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旧き理を背負う者‐エンシェントルーラー  作者: 立花詩歌
第5章『火喰鳥事変』
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(20)『無計画の一言に尽きる』

「ふーん、どんなところなのか結構緊張してたけど、思ってたより案外普通なのね。レイン(の森)より普通にちっさいし」


 テオドールを出てからおよそ三時間後――――黒き森(シュヴァルツヴァルト)の入り口のひとつに到着した途端、紙縒は率直すぎる感想を口にした。

 率直すぎるが、実に的を得た素直な反応だ。偏見や色眼鏡のないそんな感想が、テオドールでは馴染みがなかっただけに思いの外嬉しい。俺やシャルルが、そしておそらくルーナも――――あの夜の真実を知る皆が待ち望んでいた言葉でもあるのだろう。本人は何の気なしに言ったのだろうが、こっちとしては予想だにしない台詞に不意を突かれた気分で、思わず口元が綻んでしまう。

 シャルルに出会ってから知った“普通”という言葉の曖昧さ。そして“普通”であることに憧れる者、“普通”であることすら許されない者がいることも。


「…………どう思ってたかは別に聞かないけど、この黒い葉を持つ木(トイフェルブラット)以外は結構普通だよ。さっきも言ったけど、元々ここが避けられてた理由は八割方“魔女”が危険視されてたせいだしな」


 確かにこの森には有翼白虎(アルペガ)隠遁蜥蜴(ドルドール)喰人樹(ボルボット)吸血球(グライスオーブ)巨体兎(ペルペント)など世界的に危険指定を受けている動植物や魔獣・魔物が少数だが生息している。この手の生物は他にも生息地が確認されているが、それらも同様に危険な地域に指定されているため基本的に誰も近付かない。しかしその中でも研究者や狩人等々の専門職ですら寄り付かないシュヴァルツヴァルトは群を抜いて異常な場所であり、それを考えるとやはりシャルルの影響とする見方は避けられないのだった。


「ふーん……まあいいわ。入るんなら早く行きましょ。こんなところでもたもたしてると日が暮れて何も見えなくなりそうだし」


 紙縒は懐の紙束から式紙を一枚引き抜くとそれをくるくると手早く()り合わせて紐状にし、長い髪を後頭部の辺りで(くく)り始める。


「夜行性で危険な生物はそれほどいないと思うけど、非戦闘人員の人数も多いから用心するに越したことはないだろうな」

「と言うか久遠の実力によっては使えない人数の方が多いわよ。アリアはともかく、康平と稲荷とルーナは戦闘では役立たずだから。特に康平、主に康平」

「最後の言う必要あった!?」


 紙縒のあからさまな強調に、康平が思わず悲鳴を上げる。


「言われたくなきゃいいかげん強くなりなさいよ。まったく、この私が教えてあげてんのにいつまで経っても戦えないってどういうことよ。普通か弱いヒロインは男が守るもんでしょ、常考」

「一トン近い武器(メイス)を軽々振り回す紙縒は少なくともか弱くないと……」

「あら、変ね。急に康平の声が聞こえなくなったわ。もう一度言ってくれる?」

「……こ、紙縒は僕が守るよ」

「期待しないで待ってるわ」


 笑顔による威圧に早々と屈した康平の姿が自分と重なる。リィラやルシフェルのような自己至上主義者といれば必然的にそうなるのは火を見るよりも明らかだが。


「あ、の……」

「ん?」


 控えめな小さい声に俺が振り返ると、声の主――久遠はビクンッと震えて後ずさり、稲荷と繋いでいた手を強く握る。

 微妙に傷つくな、やっぱり。


「それっ……で、シャルル、さん……は、何処……に、いる、んですかっ……!」

「そうだ。言ったと思うけど、シャルルがここにいるとは限らないからな。俺たちもシャルルを探してる旅の途中だったし、ちょうどいいからお前の話を手がかりにここに来てみたんだだけで」

