(15)『大胆発言』(改稿済み)
「黒き森に行きませんか?」
俺にとっての波乱の食卓が終わり、裏通りに出て鍛練前に一息ついていた時だ。突然シャルルがそう切り出した。
「森に?」
「はい」
「理由は?」
「えっと……とにかくです」
何それ理由になってない。
「まだ鍛練が……これから始めるつもりだったんだけど……」
「あっちでもできますよ。場所も広いですし、周りに気を遣う必要もありません」
「何かあった時にはどうするんだ? 怪我とか」
「あ、えっと……私が回復魔法を使えますから。大丈夫です」
「シャルルが意識不明の重体だったら?」
やば、シャルルが泣きそうになってる。
「ま、その時はルーナにここまで乗せてもらえばいいか」
と言ってやると、パアッと目を輝かせて微笑んだ。女の子に耐性のない俺にその顔は反則だろ。
「で、どうやって行くんだ?」
「ルーナちゃんと空間転移魔法、どちらがいいですか?」
「ルーナでお願いします」
シャルルのいつ失敗するかわからない空間転移魔法に頼るとどうなるか。わからないからこそ怖い。
「あ、ごめんなさい……。そういえばルーナちゃんは今、別の用を任せているので頼めないんでした」
つまり最初から選択肢なんかないんじゃねえか。結局危ない方になるんなら最初から安全な方なんか選ばなきゃよかった。
「え、えっとっ、じゃあ転移の用意をしたいので、少しだけ待っててくれますか?」
ちょっと意地悪してやりたくもなったが、八つ当たりも悪いからと素直に頷く。
「ありがとうございます!」
なんでこんなことでそんなに嬉しそうな顔をするかね。
シャルルは前の失敗で多少を学習したのか、裏口前ではなく道の端っこに座り込んで魔法陣を描き始めた。
シャルルが黒き森の魔女だということを考えれば、無理もないことなのかもしれない。あまり昔のことは知らないし、シャルルも話してくれたことはないが、昔から怖がられるような噂を立てられていたなら察するに友好な人間関係も築けなかっただろう。今のような当たり前のことに喜びや幸せを感じてしまうのは、あまり経験がないからだと納得できる。
そうなると、やっぱり俺みたいな気が合うわけでもない奴とのつながりに一生懸命なのも頷ける。
「シャルルっ、俺たちもうずっと友達だからなっ!」
シャルルは振り返ってビックリしたような表情になった。が、すぐに口元が緩み、ニコッと微笑んで頷いた。
何故だろう。
何故かはわからないけれど、なんとなくそんな当たり前のことをわざわざ口に出して言っておきたくなったのだ。
だけど言ってよかったと思った。シャルルが喜んでくれたのだから。
それから三十分程度経った頃、手持ち無沙汰に短剣と鉤爪の手入れをしていた俺の肩を、いつのまにか背後まですり寄ってきていたシャルルがちょんちょんとつついた。
「用意できました」
「シャルル……お前、前は一時間半かかってなかったか……?」
「前はここから森までの転移は初めてで……、空間転移魔法自体も久しぶりだったので、思い出しながらちょっとずつ丁寧に描いてたんです」
つまり失敗する可能性も普通より高かった、とそういうわけか。やっぱほとんど罠みたいなもんじゃねえか。よく無事に森までたどり着いたなあの時の俺。今さらながら賞賛を送るぞ。
「今回は二度目ですし、空間転移魔法の感覚も思い出しましたから大丈夫です……ちょっと手抜きしちゃいましたけど……」
この子の場合、最後のちょっとした一言が非常に怖いのですが!?
