(13)『押し問答』(改稿済み)
目を覚ますと、見慣れた天井があった。
そう、俺の部屋だ。
寝起きで頭がまだボーッとしているが、なんとなく思い出してきた。
昨日シャルルに秘密を告白された後、突然シャルルが泣き出してしまった。嬉し泣きだと言っていたが、嬉し泣きだろうがそうでなかろうが目の前で女の子に泣かれて戸惑いながらもとりあえず落ち着かせようと色々やっている内に夕方になってしまったのだ。飯も食ってないのに。
そして、何故か突然慌て出したシャルルは『送りますから、早くルーナに乗って下さい』と俺を急かし、テオドールの北側にある通用門まで来ると俺を降ろし、大急ぎで帰っていったのだ。訳がわからん。
ただ、あの時のシャルルはどこか必死なように見えた。
そして、家に戻ってきた俺は両親の説教を受けつつご飯を食べ、そのまま延長戦に入りかけた説教を振り切って、寝床に潜り込んだのだ。
昨晩はそれぐらい疲れていたのだ。
「アルヴァレイさん、おはようございます。とてもいい朝ですよ」
そして今朝も、いつも通りの朝だった。起きるといつもシャルルがいて――え?
「シャルル……誰がルーナをここに入れていいって言った?」
なんでルーナがここにいるんだよ。
決して広くはない部屋の中にベルンヴァーユのルーナが入ったらどうなるかくらいわかるだろう。部屋は満員で、いつもは隣に立っているか腰かけているシャルルが、寝台の上に座らなければいけない状態になっていた。
「ダメ……でしたか……?」
ダメかどうかはどうでもいいが、非常識なことに変わりはない。うなだれるシャルルの顔を見て一瞬許してしまいそうになり、目を逸らす。
「とりあえず、ルーナを外に出せ」
強い口調でそう言うと、シャルルは静かにコクリと頷き、立ち上がってルーナのお腹の下をくぐり抜けると、窓を開けた。
「待て」
シャルルの行動に嫌な予感がした俺は制止の言葉をかける。
「何する気だ?」
「ルーナを外に……」
「窓から?」
「窓からです」
やめなさい。通れる訳ねえだろ。
「空間転移魔法を使って出せよ」
「でも……失敗しちゃったら下の道をめちゃくちゃにしてしまうかもしれないです」
毎朝俺の部屋に入る度に、それを使ってるのは何処のどいつだったかな。
「いいから」
もう一度強い口調でそう言うと、シャルルはどこか不満そうな顔で頷き、
「行きて来たりて開けよ扉。汝は我の帰る道、我は汝が鍵を持ちし者なり」
シャルルの言葉と共に、目の前に空間転移魔法の魔法陣が現れた。昨日シャルルが描いた直径40センチほどのものより遥かに小さく、直径五センチぐらいのものだった。
「これ……どうやってやってるんだ?」
魔法陣を描くことなく魔術を行使するなんて聞いたこともなければ見たこともない。そもそも魔法陣図式表示――魔法陣行使時に視覚化して現れる図式で、結果的に効果範囲を示している――には実体はない。空気中の魔力が発動図式に合わせて集合し、目視できるほどの高濃度になっているだけだ。
ましてや自然現象のひとつであるそれ自体に意味などなく、筆記・印刷などを用いた図式なしで魔術を行使するなんてありえないはずなのだ。
「これはずっと昔に教えて貰った古代の空間転移魔法です。長距離転移にはやっぱり魔法陣を描かなければならないんですけど、数メートル程度の距離ならこれだけで十分なんだそうです。今の分類としてはたぶん魔弾に入ると思います」
これが魔弾!? 空間転移なんて複雑なことができるのに!?
