(14)『手作り料理』(改稿済み)
母さんが部屋を出ていって一分も経たない内に着替えも終え、階段を下りようとした時だった。
(…………シャルル?)
階段の一階の手すりの陰に身を潜めたシャルルがこっちをチラチラと覗き見ている。まさかあれで隠れてるつもりってことはないと思うけど。
俺が階段を半ばまで下りると、シャルルは手すりの陰から足音を殺して飛び出し、ササッとテーブルに駆け寄ったかと思うと音もなく席に着いた。
「あれ? 父さんは?」
「昨日の夜、知り合いと呑みに行ってから帰ってないわ」
「珍しいね」
俺が席に着くと、シャルルはいつも以上にチラチラと俺を見てくる。
母さんが席に着いているのも珍しい。調理器具の片付けは先に済ませて他の人を先に食べさせる主義だからだ。
その片付けが終わってるってことは結構待ってたみたいだな。
「いただきます」
定例のかけ声と共に銀のスプーンを手に取り、3人の食事が始ま――――らなかった。
「えっと……どうしたんだシャルル」
じー。
シャルルはじっとこっちを見たまま、食べようとするどころか微動だにせず止まっていた。
しばらく気まずさに黙しながら反応を待っていると、パチッと瞬きしたシャルルがかぁーっと頬を朱に染める。
「な、何でもないです。ど、どうぞアルヴァレイさん。食べてください」
慌ててシャルルは顔を逸らし、目の前のスプーンを手にとる。
何なんだ? と首を傾げるのもほどほどに、俺は手の中のスプーンでスープをすくって口に運ぶ――――寸前でまた停止する。
じー。
すごく気まずい。
口を空けたまま硬直する俺は、さぞ間抜けに見えるだろう。
「……あの、シャルルさん?」
声をかけた瞬間に、バッと慌ててそっぽを向く。
なんだろう。よくわからないけど何だか食べにくい。
空気というか、雰囲気というか、シャルルは何を気にしてるのか? シャルルが落ち着かないせいで、俺も落ち着かない。
「いいから早く食べなさい、アル」
母さんにたしなめられ、俺は仕方なくスプーンを口に放り込む。
「ん?」
なんだ、このスープ……?
見た目こそ我が家で毎朝出る薬味スープと似ているが、味付けが若干違う。なんか普段は入ってないキノコとか入ってるし。
ちょっと顔を上げると、シャルルが飛び退くように顔を背け、何か言いたげな母さんがシャルルの方を目で示してくる。
なるほど、シャルルの様子がおかしいのはそういうことだったのか。
「このスープ、いつものより美味しいな」
と言うか好みにあってる。
「ほんとですか!?」「ちょっとアル。それって、いつものはまずいってことなの?」
さっきの目配せは何のためにしたんだろうね、ウチの母親は。
シャルルの反応を見ると予想は正しかったようだ。
要するに、このスープはシャルルが作ったのだろう。ベースが母さんの薬味スープだってことを加味すると、シャルルは母さんに教わりながら作ったことも想像に難くない。
シャルルはあんまり料理するようには見えないからな。
しても失敗しそう、とは口が裂けても言えないが。
「あの……その……それ……」
「シャルルが作ったんだろ」
ガターンッ!
これはシャルルが椅子ごと後ろに倒れた音だ。足に引っかけてテーブルまでひっくり返さなかったのが奇跡だったというぐらい派手に転がった。
「わ……わかりますかっ!」
帽子を押さえたシャルルがバッと身を起こしてそう叫んだ。
「そりゃわかるよ」
母さんが作れるスープはいつもみたいな薬味スープだけだからな。父さんが昨日から帰ってないなら残ってるのはシャルルしかいないわけだし。
ちなみに挙動不審なのもお前しかいないからな、シャルルさん。
「怪我とかないか?」
「あ……だ、大丈夫です」
「そうか。じゃあ、とりあえず席に戻ってお前も食べろよ」
そろそろ常識的な朝に戻したいからな。
「はい……」
そして再び食事が始まったわけだが……。なんだろう。なんか気まずい。
シャルル特製のスープ以外はいつもの朝と同じ、つまり母さんが作ったもののように思えるのだが。
なんでシャルルはいまだに俺の方をチラチラと見てくるんだ?
まさか、まだこの中にシャルルが作った料理が入っているのだろうか。となるとシャルルはそっちにも気づいて欲しいと言うことなんだろうが――
(――さっぱりわからんっ……)
既製品であるパンはとりあえず判断保留付きで除外。
もしかしたらいつもと同じに見えるがシャルルが持ち寄ったものかもしれないからだ。同じ理由でデザートフルーツも除外。
それ以外は単品料理ばかりだからその中から選ぶのが最良だとは思うのだが。
まずベーコンは焼いただけだ。これに気づけと言う方が無理がある。フライパンさえ持てれば誰でもできる調理だ。
次に卵料理の定番、目玉焼きだがこれは母さんのもので間違いないだろう。簡単なものではあるのだが、俺好みな柔らかさの焼き加減は一朝一夕に出せるものじゃない。
次、コーンのバター炒め。
母さんの得意料理だ。バターとコーンと調味料主に塩を同時にフライパンに突っ込んで適当に炒めるだけがはたして得意と言っていいのかが子供の頃からの疑問なわけだが、それを訊くといつも『揺りかごから墓場まで、って知ってる?』と笑顔で訊き返してくる。
つまり永遠に謎のままで、ということなのだろうか。要するに母さんの得意料理とはいえ誰でも作れそうだ、という話だ。
残りはサラダ。とはいっても大きなボウルに葉菜類をちぎっては入れちぎっては入れ、他の果菜・根菜類も切って入れ、上からウチの父さん特製ドレッシングをかける。それだけだから指示されれば誰にでもできる。
これまでの思考の結論。
「ふりだしに……戻る……」
「何か言いましたか?」
いいえ何もとばかりに首を振ると、シャルルは少し悲しそうな顔をした。
万事休す。
どれがシャルルの作ったものなのか、まったく見当もつかない。
そもそも情報が少なすぎる。いつも食っている物との差異を見つけるってこんなに難しいものなのか。
シャルルの期待に応えたいと、頭をフル稼働させて考えていたが、時というものは残酷なもので刻々と時間は過ぎていった。
後で恥を忍んで母さんに訊いたところ、シャルルが作ったのはスープだけだったらしい。
取り越し苦労だったことに脱力気味にホッとしたのだが、あの時の悲しげな表情は何だったんだろう、と少しだけ気になった。