とわずかな戦慄を覚えつつ、手招きするシャルルについて直径四十センチほどの魔法陣の前に立つ。
これで手抜きなのかというぐらい、素人目には複雑に見えた。外縁も真円に見えるし、読めはしないが文字も異常に丁寧で綺麗だ。配置も均整がとれているように見える。て言うか前の奴と何が違うのか、素人なりに観察してみるがさっぱりわからん。
たぶんこれを芸術品と言われても、普通に信じてしまうだろう。
「そこに立ってください」
シャルルはその魔法陣を指さしてそう言った。
「前みたいに触っただけで発動するんじゃないだろうな」
「……たぶん大丈夫です」
その間が恐いんだっての。て言うかどっちにしたってたぶんかよ。
仕方ないので、せっかくの芸術品(?)を消してしまわないように気をつけながら、魔法陣の上にそっと立つ。よしよし、どうやら今回は何も起こらないみたいだ。前の異常効率による事故は半ばトラウマになってるからな。
「もうちょっとそっちに寄って下さい」
「無理言うな」
そもそも四十センチの円の中に二人が立とうってだけでも地味にキツいだろうが。
そう思った途端、視界がシャルルの帽子に埋め尽くされる。シャルルがスッと身体を寄せてきたのだ。
「ちょっ――」
密着した皮膚から、体温が、心臓の鼓動が、息遣いが、隔てるものも無くありのまま伝わってくる。
飛び退こうと身体に力を入れた瞬間、腰に腕を回された。シャルルは抱きついたような格好で俺の顔を見上げ、子供のように頬を膨らませた。どうやら嫌がっていると思われたらしい。
違ぇよ。恥ずかしいんだよ。女の子とこんな密着するなんて、妹を除けば人生初だからな。ちなみに幼児期は知らん。憶えてるわけもないし、そもそもそんなことを考えてる幼児なんかいない。
「暴れないで下さい」
「すいません」
いやでも、かなりな至近距離にシャルルの顔があるんだぞ。
線の細い顔立ちに綺麗なさらさらの金髪。ぱっちりした目に、桜色に染まる頬に、艶のある唇。それら全てが完成された芸術品のように整っていて、思わず息をするのも忘れたくらいだ。シャルルに比べたら、足元の魔法陣なんか芸術品なんかじゃない。比べ物にならないのだ。
そんな感じでどぎまぎして、激しく鳴り始めた心臓の鼓動がシャルルに聞こえないか本気で心配する中、
「行きますよ」
シャルルが静かにそう言った。
わずかに感じ取れる魔力の流れ。
そして、紫色の行使光が俺とシャルルの周りにほとばしった。空間転移魔法が発動したのだ。
思わず目を閉じた次の瞬間、密着していたシャルルの身体が離れたのを感じた。
「もう大丈夫です」
言われておそるおそる目を開けると、そこは前に来た時に訪れた森の中の木々が開けた小高い丘の上だった。
「どうぞ、入って下さい」
振り返ると、シャルルが小屋の扉を開いて、中に入るよう促していた。
その招きに従い中に入ると、
「で、今日俺を黒き森まで呼んだのはどういうことだ?」
直球で訊いた。
途端にシャルルの表情が固くなる。
本心から何かを怖がっている、そんな表情だった。
シャルルはしばらく機嫌を窺うような上目遣いで俺の方を見ては、言葉を紡ごうとして躊躇っている様子を見せ、急に顔を真っ赤にしたかと思うと、
「あ、あの!」
何でも来いや。
「私の身体、見て貰えませんか!」
私の身体見て貰えませんか……。
身体見て貰えませんか……。
見て貰えませんか……。
貰えませんか……。
「はぁっ!?」
ビクンッ。
突然叫んだ俺も悪いが、そこまでビクビクすることはねえだろ。
「それって……どういう……?」
たぶん違うんだろうなーとは思いつつも、頭の中ではさっきの台詞から触発されたいかがわしい想像もとい妄想が次々と過り、無意識の内にシャルルの外套の下の、さらに奥の方を想像してしまっていた。
「見て貰った方が早いですからっ」
とシャルルは外套を首元で留める大きなボタンに指をかけた。
「ちょっ……と待った!」
両手をシャルルの目の前に突きだし、その暴走気味の行動を制止すると、
「先に訊いとくけど何をする気なんだ!?」
「邪魔ですからこれを脱ぐんです!」
ホントにそっち系なのかよ!?
とりあえず茫然自失する俺の目の前で、シャルルは再びそのボタンに指をかけた――まずいッ、シャルルが何を考えてこんな暴挙に出たのかは知らないが、少なくとも正気とは思えない!
「ちょっと待てって!」
制止を聞かないシャルルを止めるため、件のボタンを押さえにかかる。
が、ハプニングと言うものは得てして慌てた時に起こるもの。思考もおぼつかず、周りを見る余裕もない今は、ハプニングにとってはまさにその好機だったようだ。
「きゃっ」「うわっ」
なんの捻りもなく、俺は足の下にあった何かを踏んでつまずき、シャルルを巻き込んで盛大にぶっ倒れた。
ガターン。
テーブルのわきにあった椅子にぶつかり、音まで盛大に響き渡った。
そして、途端辺りが静かになる。
「っ痛ー」
どうやら椅子を肩にぶつけたらしい。ずきずきと痛む肩を再認識しつつ、俺は――硬直した。
現状整理。
一、転んだ際、俺はシャルルの上にのし掛かる形になったらしい。
二、外套のボタンはもつれ合い倒れる内に引きちぎれてしまったようで、シャルルは今、外套がはだけた状態である。
三、俺の右手及び顔面は何かとても柔らかい何かと接触している。
四、目の前至近距離で形のいい眉をわずかに歪めるシャルルの顔は真っ赤に染まりきっており、明らかに困惑している様子だ。
結論、というか総まとめ。
まるで俺がシャルルを押し倒して外套のボタンを引きちぎり、シャルルが下に着ていた薄手の服の布で守られているだけの胸に顔を埋め、さらに右手で愛撫しているように映ってしまうのではないか、と。
ぶわっ、と嫌な汗が額や背中から噴き出すのを感じた。
そして、ぶわっとシャルルの目じりに涙が湧き出すのが見えた。