「ここ、は……シャルル、さん、に……とって、どんな場所、なん、ですか……?」


 久遠の台詞に思わず言葉が止まる。

 シャルルにとってここはどんな場所だったのだろう。

 一度は全てを投げ出して逃げた場所。だが、大切な場所ではあったはずだ。“普通”からは少し外れていても、()()と一緒に穏やかな生活を送っていた場所なのだから。ささやかな幸せでも、それを噛みしめていた場所なのだから。

 少なくとも俺にとってはシャルルやルーナたちと過ごした大事な場所だった。


「あ、の……?」

「あ、えっと……ここはシャルルが住んでた場所なんだ。ちょうどここに小屋があって、ルーナや色んな動物たちと暮らしてた。一年ちょっと前に失踪するまではね」


 事の顛末を知っているヘカテーが悲痛そうな表情になる。直接見たわけではないが、俺の記憶を読んだ時に大体把握しているはずだ。ルシフェルからヘカテーも相当辛い経験をして来ているとは聞いているが、そんな彼女から見てもシャルルの生い立ちには少し思うところがあるのだろう。


「とにかく“星見の丘(ルクラ・ルルラ)”まで行ってみよう」


 シャルルの住んでいたあの小屋はもうなくても、彼女がこの森をまだ訪れていたなら手がかりはきっとあの丘にある。



 それからおよそ二時間――――。

 体力のない数名に配慮して休憩を挟みながらではあったが、最短の道筋を把握しているルーナについていくとその程度の時間で星見の丘(ルクラ・ルルラ)に辿り着くことができた。

 あの日の夜、俺が着くまで何時間もかかったのは一体なんだったのか。当然、迷っていたからなのだが。


「ここが星見の丘なの?」

「ああ」


 荒れ果てたと言うほどではないものの、この前来た時の記憶とは少し違っている。

 シャルルはまだ知らないだろうが、かつてこの森に棲んでいた大小種々様々な動物たちはもうほとんどこの森には残っていない。ルーナがそうであったように、シャルルがこの森からいなくなってしまった後次々と森を離れてしまったのだ。前にルーナに話を聞いたことがあるが、シャルルがいなくなり俺が旅に出た頃から再び森を訪れるまでの約一年の間に森の動物たちは半数に減ったらしい。中には俺のようにシャルルを追う者や、シャルルがいないならこの森にいても仕方がないと群れごと引っ越していった者、人がシャルルを連れていったと思い込んでテオドールに出没し、騎士団に討たれるまで大暴れした者もいたというから驚きだ。

 この森の動物にとってもシャルルは特別な存在だったことがわかる話なのだが、今はそこではなく、草食獣が減れば森が荒れるのも必然だということだ。


「結構薄暗くなってきてたし、日が出てる内に着いて良かったわ」

「うん……」


 紙縒が丘の頂で伸びをしながら落ち始めた夕日を見て言うと、康平も疲れ気味ながら同意の声を上げつつ周囲をきょろきょろと見回し始める。


「誰もいなさそうだね」

「見りゃわかんでしょ。重要なのは彼女が来た痕跡が残ってるかどうかでしょうが。で、アル。どうなの?」


 紙縒に問われ、俺は無言で足元に視線を落とす。


「見た限り、最近来たのは間違いなさそうだな……」

「そうなの?」


 目の前には大きな盛り土――あの夜この場所で騎士団と戦い、死んだ家族の墓標とその前に捧げられた(しお)れた花束。花自体は摘み取ったものを束ねただけの簡素なものだが、動物がこんなことをするはずはない。況してや何も知らない人がこれを墓だと思うだろうか。