魔法には、魔法陣を用いる魔術と用いない魔弾の2種類がある。
魔術は複雑で綿密な『魔法構成の一部始終』を必要とする代わりに複雑なことができる。空間転移だけでなく、日常的に用いるのはほぼ魔術だと言っても過言ではない。
対して魔弾は、複雑なことができないかわりに単純な『魔法構成の一部始終』で即座に行使できるため、基本的には媒体として刀剣や宝石を用いた戦闘用の魔法だ。
ちなみに『魔法構成の一部始終』というのは魔法の研究者がよく使う専門用語で、魔法を行使するに当たって必要な手続きや条件のことだ。それらが全て揃っていなければ、魔法を使うことはできないし、逆に言えばそれさえ揃っていれば魔法はいつどこでも行使できる。
「慣れれば使いやすいし、便利なんです。アルヴァレイさんにも教えましょうか?」
「いつ誤作動するかもわからない自爆術式顔負けのギャンブルをか? いいよ俺は」
数メートルなら呪文を唱えてる間に走りきれそうだし。
「ルーナ、先に黒き森に戻ってて貰ってもいい?」
シャルルにそう言われて、ルーナはチラッと俺を見ると、その魔法陣を覆う紫色の光を通り抜けるように姿を消した。
シャルルが窓の外に上半身を乗りだし、小さく手を振った。
「シャルル、そういや昨日はいきなりどうしたんだよ」
「昨日……ですか?」
と首を傾げるシャルル。
「昨日の夕方の――」
「ごめんなさい。夜だけはダメなんです」
「なんで――」
「気にしないで下さい」
それは触れて欲しくないってことでしょうか、シャルルさん。本人がそう言うなら気にしないけど。
「もうすぐご飯ですので、早く下に来てくださいね」
話を逸らすように母さんのいつもの台詞を先取りすると、シャルルは部屋を出て、トントンと軽快な音を響かせながら階段を下りていった。
「仲良いな、あの二人」
ちなみにシャルルと母さんのことだ。
母さんは、娘――つまり俺の妹のことだ。今は祖母とヴァニパルはフラムという町に住んでいる――に会えていないからと、年が近く礼儀正しいシャルルを見ていると、一緒にいる気分になるらしい。
残念ながら、いくら子供っぽくてもシャルルは母さんよりずっと年上なのだが。
加えて残念なのは、逆にどんなに長く生きてても子供っぽさが抜けないシャルルの方である。
そんなことを考えつつ、のそのそと起き出して着替え始めると、
「ん?」
昨晩の内に出しておいた服に、黒くて硬い毛が数本くっついているのに気がついた。間違いなくルーナのものだろう。
さっそくルーナを部屋に入れた悪影響が出ている。疲れていたとはいえ床に放っとくのはまずかったかと思いつつ、その毛を払っていると、
「あれ?」
一本だけ金色の毛を見つけた。自分やシャルルの髪の毛かとも思ったが、どうも髪の毛とは違う。短くて柔らかくあるものの髪の毛にしては太いのだ。
神族にも種々様々あるが、一貫して二つの特徴が他の人間や魔族とは異なる。
それは細く柔らかな金髪と他種族と比較して鋭角を描く耳の形だ。
「ルーナ……じゃないしな」
そもそもルーナに金色の要素はない。というか黒以外の要素が目の後ろに広がる赤色の毛しかないのだ。角も黒、体色も毛色も蹄もほとんど黒。口内は別だが。
「後でシャルルに聞いてみるか」
森に住んでるシャルルなら、どんな動物の毛なのかわかるだろうし。
その瞬間、向かっていたガラスにフライパンを振りかぶる母さんの姿が映った。
「うぉあっ!」
ガシャーンッ!
母さんの投擲したフライパンは俺の部屋の窓を派手に突き破り、無数のガラス片と共に裏通りに降り注いだ。
「なんで避けるのよ!」
「なんで投げるんだよ!」
「アンタが悪いのよ!」
またこの展開かよ。
「早く下りてこないとご飯にこっそり下剤入れるわよ」
「言ってる時点でこっそりじゃない上に親のやることじゃねえよ」
「私の機嫌が良くて良かったわね」
悪かったら何を入れるつもりだったんですか……。試験薬!? 試験薬なんですか!?
「三ヶ月はご飯抜きね」
どんな薬より恐ろしい苦痛でした。
「冗談はこの辺にしときなさいよ」
俺は何の冗談も言ってない。
「シャルルちゃんが楽しみに待ってるんだからね」
そんなに待たせたっけ? 待つぐらいなら先に食べててもよかったのに。