる直前、身体から流れ出るように広がった闇が魔弾を受け、巨大なミミズのようにのたくって部屋の中にいた兵士たちを横薙ぎに呑み込んだ。
バキボギグシャ……。
凄惨な破砕音と共に闇の中から噴き出した赤い液体が部屋中に飛び散った。
勿論、その大量の血は“私”の全身にふりかかる。
その部屋の鏡に映る“私”の表情は、血にまみれながらも何の感情も抱いてはおらず、その瞳は虚空のようだった。気がつくと部屋の窓からは日が射し込んでいて、私はその部屋の中でへたり込んでいた。しかし部屋の中は昨晩と何も変わらない、固まった赤に塗り潰されていた。
「ヤダッ、イヤぁぁッ! …………また……こんな…………」
振り下ろした拳が硬い床を割り砕く。
こんな力なんて要らない。もう何もいらないのに……、私がどうしてこんなものを持っているのかすら心当たりがない。昔のことほど記憶も薄れているし、考えれば考えるほど思考が空転してしまう。
そうしている内に夜になり、時にはその手を血に染める。
「私は……何なの……?」
そうぽつりと呟いた少女に、答えるものは誰もいなかった。