「間違いないよ。シャルルは少なくとも一度、多分数週間以内にここに戻ってる」


 それに何より、その先端だけが薄赤い淡い青紫色の花弁が特徴的なその花は、シャルルが好きだと言っていた花だった。

 一度遠ざけた場所に戻ってくるとしたら、それは未練があるからだ。家族思いのシャルルのことだ。墓参りという理由でも十分納得できるのだが。


「ルーナ、この花が生えてそうな場所わかるか?」


 俺と同じように思うところのありそうな眼差しを墓標に向けるルーナに尋ねると、ルーナはしゅるしゅると人の姿に変身し、そのあられもない姿に慌てて荷物からローブを引っ張り出すヴィルアリアを後目(しりめ)に萎れた花を拾い上げる。

 そしてぽつりと一言、「ルーナ……」と呟いた。


「この花は…………ルーナの花、です。私の名前はシャルがこの花からとって付けてくれたものです……」


 初耳だった。

 今更ながら、シャルルが好きだと言っていた花の名前も知らなかった自分にも驚きだが、ルーナの名前が花の名から取られていたなんて。


「ルーナの花の花言葉は『ずっとあなたの傍にいます』だよ、お兄ちゃん」


 薬学を通して植物にも詳しいヴィルアリアが、ルーナの身体を一枚布のローブで隠しながらそう耳打ちしてくる。


「ずっと傍にいる……か」


 シャルルがこの花を供えた理由はその花言葉を知っていたからなのだろう。


「この花は、よくハクアクロアの(ふもと)に生えています」

「つまりこの星見の丘(ルクラ・ルルラ)よりさらに奥ってことか。でもこれ以上はさすがに暗くなって……――――あ」


 不意に思考が途切れた。

 何かおかしい。いや、何もおかしくはない。おかしいのは俺だ。何か忘れているような気がする、とさっきからぼんやりと思っていたが、確かに俺は忘れていた。

 普通なら忘れるはずのない、重要なこと。何故忘れていたのか――――()()()()()ということを。

 ――戦慄した。


「ち……くしょうッ……!」


 俺が思わず叫ぶとルーナが、そして他の皆が一斉に俺に視線を向けた。


「どうかしたの、アル?」

「お前がどうした」

「見たからよ」


 紙縒の方を振り向いた途端に思わずツッコミを入れてしまったが、哀れルーナのあられもない姿を見てしまったらしい康平は紙縒に首根っこを掴まれて折檻中だったらしい。不可抗力だろうに。

 閑話休題(それはともかく)


「夜にこの森にいるのはマズい」

「何よ、いきなり。さっき夜行性の危険な生物はいないって言ってなかった?」

「いた場合の話だ。シャルルが、この森にいたら、の――」

「あ」


 俺の言葉に紙縒が声を上げ、ルーナが息を呑んだ。ヘカテーもようやく気がついたようで、その表情が夕日で染められながらも尚わかるほど一瞬で青ざめる。

 夕刻、太陽が地平線に隠れると同時に、シャルルは『夜のシャルル』へと変化する。

 紙縒の実力は未知数、ヘカテーもまだ人間離れした身体能力を持ってはいるが、戦闘能力では世界的にも一二を争うエルクレス騎士団の討伐部隊相手にほぼ一方的な殲滅戦を繰り広げたあの裏のシャルルにはさすがの彼女たちでも太刀打ちできないだろう。


「ど、どうすんのよ、アル。さすがにあんなの相手にはしたくないわよ」

「アルヴァレイさん、早めに逃げた方がいいんじゃないですか……!?」


 気付けば俺以外に戦える二人が一番焦った様子を見せていた。紙縒は何故か夜のシャルルのことを知っているようだが、そのことをまったく知らない康平やヴィルアリア、久遠と稲荷も首を傾げている。


「今からじゃルーナが頑張ってもどうせ全員がこの森から逃げ切るのは無理だ。それに夜は吊るし蔓(クラプランテ)が活発になるから、下手にはぐれると危険だ。多分、この丘で一夜過ごす方が安全なくらいには」


 俺がそう言うと、紙縒は口角を引き攣らせて乾いた笑いを漏らした。


「マジ?」

「冗談じゃないぞ」

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